気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像

娯楽都市マッカラン 某古書店

 時は再び一時間ほど前に遡る。

「え――――――――――――っ!? 100万ギル!?」

 商業区画の外れ、歴史ある建造物の多いマッカランにおいて一際時の流れを感じさせる店があった。アンティーク雑貨でも扱っていそうな古風な外装だが、店内に並んでいるものには全く統一感がなかった。
 どこをどう見ても看板通りの古書店ではない。
 言わば「物置」。そう形容した方が遥かに適切だ。
 店内には大量の木箱が乱雑に置かれ、その中には種々雑多な物が入っている。客の導線を考えた陳列には程遠く、この店自体が子供の玩具箱じみていた。
 そう思えば、今店主に向かって絶叫している少女が立ち寄ったのも、あながち違和感がないことなのかもしれない。

「当然じゃ。何せこんなに詠唱が網羅された魔術書なんぞ、滅多にお目にかかれない逸品じゃからな。これくらい妥当な値段じゃ」

 渋く低い声で淡々と告げる店主。新聞を広げながら素っ気なく対応する無愛想な横っ面は如何にも頑固な性格を思わせ、およそ値切りなど通用しそうにない。
 厳格な店主を前に、赤い外套と頭巾に身を包んだ幼い魔導少女―――ロゼッタは、しょんぼりと俯く。彼女は町中を巡り歩き、ついに念願の売り飛ばされた魔導書と再会を果たした所だったのだが……。
 100万ギルの売値を叩きつけられて、手も足も金も出なくなっていた。
 ある程度の高値は覚悟していたが、まさかユーイチの売値の三倍を超えるとは予想だにしていなかった。
 もっとも、それはロゼッタのミスでもあった。魔術書は交易品ではなく嗜好品の類として扱われる為、所によって相場が異なることを考慮していなかったのだ。
 ロゼッタは僅かばかりの度胸を振り絞り、駄目元で真実を告げてみる。

「で、でも……それ、元々あたしの……」
「何か言ったかの?」

 だが、小声だったからか店主に鬱陶しがられてしまった。

「い、いえ……。あ、あの、じゃあ、これ絶対買いに来るんで、取っておいてもらうことってできますか?」
「嫌じゃ」
「い、嫌じゃ?」

 あまりに子供っぽい即答に拍子抜けしたロゼッタは、思わず復唱してしまった。

「お前さんが必ず買いに来るという保証がない以上、その願いは信用ならん。他に欲しがる客が来た場合、申し訳も立たんしの。それに、昨日早速この魔導書に甚く興味を持った男がおっての。数日以内に買いに来るようなことを言っておった」
「ええっ!?」
「数の多い品物なら取り置きも考慮してやるが一品物は別じゃ。即断即決即売買が可能な客にしか売れん。前金で半額先に支払うと言うんなら考えてやらんでもないがの」
「そ、そんなぁ……」



 そうして半べそをかきながら店を後にした彼女は、途方に暮れるしかなかった。

「はぁ……まさか桁が一つ違うなんて……。100万ギルなんて稼いでたら、その間に他の人に買われちゃうよ……」

 ロゼッタは雑踏を器用に避けながら商業区画を彷徨っていた。ただ漠然と魔導書を買い戻す資金繰りに悩みながら。
 予想していた二倍額を遥かに超える売値には、ただ頭を抱えるしかなかった。
 数一〇万ギルなら一日二日、一帯の魔物を討伐すれば十分稼げる金額だ。思えばそれ自体はカツアゲのような所業だが、背に腹は代えられない。
 元々ユーイチと行動を共にしていた時から、ロゼッタは資金稼ぎの為に魔物を討伐することに抵抗があった。小悪魔や妖精など外見だけなら人間と大差ない存在相手の場合は特にそうだ。だからなるべくなら人に害を為す魔物だけを狙ってきたのだが……。
 とは言え、あの魔導書は何よりも大切なものだ。
 かつて師匠から譲り受け、一人で必死に磨き上げてきた、文字通りロゼッタの生きた証とも言えるほど大切な……。
 到底諦めることなどできない。
 だが、100万ギルとなると流石に一日二日で稼げる額ではない。しかし時間をかけてしまうと店主の言っていた男性に先を越されてしまうだろう。
 先ほどから様々な資金調達を目論むも、なかなか妙案は浮かばない。

「カジノで一攫千金……。無理無理あり得ない。ただでさえ運がないのに、カジノで勝てるわけないって。……闘技場は高いランクじゃないと賞金安いし、それ以前に魔導書ないから参加しても自信ないし……賭けようにも大した元手ないし……」

 落胆して黙々と通りを歩くロゼッタ。
 すると、宿屋の前を通りかかった所で、ふと身に覚えのある気配を感じた。

(……ん?)

 少し気になって宿屋を囲う石壁から中庭を覗く。すると―――。

(―――ッ! かっ、金蔓っ!)

 ユーイチに毒され切った感性が、反射的に酷い想像を誘発する。
 そこにいたのは見覚えのある大量の人影だった。襤褸に身を包んでいて正体は定かではないが、あれだけ似通った背中が一同に集うなど他にない。何よりぼそぼそと漏れてくる微かな声に聴き覚えがあったことで確信に至れた。
 メルリープたちだ。
 だが……ロゼッタの視線はすぐに彼女たちから別の存在へ奪われた。

(……ええええっ!? なっ、なにあれえっ!?)

 綺麗に整列して正座するメルリープたちの前に、巨大な銀狼が教祖のように鎮座していたからだ。
 陽光を照り返して輝く体躯は最高級の水晶のように神々しい。
 まるで伝説上の神獣を思わせる狼を前にロゼッタは萎縮しつつも、やはり頭の中は資金調達の伝手一色のようで……。

(……け、毛皮とか売ったら高いかな?)

 やや表情を綻ばせながら、そわそわ体を揺らしている。もはや自身のポリシーなど完全に瓦解していた。
 その時―――銀狼が突如、ロゼッタの方を睨んだ。

(ひっ……!)

 一瞬の迷いすらない鋭い眼光に射抜かれたロゼッタは、反射的に身を引いて壁を盾に姿を隠す。どうやら盗み見を完全に見抜かれていたようだ。

(ビッ、ビックリした……。う、うん、そうだよね。やっぱり他人から無理矢理お金奪ったりするのはいけないことだもんね……。うん、地道にやろう。うん)

 狼の一睨みで良心を取り戻したロゼッタは、胸に手を当てて自分を落ち着かせる。
 だが―――今度は後ろから、彼女の自制を嘲笑うかのような会話が聴こえてきた。

「人間たちの料理もなかなか美味しいもんね。今度腕利きの料理人でも捕まえて、うちの連中に教えてもらおうかしら」
「捕まえるって……何でいつもそう不器用なやり方しか思いつかないんですか? 普通にお願いしましょうよ、リリス様が損するだけですよ?」
「あんたアホ? 普通にお願いして通るなら苦労しないわよ。……まあいいわ。それより早くカジノ行くわよカジノ!」

 あまりにも奇妙な会話に、ロゼッタも唖然としたまま固まってしまった。

「……な、なんだろ、今の人たち。人間の食事って、あの人たち人間……えっ? って言うかリリス様って……あの魔女のリリス?」

 この世界でリリスという名を知らない者はいない。マッカランの北方、天然の要塞・ノルシュヴァイン山脈の深奥に潜むと言われる最強の魔女だ。昨今の魔物の凶暴化は彼女の人間に対する怒りへの共鳴だとも噂され、彼女の住処に程近い遥か北方の町では、幼い少女を生け贄を捧げる習慣が根づいたとすら言われている。
 だが、そんな凶悪な魔女がこの白昼堂々、側近と暢気に町を散策するなど到底考えられない。同名の別人か何かだろうとロゼッタは思い直す。
 途端、食事の話を耳にしたからか、急にお腹が空腹を訴えてきた。
 ごろごろと唸る自分の腹部を撫でながら、照れ臭そうに頬を赤らめるロゼッタ。

「さっき食べたばっかなのに……。町中走り回ったからかな……」

 仕方なく腹の虫を落ち着かせる為、ロゼッタは店を探す。ちょうど目の前に一軒の店があったが、先ほど入ったばかりの為、流石に恥ずかし過ぎる。
 メルリープたちと謎の銀狼のことは忘れ、そのまま宿屋を離れ、とりあえず酒場へ向かうことにした。
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