気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像

◯水晶霊月3節目 11:30 娯楽都市マッカラン 某貴族屋敷

 商業区画の北側に位置する一帯。
 地元貴族たちの豪邸が粛々と建ち並ぶ中、とある屋敷の庭の木陰に身を潜めて建物の中を観察している女が一人。
 赤と黒の上下という色だけを取れば目立つ格好だが、少しでも陰の濃い場所を巧妙に選んでおり、屋敷の中の人間はおろか見回り警備の私兵たちも気づいていない。

「……それは本当なのか?」

 見つめる先の部屋の中には、二人の男の姿があった。
 一人は如何にも豪華な成金趣味丸出しの小太りで、この屋敷の主人だ。
 その顔には見覚えがあった。―――いや、見覚えなどという曖昧な記憶ではない。
 それは一〇年を超える時を経ても全く風化しなかった程に深く、女の脳裏に刻みこまれていた。決して忘れまい、忘れてはいけないと、どれだけ思い出したくなくとも一日も欠かさず思い出してきた因縁の顔。
 それほどに憎らしい男の顔……。
 自分の両親を奪い、唯一の居場所を葬り去った復讐の矛先だ。
 仇の男は今、使用人と思しき若者と密談していた。

「噂ですので、まだ確証はありません。ですが、どうやらギルドに告発した者がいるのは確かなようです。おそらくその筋からアインシュヴァルツに話が飛んだものかと」
「裏切り者がいるというわけか。これだから低俗な愚民どもは……」
「加えて、噂を聴きつけた町民の間で真偽を問い質そうとする動きが出始めています。まだ大きな騒動にはなっていませんが……」
「情報の確認と裏切り者の焙り出しを急げ。愚民どもの前で徹底的に見せしめる必要がある。それとその調査団の正体も洗っておけ。自警団も抱きこんでいる以上、そうそう簡単に事実が露見することはないだろうが、念には念を入れておくんだ」
「かしこまりました。それと、もう一点気になることが……」
「気になる?」
「今朝方、町に盗人が出没したらしく、実に数一〇件もの被害が出ています。自警団も動いていますが、足取りが全く掴めないらしく、協力を要請してきています」
「なんで埒外の儂らに協力を要請するんだ。奴らの仕事だろうが」
「いえ。調査の方ではなく、町民への根回しです。白昼堂々あまりに大量の被害が発生したので、自警団に対する突き上げも厳しく、多くの町民が詰所まで抗議に殺到しているとのことでした」
「そんな下衆な連中は適当に理由をつけて帰らせるように言え。こっちだって暇じゃないんだ。―――そうさな、何ならあのガキに泣きつかせろ」
「ガキ? 領主様、ですか?」
「あんな1ギルの価値もない平民たちのことが心底大好きだからな、喜んで矢面に立ってくれるだろうさ。町民もあのガキが出てくれば静かになるだろう。非難の嵐が収まらなければ、ヤツに全てを擦りつけて領主の座から引き摺り降ろせばいい。どっちにしても好都合だ。ははっ!」

 下卑た調子で嗤う小太りの貴族。
 盗み見を続ける女―――ジャンヌは、今にも飛び出して貴族の顔面に腰の剣を突き立てたい心境だったが、暴走寸前の憎悪を何とか理性で押さえこむ。だが、その拳は爪が掌に食いこむまで強く握りこまれている。

(……許さない……絶対……ッ!)

 復讐を誓う表情は今にも歯軋りが聴こえそうな程に歪み震えていた。
 理性の抑えが吹き飛ぶ前に、ジャンヌは屋敷を後にした―――。



 ―――一〇数分後。
 町の北西に聳える小高い丘、その上に寂しく立つ一軒の屋敷。
 そこへ繋がる階段をジャンヌは駆け上がっていた。
 先に待つのは、町の領主の屋敷だ。
 階段を上がり切ると、目の前一面に草原が開けた。
 ジャンヌはゆっくりと屋敷に向かって行く。
 屋敷の前には広々とした庭園があり、中央の噴水を基点として碁盤目状に花壇が整然と並んでいる。そのどれも豊かな種類の花々が咲き誇り非常に鮮やかだ。
 そんな花壇の一つに、水をやっている一人の青年がいた。
「優男」という形容がこれ以上相応しい人は他にいないと思える程、まさに優男としか言えない青年だ。不健康とすら思える痩躯は、長身のせいもあって一層見る者を不安にさせる。実際、今のジャンヌの心にも少し不安が過っていた。
 庭園の入口に差しかかった所で、青年もジャンヌに気がついた。

「……? えっと、どちら様?」

 まるで領主の風格や威厳など感じさせない一介の若者然とした態度に、ジャンヌは堪らず吹き出してしまう。

「おどおどし過ぎよ。もう少し自分の身分を自覚したら?」

 その声色がよほど鮮明に記憶にあるのか、ジャンヌの皮肉で青年の態度は一変、両目を驚きで大きく見開いた。

「その声…………ジャンヌ? ジャンヌかい!?」
「久しぶりね、エド」

 目の前の女がジャンヌだと確信すると、青年は彼女に向かって一目散に駆け出した。その喜び様は、二人が再会を果たした生き別れの兄妹と言われても全く違和感がない。
 走り出した勢いのままに、ジャンヌに抱きつく青年———エドワード。
 流石に踏ん張り切れず、ジャンヌは彼に押し倒されるように庭草へ倒れこんだ。

「ちょっと、子供じゃないんだから」
「えっ?」

 ジャンヌの苦笑いの理由が分からず、エドワードは少し考えこむ。

「――――――! ご、ごごごごめんいきなり!」

 すぐに跳ね起きてジャンヌから離れ、恥ずかしいのか背中を向けてしまった。
 とは言え、ジャンヌは全く気にしていない。むしろ彼が幼い頃のまま純情すぎて未だに幼馴染みの一人押し倒せないのかと拍子抜けしたくらいだ。その感覚も彼女自身どうかと思うが、エドワードには何事につけても積極性が必要だといつも感じていた。

「そんなに喜んでくれるなんて、ちょっと意外」
「一〇年以上も会ってなかったんだ。嬉しいに決まってるじゃないか! ……それにしても随分と雰囲気が変わったっていうか……それ、男物?」
「ああ、服? そうじゃないんだけど……やっぱりそう見える?」
「なんて言うか騎士の平服みたいだから。でも、凛々しくて格好良いと思うよ」

 エドワードは臆面もなく気障な賞讃を送った。何故か褒め言葉だけはいつもストレートで、相手が気恥ずかしくなることを平気で口にする。
 その性格は一二年を経ても相変わらずのようだ。

「でも、今までどこに行ってたんだい? 何も言わずに手紙だけ残して消えちゃったからずっと心配してたんだ」
「……ごめんなさい」

 その一言に、ずっと笑顔だったエドワードの表情が少し曇る。

「……やっぱり、ご両親のことで居づらく……」

 ジャンヌは返事をせず、ただ口を固く噤んで沈黙を貫く。
 その答えを半ば予期していたのか、エドワードは神妙な面持ちで声を震わす。

「……ごめん。僕がもっとしっかりしてれば、今ごろ君の家も……」

 予期せぬ一言だったのか、ジャンヌは慌てて頭を振って否定する。

「違う、そうじゃないの」
「でも、僕は結局、何もしてあげられなかった。いつまでも父さんが亡くなったことで塞ぎこんで、後継ぎとして全うすべき使命を放棄するばかりで……」

 エドワードは湧き上がる後悔を力強く噛み潰す……。



 彼の後悔は一二年前、六歳の時―――ジャンヌの店が貴族によって廃業に追いこまれた時期に端を発する。
 当時、ジャンヌの父親は投獄され、彼女は母親と苦境の淵にあった。
 その一方で、エドワードも同じく悲しみの底に沈んでいた。
 彼は先代の領主であった父親を失ったばかりだった。
 その死は酷く謎めいており、病死や貴族の陰謀など様々な憶測が交錯。結局何一つ明らかにはならなかった。
 そのため、当時六歳の少年が受け入れるにはあまりに現実味がなく、エドワードは実に数ヶ月、自室の隅で膝を抱える毎日だった。その隙をつかれて、実権の掌握を目論んだ貴族連中に巧く出し抜かれてしまい、結局現在の不遇に至る。
 その時のことを、エドワードは未だに後悔していた。
 もしあの時、自らを律し保つだけの意志と力があれば、あるいは現状も少しは変わっていたのではないかと……。



 ―――暫し押し寄せる過去に呑まれつつあったエドワードだが、何やら遠くで響いた轟音で咄嗟に意識を取り戻す。
 その目の前には、自分の胸に縋るように抱きつくジャンヌがいた。

「……ごめん、急に」

 心ここに在らずといったエドワードの意識が戻ったことに気づいて、ジャンヌは漸く安堵した。
 その一言でジャンヌもエドワードからそっと離れる。

「……もうあの時のことで自分を責めないで。六歳の子が家族の死に耐えるなんて簡単なことじゃないわ。私だって同じだったから分かる」

 元より気が確かだったからと言って、六歳の子に何か出来るわけもない。

「ジャンヌ……」
「止めましょう、互いの傷を抉り合うのも慰め合うのも。……父さんも母さんも、クレイン様もきっと喜ばないわ」
「……そうだね。ごめん」
「いいの、謝らないで」
「……その口癖、久しぶりに聴いた」

 エドワードの表情に、ようやく笑顔が戻った。

「ジャンヌは小さい頃からいつもそうだった。僕が何か失敗したり迷惑かけたりしても、そう言って僕を許してくれた」
「クレイン様の躾は厳しいことで有名だったからね。屋敷の外くらいは甘やかしてあげようと思ったのよ」
「こどもだったのに随分と気が利いたね」
「そりゃ近所の人たちの中では息子の花嫁にしたい候補ナンバーワンだったからね」

 昔を思い出して、共に笑顔を交わす二人。

「それより……いま何か大きな音しなかった?」
「音? さあ、私は気づかなかったけど……」

 やがて気持ちの整理がついたのか、エドワードは静かに本題を切り出す。

「ところで、今日はどうして急に戻ってきたんだい?」
「ああうん。町の人たちに恩返しにね。って言っても、表立って出来る恩返しじゃないからこっそりやるつもりだけど」
「恩返し?」

 エドワードは間の抜けた鸚鵡返しを呟いて首を傾げる。

「今日、町で盗みが発生したの知ってる?」
「ああ、庭師のおじさんが来た時にそんなこと言ってたような……」
「あれの逆よ」
「逆?」
「逆は逆。仇を恩で返す……って感じかな」
「うーん、よく分からないけど……。でも良かった。ホントは貴族の人たちに復讐にでも来たんじゃないかって、ちょっとひやひやしたんだ」

 安堵の笑顔を浮かべたエドワードの一言に、ジャンヌの表情が一瞬凍りかけた。
 だが、すぐに元の笑顔を器用に貼りつける。
 感づかれたか不安だったが、屋敷の方から使用人と思しき初老の男性が駆けてくる足音が響き、エドワードはそちらを振り向く。向かってくるのは、ジャンヌが小さい頃にも彼の屋敷で見かけた男性だった。どうやら今も変わらずに仕えているようだ。
 彼は何やらエドワードに耳打ちしていたが、話はすぐ終わったようだ。そしてジャンヌに向かって静かに一礼すると、そのまま屋敷へ戻って行った。

「ごめん、ちょっと仕事が入ってすぐ行かないと。暫く町の宿屋にいるんでしょ? 君が好きだったあの物置みたいな古書店、まだ残ってるんだよ。あの変わったおじいさんもまだまだ現役でさ。明日空いてるから、久しぶりに一緒に行こうよ」
「―――ええ、ありがとう。待ってるわ」

 屋敷に戻るエドワードは暫くジャンヌに手を振っていたが、やがて背中を向けた。
 だんだんと小さくなっていく彼の姿を、それでも見つめていたジャンヌだったが、やがて踵を返し町に向かって一歩を踏み出す。
 その脳裏には、二つの不安が去来していた。
 一つは、貴族連中が町民の不満の掃き溜めとしてエドワードを利用しようと画策していると伝えられなかったこと。秘めたる復讐心に勘づかれかけた動揺から、貴族に関する話題を口に出す勇気を絞り出せなかったのだ。
 そしてもう一つは、雑貨屋から連想された不安―――。

(そう言えば……あの子、大丈夫かしら……)

 先程まで一緒にいた一人の幼い少女のことだった。
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