気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像

「な、なんか凄い人たちですね……」

 そんな二人の席から少し離れたところに座る二人。
 ソニアがエリオの顔面にグラスの水をかけたシーンを目にして、片割れの少女は驚きに両目を見開いていた。

「この町は色んな人がいるから、あまり気にしない方が良いわよ」

 対して、正面の女性は一切無関心でどこ吹く風といった体だ。

「ジャンヌさん、この町に詳しいんですか?」
「ここの出身なの。もう随分と帰ってなかったけどね」
「帰ってなかった?」
「正確には帰りたくなかったの。もう私の生まれた家はないから」
「あっ……」

 目の前の女性―――ジャンヌの一言に、少女―――ロゼッタは思わず項垂れる。

「…………ご、ごめんなさい」

 ロゼッタの謝罪にジャンヌは苦笑いを浮かべた。

「だから気にしないの」

 そして、水の入ったグラスを手に取ると、静かに口を開く。

「それに、今回は過去と決別する為に戻ってきたからね。いまさら過去を思い出して古傷舐めるほどしみったれてないわ」
「決別……」
「そう。―――昔、この辺りにお菓子屋さんがあってね。結構地元で人気だったのよ」
「へえ」
「まあ、お菓子屋って言っても、正確にはコーヒー・ハウスね。周りのお店の人たちの暇潰しや休憩代わりに使われてたから、社交場って言った方が近いかも。父さんは子供相手のお菓子づくりが夢だったから、ずっとお菓子屋だって言い張ってたけど」
「へえ、いいなあ。あたしお菓子作ると、何故か必ず焦げちゃうんですよね。楽しくなってくると、ついつい魔力が高ぶっちゃって」
「そ、そう……なんだ……」

 楽し気に笑うロゼッタに、ジャンヌは若干引いている。おそらく火力を魔力と表現したからだろう。魔術で焼き菓子を作る子など普通はいない。だが、その自覚が欠片もないのか、ロゼッタは心底から照れ臭そうだ。

「でも、珍しいですね。今でこそコーヒー・ハウスって一般的ですけど、少し前は名前すら聴きませんでしたよね」
「この町は全く逆よ。昔は数があったのに、いまあの手の店は認められてないの。正確には貴族の一部が認めようとしないんだけどね。―――昔、なんでコーヒー・ハウスやカフェが認められなかったか知ってる?」
「確か結社を防ぐためとか……」
「そう。一ヶ所に人が集まると、政治的にはそれだけで脅威なのよ。実際コーヒー・ハウスやカフェなんかは、政治結社の隠れ蓑として建てられることも多かった」

 そこでジャンヌはグラスの水を口にして一息入れた。

「―――そうした背景の影響もあって、私の家も町の治安を脅かす政治結社の潜伏先だって貴族たちに看做されて、すぐさま取り壊されたの。お店の中で行われてた会話なんて、せいぜい世間話くらいだったんだけどね」
「……」
「父さんはそんな貴族の理不尽に反抗した罪で投獄されて失意のうちに獄内自殺、母さんは私がいたこともあって新しい仕事を探したけど、何故か見つからなかった。貴族が裏から手を回してたって後から知ったけど、私は当時、まだ六歳。それまで母さんと仲良くしてた人が一転、顔も目も合わせなくなった、挨拶もしなくなったのを見て、純粋に恨みしか感じなかった。―――母さんは最期まで『心配ないよ』って気丈に明るく振る舞ってたけど、すぐに父さんの後を追うことになった。―――さっき、ここに来る途中、妙な空き地があったの覚えてる?」
「あ、はい……」
「あそこが、私の家の跡地。二度と貴族に逆らう人間が出ないようにって、見せしめに空き地のままにしてあるのよ」
「そう、なんですか……」

 ロゼッタは言葉もなく、ただただ俯くしかなかった。別段そこまで深く訊くつもりなどなかったのだが、予期せずジャンヌの過去を抉る形となってしまい、心中は後ろ暗さ一色で塗り潰されていた。
 だが、当のジャンヌはロゼッタに気を遣っているのか、穏やかな表情を崩さない。

「そんな深刻に考えなくていいわよ。別にあなたのせいじゃないんだから」
「す、すみません」
「だから謝らない」
「あ、す、すみませ……あっ……」

 慌てて口を両手で塞ぎ、恥ずかし気に身を縮めるロゼッタ。
 その姿がよほど面白いのか、ジャンヌはくすくすと微笑んでいた。それが面白くないロゼッタは小動物のように頬を膨らませて抗議の上目遣いをジャンヌに向ける。

「……ずるいですよぅ」
「別にいじめてるわけじゃないわよ」

 納得いかないのか、ロゼッタの口は尖ったままだ。

「―――でも、からかい甲斐のある妹みたいで、ちょっと楽しいかも」
「からかい甲斐は余計です!」
「分かった、分かったから」

 愛らしく怒るロゼッタの不満を笑顔で悠々と躱すジャンヌ。
 だが、ロゼッタも内心では、今この時間が心地良かった。それはジャンヌの人間性に依る所も大きかったが、何より彼女が声を出して笑ったのが嬉しかった。
 テミルナからの道中は背中しか見えなかったし、夜が明けてからこの店に来るまでの彼女は終始張り詰めたように無表情だった。

(……お姉ちゃんがいたら、こんな感じなのかな……)
「ん? 何か言った?」
「いえ、何でもないです」
「……怒ったり笑ったり、ずいぶん忙しい子ね」
「お互い様です」

 何故か胸を張るロゼッタ。ジャンヌはきょとんとしていたが、そこまで深く考えずに気持ちを入れ直したようだ。

「―――それで、ロゼッタはこれからどうするの?」

 ジャンヌは立ち上がって尋ねる。そろそろ店を出るつもりのようだ。

「あ、はい。とりあえずいくつかお店を回って、例の行商の人が魔導書を売ってないか確認しようと思います。その人本人を探すのは、流石に厳しいので……」
「でも、見つかったとしても、お金はどうするの?」
「……そこ、なんですよね」

 苦笑いを浮かべながら後頭部を掻くロゼッタ。
 テミルナで既に自覚していた懸念だったが、当然すぐに解決できる筈もなく、買い戻す資金の工面はここまで先延ばしにしてきた。
 テミルナの雑貨屋が買い取った金額は30万ギル。行商人に売られた額として、おそらくその倍は固いだろう。つまり買い戻す場合、最低でも60万ギルは必要になると見ておくのが無難だ。
 勿論そんな大金、今のロゼッタの手元にはない。
 そして、当てもない。

「……手伝ってあげたいのはやまやまなんだけど…………」

 不安気なジャンヌの気遣いを、ロゼッタは両手を振って断る。

「だ、大丈夫です大丈夫です! とりあえず他の人に売られないようにお願いしようと思います。そうすれば、後は何とでもなります。絶対に買うって言っておけば、お店もきっと売らないでおいてくれるはずですし」

 討伐隊に所属していた頃、一人で一日10万ギルくらいを稼いでいた自信だけが、今のロゼッタを支えていた。

「だと良いけど……そう簡単にはいかないものよ。前金要求されたり、言い値で搾り取られたり、弱みにつけこんで法外な要求を吹っ掛けられるなんて当たり前だし。体で払わされた例だって吐いて捨てるほどあるわ」

 ジャンヌの裏話にロゼッタの笑顔が軽く強張ったが、それでも彼女にこれ以上の迷惑はかけられない。別れ際、せめて安心してもらうのが、些細だが恩返しだ。別れた後も心配をかけてしまうのは本意ではない。

「……だ、大丈夫、な気がします」

 だが、決意には怯えが混じってしまい、幾分か説得力に欠けてしまった。

「……危険を感じたら、すぐに諦めなさい。魔導書は戻らないけど、あなたの命を失ってまで取り戻すものじゃないわ。―――それじゃあね」

 最後に一つ忠告すると、ジャンヌは颯爽と店を後にしてしまった。

「あ、あのっ! ……行っちゃった」

 一人残されたロゼッタは暫し茫然としていたが、ふとテーブルに視線を戻した時、目に飛びこんだメモ書きに意識を奪われた。ジャンヌの席の前に置かれた、二つ折りになった用紙。そこに何やら厚みのある物が挟んである。
 広げてみると、中から転がり出てきたのは一〇数枚の金貨だった。
 驚いたロゼッタはもう一つの手紙と思しきメモ書きの方を広げ―――感謝の念に堪えなかった。

『少ないけど数日分の滞在費 無事に取り戻せることを祈ってるわ』

          ‖

「……それでですね、お小遣いはたくさんくれるんです。過保護な人なんで、そういう所は優しいんですけど、仕事になると鬼のように怖くて、厳しすぎるんじゃないかなって思うことも多いんですよ」

 その頃、宿屋の庭では妙な談義が繰り広げられていた。
 正確には、談義に臨んでいる片方の存在―――輝く銀色の毛並みを持つ巨狼は、唸るか鼻を鳴らすかしていないので一言も喋ってはいないのだが。
 彼は正面に整列している総勢二六人の少女の話に耳を傾けていた。
 喋っているのはそのうちの一人だが、事あるごとに全員が頷いて賛同を表明するので、彼女の話は即ち全員の胸の内なのだろう。
 襤褸に身を包んだ身許不詳の少女たちが巨大な狼に人生相談という光景は、誰がどう見ても滑稽もしくは異様としか言い様がなかった。
 しかし、狼も少女たちも、本人たちは大真面目だ。

「今回もいきなり夜に呼び出されたかと思うと、徹夜でノルシュヴァイン山脈を越えるって言い出したんですよ! 昼間だってあの雪山を越えるのは大変なのに、いくら主人の命令だからって、自分が勝手に受けた仕事をこっちの都合無視して横流しですよ!? 孫請けですよ孫請け! 酷くないですか!?」

 すると話している少女―――メルリープの横から、別のメルリープがさっと二枚の紙を巨大な狼―――フェンリルの前に差し出した。
 そこには各々『ひどい!』『そうかな?』と少女らしい丸字で書かれていた。
 二枚の紙を前にしたフェンリルは、両方を見比べてから『ひどい!』の方を前脚ですっとメルリープたちの方へ押し出した。

「そうですよね! 酷いですよね!」

 フェンリルの回答にメルリープたちの怒りのボルテージが一気に高まる。
 先程からメルリープたちは、この方法でフェンリルと対話していた。最初は話の内容に応じて鼻の鳴らし方を微妙に調整していたフェンリルだったが、その機微はやはり相棒の少女でなければ掴めないらしく、メルリープたちには伝わらなかった。
 その為、彼女たちの示した選択肢を選ぶ形で話は進んだ。

「この間なんて、自分のポエム読まれたからって、胸ぐら掴んで思いきり乱暴してきたんですよ! パワハラですよパワハラ! パワフルハラショー! いくら機嫌悪いからって部下に当たらないで欲しいですよね!? その前だって、必死に頑張って見回りを終えてきたあたしたちに掃除押しつけて自分は外に出かけたんですよ。他にも怪我して頑張って仕事してきたのに、魔力回復用の薬が不味いからなるべく怪我はしてくるなとか言ったこともあるんですよ! どう思います!? 酷くないですか!?」

『いますぐ死んでよし』を無視して『そうだよね』

「いえね、昔はまだ良かったんですよ……。逢ったばかりの頃なんて、マスターもまだ一〇歳だったから、姉妹ができたみたいで可愛かったんです。一緒に森で追いかけっこしたり雪玉に石入れて投げ合ったり、魔術の練習兼ねて一緒にお菓子作ったり、楽しかったんですよ。……それが今となっては、口を開けば小言ばっかり…………」

『殺ってしまおう』を無視して『まずはボイコットから』

「そうなんです。だからちょっとボイコットして、あたしたちのありがたみを分からせようと思ったんです。それでこうして、みんなで家出してきたんです。……狼さんとご主人の人は、なんであんなに仲が良いのですか?」

『ズバリお金。貧乏人に用はない』ではなく『お友達だから』

「友情でお腹は膨れますか?」

『阿呆か寝技は寝てやれ』ではなく『まあそれなりに』

「なんで狼さんのご主人は、あんなに優しいんですか?」

 少し考えこんで『天然だから』ではなく『友情』

「そうなんですか……友情……」

 フェンリルの答えが意外だったのか、メルリープたちは黙りこんでしまった。
 フェンリルは何か伝えるべきかと思案したが、妙に真剣に考えこんでいる様子だったので静かに見守ることにした。

「……マスターは、あたしたちを友達だと思ってない?」

『絶交しろ絶交、ケケケ』ではなく『分からない』

 先程から片方の選択肢が鬼畜めいているのが気にはなったが、とりあえず想像の及ぶ限り無難な方をフェンリルは選び続ける。

「分からない……そうです、あたしたちも分からないです。マスターがあたしたちのことが好きなのか嫌いなのか……ただの部下なのかそれ以上なのかそれ以下なのか……」

 そこから紙は出てこなかった。
 俯いたまま無言のメルリープたちを、フェンリルは労るようにじっと眺める。
 ―――その時……。
 ふと……何者かの視線を感じた。
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