気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像
娯楽都市マッカラン 噴水広場
時間を1時間と少し前に遡る……。
「……ったく、あんなヤツが自分たちのリーダーだって思うと、ホントに恥ずかしくなってくるわ」
マッカランの中央部に置かれた噴水広場のベンチで休んでいる二人の男女。その女の方が背もたれに首を掛けながら、息も絶え絶え空に向かって愚痴を打ち上げる。
男の方は表情に幾分か余裕が見られるが、それでも少し息苦しそうだ。
「失った所持金分は道具を掻き集めるって、いきなり人ん家のもの漁り出すとか、あいつどうにかなんないわけ?」
「まぁ……俺らが言って聴くくらいなら、もう今ごろどうにかなってんじゃね?」
女の不満にそこまで同情的ではないのか、男の方はあっさりと答える。
「まあそうだろうけど……。でも、さっき宿屋に予約入れに行ったら、もう噂が立ってて驚いたわよ。泥棒が出たから気をつけて下さいって……」
二人―――シャロン・ハーヴェストとハリソン・ゲイルは、港町テミルナから早馬を跳ばして、今朝方マッカランに到着したばかりだった。
到着後、彼らはリーダーと共に要所の場所や町の情勢を町の人に訊いて回っていた。
だが、その時リーダーが家人の目を盗んで箪笥や本棚を漁り出したので、一目散に退散してきたのだ。それがシャロンの耳にした泥棒騒ぎの原因だった。
つまり、泥棒とは彼女たち三人のことだった。もっとも、彼女とハリソンは言わば巻き添えを食らっただけに等しいのだが。
「んで? 当の本人はどこ行ったんだ?」
「昨日失った所持金分を取り戻すまでは負けないって、躍起になってるわよ。いまごろ町中の壺や草むらに顔でも突っこんでんでしょ。まあ、昼前にはカジノに入るって息巻いてたから、暫くしたら戻ってくると思うけど」
吐き捨てるように答えるシャロン。対してハリソンは顎に手を当てながら、不思議そうに唇を尖らせている。
「ん? 昨日って所持金減らされてたっけか?」
「いんや、あたしにも分かんないけどさ。ただ、書き置きは無かったけど、報告書に記録しておいた額とは一致したから、減ってたのは確かよね」
「ふーん……まあ、ぶっちゃけ俺にとっても、どっちでも良いけどな」
ハリソンはそれで納得したようだったが、シャロンは少し気になっていた。
昨晩、三人はブーゲンビリアの森で資金稼ぎをするリーダーに同伴していた。だが、森の奥の屋敷で突然モンスターの襲撃に遭い、見事に伸されてしまった。
その後、屋敷を放り出されてからの記憶は全くなく、目が覚めた時にはテミルナの宿屋で横になっていた。だが、それ自体は別段不思議なことではない。そういう経験は過去にも何度かあったからだ。
二人が気になっていたのは、同様のケースでいつも見かけられた書き置きが残されていなかったという事実だ。
『救出料として 所持金の半分を いただきます』
モンスターに倒されて目が覚めた日は、必ずその一文の書かれた手紙が手元に残されていたのだ。
手紙の文面から察するに、どうやら命の危機に瀕すると自分たちを救出してくれる何者かがいるらしい。その存在は救出の代償に所持金を半分持ち去っていく。それ以外にも所持していた筈の道具が無くなっていたり、あるいは補充されていたりもするのだ。
それが誰の仕業かは未だに不明だ。
その事実に初めて気づいた時、ユーイチはアインシュヴァルツ国王への定期報告を兼ねた日記の隅に所有物と所持金額を記録しておいた。次に同様の状況に陥った際、その真実の実態を確かめる為だ。
そして暫くして、同じことが起きた。
数ヶ月後、魔族に倒された時、当時はユーイチとシャロンだけだったが、二人は直近で日記をつけた宿屋で目を覚ました。そして、所有物は最新の日記の内容通りに戻されており、所持金も半分に減らされていたのだ。
その枕元には、例の手紙が残されていた。
だが、今回はその手紙がない。しかし、所持金は半分に減っていた。
「……でも、あの手紙ってほんと誰の仕業なのかしら」
シャロンはじっと考えこむ。ハリソンはベンチから立ち上がり、大きく背中を伸ばして豪快に背骨を鳴らしている。
「って言われてもなぁ。あんだけ丸っこい字体を見る限りは女の可能性が高そうだが、俺ら三人を運んだって事実から考えると、意外と大男かもな」
「あるいはその両方でペアとかね……、―――?」
するとハリソンが何やら考えこみ始めた。
「どうしたの?」
「いや……大男って言って、何か思い出せそうな気がしてな……」
「何か?」
「いや、昨日のことでな。屋敷でお前らと別れた後、何やらデケぇ物音がしたから玄関に戻ったらメルリープが大量にいてよ。こらやべぇってんで、探索してた部屋の窓から外に逃げたんだ。―――そこで、何か見かけた気がすんだけどな……。こう、ありえねぇくらい巨大な何かだった気がすんだが……」
「何それ? 頭でも打ったんじゃないの?」
「……かもな、考えてみりゃ俺の記憶もそこで無くなってるしな」
シャロンの冗談を真に受けて、ハリソンは大声で笑い出した。相変わらず脳天気なヤツだと呆れながら、シャロンもそれ以上は考えないことにした。
‖
娯楽都市マッカラン 商業区画
「……ねぇ」
「なんだい?」
時は再び、ノエルが宿屋の一室で絶句している頃に戻る。
「どうにもあたし、昨日の夜の記憶がないんだけどさ……」
「寝てたからじゃない?」
場所は商業区画。商業ギルドの隣に立っている料理店で向かい合う一組の男女。
遅めの朝食のためか、あるいは早めの昼食目的か、店内は半端な時間にも関わらず大盛況で、ゆったりと四〇席が用意された広い店内はほぼ満席だった。
だが、その二人のテーブルだけは妙に陰湿で陰険な空気に包まれている。
正確には、無表情の少年に対して向かいの少女が熱烈な殺意を放っている、と言うのが正しいだろう。
「そうじゃないわよ。いや、確かに寝てたのはそうだけど」
「そうだよ寝てたんだよはいこの話終わりご飯不味くなるから黙ってて」
しかし、刺々しい発言を捲し立てるのは寧ろ少年の方だった。早口で一方的に少女を突き放すと華麗に無視して食事を続ける。
「……なんか普段の倍くらい機嫌悪そうね、エリオ」
「そう言うソニアの顔も、僕比で昨日の三倍は不細工だよ」
徐々に我慢の限界を迎えつつあるのか、ソニアの拳に力がこもり始める。
だが、そこは姉の威厳なのか、無闇に感情を爆発させまいと必死に深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けている。
昨日の晩、二人は早馬を駆り出してテミルナからマッカランへ向かい、日が変わる直前に到着した。だが、道中ソニアは終始眠り続けていた。馬の手綱を取ったのも、彼女を宿屋の部屋まで運んだのも、全部双子の弟・エリオだ。
途中で一度ソニアを落としてしまったが、その影響なのか、どうやら彼女の記憶は酷く混乱しているようだった。
「うーん……何かご馳走食べてた記憶はあるんだけどな……でも考えたら草原のど真ん中だったわけだし……寝ぼけて野獣でも取っ捕まえて食べたのかな……」
とは言え特に害はないので、エリオも訂正してはいない。むしろ「いつかそのことで恥をかけば良い」くらい昨晩の一件を根に持っている。
だが、ソニアにも深く掘り起こす気はなかったようだ。
「……まあ、もういいわ。この際、何で後頭部が痛いのかとか、お気に入りのマントが予想以上に泥だらけなのかとか、宿屋の床に転がされていたのかとか、どんな理由があっても大目に見てあげるわ」
「日頃の行いだよきっと」
「……んで? 状況はどうなわけ?」
頬杖をつきながら仏頂面で尋ねるソニア。心底から納得してはいないのか、体は正面ではなく横を向いている。
「―――商人に対する貴族の介入は予想以上に酷くなってるみたいだね。実際に話を訊いた感じだと、町内の流通に関してはかなり悪質なピンハネが横行してるっぽい」
彼女の無愛想な態度にも、エリオは淡々と、しかし丁寧に答える。彼自身も子供じみた喧嘩を必要以上に引き延ばすつもりはないらしい。
「ぽい? なんでバレないのよ?」
「弱みを握られたり、まあ定番の理由だよ。過去に一件、貴族に逆らったからなのか分からないけど、実際に店が一つ潰されたらしい記録も残ってる。行ってみたけど、見せしめのためか、まだ空き地として残されてた。まあ、とにかくそんな感じ。抱きこまれたのはギルドの一部だけみたいだけど」
「ふーん、それでウチなんかに依頼してきたってわけね」
椅子の背もたれに大きく体を預けて、天井を見上げるソニア。
二人は聖大陸最大の軍事都市国家・アインシュヴァルツから特務を授かり、マッカランへ派遣されてきた間者である。
この町のギルドに属する人物が同国に嘆願書を送ったのがはじまりだった。
曰く―――ギルドへの貴族の不当な介入を暴いて欲しいとのこと。
詳細は記されていなかったが、外部の町へ支援を求めた辺り、取り得る解決策が尽きたと見ていいだろう。
かつては軍政国家だったマッカランだが、当時から最も権力を握っていたのは軍備資金を融通していた貴族だった。彼らの大半は金融家や商人として富を肥やしつつ、その力を組織化することで国政を牛耳っていた。
その間、外界との交流を極力絶っていたが、娯楽都市へ舵を切り出してからは態度が一変。国策転換によって軍人の利権を圧縮すると、外界からの移住者や観光客を積極的に誘致し、商工業を軸とした発展を遂げる。そして自文化保護や産業新興を目的に税制や身分資格制度を整備。商工業においては更に流通価格や品質基準を共有・統制する為のギルドが置かれ、町の経済の安定と発展を支えている。
―――そうした設立経緯の為、ギルドは貴族の傀儡との噂も絶えないのだが……。
今回は町の流通や外部との交易にかかる市税や関税、季節商人たちに課せられる場代などを、貴族がギルド経由で搾取していると告発があったのだ。そうした中間利益や一時金は市井の共有財源としてインフラ整備などに回されるのが一般的だが、ここではどうやら貴族の私腹に収まっているらしい。
その実態を暴くのが、二人の任務だった。
本来、他国の行政に介入することは好ましいことではない。だが、人権や権益の不当な侵害が明確な場合は話が変わってくる。一方的に善意を押しつける形で介入する国はないが、当該国から助力の要請があれば応じることが世界的な暗黙の了解となっている。
二人はそれ以外にもう一つ任務を受けていたが、当座の優先順位はこちらの方が遥かに上だった。そちらはまだ足掛かりも掴めていない為、手の付けようもなかった。
「―――で? どうする気?」
初めてエリオがソニアに意見を求める。
「そうね……誰か使えそうな人いないの?」
「一人くらいかな。ここの町の領主さんが、町民に人気だけはあってね。と言っても、町の統治に関しては完全に締め出されてる。現当主は先代がなくなった時にまだ子供で、後見人って感じで貴族連中が実権を奪ったんだって」
「そんな明らかな罠に引っかかったの? 周りは何してたのよ」
「先代が亡くなった時に引き抜かれたり色々だよ。どうやら外堀は事前に埋められてたみたいだね。それで、いまは形だけの領主。肝心要の中枢に関しては完全ノータッチで、回されるのは外交とか面倒臭い表仕事だけ。まあ、この町の外面の良さは先代の威光に依るところが大きいからね。先代の息子って冠はまだまだ健在だよ」
「文字通り傀儡ってわけね。その領主、何歳?」
「いま一八」
「その歳で領主ぅ? まだケツの青いガキじゃない」
「ガキって……僕らと二つしか違わないよ」
「だから、あんたのケツも真っ青じゃない」
「い、いや……ソニアに見せたことないし……。ってか、その理屈ならソニアのお尻も青ぃぶしぇっ!」
ソニアのグラスの水がエリオの顔にぶちまけられた。
「口は天災のもとよ。少しはチャックしときなさい」
「……どう考えても人災……」
「あんたの今の一言で、嵐になるかもしれないってことよ」
「いや……何が何だか……」
「まあ、その領主が使えるかどうかは会いに行って確かめるとして、他に情報は?」
エリオは必死で顔を拭きながらも、ソニアの話には耳を傾けているようで、もごもごと話を続ける。
「使えるか分からないけど面白いことは起こってるよ。朝っぱらから泥棒が出たって町中で大騒ぎになってる」
「町中? たかが泥棒一人で?」
「一人かどうか分からないけど、盗んだ量が半端ないみたいだよ。こんな早朝から堂々としたもんで、もう一〇数件の被害が出てるらしい。普通の一軒家にまで侵入したらしくて箪笥や壷の中まで荒らされてるって」
「そりゃまた随分、怖い物知らずな泥棒ね―――そうだ、泥棒と言えば……」
そう言うと、ソニアは懐から一冊の薄い雑記帳を取り出す。昨日テミルナで拾った義賊の出現先リストと勝手に断定した物だ。
それを開きながら、ソニアはテーブルに突っ伏した。まるで雑記帳に恋でもしたかのようにその表情はだらしなく緩み切っている。
「はぁー、どこにいるのかなぁー義賊さん」
「いや、それは置いといてさ……」
「こんなつまんない仕事なんかより、あたしは彼女に逢いたいのよ!」
「……彼女? 性別不明って話じゃなかった?」
するとソニアは、手にした雑記帳を広げてエリオの目の前に突きつける。
「あんたは、こんな綺麗な字を書く人が男だと思うわけ? こんな繊細で如何にも善意の固まりとしか思えないような美しい字体が男なわけないでしょ」
「ああ、はぁ……まぁ、うん、もうそういうことでいいや」
そもそもこの雑記帳が例の義賊のものだという確証がないのだが、それ以上付き合う疲労を想像して、エリオは話を打ち切った。
そんな彼の態度を微塵も苛立たしく思わない程、目の前のソニアはテーブルに頬を擦りつけて雑記帳を眺めながら、いつまでも有頂天に達していた。
時間を1時間と少し前に遡る……。
「……ったく、あんなヤツが自分たちのリーダーだって思うと、ホントに恥ずかしくなってくるわ」
マッカランの中央部に置かれた噴水広場のベンチで休んでいる二人の男女。その女の方が背もたれに首を掛けながら、息も絶え絶え空に向かって愚痴を打ち上げる。
男の方は表情に幾分か余裕が見られるが、それでも少し息苦しそうだ。
「失った所持金分は道具を掻き集めるって、いきなり人ん家のもの漁り出すとか、あいつどうにかなんないわけ?」
「まぁ……俺らが言って聴くくらいなら、もう今ごろどうにかなってんじゃね?」
女の不満にそこまで同情的ではないのか、男の方はあっさりと答える。
「まあそうだろうけど……。でも、さっき宿屋に予約入れに行ったら、もう噂が立ってて驚いたわよ。泥棒が出たから気をつけて下さいって……」
二人―――シャロン・ハーヴェストとハリソン・ゲイルは、港町テミルナから早馬を跳ばして、今朝方マッカランに到着したばかりだった。
到着後、彼らはリーダーと共に要所の場所や町の情勢を町の人に訊いて回っていた。
だが、その時リーダーが家人の目を盗んで箪笥や本棚を漁り出したので、一目散に退散してきたのだ。それがシャロンの耳にした泥棒騒ぎの原因だった。
つまり、泥棒とは彼女たち三人のことだった。もっとも、彼女とハリソンは言わば巻き添えを食らっただけに等しいのだが。
「んで? 当の本人はどこ行ったんだ?」
「昨日失った所持金分を取り戻すまでは負けないって、躍起になってるわよ。いまごろ町中の壺や草むらに顔でも突っこんでんでしょ。まあ、昼前にはカジノに入るって息巻いてたから、暫くしたら戻ってくると思うけど」
吐き捨てるように答えるシャロン。対してハリソンは顎に手を当てながら、不思議そうに唇を尖らせている。
「ん? 昨日って所持金減らされてたっけか?」
「いんや、あたしにも分かんないけどさ。ただ、書き置きは無かったけど、報告書に記録しておいた額とは一致したから、減ってたのは確かよね」
「ふーん……まあ、ぶっちゃけ俺にとっても、どっちでも良いけどな」
ハリソンはそれで納得したようだったが、シャロンは少し気になっていた。
昨晩、三人はブーゲンビリアの森で資金稼ぎをするリーダーに同伴していた。だが、森の奥の屋敷で突然モンスターの襲撃に遭い、見事に伸されてしまった。
その後、屋敷を放り出されてからの記憶は全くなく、目が覚めた時にはテミルナの宿屋で横になっていた。だが、それ自体は別段不思議なことではない。そういう経験は過去にも何度かあったからだ。
二人が気になっていたのは、同様のケースでいつも見かけられた書き置きが残されていなかったという事実だ。
『救出料として 所持金の半分を いただきます』
モンスターに倒されて目が覚めた日は、必ずその一文の書かれた手紙が手元に残されていたのだ。
手紙の文面から察するに、どうやら命の危機に瀕すると自分たちを救出してくれる何者かがいるらしい。その存在は救出の代償に所持金を半分持ち去っていく。それ以外にも所持していた筈の道具が無くなっていたり、あるいは補充されていたりもするのだ。
それが誰の仕業かは未だに不明だ。
その事実に初めて気づいた時、ユーイチはアインシュヴァルツ国王への定期報告を兼ねた日記の隅に所有物と所持金額を記録しておいた。次に同様の状況に陥った際、その真実の実態を確かめる為だ。
そして暫くして、同じことが起きた。
数ヶ月後、魔族に倒された時、当時はユーイチとシャロンだけだったが、二人は直近で日記をつけた宿屋で目を覚ました。そして、所有物は最新の日記の内容通りに戻されており、所持金も半分に減らされていたのだ。
その枕元には、例の手紙が残されていた。
だが、今回はその手紙がない。しかし、所持金は半分に減っていた。
「……でも、あの手紙ってほんと誰の仕業なのかしら」
シャロンはじっと考えこむ。ハリソンはベンチから立ち上がり、大きく背中を伸ばして豪快に背骨を鳴らしている。
「って言われてもなぁ。あんだけ丸っこい字体を見る限りは女の可能性が高そうだが、俺ら三人を運んだって事実から考えると、意外と大男かもな」
「あるいはその両方でペアとかね……、―――?」
するとハリソンが何やら考えこみ始めた。
「どうしたの?」
「いや……大男って言って、何か思い出せそうな気がしてな……」
「何か?」
「いや、昨日のことでな。屋敷でお前らと別れた後、何やらデケぇ物音がしたから玄関に戻ったらメルリープが大量にいてよ。こらやべぇってんで、探索してた部屋の窓から外に逃げたんだ。―――そこで、何か見かけた気がすんだけどな……。こう、ありえねぇくらい巨大な何かだった気がすんだが……」
「何それ? 頭でも打ったんじゃないの?」
「……かもな、考えてみりゃ俺の記憶もそこで無くなってるしな」
シャロンの冗談を真に受けて、ハリソンは大声で笑い出した。相変わらず脳天気なヤツだと呆れながら、シャロンもそれ以上は考えないことにした。
‖
娯楽都市マッカラン 商業区画
「……ねぇ」
「なんだい?」
時は再び、ノエルが宿屋の一室で絶句している頃に戻る。
「どうにもあたし、昨日の夜の記憶がないんだけどさ……」
「寝てたからじゃない?」
場所は商業区画。商業ギルドの隣に立っている料理店で向かい合う一組の男女。
遅めの朝食のためか、あるいは早めの昼食目的か、店内は半端な時間にも関わらず大盛況で、ゆったりと四〇席が用意された広い店内はほぼ満席だった。
だが、その二人のテーブルだけは妙に陰湿で陰険な空気に包まれている。
正確には、無表情の少年に対して向かいの少女が熱烈な殺意を放っている、と言うのが正しいだろう。
「そうじゃないわよ。いや、確かに寝てたのはそうだけど」
「そうだよ寝てたんだよはいこの話終わりご飯不味くなるから黙ってて」
しかし、刺々しい発言を捲し立てるのは寧ろ少年の方だった。早口で一方的に少女を突き放すと華麗に無視して食事を続ける。
「……なんか普段の倍くらい機嫌悪そうね、エリオ」
「そう言うソニアの顔も、僕比で昨日の三倍は不細工だよ」
徐々に我慢の限界を迎えつつあるのか、ソニアの拳に力がこもり始める。
だが、そこは姉の威厳なのか、無闇に感情を爆発させまいと必死に深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けている。
昨日の晩、二人は早馬を駆り出してテミルナからマッカランへ向かい、日が変わる直前に到着した。だが、道中ソニアは終始眠り続けていた。馬の手綱を取ったのも、彼女を宿屋の部屋まで運んだのも、全部双子の弟・エリオだ。
途中で一度ソニアを落としてしまったが、その影響なのか、どうやら彼女の記憶は酷く混乱しているようだった。
「うーん……何かご馳走食べてた記憶はあるんだけどな……でも考えたら草原のど真ん中だったわけだし……寝ぼけて野獣でも取っ捕まえて食べたのかな……」
とは言え特に害はないので、エリオも訂正してはいない。むしろ「いつかそのことで恥をかけば良い」くらい昨晩の一件を根に持っている。
だが、ソニアにも深く掘り起こす気はなかったようだ。
「……まあ、もういいわ。この際、何で後頭部が痛いのかとか、お気に入りのマントが予想以上に泥だらけなのかとか、宿屋の床に転がされていたのかとか、どんな理由があっても大目に見てあげるわ」
「日頃の行いだよきっと」
「……んで? 状況はどうなわけ?」
頬杖をつきながら仏頂面で尋ねるソニア。心底から納得してはいないのか、体は正面ではなく横を向いている。
「―――商人に対する貴族の介入は予想以上に酷くなってるみたいだね。実際に話を訊いた感じだと、町内の流通に関してはかなり悪質なピンハネが横行してるっぽい」
彼女の無愛想な態度にも、エリオは淡々と、しかし丁寧に答える。彼自身も子供じみた喧嘩を必要以上に引き延ばすつもりはないらしい。
「ぽい? なんでバレないのよ?」
「弱みを握られたり、まあ定番の理由だよ。過去に一件、貴族に逆らったからなのか分からないけど、実際に店が一つ潰されたらしい記録も残ってる。行ってみたけど、見せしめのためか、まだ空き地として残されてた。まあ、とにかくそんな感じ。抱きこまれたのはギルドの一部だけみたいだけど」
「ふーん、それでウチなんかに依頼してきたってわけね」
椅子の背もたれに大きく体を預けて、天井を見上げるソニア。
二人は聖大陸最大の軍事都市国家・アインシュヴァルツから特務を授かり、マッカランへ派遣されてきた間者である。
この町のギルドに属する人物が同国に嘆願書を送ったのがはじまりだった。
曰く―――ギルドへの貴族の不当な介入を暴いて欲しいとのこと。
詳細は記されていなかったが、外部の町へ支援を求めた辺り、取り得る解決策が尽きたと見ていいだろう。
かつては軍政国家だったマッカランだが、当時から最も権力を握っていたのは軍備資金を融通していた貴族だった。彼らの大半は金融家や商人として富を肥やしつつ、その力を組織化することで国政を牛耳っていた。
その間、外界との交流を極力絶っていたが、娯楽都市へ舵を切り出してからは態度が一変。国策転換によって軍人の利権を圧縮すると、外界からの移住者や観光客を積極的に誘致し、商工業を軸とした発展を遂げる。そして自文化保護や産業新興を目的に税制や身分資格制度を整備。商工業においては更に流通価格や品質基準を共有・統制する為のギルドが置かれ、町の経済の安定と発展を支えている。
―――そうした設立経緯の為、ギルドは貴族の傀儡との噂も絶えないのだが……。
今回は町の流通や外部との交易にかかる市税や関税、季節商人たちに課せられる場代などを、貴族がギルド経由で搾取していると告発があったのだ。そうした中間利益や一時金は市井の共有財源としてインフラ整備などに回されるのが一般的だが、ここではどうやら貴族の私腹に収まっているらしい。
その実態を暴くのが、二人の任務だった。
本来、他国の行政に介入することは好ましいことではない。だが、人権や権益の不当な侵害が明確な場合は話が変わってくる。一方的に善意を押しつける形で介入する国はないが、当該国から助力の要請があれば応じることが世界的な暗黙の了解となっている。
二人はそれ以外にもう一つ任務を受けていたが、当座の優先順位はこちらの方が遥かに上だった。そちらはまだ足掛かりも掴めていない為、手の付けようもなかった。
「―――で? どうする気?」
初めてエリオがソニアに意見を求める。
「そうね……誰か使えそうな人いないの?」
「一人くらいかな。ここの町の領主さんが、町民に人気だけはあってね。と言っても、町の統治に関しては完全に締め出されてる。現当主は先代がなくなった時にまだ子供で、後見人って感じで貴族連中が実権を奪ったんだって」
「そんな明らかな罠に引っかかったの? 周りは何してたのよ」
「先代が亡くなった時に引き抜かれたり色々だよ。どうやら外堀は事前に埋められてたみたいだね。それで、いまは形だけの領主。肝心要の中枢に関しては完全ノータッチで、回されるのは外交とか面倒臭い表仕事だけ。まあ、この町の外面の良さは先代の威光に依るところが大きいからね。先代の息子って冠はまだまだ健在だよ」
「文字通り傀儡ってわけね。その領主、何歳?」
「いま一八」
「その歳で領主ぅ? まだケツの青いガキじゃない」
「ガキって……僕らと二つしか違わないよ」
「だから、あんたのケツも真っ青じゃない」
「い、いや……ソニアに見せたことないし……。ってか、その理屈ならソニアのお尻も青ぃぶしぇっ!」
ソニアのグラスの水がエリオの顔にぶちまけられた。
「口は天災のもとよ。少しはチャックしときなさい」
「……どう考えても人災……」
「あんたの今の一言で、嵐になるかもしれないってことよ」
「いや……何が何だか……」
「まあ、その領主が使えるかどうかは会いに行って確かめるとして、他に情報は?」
エリオは必死で顔を拭きながらも、ソニアの話には耳を傾けているようで、もごもごと話を続ける。
「使えるか分からないけど面白いことは起こってるよ。朝っぱらから泥棒が出たって町中で大騒ぎになってる」
「町中? たかが泥棒一人で?」
「一人かどうか分からないけど、盗んだ量が半端ないみたいだよ。こんな早朝から堂々としたもんで、もう一〇数件の被害が出てるらしい。普通の一軒家にまで侵入したらしくて箪笥や壷の中まで荒らされてるって」
「そりゃまた随分、怖い物知らずな泥棒ね―――そうだ、泥棒と言えば……」
そう言うと、ソニアは懐から一冊の薄い雑記帳を取り出す。昨日テミルナで拾った義賊の出現先リストと勝手に断定した物だ。
それを開きながら、ソニアはテーブルに突っ伏した。まるで雑記帳に恋でもしたかのようにその表情はだらしなく緩み切っている。
「はぁー、どこにいるのかなぁー義賊さん」
「いや、それは置いといてさ……」
「こんなつまんない仕事なんかより、あたしは彼女に逢いたいのよ!」
「……彼女? 性別不明って話じゃなかった?」
するとソニアは、手にした雑記帳を広げてエリオの目の前に突きつける。
「あんたは、こんな綺麗な字を書く人が男だと思うわけ? こんな繊細で如何にも善意の固まりとしか思えないような美しい字体が男なわけないでしょ」
「ああ、はぁ……まぁ、うん、もうそういうことでいいや」
そもそもこの雑記帳が例の義賊のものだという確証がないのだが、それ以上付き合う疲労を想像して、エリオは話を打ち切った。
そんな彼の態度を微塵も苛立たしく思わない程、目の前のソニアはテーブルに頬を擦りつけて雑記帳を眺めながら、いつまでも有頂天に達していた。