気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像
◯水晶霊月3節目 10:00 娯楽都市マッカラン 宿屋
「……ん」
薄く差しこむ陽光の温かさに頬を撫でられて、目を覚ましたノエル。
今の居場所が定かにならず一瞬戸惑ったが、枕元の台座に置かれた一通のメモ書きから宿屋であることに気づいた。
『リリス様と外に出てきます ゆっくり休んでください リーフィア』
「ああ、そっか……マッカランまで来たんだった……」
寝ぼけ眼を擦りながら、ノエルはこれまでの出来事をゆっくりと整理する。
前日、あまりにも暇を持て余したリリスが「マッカランに遊びに行く」と言い出したのが発端となり、夜通しの山越えを敢行させられたばかりだった。
(それにしても……ずいぶん久しぶりに見たな、あんな夢……)
ぼさぼさの頭を撫でながら、ノエルは醒めたばかりの夢を振り返る。まだ意識が夢と現の狭間を漂っているからか、鮮明に思い出せた。
一〇年前、まだ六歳だったノエルがリリスと初めて出逢った一幕。
気がつけばノーティスで暮らしていた自分にとって、世界は監獄も同義だった。
顔も知らない両親によってノーティスに産み捨てられて以来、禁忌の子として町の自警団の詰所の地下牢に隔離された六年間。
両親は自分を産んだ直後、産屋に自分を預けて訳も言わずに町を去ったらしい。
だが、その理由は誰もがすぐ知ることになる。
彼女の両親の恋が禁断であったこと、ノエルの存在が禁忌であることを。
以来、ノエルは軟禁生活を余儀なくされた。
如何に望まれない子供とは言え、流石に一〇にも満たない幼女を殺すことには町民たちも抵抗があったらしい。だが、地下牢での生活を振り返れば、餓死するか自殺するか期待していたのは確かだったとも思う。
やがて―――その生活に終止符を打ってくれたのが、リリスだった。
ノエルは自分の右手を見つめる。
あの時、リリスの手を握り返した右手―――。
まだ六歳だったノエルは、リリスが差し出した掌の意味が分からなかった。
ただ一つだけ分かったのは……。
(……名前は?)
彼女が自分の名前を尋ねたということだけだ。
生まれてから誰にも呼ばれず、産婆が預かった手紙に記されていただけの名前……。
自分でも疾うに忘れかけていた名前を――――――。
それが、ノエルがリリスと共に町を離れた理由だった。
(まさか、あんな我がまま放題だとは想像してなかったけど……)
過去を思い出して、堪らず苦笑いを浮かべるノエル。
魔宮での生活は、色んな意味で刺激的だった。
最初は監禁生活で何一つ知らない自分に出来ることなどなく、まずはリーフィアの遊び相手や世話係を通して言葉と感情を取り戻していった。それからリムルに家事や勉強を教わるようになり、一〇歳の時からメルリープたちの面倒を見るようになった。
ノエルは何度かリリスに、なぜ自分を拾ったのかを尋ねたが、その度に決まって返ってくる答えは「暇潰しにちょうど良かったから」だった。
だが、それが本心でないことは流石のノエルも掴んでいる。
結局この一件によって、リリスには「魔女」の異名がつきまとうようになった。
そして、いま現在、世界は人間と魔族の対立が深刻化している。人間たちが凶暴化を理由に方々で魔族の討伐を開始したからだ。
もっとも、その発端は、この一件の誤解からだ。魔族の凶暴化は人間が一方的に魔族を襲い出したことへの抵抗に過ぎない。だが、一時期の世界の混乱、その諸悪の根源はリリスとして通説化されてしまっていた。
だが、かねてから人間と魔族の境界に敏感なリリスなら、そのくらいの展開は十分予想の範囲内だったろう。
それにも関わらず、彼女は自分を攫うことを選んでくれた。
彼女は人類全てを敵に回す代わりに、自分を世界から救ってくれたのだ。
その恩は、どれだけ報いようとも、決して足りることなどない……。
リリスが唯一誤算に感じている部分があるとすれば、おそらく自分が過剰なまでに口煩く育ったことだろう。それまでの人生の反動か、厳格なまでに道義や規律を重んじるノエルに対して、リリスは刹那的にして快楽主義的な性格が強い。その為、次第にリリスの奔放な生活ぶりにノエルが口を挟む光景が増えてきた。
だが不満はない。気苦労は自分が生きている証だ。
(……さて、起きますか)
大きく背筋を伸ばして気を入れ直すと、ノエルはベッドを降りて窓を開け放った。外は既に快晴の陽気で満ちており、娯楽都市の名に相応しい賑わいを見せている。
だが―――そこでノエルは一つ、妙なことに気づいた。
「……あれ? そう言えばメルたち、どこ行ったのかしら……」
つい数時間前、共にこの部屋で疲労と眠気に負けたメルリープたちの姿が、どこにも見当たらないのだ。それも一人残らず。
「……朝ご飯にでも行った?」
窓枠に寄りかかり朝の冷たい空気を全身に浴びながら、ノエルは考える。
その答えは、視界の端を霞めた一枚の紙によって、すぐ明かされることになった。
「あれ、また手紙?」
リーフィアでなければリリスの小言だろうと思って何の気なしに手に取ってみると、そこに刻まれていたのは見慣れた汚らしい丸文字だった。
一人一文字、合計二六人分の意志が力強く殴り書きされた、一文。
『もうつかれました さがさないでください あなたのメルより』
ノエルがメルリープたちの手紙に絶句している頃。
「いやぁ、やっぱ活気のある町は良いですね。こっちも元気が出るです」
その一室と同列、一階の部屋に泊まっていた少女が窓から外を眺めていた。燃え盛るような真紅の髪が似合う、いかにも活発そうな少女だ。
「さて、せっかくだから朝ご飯です。町の名物を堪能してから帰るです。フェンリルはどうするですか?」
少女―――フレイアは、部屋の窓のすぐ下、広々とした宿屋の中庭で眠っている一匹の巨大な狼に声をかける。宝石のように輝く銀色の毛並みは、とてもこの世の獣とは思えない程の風格を放っており、伝説上の存在が具現化したような神々しさだ。
フレイアの相棒である銀狼―――フェンリルは顔を上げて何やら唸ると、そのまま心地よさそうに眠りに戻る。
「そうですか、ではちょっと行ってくるです。お昼頃には戻るので、それまでゆっくり休んでて下さいです」
どうやら互いの意志が汲み取り合えたらしく、フレイアは笑顔でフェンリルを労う。それに応えるように、フェンリルも右耳を揺らしながら優しく鼻を鳴らした。
フレイアは身支度を整えると、そのまま外へ出かけて行った。
それから暫く、陽溜まりの中で気持ち良さそうに眠っていたフェンリルだが……。
(――――――?)
何者かの気配を感じ取り、ぱっと目を見開いて瞬時に両耳を立てる。
そして、ゆっくり得体の知れない存在の方へ顔を向けた。
庭に生い茂る草むらの陰や木の後ろから、何者かの視線が自分に向けられている。
一人ではない……どころか、かなり大量だ。そして不思議なことに、その存在の持つ雰囲気は極めて一様に感じられる。
フェンリルに気づかれたことを察したのか、視線の正体たちが物陰から出てきた。
―――ぞろぞろと、総勢二六人。
「お、押さないで! 怖い! 怖いって!」「大丈夫だって、襲うつもりならとっくに襲われてるって」「あんまり美味しそうじゃないから心配ないよ」「じゃあ、あんたでも同じだから、あんた行ってよ!」「あたし、あんたよりウエスト2センチは細いもん。お肉ついてないもん」「かわりに脚太くなったよね、あんた」「うっ、うっさいなぁ! 世の中のニーズに応えたらこうなるの!」「誰に応えんの、見せる相手いないのに」
会話の内容から推し量る限りは、何やら珍妙な集団だ。外套とフードで姿を隠している為、素性は判然としない。身形の見窄らしさから乞食の大行進のようにも思えるが、賑やかな声には世を憂うような調子など微塵も感じられない。
フェンリルは恐る恐る近寄ってくる集団を警戒しつつも、特に動きは見せない。手を出された所で難無く切り抜ける自信があったからだ。
フレイアの為にも、無理に騒ぎを大きくすることはない。
だが、そんなフェンリルの警戒も、すぐに徒労に帰すことになる。
二六人もの大所帯は、何故か綺麗に二列に並んでフェンリルの前に正座した。それは神を崇める宗教集団の座礼にも似た異様な光景だった。
「あ、あの……折り入ってお尋ねしたいことがありまして……」
そのうちの一人が、改まってフェンリルと向かい合う。
フェンリルは静かに次の言葉を待った。
「……その、自分のご主人とうまく付き合う秘訣を教えてもらいたいのですけど……」
「……ん」
薄く差しこむ陽光の温かさに頬を撫でられて、目を覚ましたノエル。
今の居場所が定かにならず一瞬戸惑ったが、枕元の台座に置かれた一通のメモ書きから宿屋であることに気づいた。
『リリス様と外に出てきます ゆっくり休んでください リーフィア』
「ああ、そっか……マッカランまで来たんだった……」
寝ぼけ眼を擦りながら、ノエルはこれまでの出来事をゆっくりと整理する。
前日、あまりにも暇を持て余したリリスが「マッカランに遊びに行く」と言い出したのが発端となり、夜通しの山越えを敢行させられたばかりだった。
(それにしても……ずいぶん久しぶりに見たな、あんな夢……)
ぼさぼさの頭を撫でながら、ノエルは醒めたばかりの夢を振り返る。まだ意識が夢と現の狭間を漂っているからか、鮮明に思い出せた。
一〇年前、まだ六歳だったノエルがリリスと初めて出逢った一幕。
気がつけばノーティスで暮らしていた自分にとって、世界は監獄も同義だった。
顔も知らない両親によってノーティスに産み捨てられて以来、禁忌の子として町の自警団の詰所の地下牢に隔離された六年間。
両親は自分を産んだ直後、産屋に自分を預けて訳も言わずに町を去ったらしい。
だが、その理由は誰もがすぐ知ることになる。
彼女の両親の恋が禁断であったこと、ノエルの存在が禁忌であることを。
以来、ノエルは軟禁生活を余儀なくされた。
如何に望まれない子供とは言え、流石に一〇にも満たない幼女を殺すことには町民たちも抵抗があったらしい。だが、地下牢での生活を振り返れば、餓死するか自殺するか期待していたのは確かだったとも思う。
やがて―――その生活に終止符を打ってくれたのが、リリスだった。
ノエルは自分の右手を見つめる。
あの時、リリスの手を握り返した右手―――。
まだ六歳だったノエルは、リリスが差し出した掌の意味が分からなかった。
ただ一つだけ分かったのは……。
(……名前は?)
彼女が自分の名前を尋ねたということだけだ。
生まれてから誰にも呼ばれず、産婆が預かった手紙に記されていただけの名前……。
自分でも疾うに忘れかけていた名前を――――――。
それが、ノエルがリリスと共に町を離れた理由だった。
(まさか、あんな我がまま放題だとは想像してなかったけど……)
過去を思い出して、堪らず苦笑いを浮かべるノエル。
魔宮での生活は、色んな意味で刺激的だった。
最初は監禁生活で何一つ知らない自分に出来ることなどなく、まずはリーフィアの遊び相手や世話係を通して言葉と感情を取り戻していった。それからリムルに家事や勉強を教わるようになり、一〇歳の時からメルリープたちの面倒を見るようになった。
ノエルは何度かリリスに、なぜ自分を拾ったのかを尋ねたが、その度に決まって返ってくる答えは「暇潰しにちょうど良かったから」だった。
だが、それが本心でないことは流石のノエルも掴んでいる。
結局この一件によって、リリスには「魔女」の異名がつきまとうようになった。
そして、いま現在、世界は人間と魔族の対立が深刻化している。人間たちが凶暴化を理由に方々で魔族の討伐を開始したからだ。
もっとも、その発端は、この一件の誤解からだ。魔族の凶暴化は人間が一方的に魔族を襲い出したことへの抵抗に過ぎない。だが、一時期の世界の混乱、その諸悪の根源はリリスとして通説化されてしまっていた。
だが、かねてから人間と魔族の境界に敏感なリリスなら、そのくらいの展開は十分予想の範囲内だったろう。
それにも関わらず、彼女は自分を攫うことを選んでくれた。
彼女は人類全てを敵に回す代わりに、自分を世界から救ってくれたのだ。
その恩は、どれだけ報いようとも、決して足りることなどない……。
リリスが唯一誤算に感じている部分があるとすれば、おそらく自分が過剰なまでに口煩く育ったことだろう。それまでの人生の反動か、厳格なまでに道義や規律を重んじるノエルに対して、リリスは刹那的にして快楽主義的な性格が強い。その為、次第にリリスの奔放な生活ぶりにノエルが口を挟む光景が増えてきた。
だが不満はない。気苦労は自分が生きている証だ。
(……さて、起きますか)
大きく背筋を伸ばして気を入れ直すと、ノエルはベッドを降りて窓を開け放った。外は既に快晴の陽気で満ちており、娯楽都市の名に相応しい賑わいを見せている。
だが―――そこでノエルは一つ、妙なことに気づいた。
「……あれ? そう言えばメルたち、どこ行ったのかしら……」
つい数時間前、共にこの部屋で疲労と眠気に負けたメルリープたちの姿が、どこにも見当たらないのだ。それも一人残らず。
「……朝ご飯にでも行った?」
窓枠に寄りかかり朝の冷たい空気を全身に浴びながら、ノエルは考える。
その答えは、視界の端を霞めた一枚の紙によって、すぐ明かされることになった。
「あれ、また手紙?」
リーフィアでなければリリスの小言だろうと思って何の気なしに手に取ってみると、そこに刻まれていたのは見慣れた汚らしい丸文字だった。
一人一文字、合計二六人分の意志が力強く殴り書きされた、一文。
『もうつかれました さがさないでください あなたのメルより』
ノエルがメルリープたちの手紙に絶句している頃。
「いやぁ、やっぱ活気のある町は良いですね。こっちも元気が出るです」
その一室と同列、一階の部屋に泊まっていた少女が窓から外を眺めていた。燃え盛るような真紅の髪が似合う、いかにも活発そうな少女だ。
「さて、せっかくだから朝ご飯です。町の名物を堪能してから帰るです。フェンリルはどうするですか?」
少女―――フレイアは、部屋の窓のすぐ下、広々とした宿屋の中庭で眠っている一匹の巨大な狼に声をかける。宝石のように輝く銀色の毛並みは、とてもこの世の獣とは思えない程の風格を放っており、伝説上の存在が具現化したような神々しさだ。
フレイアの相棒である銀狼―――フェンリルは顔を上げて何やら唸ると、そのまま心地よさそうに眠りに戻る。
「そうですか、ではちょっと行ってくるです。お昼頃には戻るので、それまでゆっくり休んでて下さいです」
どうやら互いの意志が汲み取り合えたらしく、フレイアは笑顔でフェンリルを労う。それに応えるように、フェンリルも右耳を揺らしながら優しく鼻を鳴らした。
フレイアは身支度を整えると、そのまま外へ出かけて行った。
それから暫く、陽溜まりの中で気持ち良さそうに眠っていたフェンリルだが……。
(――――――?)
何者かの気配を感じ取り、ぱっと目を見開いて瞬時に両耳を立てる。
そして、ゆっくり得体の知れない存在の方へ顔を向けた。
庭に生い茂る草むらの陰や木の後ろから、何者かの視線が自分に向けられている。
一人ではない……どころか、かなり大量だ。そして不思議なことに、その存在の持つ雰囲気は極めて一様に感じられる。
フェンリルに気づかれたことを察したのか、視線の正体たちが物陰から出てきた。
―――ぞろぞろと、総勢二六人。
「お、押さないで! 怖い! 怖いって!」「大丈夫だって、襲うつもりならとっくに襲われてるって」「あんまり美味しそうじゃないから心配ないよ」「じゃあ、あんたでも同じだから、あんた行ってよ!」「あたし、あんたよりウエスト2センチは細いもん。お肉ついてないもん」「かわりに脚太くなったよね、あんた」「うっ、うっさいなぁ! 世の中のニーズに応えたらこうなるの!」「誰に応えんの、見せる相手いないのに」
会話の内容から推し量る限りは、何やら珍妙な集団だ。外套とフードで姿を隠している為、素性は判然としない。身形の見窄らしさから乞食の大行進のようにも思えるが、賑やかな声には世を憂うような調子など微塵も感じられない。
フェンリルは恐る恐る近寄ってくる集団を警戒しつつも、特に動きは見せない。手を出された所で難無く切り抜ける自信があったからだ。
フレイアの為にも、無理に騒ぎを大きくすることはない。
だが、そんなフェンリルの警戒も、すぐに徒労に帰すことになる。
二六人もの大所帯は、何故か綺麗に二列に並んでフェンリルの前に正座した。それは神を崇める宗教集団の座礼にも似た異様な光景だった。
「あ、あの……折り入ってお尋ねしたいことがありまして……」
そのうちの一人が、改まってフェンリルと向かい合う。
フェンリルは静かに次の言葉を待った。
「……その、自分のご主人とうまく付き合う秘訣を教えてもらいたいのですけど……」