気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像
◯水晶霊月3節目 09:00 娯楽都市マッカラン 商業区画
その町は魔大陸だけでなく世界でも最たる規模を誇る。
リリスの宮殿からノルシュヴァイン山脈を越えて、ほど近い所に置かれた世界有数の都市国家―――娯楽都市マッカラン。
寒冷地方の中心、更には最も近隣のスフィーナやインバールの集落からも極めて遠方の孤立した立地の為、普通なら誰もが寄りつかなそうな都市だ。
だが、魔女の本丸に最も近く、かつ訪れ難い環境にも関わらず、町は年中外からの来訪者で活気に満ち溢れていた。
その最たる要因は、町のシンボルでもあるカジノや劇場、闘技場などの入った娯楽施設だ。町の最北端に立てられた巨大なホールの中では、旅行客や暇を持て余した地元の貴族連中が連日不夜城の賑わいを見せていた。
だが、マッカランは初めから娯楽都市として栄えていたわけではない。
数一〇年前のマッカランは、文字通り閑散とした集落のような町だった。
華やかな雰囲気とは無縁で、寧ろ魔女リリスの出現以降は大量の町民が流出した。
その際、近場には極めて特異な魔導の都スフィーナしかなかったので、町民の大半は他の移住可能先を求めた。だが、他の町までの距離は定かでなく、気質を異にする町に溶けこめるのか不安がる民も多かった。
それ故に生まれた場所の一つが、インバール砂漠の集落だ。
開拓者たちは敢えて厳しい環境に身を置き、世俗との関わりを絶つ道を選んだ。極寒地方を根城とする魔女の一派は厳しい熱砂に抵抗できないのでは、と考えた結果とも言われている。マッカランからも徒歩数日の距離の為、砂漠であることを除けば住環境として酷い苦労を伴うと言う程でもない。
そんな形で、マッカランは町民の流出が止まらなかった。
その打開策として案じられた一計が、娯楽施設としての道だ。
魔女リリスの襲来以降、マッカランは要塞都市としての機能を重視していた。周囲を堅牢な防壁で囲い、ノルシュヴァイン山脈の聳える北方には常に物見役が目を光らせ、近衛兵も山のように配備されていた。
町を包むのは笑顔でも喝采でもなく、緊迫感と閉塞感ばかり。
その印象を逆転させたのが娯楽施設だ。
魔女討伐の精鋭募集を銘打って多額の賞金を懸けた武闘大会を開いては盛り上がり、カジノを建てて目先の不安や恐怖を一掃する術を提供し始めた。
そのうち何故か魔女の脅威が沈静化し始めたことも相まって、町は一気に娯楽都市として活性化していくことになる。
―――そんな娯楽都市に、まさか魔女本人が降り立ったなど、町の誰一人として気づいている素振りはない。
「って言うか、なんでいちいち南側に回らなきゃ入れないわけ? 普通全部の方角に一つずつ入口置くもんじゃないの?」
町の南東の商業区画を歩く妖艶な女―――魔女リリスは開口一番、ある意味では真っ当な不満を口にした。もっとも、それが自分の所為だとは思っていないようだが。
「……い、いえ。それ、リリス様が北側に住んでるからですよ?」
リリスの隣で終始おどおどしている付き人の女―――小悪魔・リーフィアが、その事情を説明する。彼女も魔族だとは全く気づかれていない。
堂々と町中を闊歩する二人だが、コートに身を包んでいるため、魔族特有の尻尾や翼は人目に一切触れていない。リリスは目元もサングラスで隠しており、そのため二人が魔女と小悪魔だと気づく者は一人もいなかった。
リーフィアの一言の効果は真逆で、リリスの表情は一層強張った。
「は? なんでそれだけで北側に入口がないわけ?」
「だ、だって、普通怖いじゃないですか。北から攻めてくんじゃないかって……」
「なんで攻めるのよ。わざわざ自分から娯楽を失うような馬鹿な真似するわけないじゃない。他の連中にも、ここには近づいたら呪い殺すって言っておいたし。って言うか、町の入口一つで安全性が跳ね上がるわけないっつうの」
「……まあ、それはそうなんですけど……」
何やら妙な理由が第一だった気もするが、とりあえずリーフィアはそれ以上話を広げないことに決めた。
確かにリリスの言う通り、彼女の凶悪な実力を鑑みれば、町の入口一つで攻め落とし難くなったりなどしない。それに、町民の心理の問題と言っても、彼女には理解されないだろう。そもそも自分の思惑など町民が知る由もないことに気づいていない辺り、問題の論点がややずれている。
「んで? 例の娯楽施設ってのはどこにあんの?」
「あ、はい。確か町の北側だったかと……。貴族たちが住んでる区画があって、そこを過ぎた先のはずです」
「……ま、いいわ。それよりまずは朝食ね。どっか良い店、知らないの?」
「さすがに今日着いたばっかですから、どっかと言われても……。煮込み料理が有名だって聴いたことはありますけど、スノーラビットのスープとか、あとはピプロシキって具だくさんの焼きパンが有名らしいです。おやつでも出るとか出ないとか……」
暢気な会話を紡ぎながら通りを散策する二人。区画全体も朝早くから大勢の人の姿が認められ、賑やかだ。
だが―――雰囲気自体は活況と呼ぶには程遠く、どこか殺伐としていた。
人々の表情は例外なく厳めしく強張っており、和やかに話している風ではない。町中の人々が協力して目の敵でも探し回っているようだ。
「それにしても、なんか騒がしいわね。何かあったのかしら」
リリスも少し気になった様子だ。リーフィアは周囲の声に耳を傾ける。
「……なんか盗人が出たみたいですね」
「盗み? こんな朝っぱらから?」
「朝だからじゃないですかね。あとここら以外に居住区の方も狙われたみたいですよ」
「ふーん……物騒な世の中になったもんね」
心底そう思っているのか、しみじみと言い放つリリス。自身の存在が世界を混沌の闇に沈めつつあることなど気にも留めていないようだ。
(……い、いや、それリリス様が言うことじゃ……)
リーフィアもそう思いかけたが、寸での所で呑みこんだ。
リリスが人間世界の征服などに興味がないことを、彼女は誰よりも知っている。
―――リリスとリーフィアがマッカランに到着したのは、およそ4時間前のこと。
まだ夜も満足に明けず、町中が眠りに沈んでいる時のことだ。
娯楽施設も大半のフロアが閉まっており、併設されたホテルのラウンジや酒場に細々と灯りが点っているくらいだった。
そんな歓迎する者が誰一人いない薄暗い町に、リリスとリーフィアを乗せた客車は静かに到着した。
「「「「「「「「「「ぜぇ……ぜぇ……」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「ひぃ……ひぃ……」」」」」」」」」」
到着と同時に、客車を引いてきた総勢26人の使い魔―――メルリープたちが次々と地面に倒れ伏していく。
道中、雪に覆われたノルシュヴァイン山脈をひたすら下り、広大な平原を黙々と歩き詰めてきた彼女たちの体は、もはや限界だった。
同族のため魔獣に襲われる心配がないとは言え、夜を徹した行軍だけでも相当過酷だったのだろう。実際は半数ずつに分かれて交代制で客車を担いで飛んできたのだが、客車はかなりの重量だったのか、全員の体力は想像以上に削られていた。
そんな疲労困憊の使い魔二六人が次々と倒れていく様はまさに死屍累々、さながら地獄絵図だ。
「――――――ん? ……なによもう到着?」
メルリープたちへの配慮など欠片もなく、生欠伸を打ち上げながら客車から降りてきた一つの影―――魔女リリス。
実際には「もう」ではなく八時間近く経っているのだが、中で寝ていた彼女の体感時間としては大したことはないのだろう。
続けて降りてきたリーフィアは、眠気に弛んだ眼を擦っている。
「なに眠そうにしてんの、あんた? もしかして本当に寝なかったの?」
「だ、だって流石にみんなに悪いですよ、あたしだけ寝るなんて……」
「まったく物好きね。どうせあんたが起きてたって何も変わらないんだから、素直に寝てりゃ良かったのよ。今日これから案内させるって言ったの忘れたの?」
「それは、まあ……何とかします」
「……まあいいわ。でも、まだ随分暗いわね、二度寝くらいできそうかしら。―――ノエル! ノエルは!?」
「……はぁ……はぁ……はぃ……」
その声に、客車の陰から現れた女―――ノエルが弱々しく反応した。どうやら彼女も相当疲労しているようだがリリスには関係ない。
「何よそのだらしない声。いいから早く荷物持ちなさい。さっさと宿屋に行くわよ」
そう命じると、リリスは振り返りもせず、足早に町の中へ入っていった。
主の背中が遠退く中、リーフィアが恐る恐るノエルに近づく。
「……お、お姉様、大丈夫ですか?」
それは訊かずとも一目瞭然だった。
道中、ノエルは終始客車の後部を支えながら、疲れ果てたメルリープたちの体力回復役も務めていた。その魔力を補助する為に、リーフィアは休憩中のメルリープに頼んで野草などを集め、手製の回復薬を用意してはノエルに渡していたのだが……あまりの量と不味さに耐えかねたノエルは、途中からバレないように吐き捨てていたのだ。
代償として、随分と前に体力魔力は共に枯渇してしまっていた。
「……も……もう……無理……」
その一言を最後に、ノエルもその場に力尽きた。
そして現在、ノエルとメルリープたちは宿屋の一室で死んだように眠っている。
全員リーフィアが少しだけ回復させて、何とか歩いて宿屋まで辿り着いたが、やはり低級の全体回復魔術では大した助けにもならなかった。
宿屋に到着する直前には、総勢二七人の魔族が町中を必死に匍匐前進する光景が広がっていた。フードで頭を隠し、外套に身を包んで地を這う集団は、さながら魑魅魍魎の行軍を思わせ、同族のリーフィアでも流石に近寄り難かった。
部屋に入った所で押し寄せた眠気に負けたのか、ノエルとメルリープたちは見事なくらい同時に眠りに落ちた。宿屋の主人も遅くに集団が来たことで絶句していたが、料金を払うと素性も疑わず素直に泊めてくれた。
部屋は二部屋。リリスは当然一人部屋のため、リーフィアはノエルやメルリープたちと同じ部屋だ。
宿泊の手続きを終えたリーフィアが部屋に入ると、二つ並んだベッドどころか、床一面までメルリープたちで埋まっていた。脚の踏み場が少しもない……と言うか、メルリープしか踏み場がない状況だ。
(……寝るとこないよ)
溜め息を吐くリーフィア。陽が昇ればリリスの供として町に出る予定だが、自分も徹夜明け寸前だ。少しでも寝ておかないと体力が続きそうにない。
(……仕方ないか)
リーフィアは床のメルリープたちを数人端に寄せると、空いたスペースに体を折り畳んで押しこめた。
そして静かに瞳を閉じる――――――も、メルリープたちの寝息や寝言の不協和音が酷かったり方々から殴られ蹴たぐられる始末で、なかなか眠りにつけない。
時間が経つにつれて、翌日へ向けた不安が募り出す。
だが、睡眠妨害以上に、今の彼女を悩ませていたことが別にあった。
それは――――――。
(……宿泊代、落ちるよね?)
それだけを祈って、リーフィアはメルリープたちの容赦ない寝相から身を守る為に体を一層小さく丸めた。
―――人間と魔族の対立の発端は、およそ一〇年前。
両者の棲み分けが互いの平穏を脅かさない程度には機能していた頃のこと。
リリスは魔宮を飛び立ち、遥か西の彼方に浮かぶ小さな孤島に降り立った。
そこは世界有数の極寒地帯で、万年雪と漆黒に包まれている島だ。太陽も月も片時すら昇らない為、常に薄暗い銀世界に包まれており、魔族はともかく人間が生活するにはあまりに過酷過ぎる環境だった。
だが、そんな神に見捨てられたような絶海の孤島にも、町はあった。
雪原の町・ノーティス。
遥か昔、学術都市ミルフォートの調査団が切り拓いたと言われる小さな町だ。
元々孤島と周辺海域の調査の為に用意された名も無き拠点であり、いずれは取り壊される予定だった。
だが、やがて物好きな冒険家や故郷を捨てた放浪者が訪れるようになった。
そして調査団や冒険家が離れた後も残った人々が開拓を続け、いつしか一つの町として名を持つに至る。
曰く―――世捨て人が最期に辿り着く町。
そんな辺境の町に一〇年前、突如リリスが訪れた。
だが、それは別に征服や蹂躙が目的ではなかった。そもそも彼女は未だに、そのような暴虐に欠片も興味がない。
リリスは暇に嫌気が差し、人間と遊ぼうと思って山を下りただけだったのだ。
彼女は当時からノルシュヴァイン山脈の奥に身を潜めて暮らしていた。魔族が必要以上に人の目に触れるべきではない、自分が人前に姿を晒すのは両種族にとって害にしかならないと自覚していたからだ。その為、今のように名の知れた存在ではなかった。
とは言え、その為に彼女は暇を持て余し、ついに我慢の限界に達した。
そこで魔宮をこっそり抜け出して訪れたのが、ノーティスだった。
しかし、自分を見知った魔族の逸れ者が町にいた為、リリスは魔族であることを見破られることとなった。もっとも、半分は覚悟の上だったが。
だが、彼女の訪問は予想以上に人々の恐怖を煽った。
町民たちは誰一人外を出歩かず、建物の扉や窓は軒並み固く閉ざされてしまった。外界や他人との接触に酷く敏感な町だから仕方がないのかもしれない。
やがて町長と思しき老人と、その付き人数人が恐る恐るリリスに近づいてきた。用件を尋ねられた彼女は素直に答えたのだが、彼らはそれを「生け贄を差し出せ」との意味に取り違えたらしく、すぐに一人の少女を連れてきて「これで勘弁してくれ!」と酷く蒼醒めた顔を何度も積もった雪に擦らせた。
何とも下衆な連中だと思い提案を突っぱねようとしたリリスだったが―――その少女の外見を一瞥して、すぐにその決断を呑み砕いた。
一点の曇りも淀みもない、あまりにも鮮やかな紫色の短い髪。
厚着でも隠し通せないほど酷く痩せ細った体。
右脚を引き摺るように歩く様は骨格に異常があることを容易に気づかせ、おそらくは凶悪な虐待や陵辱の犠牲に晒されてきたのだろう。
その虚ろな瞳は深々と陰鬱に沈み果て、人生に絶望しか見ることができないようですらあった。
リリスは一目で気づいた。
―――少女は半妖だと。
人間と魔族のハーフとして生まれた存在は通常、人の外見を持って生まれ落ちるが、そこには魔族特有の形質が現れてしまう。
薔薇の葉のように歪な翼や尻尾が生えたり、人の赤い血と魔族の青い血を受け継いだが故の紫色の髪や瞳を持って生まれたり……。
その為、当時から異種族間の婚姻は、町によっては認められつつある一方、子を成すことは長らく禁忌として通俗化されていた。よって、人間と魔族のハーフという存在はどこの町村でも例外なく居場所を失うことになる。
おそらく少女もその一人だろう。
少女をリリスの前に置き去りにして、町長たちは一目散にその場を後にした。
リリスは連中を無視して少女と静かに向かい合っていた。彼女は少女の意志が次に何を選択するのか静かに見守るつもりだった。
だが、少女はじっとリリスの足下を見据えたまま、驚くほど微動だにしなかった。何も言わず、指一本瞼一つ動かさず、ただ静かに地面に視線を落としていた。
それだけが、全てだった。
リリスも気づいていた。
やはり少女には、この町にも居場所がないのだと。
他の土地では生き残れない世捨て人の掃き溜めにも等しい、この町でさえも……。
気がつくと―――リリスはそっと手を差し出していた。握手を求めるように。
その手を目にした少女の表情が、はっきりと変化した。他人の掌を初めて目にしたかのような驚きに包まれて。
(……名前は?)
自然と―――リリスは少女にそう尋ねていた。
そして、その一言を何年も待ちわびていたかのように―――。
―――少女も静かに答えた。
微かに首を傾げながら、その円らな愛らしい瞳に初めて光を宿して。
(…………ノエ……ル?)
その町は魔大陸だけでなく世界でも最たる規模を誇る。
リリスの宮殿からノルシュヴァイン山脈を越えて、ほど近い所に置かれた世界有数の都市国家―――娯楽都市マッカラン。
寒冷地方の中心、更には最も近隣のスフィーナやインバールの集落からも極めて遠方の孤立した立地の為、普通なら誰もが寄りつかなそうな都市だ。
だが、魔女の本丸に最も近く、かつ訪れ難い環境にも関わらず、町は年中外からの来訪者で活気に満ち溢れていた。
その最たる要因は、町のシンボルでもあるカジノや劇場、闘技場などの入った娯楽施設だ。町の最北端に立てられた巨大なホールの中では、旅行客や暇を持て余した地元の貴族連中が連日不夜城の賑わいを見せていた。
だが、マッカランは初めから娯楽都市として栄えていたわけではない。
数一〇年前のマッカランは、文字通り閑散とした集落のような町だった。
華やかな雰囲気とは無縁で、寧ろ魔女リリスの出現以降は大量の町民が流出した。
その際、近場には極めて特異な魔導の都スフィーナしかなかったので、町民の大半は他の移住可能先を求めた。だが、他の町までの距離は定かでなく、気質を異にする町に溶けこめるのか不安がる民も多かった。
それ故に生まれた場所の一つが、インバール砂漠の集落だ。
開拓者たちは敢えて厳しい環境に身を置き、世俗との関わりを絶つ道を選んだ。極寒地方を根城とする魔女の一派は厳しい熱砂に抵抗できないのでは、と考えた結果とも言われている。マッカランからも徒歩数日の距離の為、砂漠であることを除けば住環境として酷い苦労を伴うと言う程でもない。
そんな形で、マッカランは町民の流出が止まらなかった。
その打開策として案じられた一計が、娯楽施設としての道だ。
魔女リリスの襲来以降、マッカランは要塞都市としての機能を重視していた。周囲を堅牢な防壁で囲い、ノルシュヴァイン山脈の聳える北方には常に物見役が目を光らせ、近衛兵も山のように配備されていた。
町を包むのは笑顔でも喝采でもなく、緊迫感と閉塞感ばかり。
その印象を逆転させたのが娯楽施設だ。
魔女討伐の精鋭募集を銘打って多額の賞金を懸けた武闘大会を開いては盛り上がり、カジノを建てて目先の不安や恐怖を一掃する術を提供し始めた。
そのうち何故か魔女の脅威が沈静化し始めたことも相まって、町は一気に娯楽都市として活性化していくことになる。
―――そんな娯楽都市に、まさか魔女本人が降り立ったなど、町の誰一人として気づいている素振りはない。
「って言うか、なんでいちいち南側に回らなきゃ入れないわけ? 普通全部の方角に一つずつ入口置くもんじゃないの?」
町の南東の商業区画を歩く妖艶な女―――魔女リリスは開口一番、ある意味では真っ当な不満を口にした。もっとも、それが自分の所為だとは思っていないようだが。
「……い、いえ。それ、リリス様が北側に住んでるからですよ?」
リリスの隣で終始おどおどしている付き人の女―――小悪魔・リーフィアが、その事情を説明する。彼女も魔族だとは全く気づかれていない。
堂々と町中を闊歩する二人だが、コートに身を包んでいるため、魔族特有の尻尾や翼は人目に一切触れていない。リリスは目元もサングラスで隠しており、そのため二人が魔女と小悪魔だと気づく者は一人もいなかった。
リーフィアの一言の効果は真逆で、リリスの表情は一層強張った。
「は? なんでそれだけで北側に入口がないわけ?」
「だ、だって、普通怖いじゃないですか。北から攻めてくんじゃないかって……」
「なんで攻めるのよ。わざわざ自分から娯楽を失うような馬鹿な真似するわけないじゃない。他の連中にも、ここには近づいたら呪い殺すって言っておいたし。って言うか、町の入口一つで安全性が跳ね上がるわけないっつうの」
「……まあ、それはそうなんですけど……」
何やら妙な理由が第一だった気もするが、とりあえずリーフィアはそれ以上話を広げないことに決めた。
確かにリリスの言う通り、彼女の凶悪な実力を鑑みれば、町の入口一つで攻め落とし難くなったりなどしない。それに、町民の心理の問題と言っても、彼女には理解されないだろう。そもそも自分の思惑など町民が知る由もないことに気づいていない辺り、問題の論点がややずれている。
「んで? 例の娯楽施設ってのはどこにあんの?」
「あ、はい。確か町の北側だったかと……。貴族たちが住んでる区画があって、そこを過ぎた先のはずです」
「……ま、いいわ。それよりまずは朝食ね。どっか良い店、知らないの?」
「さすがに今日着いたばっかですから、どっかと言われても……。煮込み料理が有名だって聴いたことはありますけど、スノーラビットのスープとか、あとはピプロシキって具だくさんの焼きパンが有名らしいです。おやつでも出るとか出ないとか……」
暢気な会話を紡ぎながら通りを散策する二人。区画全体も朝早くから大勢の人の姿が認められ、賑やかだ。
だが―――雰囲気自体は活況と呼ぶには程遠く、どこか殺伐としていた。
人々の表情は例外なく厳めしく強張っており、和やかに話している風ではない。町中の人々が協力して目の敵でも探し回っているようだ。
「それにしても、なんか騒がしいわね。何かあったのかしら」
リリスも少し気になった様子だ。リーフィアは周囲の声に耳を傾ける。
「……なんか盗人が出たみたいですね」
「盗み? こんな朝っぱらから?」
「朝だからじゃないですかね。あとここら以外に居住区の方も狙われたみたいですよ」
「ふーん……物騒な世の中になったもんね」
心底そう思っているのか、しみじみと言い放つリリス。自身の存在が世界を混沌の闇に沈めつつあることなど気にも留めていないようだ。
(……い、いや、それリリス様が言うことじゃ……)
リーフィアもそう思いかけたが、寸での所で呑みこんだ。
リリスが人間世界の征服などに興味がないことを、彼女は誰よりも知っている。
―――リリスとリーフィアがマッカランに到着したのは、およそ4時間前のこと。
まだ夜も満足に明けず、町中が眠りに沈んでいる時のことだ。
娯楽施設も大半のフロアが閉まっており、併設されたホテルのラウンジや酒場に細々と灯りが点っているくらいだった。
そんな歓迎する者が誰一人いない薄暗い町に、リリスとリーフィアを乗せた客車は静かに到着した。
「「「「「「「「「「ぜぇ……ぜぇ……」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「ひぃ……ひぃ……」」」」」」」」」」
到着と同時に、客車を引いてきた総勢26人の使い魔―――メルリープたちが次々と地面に倒れ伏していく。
道中、雪に覆われたノルシュヴァイン山脈をひたすら下り、広大な平原を黙々と歩き詰めてきた彼女たちの体は、もはや限界だった。
同族のため魔獣に襲われる心配がないとは言え、夜を徹した行軍だけでも相当過酷だったのだろう。実際は半数ずつに分かれて交代制で客車を担いで飛んできたのだが、客車はかなりの重量だったのか、全員の体力は想像以上に削られていた。
そんな疲労困憊の使い魔二六人が次々と倒れていく様はまさに死屍累々、さながら地獄絵図だ。
「――――――ん? ……なによもう到着?」
メルリープたちへの配慮など欠片もなく、生欠伸を打ち上げながら客車から降りてきた一つの影―――魔女リリス。
実際には「もう」ではなく八時間近く経っているのだが、中で寝ていた彼女の体感時間としては大したことはないのだろう。
続けて降りてきたリーフィアは、眠気に弛んだ眼を擦っている。
「なに眠そうにしてんの、あんた? もしかして本当に寝なかったの?」
「だ、だって流石にみんなに悪いですよ、あたしだけ寝るなんて……」
「まったく物好きね。どうせあんたが起きてたって何も変わらないんだから、素直に寝てりゃ良かったのよ。今日これから案内させるって言ったの忘れたの?」
「それは、まあ……何とかします」
「……まあいいわ。でも、まだ随分暗いわね、二度寝くらいできそうかしら。―――ノエル! ノエルは!?」
「……はぁ……はぁ……はぃ……」
その声に、客車の陰から現れた女―――ノエルが弱々しく反応した。どうやら彼女も相当疲労しているようだがリリスには関係ない。
「何よそのだらしない声。いいから早く荷物持ちなさい。さっさと宿屋に行くわよ」
そう命じると、リリスは振り返りもせず、足早に町の中へ入っていった。
主の背中が遠退く中、リーフィアが恐る恐るノエルに近づく。
「……お、お姉様、大丈夫ですか?」
それは訊かずとも一目瞭然だった。
道中、ノエルは終始客車の後部を支えながら、疲れ果てたメルリープたちの体力回復役も務めていた。その魔力を補助する為に、リーフィアは休憩中のメルリープに頼んで野草などを集め、手製の回復薬を用意してはノエルに渡していたのだが……あまりの量と不味さに耐えかねたノエルは、途中からバレないように吐き捨てていたのだ。
代償として、随分と前に体力魔力は共に枯渇してしまっていた。
「……も……もう……無理……」
その一言を最後に、ノエルもその場に力尽きた。
そして現在、ノエルとメルリープたちは宿屋の一室で死んだように眠っている。
全員リーフィアが少しだけ回復させて、何とか歩いて宿屋まで辿り着いたが、やはり低級の全体回復魔術では大した助けにもならなかった。
宿屋に到着する直前には、総勢二七人の魔族が町中を必死に匍匐前進する光景が広がっていた。フードで頭を隠し、外套に身を包んで地を這う集団は、さながら魑魅魍魎の行軍を思わせ、同族のリーフィアでも流石に近寄り難かった。
部屋に入った所で押し寄せた眠気に負けたのか、ノエルとメルリープたちは見事なくらい同時に眠りに落ちた。宿屋の主人も遅くに集団が来たことで絶句していたが、料金を払うと素性も疑わず素直に泊めてくれた。
部屋は二部屋。リリスは当然一人部屋のため、リーフィアはノエルやメルリープたちと同じ部屋だ。
宿泊の手続きを終えたリーフィアが部屋に入ると、二つ並んだベッドどころか、床一面までメルリープたちで埋まっていた。脚の踏み場が少しもない……と言うか、メルリープしか踏み場がない状況だ。
(……寝るとこないよ)
溜め息を吐くリーフィア。陽が昇ればリリスの供として町に出る予定だが、自分も徹夜明け寸前だ。少しでも寝ておかないと体力が続きそうにない。
(……仕方ないか)
リーフィアは床のメルリープたちを数人端に寄せると、空いたスペースに体を折り畳んで押しこめた。
そして静かに瞳を閉じる――――――も、メルリープたちの寝息や寝言の不協和音が酷かったり方々から殴られ蹴たぐられる始末で、なかなか眠りにつけない。
時間が経つにつれて、翌日へ向けた不安が募り出す。
だが、睡眠妨害以上に、今の彼女を悩ませていたことが別にあった。
それは――――――。
(……宿泊代、落ちるよね?)
それだけを祈って、リーフィアはメルリープたちの容赦ない寝相から身を守る為に体を一層小さく丸めた。
―――人間と魔族の対立の発端は、およそ一〇年前。
両者の棲み分けが互いの平穏を脅かさない程度には機能していた頃のこと。
リリスは魔宮を飛び立ち、遥か西の彼方に浮かぶ小さな孤島に降り立った。
そこは世界有数の極寒地帯で、万年雪と漆黒に包まれている島だ。太陽も月も片時すら昇らない為、常に薄暗い銀世界に包まれており、魔族はともかく人間が生活するにはあまりに過酷過ぎる環境だった。
だが、そんな神に見捨てられたような絶海の孤島にも、町はあった。
雪原の町・ノーティス。
遥か昔、学術都市ミルフォートの調査団が切り拓いたと言われる小さな町だ。
元々孤島と周辺海域の調査の為に用意された名も無き拠点であり、いずれは取り壊される予定だった。
だが、やがて物好きな冒険家や故郷を捨てた放浪者が訪れるようになった。
そして調査団や冒険家が離れた後も残った人々が開拓を続け、いつしか一つの町として名を持つに至る。
曰く―――世捨て人が最期に辿り着く町。
そんな辺境の町に一〇年前、突如リリスが訪れた。
だが、それは別に征服や蹂躙が目的ではなかった。そもそも彼女は未だに、そのような暴虐に欠片も興味がない。
リリスは暇に嫌気が差し、人間と遊ぼうと思って山を下りただけだったのだ。
彼女は当時からノルシュヴァイン山脈の奥に身を潜めて暮らしていた。魔族が必要以上に人の目に触れるべきではない、自分が人前に姿を晒すのは両種族にとって害にしかならないと自覚していたからだ。その為、今のように名の知れた存在ではなかった。
とは言え、その為に彼女は暇を持て余し、ついに我慢の限界に達した。
そこで魔宮をこっそり抜け出して訪れたのが、ノーティスだった。
しかし、自分を見知った魔族の逸れ者が町にいた為、リリスは魔族であることを見破られることとなった。もっとも、半分は覚悟の上だったが。
だが、彼女の訪問は予想以上に人々の恐怖を煽った。
町民たちは誰一人外を出歩かず、建物の扉や窓は軒並み固く閉ざされてしまった。外界や他人との接触に酷く敏感な町だから仕方がないのかもしれない。
やがて町長と思しき老人と、その付き人数人が恐る恐るリリスに近づいてきた。用件を尋ねられた彼女は素直に答えたのだが、彼らはそれを「生け贄を差し出せ」との意味に取り違えたらしく、すぐに一人の少女を連れてきて「これで勘弁してくれ!」と酷く蒼醒めた顔を何度も積もった雪に擦らせた。
何とも下衆な連中だと思い提案を突っぱねようとしたリリスだったが―――その少女の外見を一瞥して、すぐにその決断を呑み砕いた。
一点の曇りも淀みもない、あまりにも鮮やかな紫色の短い髪。
厚着でも隠し通せないほど酷く痩せ細った体。
右脚を引き摺るように歩く様は骨格に異常があることを容易に気づかせ、おそらくは凶悪な虐待や陵辱の犠牲に晒されてきたのだろう。
その虚ろな瞳は深々と陰鬱に沈み果て、人生に絶望しか見ることができないようですらあった。
リリスは一目で気づいた。
―――少女は半妖だと。
人間と魔族のハーフとして生まれた存在は通常、人の外見を持って生まれ落ちるが、そこには魔族特有の形質が現れてしまう。
薔薇の葉のように歪な翼や尻尾が生えたり、人の赤い血と魔族の青い血を受け継いだが故の紫色の髪や瞳を持って生まれたり……。
その為、当時から異種族間の婚姻は、町によっては認められつつある一方、子を成すことは長らく禁忌として通俗化されていた。よって、人間と魔族のハーフという存在はどこの町村でも例外なく居場所を失うことになる。
おそらく少女もその一人だろう。
少女をリリスの前に置き去りにして、町長たちは一目散にその場を後にした。
リリスは連中を無視して少女と静かに向かい合っていた。彼女は少女の意志が次に何を選択するのか静かに見守るつもりだった。
だが、少女はじっとリリスの足下を見据えたまま、驚くほど微動だにしなかった。何も言わず、指一本瞼一つ動かさず、ただ静かに地面に視線を落としていた。
それだけが、全てだった。
リリスも気づいていた。
やはり少女には、この町にも居場所がないのだと。
他の土地では生き残れない世捨て人の掃き溜めにも等しい、この町でさえも……。
気がつくと―――リリスはそっと手を差し出していた。握手を求めるように。
その手を目にした少女の表情が、はっきりと変化した。他人の掌を初めて目にしたかのような驚きに包まれて。
(……名前は?)
自然と―――リリスは少女にそう尋ねていた。
そして、その一言を何年も待ちわびていたかのように―――。
―――少女も静かに答えた。
微かに首を傾げながら、その円らな愛らしい瞳に初めて光を宿して。
(…………ノエ……ル?)