気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像

◯水晶霊月2節目 19:00 魔宮

「……明日からどうしようかしらね」

 豪奢な絨毯の上に寝転がって、抑揚のない声で呟く女―――魔女リリス。
 その側には、遊び相手の小悪魔・リーフィアと、影武者のリムルが控えていた。

「ってか、あいつらは世界の平和そっちのけで、どこで油売ってんのよ。来るんだったらさっさと先を急げってのよ」

 床を時計の針のように回転しながら、暇を弄ぶリリス。その怠惰な姿には凶悪な魔女としての風格など欠片も見られない。
 遊び相手のリーフィアも、影武者のリムルも、それを諌めることもなく、触らぬ神に祟りなしといった風に放置している。

「い、いや……世界は全然問題なく平和な気が……」
「何よ、何か言ったリーフィア?」
「いっ、いえいえいえいえいえ別に何も!」
「ふーん……」

 リリスは特に気にする素振りもなく、変わらずに床を転がり続ける。
 リーフィアの言う通り、世界は確かに平和だ。それと言うのも、リリスが遊び呆けているばかりで一向に魔女らしい悪逆非道に走らないからである。
 彼女以外の魔女の中には人間を襲う者もいるが、その発端を不覚にも切り拓いたのがリリスである為、人間にとって諸悪の根源とは彼女のことだ。その彼女の存在が消滅しない限り人々の魔族に対する恐怖は消えない。
 だが、その彼女が動かない今、世界は紛れもなく平和を満喫していた。魔物の凶暴化が叫ばれてはいるが、その恐怖を肌身で感じるのは一部の警備兵や商人くらいだ。町から出ることのない大部分の町民たちに、その実感はない。
 そして―――それはリリスが望んでいることでもある。

「……それにしても、トランプにも流石に飽きてきたわね。リムル、何か他の遊びは知らないの?」

 尋ねられたリムルは、唇に指を当てて暫し考えこむも、妙案は出ないようだ。

「残念ながら、私も人間たちの遊びにまでは精通しておりませんので」

 その答えに、リリスは転がるのを止めて大きく溜め息を漏らす。

「はぁ……また誰か連れてきて新しい遊びでも教えてもらおうかしら……。そう言えば前にトランプ教えてくれた子は、どうなったの?」
「ここでの滞在の記憶だけ置換して、マッカランにお送りしました。リリス様からの『誘拐の噂が立つと、次の遊びを知る手間が増えるから』という指示で」
「ああそっか、そうだったそうだった」
「かわりに『ノエルさんとキャッキャウフフでキャッ♪』な記憶を入れておいたので、町に戻った彼は随分と変わり者扱いされてしまったみたいですが」
「きゃ!? きゃきゃきゃ!?」
「いやリーフィア、動揺しすぎだから。ってか、あんたそんなことしてたの?」
「ふふ、少々悪戯の度が過ぎました」

 だが言葉とは裏腹に、その表情はやけに楽しそうだ。
 表向き真っ当に見えるリムルだが、その本性は実は真逆だ。悪戯根性が強いと言うか性根が腐っていると言うか、とにかく大人びた表向きとは違い極めて子供じみた裏面を持っている。その為、こうした悪巧みも枚挙に暇がない。
 とは言え、別に咎めるつもりもリリスにはない。むしろ暇な日常が少しでも紛れるのであれば大歓迎だ。それで部下がどんな不遇に放りこまれようと知ったことではない。
 すると、リリスは何か閃いたのか、目を大きく見開いた。

「……でも、そっか、マッカランに旅行とかも面白そうね。カジノに闘技場に……いくらでも遊べそうだわ。ここからだとどのくらい時間かかったかしら」
「そうですね……馬車で半日といった所でしょうか。とは言え、この時期のノルシュヴァイン山脈は降雪が激しいですから、山道はすっかり雪に覆われていますよ。普通の馬で山を降りるのは流石に難しいです」

 だが、リムルの説明を受けても、リリスは何故か半笑いを浮かべていた。

「そこは大丈夫よ。優秀な脚がいるから――――――と、噂をすればかしら」

 すると、二人の会話を繋ぐように部屋の扉が静かに開いた。
 現れたのは、ノエルだった。
 だが、普段の図々しいくらい強気な態度と違い、今の足取りは心なしか重そうだ。その表情も鬱々と曇っており、悪事を白状する前の子供のような悲愴感を全身から漂わせている。顔面は蒼白と形容するに等しく生気が見て取れない。
 その肩には、出て行く時にはなかった妙な大荷物を抱えている。まるでアルティア聖誕祭に贈り物を届けに現れる赤服の老人のようだ。

「た、ただいま戻りました……」

 やけに他人行儀な一言に、リリスも怪訝な表情を浮かべざるを得ない。

「何よ、勢い勇んで出て行った割には、随分と元気ないみたいだけど?」
「あ、いや、その……実はですね……」

 何やら要領を得ないノエル。すると突然膝をついて、担いでいる袋を奉納するようにリリスへ差し出した。

「……と、とりあえず先にこれを……」
「これ? ――――――なによこの大金?」

 ノエルが面食らった大金を前にしても、リリスは少しも動揺を見せない。
 寧ろ彼女が気になったのは、目の前で深々と土下座するノエルである。
 これまで反抗心剥き出しで口答えすることはあっても、素直に頭を下げる所など見たことがない。
 だが、その理由は、すぐにノエルの口から知らされることになる。
 リリスが欠片も思い至らなかった理由が……。

「じ、実は……倒してしまいまして」
「倒した? 何を?」
「……あ、あいつらを」
「…………」
「…………」
「…………」
「……てへっ?」

 その一言でリリスが烈火の如く激昂したのは想像に難くない――――――。



「―――ったく、あいつ馬鹿なの!? 馬っ鹿じゃないの!? 連れてこいって言ったのにあんたが連中倒してどうすんだってのよ!」
「リ、リリス様……落ち着いて下さい。お姉様もわざとじゃないんですし……」
「メルの暴走だって、元を辿ればあいつの教育がなってないからよ。ったくホント役に立たないんだから」

 魔宮の門の前で愚痴を吐き続けるリリスと、宥め続けるリーフィア。
 外は宵闇にすっぽりと覆われており、極寒豪雪地方の最北端ということもあって、身を裂くような寒さと積雪が一帯を覆い尽くしている。だが、魔術のおかげか単純に寒さに強いのか、二人は厚手のコートを羽織っただけで平然と話しこんでいた。
 二人の隣にはリムルに用意させた四輪の客車が待機している。
 それは貴族の観光用でも通用するほど装飾が豊かで、二人が乗っても充分なスペースが確保できる程ゆったりした造りになっている。
 だが、それを引くべき馬などは何処にも見当たらない。
 それを引かせる存在は――――――今まさに到着した所だった。

「へっくち! ……うぅぅ、まずだぁ……寒いです」「鼻が止まりまぜん、まずだぁ」「なんでいきなり魔宮に呼び出すんですか、まずだぁ」「まずだぁ、コート借りまず。ずびびびびっ!」「ああっ! あんた人のコートで鼻かんでんじゃないわよ!」「まずだぁ、お腹ずきました……」「もう歩けませんおんぶして下さいまずだぁ……」

 魔宮に続く雪に埋もれた山道を、小言混じりに歩いてくる集団が姿を見せた。
 ノエルとメルリープたちだ。

「やっと来たわね。待たせんじゃないわよ、時間ないんだから」

 リリスとリーフィアの前に整列するノエルとメルリープたち。全員が雪山行軍を終えたばかりで息を継ぐのに必死だ。
 だが、そんな事情を無視してリリスは容赦ない一言を言い放つ。

「んじゃ、さっさと出発するわよ。早く準備しなさい」

 リリスはノエルたちに目も呉れず、颯爽と客車に乗りこんだ。リーフィアは申し訳なさそうにノエルたちをちらちら振り返りつつも、その後に続いた。
 その一言に嫌な予感を募らせたのは、何の事情も知らないメルリープたちだった。

「マスター、どういうことですか?」「これから何するんですか?」「時間がないってどういうことですか?」「マスター」「マスター」「マスター!」「ぶえっくちっ!」

 詰め寄るメルリープたちに、それでもノエルは口を開けずにいた。

「なにやってんの? 早くしないと朝になるわよ。私たち中で寝てるから、明日までにはキチンと到着してなさいよ。じゃないと更に減給するからね」

 リリスの一言に、メルリープたちは思い至りたくなかった現実を確信して―――白い目でノエルの方を睨む。
 ノエルは目を逸らすしかなかった。
 なぜなら、いつもは部下であるメルリープたちに厳しい彼女も、こればかりは口が裂けても言えなかったのだ。
 今まさに上ってきた雪深い険しい山道、これから目の前の客車を運んでそこを下り、遠路はるばる娯楽都市マッカランまで移動することになるなどとは……。

          ‖

魔大陸 平原地帯

 一頭の早馬が月夜の草原を颯爽と駆け抜けて行く。
 その背に跨がっているのは、一組の少年と少女。
 辺り一帯は地平線まですっかり夜に覆われていた。
 聖大陸の聖獣と違い、魔大陸の魔獣は夜に凶暴化することが知られている。そのため旅慣れた者ですら、いや、だからこそ夜には町を離れたりしない。まして幼子など自ら餌として我が身を投げ出しているようなものだ。
 だが、ここにいる一組の少年少女には、そうした恐怖が微塵も見られない。
 雲一つない月夜で、地平線まで綺麗に視認できる為、魔獣に襲われる心配が少ないのは確かだ。魔獣は陽光は勿論だが、一部の変異種を除いて月光も嫌う傾向にある為、月夜の下では猛威が沈静化する。だが、それでも幼い少年少女が二人だけで夜の平野を駆けるのが自殺行為にも等しい愚行であることに変わりはない。
 しかし、手綱を握る少年は平静な面持ちを崩さず、後ろの少女にいたっては彼の背中に体を預けて器用に爆睡を決めこんでいる。
 それが面白くないのか、少年は時おり少女を睨むように後ろを見遣る。

(全く……今日中に出発するって言い出したのは自分じゃないか……それなのに借馬の手配から何から何まで全部丸投げってどういうつもりなんだよ……)

 そんな少年―――エリオ・カンパネルラの不満もどこ吹く風、双子の姉―――ソニア・カンパネルラは馬体の揺れを全く気にせず幸せそうな寝顔を浮かべている。

「……ここら辺に捨てて帰ろうかな」

 思わず殺意にも及びかねない敵意が身の内にこみ上げる。
 少年が物騒に呟いた場所は、文字通り草原のど真ん中だ。ちょうど魔導の都スフィーナと娯楽都市マッカランの中間地点といった所だろうか。今は丁度気候の変わり目にあたる為、北へ上るにつれて徐々に涼気が寒気へ変わり始めていく。

「……さすがのソニアも死んじゃうか」

 その変化を感じ取ったのか、普段は姉に容赦のないエリオも実行を踏み止まる。とは言え、馬体の揺れに合わせて背中を頭突かれる苛立ちがそれで消えるわけではない。
 だが……。

「むにゃむにゃ……甘酸っぱいもの以外は別腹ぁ〜……」

 その寝言が、収まりかけたエリオの悪意に火を点した。
 彼は強引に手綱を引いて馬に止まるよう指示を出す。
 それに驚いたのか、馬は思いきり前脚を上げてしまい―――案の定後ろのソニアは豪快に転げ落ちた。

「―――! 痛ッ――――――――――――――――――ぅ!」

 背中から地面に落ちたからか、呼吸困難で悶え苦しみ始めるソニア。
 だが、エリオの表情に同情は欠片もない。
 やがて呼吸が落ち着くと、ソニアの意識も痛みもはっきりしてきたようだ。

「……痛っつつつ……一体何事?」
「人に手綱を任せっきりで、おまけに爆睡して、あまつさえ夢のなかでご馳走にご満悦とか随分とお気楽なもんだね」
「ご馳走? 一体何の話……」

 爆発するエリオの不満にも、現状が全く把握できないのか、ソニアは寝ぼけ眼で何やら薄ぼんやりと考えこんでいる。
 だが、すぐに斜め上をいく不満を叫び出した。

「――――――ああっ! 食べ残したあぁぁぁっ!」
「…………はっ?」

 これには流石のエリオも唖然とする他なく、頭を抱えて心底悔し気にのたうち回るソニアをただ唖然と眺めていた。



 同じ頃―――二人のかなり先を行く早馬がいた。
 乗っているのは、こちらも二人組だ。手綱を握るのは上背のある無表情な女。
 そして、振り落とされまいと彼女の腰にしっかり抱きついている幼い少女。

「……な、なんか後ろの方が騒がしいですね」

 後ろの少女―――ロゼッタは、後方遥か彼方から微かに聴こえる妙な物音が気になっていた。目を細めてそちらを見遣ると、何やら二つの人影が言い争っているようなシルエットが確認できたが、流石に仔細までは掴めない。
 草原は風もなく、魔獣も姿を顰めている為、完全な静寂に包まれていた。耳に届くのは馬の駆ける足音だけ、肌で感じるのは目の前の女の体温だけだった。
 続けてどこか彼方から遠吠えのような声が聴こえたような気もした。
 だが、獰猛な魔獣のような刺々しく残忍なものではなく、地の果てまで届きそうな程に透き通った響きを宿したものだった。まるで耳にするだけで心が洗われるような……。

「気にしてる余裕はないわ。日が変わる前に到着しないと。しっかり掴まってないと振り落とされるわよ」
「は、はい」

 目の前の女―――ジャンヌの言葉で現実に引き戻されたロゼッタは、より一層しっかりと彼女の体にしがみつく。半分はジャンヌの指示に従って……、だがもう半分は、そうしたいと望む自分の気持ちがあったからだった。
 今でこそ普通に魔導修行の一人旅になど出ているが、ロゼッタは元々、身寄のない孤児だった。
 そのため「一人」という事実に他人以上に敏感だ。所有物を何度か勝手に売られようとユーイチ一行に同行していたのは、孤独の不安が強く影響していた為でもある。
 聖大陸の北方の学術都市国家・ミルフォート領内の東方に位置するトルネの村―――遡れる限りの記憶を辿ると、そこがロゼッタの故郷だった。正確には、気がつけばそこにいたというのが正しい。
 そこでの彼女の幼少期は、生来の天然気質と鈍臭さも相まって平穏無事とはいかなかった。孤児院代わりの教会から一歩でも出れば悪餓鬼の標的にされてしまい、飛んでくるのは罵詈雑言や石礫ばかり。目立った取り柄もなかったロゼッタは、いつからか教会の片隅で一人縮こまるだけの毎日を送るようになった。
 そんな彼女の転機は、六歳の時に訪れた。
 教会のシスターに頼まれて仕方なく使いに出た際、やりすぎた悪餓鬼連中の悪戯のせいで彼女は村外れの橋で川に落ちてしまった。
 その時、たまたま村を訪れていた後の師匠である魔導士に救われたことで、彼女の人生は小さくも決定的に動き出す。
 暫くして教会のシスターが亡くなった際、再び身寄を失ったロゼッタは、彼にこっそりついていったのだ。
 それが魔導士としての第二の人生のはじまりだった。
 やがて師匠の命を受けた彼女は一人、魔導修行の旅で世界中を放浪するようになる。
 そして、強くなった。賢くもなった。
 だが、一人になればこみ上げるのは、やはり淋しさだけだ。深々と刷りこまれた孤独の古傷はそう簡単に耐え忍べるものではない。
 ―――抱きつくロゼッタの力が強くなるのをジャンヌも感じたのか、面は正面を見据えたまま、視線だけは不思議そうに後ろを気にしている。だが、彼女の背中に頬を預けているロゼッタが気づくことはなかった。
 かわりにロゼッタは馬の速度が上がるのを感じていた。ジャンヌに一層強く抱きついたことが怯えていると思われたのかもしれない。どうやら少しでも早く到着するように気を遣わせてしまったようだ。
 もし出来れば少しでも長くこうしていたいと思っていたロゼッタだったが、ジャンヌの気遣いを無碍にするようにも感じられたので、すぐに思い直した。
 そうして二人は、目的地・マッカランへ向けて、ひたすら闇夜を突き進んでいく。



 そんな四人の遥か上空―――巨大な狼の背に乗った少女が表情を曇らせていた。

「……ホントに、持ち物は適度に売り払って欲しいものですよね。何でも必ず一つは持っておくコレクター根性は迷惑です。整理する方の身にもなって欲しいものです」

 神の使いの少女―――フレイアは、相棒の銀狼フェンリルの背中に抱きつくように体を預けて疲れ切っていた。
 二人は討伐隊一行の所持金と所有物の調整を終えた所だった。直近の日記では所有していなかった物を店や所有者の家に戻し、持っていた物で不足があれば買い足し、買い戻せない一点物などは仕方なく盗み出してきた。
 だが……。

「……でも、何で所持金だけは既に半分だったんですかね? おかげで書き置きも残す必要はなかったので良いのですけど……」

 本来なら所持金の半額も回収する必要があったのだが、それはなぜか元から半分に減っていた。少し気にはなったが、仕事が減ったのは素直に嬉しかったのと特に害もないので別段気にも留めずに放置してきたのだが。

「まぁでも、これでようやく終わりですね。折角だから宮殿へ戻る前にちょっと寄り道でもしていくですか? お腹空いたし、肩も凝ったし」

 フレイアの言葉に、フェンリルは不思議そうに鼻を鳴らす。

「ん? 別に遊び呆けるわけじゃないです。ちょっと美味しいものでも食べて、ぶらぶら買い物でもしてから帰ろうっていうだけです」

 それで納得したのか、フェンリルは短く力強く唸った。それから向かう先をせがむように左右をきょろきょろし始める。

「そうですね。こっから近い所だとマッカランです。娯楽都市で人が集まるから料理店や雑貨屋の質も高いと聴いてるです」

 少女の依頼を受けて気合いを入れるように高らかに吠えると、フェンリルは流れ星と見紛う如き速度で、北東に小さく輝く町灯り目指して空を翔け出した。
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