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kmt / 贈 物


いつかの未来を約束する



ホームルームが終わったと同時テストが返却される
点数次第ではこのまま教室に残り
放課後に行われる補習を受けなければいけない
このあとに予定が入っているなら困りものだが
あいにく何も予定は入っていなかった

今日のテストは一番苦手な科目
それこそ毎度のように追試を受けるほどだ
テストの度に補修を回避しようと猛勉強をするのに
努力も虚しく赤点、追試のオンパレード
だから前もってバイトも入れなかった
先手を打って行動している私を褒めてほしい

教卓前に立ち次々と
テストの返却をしている担任が私の名前を呼んだ
例のごとく今回は絶対に赤点は回避できた、と
意気込んで答案用紙を受け取る
指で隠した点数を席に戻りながらそっと覗き
椅子へ腰を下ろすことなく膝から崩れ落ちた
ガタガタと机と椅子が動く音のあと
静かにと注意する担任の声と友人の茶化す声
それに反応できるほどの元気などなく
また赤点をとったその事実に
心が一瞬で砕けてしまったようだ








放課後の教室には私一人だけだった
今日に限って追試、補修仲間は赤点を回避して
私を励ますようなことを言い残して帰ってしまった
ため息をひとつついて時計に目を向ける
ホームルームが終わって数十分は経っただろうか
なのにまだ先生はやってこない
数学の教科書片手に校門を眺めていると
背後でガラリと扉の開く音がした

「よォ、追試の常連サン」

答案用紙の返却をしていた担任同様
教卓前に立つのかと思っていると
先生は当然のように私の目の前の席に腰を下ろした
首元を楽にするためにと開かれたワイシャツ
そこから覗いた肌が目の前に晒し出されていた
年頃には強すぎる刺激にそっと目を逸らす
意味もなく机の木目をぐるぐると追っていると
数字や記号が羅列したプリントが差し出された

「そんな顔したところで終わんねえだろォ
 ちゃんと教えてやっから、ペン持て」

どんな顔をしていたんだろう
無意識で全く分からないが
先生に伝わるほど嫌だと顔に出ていたことに違いない
補修を受けるのは悲しいことに私だけ
だから先生もいつも以上に
しっかり教える、と意気込んでいた
一人だけの補修なんて悲しいはずなのに
どこかで先生を独り占めできると
喜んでいる私もいる
不真面目な感情とはわかっていたけど
先生が好き、その気持ちにはどうしても勝てないらしい
私一人のために時間を割いて教えてくれている
その事実がやっぱり嬉しく思えてしまうのだ

浮ついた気持ちのまま一通り解き方を教わって
あとは自分で解いてみろ、と言われる
先生の字が所々に散らばっているプリントに目を向け
教わったように計算を進めた
問題が進んでいくにつれて難易度も上がり
だんだんと飽きがきてしまった
思いたったように顔をあげると
目の前に座っていた先生と目が合う
何か言わなければと言葉を探したが
私が喋りだすよりも早く先生が言葉を発した

「よそ見する暇あんなら早く終わらせろォ」

交わった視線はすぐに逸らされて
ぴしゃりと言われてしまえば
ただすみませんと一言謝ることしかできない
もう少し優しく言ってくれてもいいのになあ、なんて
心の中で少しの悪態をつきながら
再びプリントに視線を落とした

静かな教室に時計の針の音が響く
その音に混ざるのは私の持ったペンが紙の上を滑る音
そして先生が読んでいる本のページを捲る音
呼吸の音すら聞こえてしまいそうな空間から
文字を書く音が消えた
それは私の手が止まったことを
教えるには十分な証拠で
先生もまた読んでいた本を閉じて
プリントを覗き込んできた

「ここはさっきの応用
 順番が変わるだけで解き方は同じだ」

長すぎず短すぎない綺麗な形の爪先を
目で追いながら解き方を改めて聞いて
つまずいた問題に再び手をつけた
前の問題と見比べながら間違ってはいないかと
確認しながらやっとの思いで解き終わる
私が満足気に言葉をこぼすと
先生はやればできるじゃないかと褒めてくれた
その言葉に少しだけ心が満たされる

浮ついた気持ちというのは
なんでもできてしまうのか
ちょっと前によそ見をするなと
注意されたというのに
私は懲りずに手を止め
プリントから顔をあげる
視界に映った先生は優しい目を私に向けて
口元はゆったりと弧を描き、薄らと微笑んでいた
普段の学校生活では見たこともない優しい表情に
胸が締め付けれらるように痛み、そして高鳴った
その瞬間、抑え込んで隠そうとしていた気持ちが
簡単にあっさりと溢れだしてしまう

「あの、先生…」

言いかけたところで
視界に映っていた先生がゆらりと動く
そのあとすぐに手に持っていた本が
私の頭へと乗せられた
ぽす、と軽い音がして
続きの言葉を言い出せない雰囲気が漂う
泳いでいた視線を目の前に座る先生一点に向けると
短めな眉を僅かに下げて
どこか悲しそうな顔をしながら口を開いた

「悪ぃがそれに応えるつもりはねぇ、」

まだ何も言っていないのに
先生は私の心の内を見透かしているんだろうか
隠していた気持ちをやんわりと断るようなことを
言われてしまえばそれ以上はもう何も言えなかった。

「まだ…まだ何も言ってないのに、」

ぽつりと呟いた言葉
私の口から零れたその声は自分でも驚くほどに
消え入りそうで今にも泣きだしそうなものだった
それは先生にも聞こえていたのか
頭に乗せられていた本が離れ
代わりに大きな手が頭を雑にくしゃくしゃと撫でた
慰めようとしているにはあまりにも雑な動き
でもそこがまた先生らしいと思ってしまう

好意を寄せてしまっている人に対して
優しくするのに気持ちに応えるつもりはないなんて
やっぱり先生は私と違って大人で
それでいてずるい人だとも思った
いくら背伸びをしても並んで歩けない
そう言われている気がして泣きたくなる
いま何かを伝えようとしたら
小さな子供のように泣きじゃくり
好きになってほしいと縋り、
困らせることしかできないと思う
だからこそ何も言わず押し黙っていた

「お前はこれから社会に出て
 いろんな男とも出会うわけだ
 当然俺よりいい男なんざごまんといるだろうなァ…」

重い沈黙を破ったのは先生の低く落ち着いた声
泣きそうな私をなだめるように
そして言い聞かせるように話し始めた

大学生になったらまたいろんな人に出会う
新しく女友達を作って、男友達だって作る
そこでもっといい人に出会うかもしれない
なんて未来の話をする先生は寂しそうな目をしていた
たらればの話なんて普段はあまりしないのに
らしくない、と胸がチクリと痛んだ

一つの言葉で一喜一憂する私をよそに
先生は慎重に言葉を選びながら話を続ける
区切りをつけるように私の頭から手を離すと
じっと目を見つめ、再度口を開いた

「それでももし、気持ちは変わんねえって言えんなら
 卒業証書もってまた会いに来い
 その時になったらちゃんと聞いてやるからよ」

「約束、ですからね…
 忘れたなんて言ったら許しませんから、」

卒業したら私は当然ここの生徒ではなくなって
先生からしたら元・教え子に変わる
それはつまり可能性はゼロではない
私にもまだ望みがあるということ
そう、頭の中で勝手にいいように解釈してしまう

先ほどとはうって変わって
嬉しそうな声色で約束だからと言った私に
先生はふっと笑いながら「当然だ」と返す
最後の確認をしようとした私を止めるように
目の前に人差し指をたて条件があると言葉を続けた

「俺を落とせるくらいのいい女になってみろ」

子供っぽい悪戯な笑みを見せながら
そんな条件を提示した
大人の女じゃなくて、いい女
あまりにも抽象的すぎる例えに首を傾げ
先生ならもっと分かりやすく教えてくれるのに
そう、少し意地の悪い聞き方をした
具体的には教えてくれないのかと
矢継ぎ早に聞いても先生は慌ても取り乱しもせず
いつものような余裕たっぷりな笑みを浮かべた

「追試なんか受けなくても済むような女、…なんてな
 無駄話はこれで終いだァ、さっさと終わらせるぞォ」

冗談らしく言うと咳払いをひとつして
トントン、とプリントを進めるように促す
そんな含みのある言い方をされて
気を取り直して補習再開だなんて
この先生は、この人はどこまで意地悪なんだろう
大人の余裕を見せつけられ
悔しいようななんとも言えない
複雑な感情でいっぱいになった
一方で、いつでも余裕そうな先生を驚かせたい
大人な先生より上手に出てみたい
そんな心を躍らせるような感情も顔を覗かせる

まだまだ子供かもしれないけれど
背伸びをして横に並んでもいいだろうか
言葉に私なりの余裕を乗せる

「じゃあ先生が責任もって教えてくださいね」



 
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