Queen Elizabeth
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「貴方が名前さんだね」
頭に花を挿した美丈夫が名前を呼ぶので脳内で検索を掛ける。一、二、三、完了。見覚えはない。此処に来てからあらゆる人を出迎えてきたが、会話したならば朧気にも顔は覚えているはずだ。目の前の人はどうにも記憶に無い。しかしながら、見知ったように私に話し掛ける。合わせるべきか、謝るべきか。迷っていると、雰囲気を察してか顔の前で手を振った。
「すまない。会うのは初めてなんだ。しかし知り合いからよく噂を聞いていてね」
「そうなんですね。お話はどなたから?」
「ああ、いや、それは秘密にさせてもらえるかな」
歯切れの悪い言葉。柳眉を下げて困った顔を作るので、私も追求しない。店員の鉄則、来るもの拒まず去る者追わず。お盆を胸に抱いて営業用の笑顔を作る。
「ご贔屓誠にありがとうございます。お知り合いからおすすめは聞きましたか?」
安心した顔つきになって言葉を交わす。一番人気の餅を出して、『ごゆっくり』と頭を下げる。前掛けから粉を払って、裏手に入ると女将から声が掛かる。
「誰だい?素敵な御仁だね」
「初めての方。紹介でいらしたみたいだよ」
「あんたも多彩な人に好かれるわね」
あっけらかんとした女将に苦笑を隠せない。この甘味処は背中で語る店主と、明るい人柄の女将の二人で繁盛していた。ある日いきなり店の裏手に倒れていた私を拾い、亡くなった一人娘の代わりとして育ててくれている。店を手伝いたいと願い出るのに時間は掛からなかった。現代式の暖簾を店先に掛けて、揃いの前掛けを着て、今では三人で店を切り盛りしている。いつしか私は『看板娘』と呼ばれていた。アルバイトで日夜勤しんだ接客業は嫌いではなく、そう呼ばれることも面映い。悪い気はしなかった。噂が噂を呼んで、今日のように顔をひと目見に来る客も増えていた。
「実は、私の家族がまた此処に来るかもしれないんだ」
餅を食べ切り、土産として幾つか購入した美丈夫が言う。
「皆浮足立っていてね。気を害さないでいてくれると嬉しいのだけれど」
「ええ、嬉しいことです。お待ちしております」
柔和な笑顔と花の香りを残して、男は去って行った。そういえば、名前を聞き忘れたな。
「貴方が名前さん?」
席に座るなり美少女が言い放った。脳裏で花の香りが蘇る。きっとこの前の男性の家族にあたる人なのだろう。
「はい。どなたかから当店の噂を?」
「うん、兄上から貴方の話を・・・ってこれ、言っちゃ駄目なんだっけ?ごめんなさい!忘れて下さい!」
両手を合わせて祈られ、頬が緩む。可憐な美少女に懇願されて断るはずもない。
「聞かなかったことに致します。ご注文は如何なさいますか?」
餅を大量に平らげ、最後に片手で陶磁器の湯呑みを割った彼女は再び何度も謝罪していた。
「実はね、父上が来るかもしれないの。威厳のある人だから、怖がらないで欲しいんだけど」
「当店は様々な方がいらっしゃいますよ。畑を耕す方から戦に出る方まで。どなたでも大歓迎です」
満面の笑顔で彼女は帰っていった。餅と、それから湯呑み代を机に置いて。
「そなたが名前か」
隠し切れない迫力に気圧されながらもお辞儀をした。背後に店主と女将の焦った視線を感じる。ここ数日の家族の様子見はこの父、関雲長の到来の序章だったのだろう。穏やかな花の貴公子、その次に細腕の美少女と来て、最後に大将軍がこの小さな店に訪れるとは誰も思うまい。ただならぬ気配を察してはじめは女将が対応していたのだが、ご指名とあって私が御前に立つことになった。断頭台に立つような気持ちで頭を垂れると、鋭い視線で私を射抜きながら将軍は宣った。
「倅が世話になっている」
「申し訳ありません、どなたのことか分からず」
「何と、幾度も通っていると聞くが」
「お名前を頂戴したことがないようです」
『何と意気地の無いことか』という呟き。蜀きっての名家がこの小さな甘味処に通い詰めていることは、その家庭内しか知る者はいない。何せ皆名乗らないのだ。庶民派の店に威圧感を与えたくないという気遣いもあったかもしれない。
「漸く覚悟を決めたとあってこうして相見えたと言うに、よもや名前すら知り得ていないとは」
「恐れ入ります」
「男の風上にも置けぬ」
額に手を当てて嘆く将軍。下手な言葉も掛けられず戸惑っていると、柔らかな気配が路地から店へ入り込んだ。肩につく、桑色の髪。穏やかな物腰と落ち着いた声色。些か驚いたような目で関羽を認め、しかし普段と変わりなく動揺を見せない様子でその人を呼んだ。
「父上」
「関興か」
ああ、貴方が噂の。
頭に花を挿した美丈夫が名前を呼ぶので脳内で検索を掛ける。一、二、三、完了。見覚えはない。此処に来てからあらゆる人を出迎えてきたが、会話したならば朧気にも顔は覚えているはずだ。目の前の人はどうにも記憶に無い。しかしながら、見知ったように私に話し掛ける。合わせるべきか、謝るべきか。迷っていると、雰囲気を察してか顔の前で手を振った。
「すまない。会うのは初めてなんだ。しかし知り合いからよく噂を聞いていてね」
「そうなんですね。お話はどなたから?」
「ああ、いや、それは秘密にさせてもらえるかな」
歯切れの悪い言葉。柳眉を下げて困った顔を作るので、私も追求しない。店員の鉄則、来るもの拒まず去る者追わず。お盆を胸に抱いて営業用の笑顔を作る。
「ご贔屓誠にありがとうございます。お知り合いからおすすめは聞きましたか?」
安心した顔つきになって言葉を交わす。一番人気の餅を出して、『ごゆっくり』と頭を下げる。前掛けから粉を払って、裏手に入ると女将から声が掛かる。
「誰だい?素敵な御仁だね」
「初めての方。紹介でいらしたみたいだよ」
「あんたも多彩な人に好かれるわね」
あっけらかんとした女将に苦笑を隠せない。この甘味処は背中で語る店主と、明るい人柄の女将の二人で繁盛していた。ある日いきなり店の裏手に倒れていた私を拾い、亡くなった一人娘の代わりとして育ててくれている。店を手伝いたいと願い出るのに時間は掛からなかった。現代式の暖簾を店先に掛けて、揃いの前掛けを着て、今では三人で店を切り盛りしている。いつしか私は『看板娘』と呼ばれていた。アルバイトで日夜勤しんだ接客業は嫌いではなく、そう呼ばれることも面映い。悪い気はしなかった。噂が噂を呼んで、今日のように顔をひと目見に来る客も増えていた。
「実は、私の家族がまた此処に来るかもしれないんだ」
餅を食べ切り、土産として幾つか購入した美丈夫が言う。
「皆浮足立っていてね。気を害さないでいてくれると嬉しいのだけれど」
「ええ、嬉しいことです。お待ちしております」
柔和な笑顔と花の香りを残して、男は去って行った。そういえば、名前を聞き忘れたな。
「貴方が名前さん?」
席に座るなり美少女が言い放った。脳裏で花の香りが蘇る。きっとこの前の男性の家族にあたる人なのだろう。
「はい。どなたかから当店の噂を?」
「うん、兄上から貴方の話を・・・ってこれ、言っちゃ駄目なんだっけ?ごめんなさい!忘れて下さい!」
両手を合わせて祈られ、頬が緩む。可憐な美少女に懇願されて断るはずもない。
「聞かなかったことに致します。ご注文は如何なさいますか?」
餅を大量に平らげ、最後に片手で陶磁器の湯呑みを割った彼女は再び何度も謝罪していた。
「実はね、父上が来るかもしれないの。威厳のある人だから、怖がらないで欲しいんだけど」
「当店は様々な方がいらっしゃいますよ。畑を耕す方から戦に出る方まで。どなたでも大歓迎です」
満面の笑顔で彼女は帰っていった。餅と、それから湯呑み代を机に置いて。
「そなたが名前か」
隠し切れない迫力に気圧されながらもお辞儀をした。背後に店主と女将の焦った視線を感じる。ここ数日の家族の様子見はこの父、関雲長の到来の序章だったのだろう。穏やかな花の貴公子、その次に細腕の美少女と来て、最後に大将軍がこの小さな店に訪れるとは誰も思うまい。ただならぬ気配を察してはじめは女将が対応していたのだが、ご指名とあって私が御前に立つことになった。断頭台に立つような気持ちで頭を垂れると、鋭い視線で私を射抜きながら将軍は宣った。
「倅が世話になっている」
「申し訳ありません、どなたのことか分からず」
「何と、幾度も通っていると聞くが」
「お名前を頂戴したことがないようです」
『何と意気地の無いことか』という呟き。蜀きっての名家がこの小さな甘味処に通い詰めていることは、その家庭内しか知る者はいない。何せ皆名乗らないのだ。庶民派の店に威圧感を与えたくないという気遣いもあったかもしれない。
「漸く覚悟を決めたとあってこうして相見えたと言うに、よもや名前すら知り得ていないとは」
「恐れ入ります」
「男の風上にも置けぬ」
額に手を当てて嘆く将軍。下手な言葉も掛けられず戸惑っていると、柔らかな気配が路地から店へ入り込んだ。肩につく、桑色の髪。穏やかな物腰と落ち着いた声色。些か驚いたような目で関羽を認め、しかし普段と変わりなく動揺を見せない様子でその人を呼んだ。
「父上」
「関興か」
ああ、貴方が噂の。
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