籠目籠目
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回復するにつれて、活動できる時間が増えてきた。ある日、街に大きな市場が立つという噂を聞いた。沈んでいるばかりの私を気にしてくれたのだろう、珍しく紫鸞くんから遠乗りに誘われた。この世界に来てから、初めての遠出。二人で馬に乗って街に出掛けた。
市場に着くと、想像以上の賑わいだった。布、陶器、薬草、食べ物。あらゆる露店が立ち並び、人の声と笑い声が絶えない。見回していると、きゅる、と小さく腹が鳴った。聞こえてしまったのか、紫鸞くんが笑いを咳払いで誤魔化していた。
「何か食べるか」
「肉まんあるかな?」
「探してみよう」
そう言いながら自然と左手を差し出す。私も握り返す。外出するときはもう当たり前になっていた。
「美味いな」
「そうだね」
お目当ての品を見つけて、二人で木陰に座って食べた。優しい味と肉汁がお腹に染み渡っていく。本音を言えば餡まんの方が好きだが、紫鸞くんの好物と言えば肉まんだ。他のお店を探す手間を掛けたくなかった。
「あんたの手料理の方が美味いがな」
「いいよ、気を遣わなくて」
「本当のことだ」
相も変わらず料理の腕は上がっていない。近頃は凡そ全ての食材を扱えるようになってきたが、手際が良いとは言えなかった。だけど、紫鸞くんは毎回食べる度に美味しいと言ってくれる。味付けや調理に失敗して、自分一人で食べようと試みた日もある。隠れて処理しようとしていると目ざとく見つけてきて、自分も食べると主張する。そんな時でも、嫌な顔ひとつせずきちんと全部食べてくれる。無理をしないでと伝えても、『あんたの作ったものは俺のだ』と言う。確かにその言葉に嘘はない。紫鸞くんのお金で買ってきたものだ、全て彼の所有物である。しかしそういう意味で言っているわけではないことは理解していた。紫鸞くんは、ただ優しいだけではなくどこまでも気を遣える人でもあるらしい。自分の不甲斐なさを思い出して情けなくなり、最後の方の肉まんは味がしなかった。
装身具の露天も出ていた。髪、耳、首、腰、足、あらゆるところにつけるアクセサリーが並んでいる。興味深く見ていると紫鸞くんが財布を取り出した。
「欲しいものがあるのか」
「ううん、大丈夫」
「店主、これを一つ」
「紫鸞くん!いいから!」
可愛い根付けを長く見つめていたのが悪かった。視線の集まる時間を脇で計測していたらしく、私が一番欲しかったものを購入してしまった。
「ほら、受け取れ」
「なんかごめんね・・・」
素直に受け取れないでいると、紫鸞くんが僅かに肩を落とした。
「あんたには、謝罪より礼を言われたい」
ちりりと根付けについた鈴が鳴る。他のものより多少値段が張っていて、買ってもらったことが一層申し訳無い。だけど、ここで彼に悲しい思いをさせること、それこそ私の一番してはならないことなのだ。
精一杯笑顔を作って、差し出されたものを受け取る。
「ありがとう」
そう言うと、彼も安心したようだった。
市場は物を売る店だけではなく、遊興の場もあった。的当ての店に通り掛かると、店主から声を掛けられた。
「そこの格好良いお兄さん!彼女を惚れ直させてみない?」
「違います。彼女じゃないです」
「え、でも」
店主の視線が繋がれた手に落ちる。市場を見回っているうちに気付いたが、この時代の人は滅多に手を繋いだりしないようだ。子供と親が手を繋ぐか、もしくはお熱い夫婦が腕組みをしているかのどちらかだった。私達が手を繋いで過ごしているのは妙と言えば妙だ。
一緒に否定して欲しくて紫鸞くんの顔を見ると、読めない目で私を窺っていた。何も言わない。三人の間に沈黙が舞い降りて、気まずい中に店主が声を張り上げた。
「一回無料にするよ。やっていきなよ」
無言のまま紫鸞くんが弓矢を手に取った。的に三本矢を放ち、赤い丸の中に当たれば景品が貰えるようだ。
紫鸞くんほどの使い手に無料で遊戯をさせるなんて見る目のない店主だと思った。結局彼は手持ちからあと二回分払い、計九本の矢をど真ん中に当ててみせた。
「ま、毎度あり」
三回分も景品を奪われることになって店主は肩を落としていた。回数分豪華なものが選べるらしく、並んでいる品の前で紫鸞くんが悩んでいた。
「あんたはどれが欲しい」
「紫鸞くんが勝ち取ったんだから、好きなのを選びなよ」
「貰わずに帰るか」
「分かった分かった。選ばせて」
猫のような謎の生き物の置物を選んだ。飄々とした顔つきをしていて、無意識に紫鸞くんのようだと思って選んでしまった。
置物を受け取った紫鸞くんが、私に差し出す。しかし受け取ろうとするとひょいと手を上げて、わざと取り上げるような形を取った。
「し、紫鸞くん?」
「どうだ?」
「何が・・・?」
戸惑っていると、不敵に笑った。
「惚れ直したか?」
かっと顔に熱が集中した。気の利いたことが返せず、彼の顔が見られなくなってしまう。
「紫鸞くんは、私なんかが惚れ直さなくても十分格好良いよ」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない」
「惚れ直しました!」
「よし」
紫鸞くんが満足そうに笑った気配がした。私に置物を渡して、頭を二回、ぽんぽんと撫でられた。脇で先程の店主が、自分の両頬を手で押さえながら私達を見ている。嗚呼、どうしよう。頬が熱い。心臓が五月蝿い。彼の目を見てから、私はおかしくなってしまった。頭の螺子が緩んでいる。恩人相手にこんな気持ちを抱いてはいけないのに。紫鸞くんはこんなにも格好良くて、強くて、優しいのに、私は愚かで、虚弱で、矮小な存在だ。彼と比べてしまう劣等感、世話になっている罪悪感、役に立っていないと感じる無力感。それでも紫鸞くんに優しくされている己に抱く、ほんの僅かな優越感。あらゆる感情が混沌と化して、心が暗くなっていく私を腕の中の猫が見つめていた。
市場に着くと、想像以上の賑わいだった。布、陶器、薬草、食べ物。あらゆる露店が立ち並び、人の声と笑い声が絶えない。見回していると、きゅる、と小さく腹が鳴った。聞こえてしまったのか、紫鸞くんが笑いを咳払いで誤魔化していた。
「何か食べるか」
「肉まんあるかな?」
「探してみよう」
そう言いながら自然と左手を差し出す。私も握り返す。外出するときはもう当たり前になっていた。
「美味いな」
「そうだね」
お目当ての品を見つけて、二人で木陰に座って食べた。優しい味と肉汁がお腹に染み渡っていく。本音を言えば餡まんの方が好きだが、紫鸞くんの好物と言えば肉まんだ。他のお店を探す手間を掛けたくなかった。
「あんたの手料理の方が美味いがな」
「いいよ、気を遣わなくて」
「本当のことだ」
相も変わらず料理の腕は上がっていない。近頃は凡そ全ての食材を扱えるようになってきたが、手際が良いとは言えなかった。だけど、紫鸞くんは毎回食べる度に美味しいと言ってくれる。味付けや調理に失敗して、自分一人で食べようと試みた日もある。隠れて処理しようとしていると目ざとく見つけてきて、自分も食べると主張する。そんな時でも、嫌な顔ひとつせずきちんと全部食べてくれる。無理をしないでと伝えても、『あんたの作ったものは俺のだ』と言う。確かにその言葉に嘘はない。紫鸞くんのお金で買ってきたものだ、全て彼の所有物である。しかしそういう意味で言っているわけではないことは理解していた。紫鸞くんは、ただ優しいだけではなくどこまでも気を遣える人でもあるらしい。自分の不甲斐なさを思い出して情けなくなり、最後の方の肉まんは味がしなかった。
装身具の露天も出ていた。髪、耳、首、腰、足、あらゆるところにつけるアクセサリーが並んでいる。興味深く見ていると紫鸞くんが財布を取り出した。
「欲しいものがあるのか」
「ううん、大丈夫」
「店主、これを一つ」
「紫鸞くん!いいから!」
可愛い根付けを長く見つめていたのが悪かった。視線の集まる時間を脇で計測していたらしく、私が一番欲しかったものを購入してしまった。
「ほら、受け取れ」
「なんかごめんね・・・」
素直に受け取れないでいると、紫鸞くんが僅かに肩を落とした。
「あんたには、謝罪より礼を言われたい」
ちりりと根付けについた鈴が鳴る。他のものより多少値段が張っていて、買ってもらったことが一層申し訳無い。だけど、ここで彼に悲しい思いをさせること、それこそ私の一番してはならないことなのだ。
精一杯笑顔を作って、差し出されたものを受け取る。
「ありがとう」
そう言うと、彼も安心したようだった。
市場は物を売る店だけではなく、遊興の場もあった。的当ての店に通り掛かると、店主から声を掛けられた。
「そこの格好良いお兄さん!彼女を惚れ直させてみない?」
「違います。彼女じゃないです」
「え、でも」
店主の視線が繋がれた手に落ちる。市場を見回っているうちに気付いたが、この時代の人は滅多に手を繋いだりしないようだ。子供と親が手を繋ぐか、もしくはお熱い夫婦が腕組みをしているかのどちらかだった。私達が手を繋いで過ごしているのは妙と言えば妙だ。
一緒に否定して欲しくて紫鸞くんの顔を見ると、読めない目で私を窺っていた。何も言わない。三人の間に沈黙が舞い降りて、気まずい中に店主が声を張り上げた。
「一回無料にするよ。やっていきなよ」
無言のまま紫鸞くんが弓矢を手に取った。的に三本矢を放ち、赤い丸の中に当たれば景品が貰えるようだ。
紫鸞くんほどの使い手に無料で遊戯をさせるなんて見る目のない店主だと思った。結局彼は手持ちからあと二回分払い、計九本の矢をど真ん中に当ててみせた。
「ま、毎度あり」
三回分も景品を奪われることになって店主は肩を落としていた。回数分豪華なものが選べるらしく、並んでいる品の前で紫鸞くんが悩んでいた。
「あんたはどれが欲しい」
「紫鸞くんが勝ち取ったんだから、好きなのを選びなよ」
「貰わずに帰るか」
「分かった分かった。選ばせて」
猫のような謎の生き物の置物を選んだ。飄々とした顔つきをしていて、無意識に紫鸞くんのようだと思って選んでしまった。
置物を受け取った紫鸞くんが、私に差し出す。しかし受け取ろうとするとひょいと手を上げて、わざと取り上げるような形を取った。
「し、紫鸞くん?」
「どうだ?」
「何が・・・?」
戸惑っていると、不敵に笑った。
「惚れ直したか?」
かっと顔に熱が集中した。気の利いたことが返せず、彼の顔が見られなくなってしまう。
「紫鸞くんは、私なんかが惚れ直さなくても十分格好良いよ」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない」
「惚れ直しました!」
「よし」
紫鸞くんが満足そうに笑った気配がした。私に置物を渡して、頭を二回、ぽんぽんと撫でられた。脇で先程の店主が、自分の両頬を手で押さえながら私達を見ている。嗚呼、どうしよう。頬が熱い。心臓が五月蝿い。彼の目を見てから、私はおかしくなってしまった。頭の螺子が緩んでいる。恩人相手にこんな気持ちを抱いてはいけないのに。紫鸞くんはこんなにも格好良くて、強くて、優しいのに、私は愚かで、虚弱で、矮小な存在だ。彼と比べてしまう劣等感、世話になっている罪悪感、役に立っていないと感じる無力感。それでも紫鸞くんに優しくされている己に抱く、ほんの僅かな優越感。あらゆる感情が混沌と化して、心が暗くなっていく私を腕の中の猫が見つめていた。
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