ドーナツホール
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※禍福招来番外編・現パロ
昔から違和感があった。物心ついたときから古い何かを焼き直しているような、やり直しているような、『またか』という感覚。それでも口から出てくるのは無意味な喃語のみで、歯痒い思いが募っていった。寝返りをうつ。次に這って、掴まり立ちが出来る様になったら、いずれ二本足で地を踏みしめ歩いていく。父と母が両手を叩いて喜ぶ度に面映かった。難解な言葉を使うと周囲の大人の顔が花開き、しかしあまりに多いと曇り始める。遂に知見者のもとへ連れて行かれるようになったので、その線引きを推し量ることにもまた頭を悩ませた。私は天才ではない。脳の機能が優れているのではない。ただ『知っている』だけなのだ、次に何が来るのか。いつか行き着く時が来て、波が終わる日が来る。その事実を認識できるのは私だけで、しかし誰かに説明できるわけでもなく、内に正体不明の靄を抱えながら生きていた。
社会人になった時、私は既に行き着いていた。ある日の渋谷、スクランブル交差点。イヤホンから垂れ流されるビートに耳を傾けながら歩いていると、突然後ろから強く左腕を引かれた。
「うわっ」
誰かが間違えて引っ張ったか、粗忽者の顔だけでも拝んでやろうと振り返ると、上背の高い男が私の腕を掴んでいた。
ずきり。
何処か古傷が膿んだような音がした。
「あの、痛いです」
ラグビーか柔道か、何かやっていそうな隆々とした腕で私の腕を掴んだまま、動かない。衝撃に包まれたような顔で、その鋭い目つきをより近寄り難くしている。声が届いているのかいないのか、少し力が緩みはしたものの、決してその指は私の腕から離れようとしなかった。
「覚えていないのか」
「何のことですか」
「私を覚えていないのか」
まさかそんな言葉を。ナンパなどしそうな人には見えない、きっと妄言ではないのだろう。必死で過去を検索してみるが、この恵まれた体格、厳しげな顔つき、そして類まれなる威厳を持った人と関わったことがあって、忘れることなどあるだろうか。てんで覚えがなかった。
「すみません、何処かで会ったことがあるでしょうか」
言うなりその顔が悲しみ満面に染まるので申し訳なくなった。何故だろう、眉間に寄った皺がほんのりと薄れ、目尻が僅かに下がっただけなのに、この人が『心の底から絶望している』と分かるのは。ほぼ確信に近い予感があった。見たことも会ったこともないはずなのに、この人を悲しませたくない、その感情が胸中に渦巻いた。頬に手すら寄せたくなって慌てて抑える。感情がコントロール外に逸脱して混乱した。
「あ、赤信号」
信号が点滅して色が変わる。不審者など放っておけばいいのに、固まって動かないそのシャツを今度は私が引っ張って、歩道へ移動し人の合間を縫った。
ずきり。ずきり。
胸が痛い。この感覚、私が抱いていた孤独。長年明らかにできなかった正体に触れそうで怖い。水底に眠っている違和感を暴いたら、一体何が起きるのだろうか。
引きずり込んだ路地裏で名刺を渡された。そこには名だたる外資系企業と名前が記載されていた。何処か雰囲気が違うと思っていたが、日本人ではないようだ。口に出してみると妙に慣れた心地になったが、何度試みても心当たりは無い。
「ごめんなさい。やっぱり覚えがありません」
祈るような目をしていたが、期待には応えられそうになかった。これきりにしないで欲しいと懇願され、次の週末にも会うことになった。大の男に『後生だ』と縋られて断れるほどの冷徹さは無かったし、何より何故か、私も会いたいと思ってしまっている。自分でもよく分からないままに、メールアドレスを交換した。普段友人とはSNSを通じてやり取りをしていると告げると、その場でアプリをインストールしていた。
昔から違和感があった。物心ついたときから古い何かを焼き直しているような、やり直しているような、『またか』という感覚。それでも口から出てくるのは無意味な喃語のみで、歯痒い思いが募っていった。寝返りをうつ。次に這って、掴まり立ちが出来る様になったら、いずれ二本足で地を踏みしめ歩いていく。父と母が両手を叩いて喜ぶ度に面映かった。難解な言葉を使うと周囲の大人の顔が花開き、しかしあまりに多いと曇り始める。遂に知見者のもとへ連れて行かれるようになったので、その線引きを推し量ることにもまた頭を悩ませた。私は天才ではない。脳の機能が優れているのではない。ただ『知っている』だけなのだ、次に何が来るのか。いつか行き着く時が来て、波が終わる日が来る。その事実を認識できるのは私だけで、しかし誰かに説明できるわけでもなく、内に正体不明の靄を抱えながら生きていた。
社会人になった時、私は既に行き着いていた。ある日の渋谷、スクランブル交差点。イヤホンから垂れ流されるビートに耳を傾けながら歩いていると、突然後ろから強く左腕を引かれた。
「うわっ」
誰かが間違えて引っ張ったか、粗忽者の顔だけでも拝んでやろうと振り返ると、上背の高い男が私の腕を掴んでいた。
ずきり。
何処か古傷が膿んだような音がした。
「あの、痛いです」
ラグビーか柔道か、何かやっていそうな隆々とした腕で私の腕を掴んだまま、動かない。衝撃に包まれたような顔で、その鋭い目つきをより近寄り難くしている。声が届いているのかいないのか、少し力が緩みはしたものの、決してその指は私の腕から離れようとしなかった。
「覚えていないのか」
「何のことですか」
「私を覚えていないのか」
まさかそんな言葉を。ナンパなどしそうな人には見えない、きっと妄言ではないのだろう。必死で過去を検索してみるが、この恵まれた体格、厳しげな顔つき、そして類まれなる威厳を持った人と関わったことがあって、忘れることなどあるだろうか。てんで覚えがなかった。
「すみません、何処かで会ったことがあるでしょうか」
言うなりその顔が悲しみ満面に染まるので申し訳なくなった。何故だろう、眉間に寄った皺がほんのりと薄れ、目尻が僅かに下がっただけなのに、この人が『心の底から絶望している』と分かるのは。ほぼ確信に近い予感があった。見たことも会ったこともないはずなのに、この人を悲しませたくない、その感情が胸中に渦巻いた。頬に手すら寄せたくなって慌てて抑える。感情がコントロール外に逸脱して混乱した。
「あ、赤信号」
信号が点滅して色が変わる。不審者など放っておけばいいのに、固まって動かないそのシャツを今度は私が引っ張って、歩道へ移動し人の合間を縫った。
ずきり。ずきり。
胸が痛い。この感覚、私が抱いていた孤独。長年明らかにできなかった正体に触れそうで怖い。水底に眠っている違和感を暴いたら、一体何が起きるのだろうか。
引きずり込んだ路地裏で名刺を渡された。そこには名だたる外資系企業と名前が記載されていた。何処か雰囲気が違うと思っていたが、日本人ではないようだ。口に出してみると妙に慣れた心地になったが、何度試みても心当たりは無い。
「ごめんなさい。やっぱり覚えがありません」
祈るような目をしていたが、期待には応えられそうになかった。これきりにしないで欲しいと懇願され、次の週末にも会うことになった。大の男に『後生だ』と縋られて断れるほどの冷徹さは無かったし、何より何故か、私も会いたいと思ってしまっている。自分でもよく分からないままに、メールアドレスを交換した。普段友人とはSNSを通じてやり取りをしていると告げると、その場でアプリをインストールしていた。
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