炎
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礼をして給仕が去っていく。盆を卓に置くときに、手が震えていたのは見間違いだろうか。人の多い食堂の中で、兵士がこちらを伺いながら遠巻きに座っている。いつもなら横に誰かしら座ってきて、世間話をするというのに。名前は首を傾げた。
一方目の前で麺を啜る張遼はどこ吹く風だ。さもありなんといった表情である。この奇妙な状況は張遼によるものなのかと合点がいった。
将として名を連ねる張遼は、無論食事も専用の執務室で仰々しいものを摂る。今日は一般兵の食堂で出る麺がいたく美味であると噂を聞きつけて、誘って二人で来たところだった。言葉を受けた張遼が戸惑いがちだったのは、こうなることを予期してのことだったのだろうか。
張遼とは街にもよく行く。その時の周囲も多少似通った反応だった覚えがある。この時代にはまだ身分があり、それをひと目で分かるようにするため特殊な装飾や衣服を身につける。張遼の平服は将軍だとはっきり判別できるものではないものの、世に溢れる凡百の人ではないことは流石に分かっただろう。
今は鍛錬終わりで鎧を着ているから尚の事、兵卒の戸惑いは計り知れない。名前は身分の違いに疎い。度々周囲に迷惑をかけることがあったが、魏に来てから特に親切に接してくれた張遼に無作法を働いたことを悟って密かに落ち込んだ。
「うむ、確かに美味であるな」
納得して張遼が言う。名前は後悔はあとにしてひとまずこの場を楽しもうと切り替えた。倣って麺をすすると出汁の効いた柔らかな汁が舌に沁みた。
「あの、ごめんなさい」
「うむ?」
「気を遣いましたよね」
食べ終わって外を歩く。言わずにおれない名前が頭を下げると何でもないことのように張遼は笑った。
「致し方あるまい。呂布殿の元から魏に下って幾年、疑う者も止まないことはわかっている」
申し訳無さに襲われて何も言えなくなった。あくまで張遼は名前を責めず、遠くを見つめたまま言った。真面目一徹の武人であるが故の、己に責を帰す男らしい態度だった。
「私を見て恐れを抱く者も多い」
「張遼殿に?」
鍛錬する張遼を遠巻きに眺めたことを思い出す。確かに鬼気迫るものはあったが、あれは脅威というより芸術の類だと名前は感じていた。戦場での彼を目の当たりにしたことはないが、本番と演習ではまた異なるのかもしれないと思った。
「張遼殿の武は美しいですよ」
「誠か」
張遼が腹を抱えて笑ったので、名前は解せなかった。冗談を言ったつもりはない。
「そのようなことを言うのは名前殿を置いて他にはいまい」
「でも、本心です。極みに達したものというのはいつの世も、どんなものでも美しさに至ります」
脳裏には人生の局地に達した者達が閃いていた。空手家の汗散る舞踊、将棋をさす指の狭間で考える目つき、美術館に飾られるヌードの絵画。名前にとっては皆同じ芸術に違いなかった。
「名前殿の意志は剣士の剣、槍使いの槍、弓使いの弓そのものであるな。私の武が美しいなら、そなたの言葉も同じく私には響く」
名前が魏に降り立ってすぐの頃、周囲が訝しむ中で張遼だけは名前に分け隔てなく接した。それは己の境遇と重ね合わせて憐れに思った部分もあるのだろうが、元々の張遼の気性によるものだったのだろう。
張遼の目は何よりも真っ直ぐに名前を見ている。かち合って心の交わる瞬間が名前は好きだった。
一方目の前で麺を啜る張遼はどこ吹く風だ。さもありなんといった表情である。この奇妙な状況は張遼によるものなのかと合点がいった。
将として名を連ねる張遼は、無論食事も専用の執務室で仰々しいものを摂る。今日は一般兵の食堂で出る麺がいたく美味であると噂を聞きつけて、誘って二人で来たところだった。言葉を受けた張遼が戸惑いがちだったのは、こうなることを予期してのことだったのだろうか。
張遼とは街にもよく行く。その時の周囲も多少似通った反応だった覚えがある。この時代にはまだ身分があり、それをひと目で分かるようにするため特殊な装飾や衣服を身につける。張遼の平服は将軍だとはっきり判別できるものではないものの、世に溢れる凡百の人ではないことは流石に分かっただろう。
今は鍛錬終わりで鎧を着ているから尚の事、兵卒の戸惑いは計り知れない。名前は身分の違いに疎い。度々周囲に迷惑をかけることがあったが、魏に来てから特に親切に接してくれた張遼に無作法を働いたことを悟って密かに落ち込んだ。
「うむ、確かに美味であるな」
納得して張遼が言う。名前は後悔はあとにしてひとまずこの場を楽しもうと切り替えた。倣って麺をすすると出汁の効いた柔らかな汁が舌に沁みた。
「あの、ごめんなさい」
「うむ?」
「気を遣いましたよね」
食べ終わって外を歩く。言わずにおれない名前が頭を下げると何でもないことのように張遼は笑った。
「致し方あるまい。呂布殿の元から魏に下って幾年、疑う者も止まないことはわかっている」
申し訳無さに襲われて何も言えなくなった。あくまで張遼は名前を責めず、遠くを見つめたまま言った。真面目一徹の武人であるが故の、己に責を帰す男らしい態度だった。
「私を見て恐れを抱く者も多い」
「張遼殿に?」
鍛錬する張遼を遠巻きに眺めたことを思い出す。確かに鬼気迫るものはあったが、あれは脅威というより芸術の類だと名前は感じていた。戦場での彼を目の当たりにしたことはないが、本番と演習ではまた異なるのかもしれないと思った。
「張遼殿の武は美しいですよ」
「誠か」
張遼が腹を抱えて笑ったので、名前は解せなかった。冗談を言ったつもりはない。
「そのようなことを言うのは名前殿を置いて他にはいまい」
「でも、本心です。極みに達したものというのはいつの世も、どんなものでも美しさに至ります」
脳裏には人生の局地に達した者達が閃いていた。空手家の汗散る舞踊、将棋をさす指の狭間で考える目つき、美術館に飾られるヌードの絵画。名前にとっては皆同じ芸術に違いなかった。
「名前殿の意志は剣士の剣、槍使いの槍、弓使いの弓そのものであるな。私の武が美しいなら、そなたの言葉も同じく私には響く」
名前が魏に降り立ってすぐの頃、周囲が訝しむ中で張遼だけは名前に分け隔てなく接した。それは己の境遇と重ね合わせて憐れに思った部分もあるのだろうが、元々の張遼の気性によるものだったのだろう。
張遼の目は何よりも真っ直ぐに名前を見ている。かち合って心の交わる瞬間が名前は好きだった。
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