我が身は窓の月
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「此度も公達殿は素晴らしかったですね」
始まった。名前は視線を下に向けながら『そうですね』と無難な返答をした。直ぐに部屋に戻れば良かった。各国の状況報告が終わった後、地図を眺めて記憶を呼び覚まそうとしていたところ荀彧に捕まってしまったのである。いつも通り長話に付き合わされることが分かって内心がっくり肩を落とした。
「先程の弁舌、実に鮮やかでしたね。郭嘉殿との知略を交わす論説、つい聞き入ってしまいました」
「ええ、本当ですね」
「押すべきところは押しつつ、謙虚で他者の意見も取り入れることができる…公達殿の人柄でこそ成せる技ではありませんか」
「心から尊敬します」
「曹操様にお目通りが叶った日のことを思い出しますね。あの日もへり下りながらも冷静さを感じさせる物腰で…」
荀彧の方が荀攸との仲が長いことは自明で、日々手を変え品を変え思い出話に付き合わされていた。あの日の公達殿この日の公達殿、永遠と荀攸の賞賛が流れては消えていく。名前の脳内の相槌ラインナップは限界を迎えようとしていた。
実のところ名前は最近これは荀彧のアピールなのではないかと疑い始めていた。即ち、荀攸と荀彧ができているのである。俄に荀攸に近しくなった名前を牽制するために、お前は荀攸のこんな面を知らないのだとマウンティングを取ろうとしているのだ。始めの方はただ話を聞いてくれる赤べこを求められているのかと思っていたが、中々どうしては生半可な返答を許さない。聞き流そうとすると『名前殿、聞いていらっしゃいますか?』と爽やかに微笑みかけてくる。その眼のあまりの純粋さに辟易し、遂に逆の悪魔的な意味すら感じ取るようになっていた。一見善意の塊のように見える荀家の男達も軍師は軍師で、やはり内にはどす黒いものを抱えているのではなかろうか。嫉妬や承認欲求、彼の中の醜いものを自分で昇華させようとしているのでは。名前はすっかり強火の荀攸推しに怯えていた。
(帰りたい)
死んだ魚の眼で空を見つめる名前だが、部屋の戸を叩く者があった。
「文若殿、名前殿、まだこちらにいらっしゃいましたか」
オタクの教祖が現れて名前は救いを予感した。暴走機関車を止めてくれるのは大抵がその元凶である荀攸だった。
「ええ。公達殿の話をしていました」
「またですか」
一見呆れているようでありながらも、どこか照れ臭そうに首を振る。荀攸は普段ポーカーフェイスを保ってはいるが、このときばかりはほんの少し頬を染めて荀彧を見つめるのだった。二人が目と目で何かを語り、乳繰り合う前で、名前はいつも蚊帳の外だった。
「…つきましては、名前殿。今夜また如何でしょうか」
意識を飛ばしている間に話が進んでいた。断る理由はないが、名前は荀彧をちらと見やる。にこにこと淀み無く上がった口角が怖い。
「私はいいですが、荀彧様も一緒に如何でしょうか」
「お誘いありがとうございます。ですが、私は結構です。酒はあまり嗜みませんので」
時々誘ってみるのだが応じられたことは今まで一度も無い。もう自分は深い仲だから酒の席くらいは貸してやろうという安心感なのか、荀彧は満足そうに笑っている。名前は心の中で大きな溜息をついた。
惚気も悋気も他所でやってくれないか。私は全肯定botではない。薔薇の間に挟まる女は死ぬというのが定説だ。まだ命が惜しい。
そう思うのだが、心証を汚すのが怖くてつい周りに合わせてしまう。それが名前の常日頃の悩みでもあった。
始まった。名前は視線を下に向けながら『そうですね』と無難な返答をした。直ぐに部屋に戻れば良かった。各国の状況報告が終わった後、地図を眺めて記憶を呼び覚まそうとしていたところ荀彧に捕まってしまったのである。いつも通り長話に付き合わされることが分かって内心がっくり肩を落とした。
「先程の弁舌、実に鮮やかでしたね。郭嘉殿との知略を交わす論説、つい聞き入ってしまいました」
「ええ、本当ですね」
「押すべきところは押しつつ、謙虚で他者の意見も取り入れることができる…公達殿の人柄でこそ成せる技ではありませんか」
「心から尊敬します」
「曹操様にお目通りが叶った日のことを思い出しますね。あの日もへり下りながらも冷静さを感じさせる物腰で…」
荀彧の方が荀攸との仲が長いことは自明で、日々手を変え品を変え思い出話に付き合わされていた。あの日の公達殿この日の公達殿、永遠と荀攸の賞賛が流れては消えていく。名前の脳内の相槌ラインナップは限界を迎えようとしていた。
実のところ名前は最近これは荀彧のアピールなのではないかと疑い始めていた。即ち、荀攸と荀彧ができているのである。俄に荀攸に近しくなった名前を牽制するために、お前は荀攸のこんな面を知らないのだとマウンティングを取ろうとしているのだ。始めの方はただ話を聞いてくれる赤べこを求められているのかと思っていたが、中々どうしては生半可な返答を許さない。聞き流そうとすると『名前殿、聞いていらっしゃいますか?』と爽やかに微笑みかけてくる。その眼のあまりの純粋さに辟易し、遂に逆の悪魔的な意味すら感じ取るようになっていた。一見善意の塊のように見える荀家の男達も軍師は軍師で、やはり内にはどす黒いものを抱えているのではなかろうか。嫉妬や承認欲求、彼の中の醜いものを自分で昇華させようとしているのでは。名前はすっかり強火の荀攸推しに怯えていた。
(帰りたい)
死んだ魚の眼で空を見つめる名前だが、部屋の戸を叩く者があった。
「文若殿、名前殿、まだこちらにいらっしゃいましたか」
オタクの教祖が現れて名前は救いを予感した。暴走機関車を止めてくれるのは大抵がその元凶である荀攸だった。
「ええ。公達殿の話をしていました」
「またですか」
一見呆れているようでありながらも、どこか照れ臭そうに首を振る。荀攸は普段ポーカーフェイスを保ってはいるが、このときばかりはほんの少し頬を染めて荀彧を見つめるのだった。二人が目と目で何かを語り、乳繰り合う前で、名前はいつも蚊帳の外だった。
「…つきましては、名前殿。今夜また如何でしょうか」
意識を飛ばしている間に話が進んでいた。断る理由はないが、名前は荀彧をちらと見やる。にこにこと淀み無く上がった口角が怖い。
「私はいいですが、荀彧様も一緒に如何でしょうか」
「お誘いありがとうございます。ですが、私は結構です。酒はあまり嗜みませんので」
時々誘ってみるのだが応じられたことは今まで一度も無い。もう自分は深い仲だから酒の席くらいは貸してやろうという安心感なのか、荀彧は満足そうに笑っている。名前は心の中で大きな溜息をついた。
惚気も悋気も他所でやってくれないか。私は全肯定botではない。薔薇の間に挟まる女は死ぬというのが定説だ。まだ命が惜しい。
そう思うのだが、心証を汚すのが怖くてつい周りに合わせてしまう。それが名前の常日頃の悩みでもあった。
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