春が来たりて笛を吹く
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いつも背筋を正して机に向かう于禁が珍しく体制を崩して悩んでいるのを名前は横目に盗み見た。目下の悩みは結婚式をすることになったことが発端である。開催の是非を問われたとき、于禁が得意ではなかろうと踏んで、『無くてもいいんじゃないでしょうか』と答えたが、『将としての面子もある故、省くことはできん』と申し訳無さそうに言われた。何より曹操が楽しみにしているらしいと聞いて名前は空想の中で曹操を罵った。そりゃあ見知った部下同士、しかもお堅い者を揶揄える絶好の機会なのだから見逃さないだろう。名前は于禁の屋敷で、上司と少々の同僚(即ち将や副官)、あとはいるなら親戚を呼んで昼食でもと目論んでいたが、なんと城で、軍師から将軍、文官まで大盤振る舞いで朝から晩まで宴を続けると聞いて目玉が飛び出るかと思った。これ絶対皆が戦勝のどんちゃん騒ぎの続きがしたいだけでしょ、と浮かんだ瞬間に于禁がすかさず『殿からのお達しだ』と述べた。名前と于禁は男女の関係になってこそ日は浅いが、仕事上共に過ごした時間は長かったため不思議な阿吽の呼吸があった。
早速城を管理する女官から副官までを含めての計画が始まった。軍部の披露はどうするか、街を練り歩くならどこまで、披露宴で出す料理の順番はなど、悩むことは山ほどあった。そしてその計画の殆どは于禁が担っていた。名前も無論手伝いを申し出たのだが、『お前の手を煩わせるまでも無い』と断られた。確かに名前には中国の、それも三国時代の常識など知りようはずもない。だが、長く戦時下にあった魏において豪勢な式を挙げるのも異例のことで、于禁にとっても慣れない作業であることは明白だった。料理の種類でやれそれは縁起が、やれ高級感がと老いた女官に指摘され続け、その大柄な体躯が小さく見えた。旧き良き頼れる男である于禁であり、それにもしや誇りを抱いているのかと予想していたため黙っていたが、名前は夫婦として一緒に悩みを分かち合うことを望んでいた。
「私も式の運営に加わらせて下さい」
名前が改まって向き合うと、若干やつれた様子の于禁が顔を上げた。あくまで人の手は借りたくないようだが、自分が限界なことも気付いている様子だった。
「ならん。お前はただ身ひとつで嫁いでくれば良い」
「大変そうな貴方を見ているのが辛いのです」
「お前に私は頼りなく映るか」
「そうではありません。ただ夫婦として荷を分かち合いたいのです」
「男が場を率いて女人はそれに続くものだ」
「それはあなたの価値観です」
「お前もお前の理念で動いていよう」
言い合いになって黙った。思い遣りたいだけなのに結局喧嘩になってしまう。互いの価値観の相違でぶつかってこれ以上身動き出来ないところまできて、先に折れたのは于禁だった。
「お前に負担を掛けたくなかったのだ。家長たる者、嫁ぎ先として問題無いと安心させたかった」
本当は弱さを見せる言葉を捻り出すのも大変だったのだろう。苦しい顔つきをしていたが、名前は密かに感激していた。于禁が誰かとぶつかるときは己の信念か、もしくは人の為であることを再度認識したためである。
「貴方の負担を私にも分けて下さい。恋しい人とはなんでも分かち合いたいんです」
于禁に好き・恋しい・愛するなどの言葉が効くと理解した上での戦略だった。その日から執務室では悩む頭が二つに増えた。
衣装を選ぶ日が来た。店には色とりどりの反物が広げられ、刺繍糸も並んでいた。何を選んでいいか分からない名前夫婦には女官の監視もついていた。
「何色がいいんでしょう?やっぱり青?」
魏の将は軍服から平服まで大抵青である。国をあげての色なので疑問なく名前が述べると、于禁が僅かに動揺した。
「白でなくて良いのか」
「えっ」
ウェディングドレスの話をしたことがあったっけ?
憶えがない。一度飲みに行ってベロベロに酔っ払っていたとき、郭嘉に聞かれて式の詳細を語ったような語っていないような、朧気な記憶があった。その場に于禁はいただろうか、いや、いたらあんなに饒舌に話はしないような。時間を掛けても決着が着きそうにないので名前は幻に相対するのを取り止めた。
「私のいたところでは本来白ですが、でも今回は青がいいと思います。貴方の色なので」
「う、うむ」
于禁が照れるのを感じて名前は満足する。本心だった。ウェディングドレスに憧れはあるものの、それは名前にとって白いだけの漢服という意味ではなかった。
「真に後悔しないか」
「しませんよ。元々白は『貴方の色に染まります』という意味ですもの」
女官の前であまりに惚気るのも将軍としての威光を欠くかと思い、名前はそこで退いたのだが、あまり意味はなかった。女官は既に名前と于禁を生温かい目で見守っていたのである。
早速城を管理する女官から副官までを含めての計画が始まった。軍部の披露はどうするか、街を練り歩くならどこまで、披露宴で出す料理の順番はなど、悩むことは山ほどあった。そしてその計画の殆どは于禁が担っていた。名前も無論手伝いを申し出たのだが、『お前の手を煩わせるまでも無い』と断られた。確かに名前には中国の、それも三国時代の常識など知りようはずもない。だが、長く戦時下にあった魏において豪勢な式を挙げるのも異例のことで、于禁にとっても慣れない作業であることは明白だった。料理の種類でやれそれは縁起が、やれ高級感がと老いた女官に指摘され続け、その大柄な体躯が小さく見えた。旧き良き頼れる男である于禁であり、それにもしや誇りを抱いているのかと予想していたため黙っていたが、名前は夫婦として一緒に悩みを分かち合うことを望んでいた。
「私も式の運営に加わらせて下さい」
名前が改まって向き合うと、若干やつれた様子の于禁が顔を上げた。あくまで人の手は借りたくないようだが、自分が限界なことも気付いている様子だった。
「ならん。お前はただ身ひとつで嫁いでくれば良い」
「大変そうな貴方を見ているのが辛いのです」
「お前に私は頼りなく映るか」
「そうではありません。ただ夫婦として荷を分かち合いたいのです」
「男が場を率いて女人はそれに続くものだ」
「それはあなたの価値観です」
「お前もお前の理念で動いていよう」
言い合いになって黙った。思い遣りたいだけなのに結局喧嘩になってしまう。互いの価値観の相違でぶつかってこれ以上身動き出来ないところまできて、先に折れたのは于禁だった。
「お前に負担を掛けたくなかったのだ。家長たる者、嫁ぎ先として問題無いと安心させたかった」
本当は弱さを見せる言葉を捻り出すのも大変だったのだろう。苦しい顔つきをしていたが、名前は密かに感激していた。于禁が誰かとぶつかるときは己の信念か、もしくは人の為であることを再度認識したためである。
「貴方の負担を私にも分けて下さい。恋しい人とはなんでも分かち合いたいんです」
于禁に好き・恋しい・愛するなどの言葉が効くと理解した上での戦略だった。その日から執務室では悩む頭が二つに増えた。
衣装を選ぶ日が来た。店には色とりどりの反物が広げられ、刺繍糸も並んでいた。何を選んでいいか分からない名前夫婦には女官の監視もついていた。
「何色がいいんでしょう?やっぱり青?」
魏の将は軍服から平服まで大抵青である。国をあげての色なので疑問なく名前が述べると、于禁が僅かに動揺した。
「白でなくて良いのか」
「えっ」
ウェディングドレスの話をしたことがあったっけ?
憶えがない。一度飲みに行ってベロベロに酔っ払っていたとき、郭嘉に聞かれて式の詳細を語ったような語っていないような、朧気な記憶があった。その場に于禁はいただろうか、いや、いたらあんなに饒舌に話はしないような。時間を掛けても決着が着きそうにないので名前は幻に相対するのを取り止めた。
「私のいたところでは本来白ですが、でも今回は青がいいと思います。貴方の色なので」
「う、うむ」
于禁が照れるのを感じて名前は満足する。本心だった。ウェディングドレスに憧れはあるものの、それは名前にとって白いだけの漢服という意味ではなかった。
「真に後悔しないか」
「しませんよ。元々白は『貴方の色に染まります』という意味ですもの」
女官の前であまりに惚気るのも将軍としての威光を欠くかと思い、名前はそこで退いたのだが、あまり意味はなかった。女官は既に名前と于禁を生温かい目で見守っていたのである。
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