日日是好日
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庵の前で倒れていた私を助けたのは地味ながら気品のある顔立ちをした男だった。名前を聞いたときまだ頭に靄が掛かっていた私には覚えきれず、唯一聞き取れた『亮』と呼ぶことにした。亮は晴耕雨読の暮らしを営み、畑で野菜を育て、雨の日には書を読んで過ごしていた。字の書き方や詩の読み方も彼から教わった。私がつい癖で血眼で学ぼうとするのを止めるのも彼だった。分かり易い優しさは発揮しないものの、彼との生活は今まで人生で感じたことのなかった穏やかさを私にもたらした。
ある日亮から遠くの市場へ買い物に出掛けるよう言われた。金を渡され、筆を買いにいった。近くにも文房具は売っているというのにどうしたことだろうか。帰ってみると、そこには何やら書き置きがあった。誰か来たのかと聞いてもはぐらかされた。
二度目の外出は彼の同門の出だという、布で顔を隠した男の元へ遣いに出された。書の整理やら片付けやらを手伝っているうちに日が暮れていた。帰るとまたそこには人が訪ねてきた気配が残っていた。亮は相も変わらずしれっとした顔で扇をはためかせている。私はそれが翻る日が近付いていることを何となく察していた。
三度目に客が来たとき私は隣の部屋でその声を聞いていた。三人の男。恰幅の良く荒れた態度の男、上背の高く髭の長い男、そして立派な鎧を身に着けた、目に闘志を宿した男。
「貴方が臥龍か」
そこまで来てやっと思い出した自分の不明を呪った。亮とは諸葛孔明その人だったのだ。目の前に歴史上最も推した男がいるというのに気が付かなかったなんて。
私はどうなるのだろう。この庵に置いて行かれるのだろうか。三人と話し終えた亮改め諸葛亮に縋りつき連れて行ってくれと希った。そこで初めて、未来から来たことを話した。彼の行く末、劉備達の辿る道筋について知っていることも。必死で利になる情報を持っていることをアピールした。ひとまず今後起きる流れを説明しようとすると、諸葛亮はその場で全容を耳に入れることを拒否した。
「鯉が跳ねた水飛沫や、鷺が空を飛ぶ羽ばたきひとつで、運命などいとも容易く変わってしまうものです」
バタフライ効果を自然と認知している彼の思慮の深さに舌を巻いた。私の知識程度など高が知れている。着いて行っても彼には何の特もない。分かりきっていたが、焦りが渦巻いていた。ここで捨てられたら、私にはもう行く場所がない。頼れる人もいない。光明の如く一筋の希望を与えてくれたこの男から離れたくないという思いがあった。
慄く私の恐怖を知ってか知らずか、諸葛亮は私を共に劉備の元へ連れて行くことに決めたらしい。平伏して感謝する私に彼はどこか淋しげな視線を向けた。
「身元が明らかになってから、態度がいやに変わりましたね」
「今までが無礼だったのです。貴方はこれから天下に名前の知れ渡るお方。私などがどうして気安くいられましょう」
この時代の礼をすると、手が逆だと直された。彼の従者として扱われることになるのだろう、今後は気を引き締めねばなるまい。
「残念です。亮、亮と雛鳥のように着いてくる貴方も中々可愛らしかったのですが」
冗談は止めてよ。これからその雛はお荷物になるんだから。
ある日亮から遠くの市場へ買い物に出掛けるよう言われた。金を渡され、筆を買いにいった。近くにも文房具は売っているというのにどうしたことだろうか。帰ってみると、そこには何やら書き置きがあった。誰か来たのかと聞いてもはぐらかされた。
二度目の外出は彼の同門の出だという、布で顔を隠した男の元へ遣いに出された。書の整理やら片付けやらを手伝っているうちに日が暮れていた。帰るとまたそこには人が訪ねてきた気配が残っていた。亮は相も変わらずしれっとした顔で扇をはためかせている。私はそれが翻る日が近付いていることを何となく察していた。
三度目に客が来たとき私は隣の部屋でその声を聞いていた。三人の男。恰幅の良く荒れた態度の男、上背の高く髭の長い男、そして立派な鎧を身に着けた、目に闘志を宿した男。
「貴方が臥龍か」
そこまで来てやっと思い出した自分の不明を呪った。亮とは諸葛孔明その人だったのだ。目の前に歴史上最も推した男がいるというのに気が付かなかったなんて。
私はどうなるのだろう。この庵に置いて行かれるのだろうか。三人と話し終えた亮改め諸葛亮に縋りつき連れて行ってくれと希った。そこで初めて、未来から来たことを話した。彼の行く末、劉備達の辿る道筋について知っていることも。必死で利になる情報を持っていることをアピールした。ひとまず今後起きる流れを説明しようとすると、諸葛亮はその場で全容を耳に入れることを拒否した。
「鯉が跳ねた水飛沫や、鷺が空を飛ぶ羽ばたきひとつで、運命などいとも容易く変わってしまうものです」
バタフライ効果を自然と認知している彼の思慮の深さに舌を巻いた。私の知識程度など高が知れている。着いて行っても彼には何の特もない。分かりきっていたが、焦りが渦巻いていた。ここで捨てられたら、私にはもう行く場所がない。頼れる人もいない。光明の如く一筋の希望を与えてくれたこの男から離れたくないという思いがあった。
慄く私の恐怖を知ってか知らずか、諸葛亮は私を共に劉備の元へ連れて行くことに決めたらしい。平伏して感謝する私に彼はどこか淋しげな視線を向けた。
「身元が明らかになってから、態度がいやに変わりましたね」
「今までが無礼だったのです。貴方はこれから天下に名前の知れ渡るお方。私などがどうして気安くいられましょう」
この時代の礼をすると、手が逆だと直された。彼の従者として扱われることになるのだろう、今後は気を引き締めねばなるまい。
「残念です。亮、亮と雛鳥のように着いてくる貴方も中々可愛らしかったのですが」
冗談は止めてよ。これからその雛はお荷物になるんだから。
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