宇宙の法則
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「提出せよ」
「・・・・・・・・・・・・」
憮然として襤褸布を机に出すと関羽が頭を抱え、横に立つ妻が笑いを堪えながら扇で顔を隠した。才能も無ければやる気もない。無い無い尽くしで本当は叩きつけたかったところを、今までの恩を思って優しく置いたのだからこれ以上の義理を求めないで欲しい。
「でも旦那様、初めてにしては上出来というものでしょう。努力次第で何とでもなりますわ。ほら、この虎の勇ましいこと」
「虎じゃなくて麒麟です」
「・・・・・・・・・・・・」
フォローした妻が黙ってしまった。苦虫を噛み潰したような顔をする関羽に、その顔をしたいのはこちらだと思った。
関羽が名前に厳しくなったのはいつの日からだったか。ある日部屋に呼び出され、淑女としての嗜みを身につけろと説かれたのが二、三ヶ月前の話である。その後から関羽の妻を講師に戴き、訓戒が始まったのだ。日常の立ち居振る舞いを指摘されるのは有り難かった。詩作や琴の演奏を習うのもまだ教養が増える楽しみがあった。何かが狂いだしたのは儒教の古典書やら歴史書を学ばされたあたりからだ。名前は体を動かすことは得意だが座学とは相容れない。次第にこの授業に疑念を抱くようになっていった。最終的に披露する機会のない裁縫や舞の練習、宮廷における儀礼の作法まで指南を受ける段階になって名前が暴れだしたのも致し方が無いことだった。
何か刺繍して来いと布を渡されて既に投げやりな名前は適当に糸を往復させて意味不明の合成獣を作り出して提出したのだ。もう諦めろと言外に示すつもりだった。
「もう一度機会をやろう。次は丁寧に施すように」
「嫌だ、もうやりません、もう限界無理」
「名前!」
直向きで地に足をつけて劉備に仕える関羽、憧れを抱いていたのはいつまでだったのだろう。名前と関羽の絆は日が浅い。切れて当然の縁だと名前はすたこらさっさと逃げ出したのだった。
「名前、また不貞腐れていたのか」
「劉備殿ぉ」
田畑の端で雑草を抜きながらうじうじしている名前を覗き混んだのは劉備だった。実のところ最近名前の癒やしの場は減っている。第二の父と仰ぐ関羽はあの様、蜀の母と認める諸葛亮は『今は耐える時です。いずれ貴方にも分かる日が来るでしょう』とのらりくらりだ。名前の頼れる人物はいつの間にか張飛と劉備だけになってしまっていた。
何さ、冷たくなっちゃって。
名前は疎外感を禁じ得なかった。
「今度は何をやらかしたんだ?」
「刺繍を命じられたのでこれを」
「これはこれは・・・可愛らしい犬だな」
「麒麟です」
ちゃっかり持ち出していた手巾を示すと、劉備が吹き出したので名前も笑った。麒麟と言い張るにはあまりの出来であることは自分でも分かっていた。関羽も真面目に失望するのでなくこの様に笑い飛ばしてくれれば良かったものを。
農耕から離れて暫く経ってはいるが劉備もまだ懐かしい日々から離れ難いらしく、希に農民に混ざって田畑を耕す時があった。名前も土と交わって実りをもたらすその行為が中々どうして嫌いではなく、共に手を頬を汚して昼夜を過ごすときがあった。ただただ楽しかった。戦乱の世など忘れて永遠に続けばいいのにと思うくらいに。
「気分転換に俺と街でも行くか?」
「待ってました!」
膝を上げて手を払うと、名前の足の下から蚯蚓が這い出てきた。優しく逃がすと『名前らしいな』と言って劉備はまた笑うのだ。
日光を背中に負って輝く劉備が眩しい。彼はこの世の誰でも明るく照らして善の道へ導く、そういう存在だった。
名前はこのままで十分満足だった。これ以上のものなど求めていなかったのである。
「・・・・・・・・・・・・」
憮然として襤褸布を机に出すと関羽が頭を抱え、横に立つ妻が笑いを堪えながら扇で顔を隠した。才能も無ければやる気もない。無い無い尽くしで本当は叩きつけたかったところを、今までの恩を思って優しく置いたのだからこれ以上の義理を求めないで欲しい。
「でも旦那様、初めてにしては上出来というものでしょう。努力次第で何とでもなりますわ。ほら、この虎の勇ましいこと」
「虎じゃなくて麒麟です」
「・・・・・・・・・・・・」
フォローした妻が黙ってしまった。苦虫を噛み潰したような顔をする関羽に、その顔をしたいのはこちらだと思った。
関羽が名前に厳しくなったのはいつの日からだったか。ある日部屋に呼び出され、淑女としての嗜みを身につけろと説かれたのが二、三ヶ月前の話である。その後から関羽の妻を講師に戴き、訓戒が始まったのだ。日常の立ち居振る舞いを指摘されるのは有り難かった。詩作や琴の演奏を習うのもまだ教養が増える楽しみがあった。何かが狂いだしたのは儒教の古典書やら歴史書を学ばされたあたりからだ。名前は体を動かすことは得意だが座学とは相容れない。次第にこの授業に疑念を抱くようになっていった。最終的に披露する機会のない裁縫や舞の練習、宮廷における儀礼の作法まで指南を受ける段階になって名前が暴れだしたのも致し方が無いことだった。
何か刺繍して来いと布を渡されて既に投げやりな名前は適当に糸を往復させて意味不明の合成獣を作り出して提出したのだ。もう諦めろと言外に示すつもりだった。
「もう一度機会をやろう。次は丁寧に施すように」
「嫌だ、もうやりません、もう限界無理」
「名前!」
直向きで地に足をつけて劉備に仕える関羽、憧れを抱いていたのはいつまでだったのだろう。名前と関羽の絆は日が浅い。切れて当然の縁だと名前はすたこらさっさと逃げ出したのだった。
「名前、また不貞腐れていたのか」
「劉備殿ぉ」
田畑の端で雑草を抜きながらうじうじしている名前を覗き混んだのは劉備だった。実のところ最近名前の癒やしの場は減っている。第二の父と仰ぐ関羽はあの様、蜀の母と認める諸葛亮は『今は耐える時です。いずれ貴方にも分かる日が来るでしょう』とのらりくらりだ。名前の頼れる人物はいつの間にか張飛と劉備だけになってしまっていた。
何さ、冷たくなっちゃって。
名前は疎外感を禁じ得なかった。
「今度は何をやらかしたんだ?」
「刺繍を命じられたのでこれを」
「これはこれは・・・可愛らしい犬だな」
「麒麟です」
ちゃっかり持ち出していた手巾を示すと、劉備が吹き出したので名前も笑った。麒麟と言い張るにはあまりの出来であることは自分でも分かっていた。関羽も真面目に失望するのでなくこの様に笑い飛ばしてくれれば良かったものを。
農耕から離れて暫く経ってはいるが劉備もまだ懐かしい日々から離れ難いらしく、希に農民に混ざって田畑を耕す時があった。名前も土と交わって実りをもたらすその行為が中々どうして嫌いではなく、共に手を頬を汚して昼夜を過ごすときがあった。ただただ楽しかった。戦乱の世など忘れて永遠に続けばいいのにと思うくらいに。
「気分転換に俺と街でも行くか?」
「待ってました!」
膝を上げて手を払うと、名前の足の下から蚯蚓が這い出てきた。優しく逃がすと『名前らしいな』と言って劉備はまた笑うのだ。
日光を背中に負って輝く劉備が眩しい。彼はこの世の誰でも明るく照らして善の道へ導く、そういう存在だった。
名前はこのままで十分満足だった。これ以上のものなど求めていなかったのである。
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