手習
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暇だ暇だと騒いでいると意外に読書家であるらしい李典さんが書をくれた。これでも写して字を学べということらしい。
字の方は分からなくもないが話の内容は全く分からないので、書とはまた別に訳文も作った。書の内容をその場で読んでもらい、日本語で訳を記しておく。なるほど記憶の遠くなるほど昔に習った漢文の読み方でできているらしかった。書を写すときにはどこにレ点や一・二点を打てばいいのか、否定がどこに掛かるのか意識して読むようにしていた。
基本的に暇な時間は全て手習いに充てることにした。本当は地理や歴史について学びたいのだが、そもそも学ぶための書が読めないと話にならない。字が読めないのなら口頭で教えてくれる家庭教師をつければいいのだが、用意できる金子も少ない。何よりあまりに魏の内情を探っているように思われるのも、于禁殿に100%信頼されているわけではない今得策でないだろうと思えた。よって李典さんや郭嘉さんに空いている時間に教わりながら、自主学習できるように字を学ぶというのが私に取れる最善だった。
ぽたぽたと墨が垂れる。多過ぎると滲んでしまう。分かってはいるのだがそう慣れるものでもなく、筆の持ち方から腕の構えまでしっちゃかめっちゃかになっている自覚があった。でも読めさえすればいい。誰も咎める人なんていない。それなりに満足していたのだが。
「あの、どうかしましたか」
書簡を持って立ち上がる于禁殿が私の手元を見ている。正直言って恥ずかしいから見ないで欲しい。
于禁殿の字は書体の美如何に理解のない私でも綺麗だと思う。さらさらと何でもないことのように書いているが、丁寧で真っ直ぐ、サイズは同じで等間隔、まるでタイピングされたかのように整然と並んでいる。飾ってある書道のように味のある字ではないものの、読みやすい文を書く人だった。そんな人に自分の滅茶苦茶な字を見られたくはない。
「これは口のように下を閉じるのだ」
「あ・・・」
誤りを指摘されて気付くと、確かに見本と異なっている部分があった。
「こちらは留めるのではなく撥ね」
三行先の字を指定される。そんなスピードで読んだのか。速読にも程がある。
「一本抜かすと異なる字になる」
一つずつ指摘されて上からなぞるように正答を書き込んでいく。非常に有り難い。写しはしても頻繁に会うわけではない李典さんにじっくり見てもらう時間はない。少しずつ直していくと段々元の書体に近づいて行くような気がした。思ったよりも誤っている箇所が多くて冷や冷やした。
「ありがとうございます。自分だと分からないし、見ていただく時間も無くて。とても助かりました」
汚いながらもお手本に近付いたそれを愛しく思って頬が緩む。
(いいとこあるじゃん。やっぱり根は優しいんだね)
全部分かってますとばかりに笑いかけると于禁殿が何やら微妙な顔をした。
「細密な指摘に飽くかと思ったが」
「まさか。全部必要なご指摘でした」
好意を素直に受け取られたことがないのだろうか。面食らった顔が面白い。
「今後も励むと良い」
一言だけ発して席に戻ってしまった。若干照れているような気がする。
「はい!!!」
元体育会系の全力を以て返事をするとまた顔に俄に怒気が篭ったので控える。危ない危ない。
「よっ、調子どうだ?一つ見せてみ」
李典さんがまた顔を出したとき、この前直してもらった部分を清書したものを提出した。
「綺麗に書けてるな」
苦笑しながら言う。絶対にお世辞だ。だがここでやる気を削ぐようなことを言わないのが李典さんの優しさだ。
(青ペン先生に見てもらったからね)
素知らぬ顔で執務を続ける于禁殿の名を出すと何故か怒られる気がしたので、心の中で付け足した。
その日からちょくちょく手習いを見てもらうことが増えた。初対面であんなに処断したがり、更に数ヶ月私にきつく当たっていたのはやはり魏のため曹操様のためを思ってのことだったのだろう。彼の芯は善人だ、それが分かって私は安心した。
「肘を下げると、袖に墨が付く」
ああ、だから書道をする人は肘を上げるのか。
字の方は分からなくもないが話の内容は全く分からないので、書とはまた別に訳文も作った。書の内容をその場で読んでもらい、日本語で訳を記しておく。なるほど記憶の遠くなるほど昔に習った漢文の読み方でできているらしかった。書を写すときにはどこにレ点や一・二点を打てばいいのか、否定がどこに掛かるのか意識して読むようにしていた。
基本的に暇な時間は全て手習いに充てることにした。本当は地理や歴史について学びたいのだが、そもそも学ぶための書が読めないと話にならない。字が読めないのなら口頭で教えてくれる家庭教師をつければいいのだが、用意できる金子も少ない。何よりあまりに魏の内情を探っているように思われるのも、于禁殿に100%信頼されているわけではない今得策でないだろうと思えた。よって李典さんや郭嘉さんに空いている時間に教わりながら、自主学習できるように字を学ぶというのが私に取れる最善だった。
ぽたぽたと墨が垂れる。多過ぎると滲んでしまう。分かってはいるのだがそう慣れるものでもなく、筆の持ち方から腕の構えまでしっちゃかめっちゃかになっている自覚があった。でも読めさえすればいい。誰も咎める人なんていない。それなりに満足していたのだが。
「あの、どうかしましたか」
書簡を持って立ち上がる于禁殿が私の手元を見ている。正直言って恥ずかしいから見ないで欲しい。
于禁殿の字は書体の美如何に理解のない私でも綺麗だと思う。さらさらと何でもないことのように書いているが、丁寧で真っ直ぐ、サイズは同じで等間隔、まるでタイピングされたかのように整然と並んでいる。飾ってある書道のように味のある字ではないものの、読みやすい文を書く人だった。そんな人に自分の滅茶苦茶な字を見られたくはない。
「これは口のように下を閉じるのだ」
「あ・・・」
誤りを指摘されて気付くと、確かに見本と異なっている部分があった。
「こちらは留めるのではなく撥ね」
三行先の字を指定される。そんなスピードで読んだのか。速読にも程がある。
「一本抜かすと異なる字になる」
一つずつ指摘されて上からなぞるように正答を書き込んでいく。非常に有り難い。写しはしても頻繁に会うわけではない李典さんにじっくり見てもらう時間はない。少しずつ直していくと段々元の書体に近づいて行くような気がした。思ったよりも誤っている箇所が多くて冷や冷やした。
「ありがとうございます。自分だと分からないし、見ていただく時間も無くて。とても助かりました」
汚いながらもお手本に近付いたそれを愛しく思って頬が緩む。
(いいとこあるじゃん。やっぱり根は優しいんだね)
全部分かってますとばかりに笑いかけると于禁殿が何やら微妙な顔をした。
「細密な指摘に飽くかと思ったが」
「まさか。全部必要なご指摘でした」
好意を素直に受け取られたことがないのだろうか。面食らった顔が面白い。
「今後も励むと良い」
一言だけ発して席に戻ってしまった。若干照れているような気がする。
「はい!!!」
元体育会系の全力を以て返事をするとまた顔に俄に怒気が篭ったので控える。危ない危ない。
「よっ、調子どうだ?一つ見せてみ」
李典さんがまた顔を出したとき、この前直してもらった部分を清書したものを提出した。
「綺麗に書けてるな」
苦笑しながら言う。絶対にお世辞だ。だがここでやる気を削ぐようなことを言わないのが李典さんの優しさだ。
(青ペン先生に見てもらったからね)
素知らぬ顔で執務を続ける于禁殿の名を出すと何故か怒られる気がしたので、心の中で付け足した。
その日からちょくちょく手習いを見てもらうことが増えた。初対面であんなに処断したがり、更に数ヶ月私にきつく当たっていたのはやはり魏のため曹操様のためを思ってのことだったのだろう。彼の芯は善人だ、それが分かって私は安心した。
「肘を下げると、袖に墨が付く」
ああ、だから書道をする人は肘を上げるのか。
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