戦
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着いてみるとそこは洞窟だった。脳を撹乱する成分の香が焚かれているのか、不思議な匂いがして、頭がくらくらする。
怪しげな道具が置かれ、書が乱雑に床に散らばっている。その中で呪術師は掠れた息をして笑っていた。
「あのとき召喚した女か。魏軍に奪われて弄び損なったわ」
胡乱げに笑う呪術師の背後の壁には黒い染みと鎖、白骨があった。もしかして何人か呼び出して、ここで情報を引き出したのだろうか。ぞっとして濡れた体を押さえると、心が芯から冷たくなっていくようだった。
「どうすれば帰れる」
「さあな」
「言え」
副官が呪術師を尋問し、その手に刀を突き刺した。悲鳴が洞窟に木霊する。両耳を塞いで耐えると、男は震える手で中央にある祭壇を指差した。
祭壇の上に鏡があった。白い光を放ち、見るからに尋常のものではないと分かる。そして、洞窟が反射するはずの面には東京のビル群が映っていた。懐かしい景色。帰るべき場所。
最早その景色は私にとって違和感のあるものとなっていた。私が生まれてから現代で過ごした時間は二十年。過去に来てからは既にその半分が過ぎようとしていた。
ふと、いつの間にかジッパーが開いていたリュックから紙が零れ落ちた。文則がリュックに押し込んだ文だ。中を見ると、いつもは整然と並んでいる字がひしゃげ、所々滲んでぼやけている。だけど生来の読み取りやすさは残っていて、文字は判読できた。
『死生契闊 與子成説
執子之手 與子偕老』
(馬鹿だ)
両目から大きな粒となって涙が零れ落ちた。この詩は私も知っているものだ。荷造りをしながら、どんな気持ちでこれを書いたのだろう。何を思って私を馬に乗せたのだろう。未来に帰ったあと読ませる気だったのか、最後の手紙のつもりで。
鏡を振り返る。虫の息の呪術師の横で、光が弱まっている。筆箱を探し、震える手でペンを取り出した。スマホケースに親の名前、住所、電話番号を書き付けて、リュックに戻す。くたくたになったランニングシューズ。煤けたキャップ。もう殆どインクが出ないペンに、歴史の軌跡が書き記してあるルーズリーフ。底が見えたメイク道具。今はもう使わない保険証と学生証の入った財布。使い古したリュックはもうぼろぼろで、端が解け始めている。みんなみんな、私の宝物だ。
鏡に向かって放り投げると、吸い込まれていくように消えていった。嗚呼、届くだろうか。どうか届いてくれ。
お父さん。お母さん。
親不孝でごめんね。無鉄砲で苦労ばっかりかけてしまったよね。突然居なくなって、心配かけてごめん。
大好きだよ。ずっとずっと忘れないよ。会えなくても心では想っているよ。
どうか見守っていてね。貴方達の娘は、違う世の中でも、信念に従って生きていくから。
だから、許してね。
「刀を貸して下さい」
「何故ですか」
「いいから!」
副官に借りるとずっしりと重い。命の重み。別れには持ってこいの冷たさだ。
鏡の背後に回ると、予想通り何も写っていない普通の裏面だった。
迷いは無い。両手で刀を握る。
そのまま勢いをつけて振りかぶり、鏡を叩き割った。
「何てことを」
呟く副官。粉々になって、光は潰えた。息絶えた呪術師。その中で私は一人夜叉になった。
洞窟を抜けて馬に飛び乗る。降り注ぐ雨に向かって刀を掲げると、轟く雷に刃が煌めいた。驚く兵士に向かって全身全霊で叫ぶ。
「呪術師は死んだ。私は帰らない。樊城へ急ぐぞ!道案内をせよ!」
怪しげな道具が置かれ、書が乱雑に床に散らばっている。その中で呪術師は掠れた息をして笑っていた。
「あのとき召喚した女か。魏軍に奪われて弄び損なったわ」
胡乱げに笑う呪術師の背後の壁には黒い染みと鎖、白骨があった。もしかして何人か呼び出して、ここで情報を引き出したのだろうか。ぞっとして濡れた体を押さえると、心が芯から冷たくなっていくようだった。
「どうすれば帰れる」
「さあな」
「言え」
副官が呪術師を尋問し、その手に刀を突き刺した。悲鳴が洞窟に木霊する。両耳を塞いで耐えると、男は震える手で中央にある祭壇を指差した。
祭壇の上に鏡があった。白い光を放ち、見るからに尋常のものではないと分かる。そして、洞窟が反射するはずの面には東京のビル群が映っていた。懐かしい景色。帰るべき場所。
最早その景色は私にとって違和感のあるものとなっていた。私が生まれてから現代で過ごした時間は二十年。過去に来てからは既にその半分が過ぎようとしていた。
ふと、いつの間にかジッパーが開いていたリュックから紙が零れ落ちた。文則がリュックに押し込んだ文だ。中を見ると、いつもは整然と並んでいる字がひしゃげ、所々滲んでぼやけている。だけど生来の読み取りやすさは残っていて、文字は判読できた。
『死生契闊 與子成説
執子之手 與子偕老』
(馬鹿だ)
両目から大きな粒となって涙が零れ落ちた。この詩は私も知っているものだ。荷造りをしながら、どんな気持ちでこれを書いたのだろう。何を思って私を馬に乗せたのだろう。未来に帰ったあと読ませる気だったのか、最後の手紙のつもりで。
鏡を振り返る。虫の息の呪術師の横で、光が弱まっている。筆箱を探し、震える手でペンを取り出した。スマホケースに親の名前、住所、電話番号を書き付けて、リュックに戻す。くたくたになったランニングシューズ。煤けたキャップ。もう殆どインクが出ないペンに、歴史の軌跡が書き記してあるルーズリーフ。底が見えたメイク道具。今はもう使わない保険証と学生証の入った財布。使い古したリュックはもうぼろぼろで、端が解け始めている。みんなみんな、私の宝物だ。
鏡に向かって放り投げると、吸い込まれていくように消えていった。嗚呼、届くだろうか。どうか届いてくれ。
お父さん。お母さん。
親不孝でごめんね。無鉄砲で苦労ばっかりかけてしまったよね。突然居なくなって、心配かけてごめん。
大好きだよ。ずっとずっと忘れないよ。会えなくても心では想っているよ。
どうか見守っていてね。貴方達の娘は、違う世の中でも、信念に従って生きていくから。
だから、許してね。
「刀を貸して下さい」
「何故ですか」
「いいから!」
副官に借りるとずっしりと重い。命の重み。別れには持ってこいの冷たさだ。
鏡の背後に回ると、予想通り何も写っていない普通の裏面だった。
迷いは無い。両手で刀を握る。
そのまま勢いをつけて振りかぶり、鏡を叩き割った。
「何てことを」
呟く副官。粉々になって、光は潰えた。息絶えた呪術師。その中で私は一人夜叉になった。
洞窟を抜けて馬に飛び乗る。降り注ぐ雨に向かって刀を掲げると、轟く雷に刃が煌めいた。驚く兵士に向かって全身全霊で叫ぶ。
「呪術師は死んだ。私は帰らない。樊城へ急ぐぞ!道案内をせよ!」
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