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一日の授業を終え、放課後になった。クラスの人たちはウキウキとしたような軽い足取りで、友達同士笑い合いながら、教室を出て行く。その浮き足立った雰囲気にさせているのは、もちろん、部活動の仮入部だ。
どんな練習をしているのだろうか、先輩たちは良い人だろうか、そんな事を考えながら、期待を滲ませているように感じた。
「オレらも行こっか」
「あの、やっぱり、私はやめておこうかと」
「え、何で?」
「苦手ですし…」
「大丈夫だって」
三ツ谷君は背中を軽く叩きながら行こうと促して来たので、これ以上断る事が出来なくなり、重たい足取りで家庭科室へ向かった。
教室のドアを開けると騒めいていた室内が瞬時に静まり返った。そして、何故か注目を浴びてしまっている。その数多くの視線が居心地が悪く、右足を半歩下げると後に居た三ツ谷君が両肩に手を置いて「大丈夫」と呟いた。その声に首だけで振り返ると目が合い、三ツ谷君はニッコリと笑った。
「泉さんじゃなくて、見られてるのオレだから」
「え、何でですか?」
「手芸部にこんな不良、来ないでしょ」
「あぁ、そういう事ですか」
私が納得して頷くと、三ツ谷君は「すみません、仮入部したいんですけど。二人」と室内に声を投げた。すると、室内は更に騒めき立った。
奥の方から、いそいそと出てきた女の人が仮入部届の用紙を持って私たちの目の前にやって来た。
「私が手芸部の部長です。これに名前とクラスを記入して下さい」
手渡された用紙にサッと記入してから、部長に渡すと彼女は少しだけ嬉しそうに口角を上げた。
「手芸部は部員が少ないから、新入生が入ってくれると嬉しいな」
そう微笑んだ彼女は大人びていて、同じ中学生とは思えない雰囲気を纏っていた。例えるのなら、花が割れ咲いたような可憐さと美しさがあるように見えた。素直に笑顔が綺麗だと思い、見惚れてしまった。
私もいつか、こんな綺麗な笑顔を出せる日が来るのだろうか。
部長の見様見真似で、口角をふんわりと上げて、キュッと目を細めてみる。私の中では完璧に真似出来ているつもりだった。
その顔で部長を見てみると、彼女は驚いたように目を見開いた。
「大丈夫?具合悪い?」
「えっ?」
「保健室まで連れ添おうか?それとも、先にお手洗い行く?」
部長は心配そうに顔を覗き込み、背中を優しく摩ってくれた。
初対面の自分に優しく手を差し伸べてくれる事に胸が暖かくなる一方、少し悲しくもある。
素敵な笑顔をと真似して、自分では上手く出来たと思った矢先、まさか嘔吐しそうな表情に見えているとは予想外だった。
「…無念です」
そうボソッと呟くと、全ての様子を隣で見ていたであろう、三ツ谷君が吹き出した。口元を右手で抑え、肩をプルプルと震わせて必死に笑いを堪えていた。
そんな三ツ谷君を尻目に部長に「大丈夫です」と答えると、彼女は安心したようにまた綺麗な笑顔で微笑んだ。
「じゃあ、そこに座ってて」
部長は右端にあるテーブルを指差してから、その場を離れた。
その隙に三ツ谷君の腕を肘で軽く小突いて「笑いすぎです」と言えば、更に肩を震わせた。
「ごめ…っ、だって…!」
息たえたえで謝罪をして来る三ツ谷君をジト目で見ても、彼はその視線に気が付かずに笑い続けた。
小さくため息をついて、部長に座っていてと言われたテーブルの方へ向かい、椅子に座ると後に続いて三ツ谷君も隣に座った。
「泉さんさ、なんであんな顔したの?」
「三ツ谷君も見ましたよね。あの先輩の綺麗な笑顔」
「見たけど、オレは別に何とも思わなかった」
「嘘ですよ」
「嘘じゃないって。オレは、泉さんの方がいいし」
「はい?能面の方がいいんですか?」
そう言えば、三ツ谷君は平安時代ら辺の顔が好みらしいし、本当に人と趣味がズレているのかもしれない。隣に居る三ツ谷君を見ると、何故か苦笑いを浮かべていた。
「…まぁ、アレだ。無理しなくていいよって事を言いたかったんだよ。ゆっくり、一歩ずつステップ踏んでこ」
「…はい」
釈然とはしないが、急いだからって直ぐに結果が出るワケではないし、三ツ谷君の言う通りだ。ゆっくりと一歩ずつ進んでいく方が私には合っているような気もする。
部長が私たちの元へ布と裁縫道具を持って戻って来た。
「今日は仮入部だから、基本的な事を教えようと思うんだけど、二人は裁縫の経験はある?」
「ありません」
「オレは、一応」
「じゃあ、三ツ谷君は他の部員と一緒でもいいかな。基礎中の基礎しかやらないから、退屈だろうし、向こうでミシン使ったりしてていいよ」
「分かりました」
三ツ谷君は椅子から立ち上がり、少し楽しそうに表情を柔らかくして別のテーブルに行ってしまった。
部長と二人きりになり、少し緊張してしまう。
でも、部長は凄く優しくて丁寧に基本の波縫い、ぐし縫、半返し縫い、本返し縫い、流しまつり縫い、縦まつり縫い、千鳥がけ、かがり縫いの八種類を教えてくれた。
丁寧でわかりやすいのだけれど、私の手先は不器用すぎてどうも上手くいかない。不器用レースがあったら、ぶっちぎりでトップを独走出来るレベルだ。
何一つ、器用に出来ない私と何でも器用に出来る先輩。何だか、凄く眩しく見えた。
部長は「少し休憩しよっか」と笑って、席を立った。部員たちの元へ行く部長の凛とした背中を見ながら、私もああなりたいと心の底から思った。
今の私では月とすっぽんだけれども、いつか、能面を卒業出来た時、あんな人になりたいと言う密かな目標が出来た。明確な目標が出来た事で、前よりも頑張れる気がした。
「どう?上手く出来た?」
休憩になったからか、私の元へ戻って来て声を掛けに来てくれた三ツ谷君に首を横に振ると、手元にあった練習した布を覗き込んで来た。
ガタガタの縫い目のお世辞にも綺麗とは言えない代物を見られたくなくて、手でパッと隠すが、もう既にバッチリと見られてしまっていたようで「教えるよ」と笑って、隣に座った。
「貸してみ」
手を出して来る三ツ谷君に布と針を手渡すと、彼は器用にチクチクと布を縫い始め、仕上がったのは私のとは全く違う、真っ直ぐで均等に連なる縫い目だった。
感心しながら、布を見つめていると「やってみて」と布と針を返されて、それを受け取りかがり縫いをしてみるが、やはり三ツ谷君のように上手くは出来ない。
経験を積まないとダメなのかもしれないと思っていると、三ツ谷君は距離をグッと詰めて私の手元を覗き込んだ。
「そこ、こうした方がいいよ」
「こう、ですか?」
「そうそう。上手い上手い」
教えてくれたのでお礼を言おうと顔を上げて横を見ると、思った以上に顔の距離が近くて、お互いの鼻先がぶつかりそうになってしまった。
三ツ谷君は慌てて顔を逸らして「悪ぃ」と反対側を向いてしまった。
「こちらこそ、すみません」
謝罪を口にすると何故か妙に心臓がザワザワとするような、鼓動が速くなっていくような気がした。
これは、一体なんだろう。まさか、不整脈?動悸もするし、心不全か。いやいや、流石にこの歳で違うよなと一人ごちた。
とにかく落ち着かなくて、それを振り払うかのようにかぶりを振ってから、誤魔化すように再度縫い始めた。
三ツ谷君のアドバイス通りにやってみると、さっきよりか断然綺麗に出来た気がして、嬉しくなり、頬が緩んだ。
「泉さん、嬉しそうだね」
「分かりますか?」
「そりゃ、分かるよ。言ったじゃん。小さな変化もすぐ気付くようにちゃんと見てるって」
約束通り、ちゃんと自分を見て、小さな変化にも気が付いてくれる事に嬉しく思いつつも、またよく分からない胸の締め付けが襲い、ザワザワとして鼓動が速くなる。
やっぱり、不整脈かもしれない。
「…健診行った方がいいかも」
「は?何でいきなり、健診?」
「いえ、何でもないです」
三ツ谷君は不思議そうに首を傾げて私を見ていた。
休憩が終わり、部長が戻って来て、部活が再開された。
この短時間で成長した私の手先に部長は感心しながら、褒めてくれた。能面の私にこんな風に優しい笑顔を向けてくれた事が嬉しくて、心臓がトクトクと鳴った気がした。
もしかしたら、さっきの鼓動の速さは今のように嬉しかったのかと思ったが、今のとはまた少し違うような気もして、心の中が霧のようにモヤモヤとし始めた。
出口の見えない真っ白で分厚い霧に覆われたような感覚が少し怖く感じた。
モヤモヤを抱えたまま、仮入部の時間が終わり、部長にお礼を言って、正式な部員よりも一足先に帰る事になった。
三ツ谷君と一緒に帰路に着きながら、手芸部の話をしていると、彼は「どう?楽しかった?」と硬い声で聞いて来た。
「はい、楽しかったです。苦手なモノが出来るようになるって嬉しいですね」
「良かった」
今度は先程とは変わって、柔らかい声で安心したかのように笑っていた。
「入部する?」
「今日、家に帰ってから両親に相談してみようと思います」
「あぁ、そっか。塾とかもあるもんな」
「はい。でも、目標も出来ましたし、手芸部に入りたいです」
「目標って?」
「…秘密です」
「えー、逆に気になるんだけど」
「まだ、月とすっぽんのすっぽん側なので」
「は?」
「いつか、月になってみせます」
三ツ谷君は困惑したかのように眉間にシワを寄せていた。
気が付けば、もう既に私の家の前まで来ていた。ここまで帰り道が一緒なら、意外とご近所さんなのかもしれないと考えながら、「私の家、ここなので」と言うと、三ツ谷君は「あ、そうなんだ」と言ってから、また明日と手を振った。
ぺこりと頭を下げてから三ツ谷君と別れ、玄関を開けてから、今日のお礼を言っていない事に気が付き、慌てて外に戻り、三ツ谷君の遠ざかる背中に声を掛けようとすると、三ツ谷君は今歩いて来た道を戻っている事に気が付いた。
本当は近所ではなく、全くの逆方向だったのにも関わらず、一緒に帰っていたようだった。
どうして?と疑問に思うが、それは声にはならなかった。
まさか、家まで送ってくれたとか、そういう事なのかという考えが脳裏を過ぎると、心臓がギュッと握り潰されるかのような感覚と一緒にまた鼓動が速くなった。
夕日のオレンジに向かって歩く、三ツ谷君の背中をオレンジ色に溶けて消えてしまうまで、ずっと眺めていた。
どんな練習をしているのだろうか、先輩たちは良い人だろうか、そんな事を考えながら、期待を滲ませているように感じた。
「オレらも行こっか」
「あの、やっぱり、私はやめておこうかと」
「え、何で?」
「苦手ですし…」
「大丈夫だって」
三ツ谷君は背中を軽く叩きながら行こうと促して来たので、これ以上断る事が出来なくなり、重たい足取りで家庭科室へ向かった。
教室のドアを開けると騒めいていた室内が瞬時に静まり返った。そして、何故か注目を浴びてしまっている。その数多くの視線が居心地が悪く、右足を半歩下げると後に居た三ツ谷君が両肩に手を置いて「大丈夫」と呟いた。その声に首だけで振り返ると目が合い、三ツ谷君はニッコリと笑った。
「泉さんじゃなくて、見られてるのオレだから」
「え、何でですか?」
「手芸部にこんな不良、来ないでしょ」
「あぁ、そういう事ですか」
私が納得して頷くと、三ツ谷君は「すみません、仮入部したいんですけど。二人」と室内に声を投げた。すると、室内は更に騒めき立った。
奥の方から、いそいそと出てきた女の人が仮入部届の用紙を持って私たちの目の前にやって来た。
「私が手芸部の部長です。これに名前とクラスを記入して下さい」
手渡された用紙にサッと記入してから、部長に渡すと彼女は少しだけ嬉しそうに口角を上げた。
「手芸部は部員が少ないから、新入生が入ってくれると嬉しいな」
そう微笑んだ彼女は大人びていて、同じ中学生とは思えない雰囲気を纏っていた。例えるのなら、花が割れ咲いたような可憐さと美しさがあるように見えた。素直に笑顔が綺麗だと思い、見惚れてしまった。
私もいつか、こんな綺麗な笑顔を出せる日が来るのだろうか。
部長の見様見真似で、口角をふんわりと上げて、キュッと目を細めてみる。私の中では完璧に真似出来ているつもりだった。
その顔で部長を見てみると、彼女は驚いたように目を見開いた。
「大丈夫?具合悪い?」
「えっ?」
「保健室まで連れ添おうか?それとも、先にお手洗い行く?」
部長は心配そうに顔を覗き込み、背中を優しく摩ってくれた。
初対面の自分に優しく手を差し伸べてくれる事に胸が暖かくなる一方、少し悲しくもある。
素敵な笑顔をと真似して、自分では上手く出来たと思った矢先、まさか嘔吐しそうな表情に見えているとは予想外だった。
「…無念です」
そうボソッと呟くと、全ての様子を隣で見ていたであろう、三ツ谷君が吹き出した。口元を右手で抑え、肩をプルプルと震わせて必死に笑いを堪えていた。
そんな三ツ谷君を尻目に部長に「大丈夫です」と答えると、彼女は安心したようにまた綺麗な笑顔で微笑んだ。
「じゃあ、そこに座ってて」
部長は右端にあるテーブルを指差してから、その場を離れた。
その隙に三ツ谷君の腕を肘で軽く小突いて「笑いすぎです」と言えば、更に肩を震わせた。
「ごめ…っ、だって…!」
息たえたえで謝罪をして来る三ツ谷君をジト目で見ても、彼はその視線に気が付かずに笑い続けた。
小さくため息をついて、部長に座っていてと言われたテーブルの方へ向かい、椅子に座ると後に続いて三ツ谷君も隣に座った。
「泉さんさ、なんであんな顔したの?」
「三ツ谷君も見ましたよね。あの先輩の綺麗な笑顔」
「見たけど、オレは別に何とも思わなかった」
「嘘ですよ」
「嘘じゃないって。オレは、泉さんの方がいいし」
「はい?能面の方がいいんですか?」
そう言えば、三ツ谷君は平安時代ら辺の顔が好みらしいし、本当に人と趣味がズレているのかもしれない。隣に居る三ツ谷君を見ると、何故か苦笑いを浮かべていた。
「…まぁ、アレだ。無理しなくていいよって事を言いたかったんだよ。ゆっくり、一歩ずつステップ踏んでこ」
「…はい」
釈然とはしないが、急いだからって直ぐに結果が出るワケではないし、三ツ谷君の言う通りだ。ゆっくりと一歩ずつ進んでいく方が私には合っているような気もする。
部長が私たちの元へ布と裁縫道具を持って戻って来た。
「今日は仮入部だから、基本的な事を教えようと思うんだけど、二人は裁縫の経験はある?」
「ありません」
「オレは、一応」
「じゃあ、三ツ谷君は他の部員と一緒でもいいかな。基礎中の基礎しかやらないから、退屈だろうし、向こうでミシン使ったりしてていいよ」
「分かりました」
三ツ谷君は椅子から立ち上がり、少し楽しそうに表情を柔らかくして別のテーブルに行ってしまった。
部長と二人きりになり、少し緊張してしまう。
でも、部長は凄く優しくて丁寧に基本の波縫い、ぐし縫、半返し縫い、本返し縫い、流しまつり縫い、縦まつり縫い、千鳥がけ、かがり縫いの八種類を教えてくれた。
丁寧でわかりやすいのだけれど、私の手先は不器用すぎてどうも上手くいかない。不器用レースがあったら、ぶっちぎりでトップを独走出来るレベルだ。
何一つ、器用に出来ない私と何でも器用に出来る先輩。何だか、凄く眩しく見えた。
部長は「少し休憩しよっか」と笑って、席を立った。部員たちの元へ行く部長の凛とした背中を見ながら、私もああなりたいと心の底から思った。
今の私では月とすっぽんだけれども、いつか、能面を卒業出来た時、あんな人になりたいと言う密かな目標が出来た。明確な目標が出来た事で、前よりも頑張れる気がした。
「どう?上手く出来た?」
休憩になったからか、私の元へ戻って来て声を掛けに来てくれた三ツ谷君に首を横に振ると、手元にあった練習した布を覗き込んで来た。
ガタガタの縫い目のお世辞にも綺麗とは言えない代物を見られたくなくて、手でパッと隠すが、もう既にバッチリと見られてしまっていたようで「教えるよ」と笑って、隣に座った。
「貸してみ」
手を出して来る三ツ谷君に布と針を手渡すと、彼は器用にチクチクと布を縫い始め、仕上がったのは私のとは全く違う、真っ直ぐで均等に連なる縫い目だった。
感心しながら、布を見つめていると「やってみて」と布と針を返されて、それを受け取りかがり縫いをしてみるが、やはり三ツ谷君のように上手くは出来ない。
経験を積まないとダメなのかもしれないと思っていると、三ツ谷君は距離をグッと詰めて私の手元を覗き込んだ。
「そこ、こうした方がいいよ」
「こう、ですか?」
「そうそう。上手い上手い」
教えてくれたのでお礼を言おうと顔を上げて横を見ると、思った以上に顔の距離が近くて、お互いの鼻先がぶつかりそうになってしまった。
三ツ谷君は慌てて顔を逸らして「悪ぃ」と反対側を向いてしまった。
「こちらこそ、すみません」
謝罪を口にすると何故か妙に心臓がザワザワとするような、鼓動が速くなっていくような気がした。
これは、一体なんだろう。まさか、不整脈?動悸もするし、心不全か。いやいや、流石にこの歳で違うよなと一人ごちた。
とにかく落ち着かなくて、それを振り払うかのようにかぶりを振ってから、誤魔化すように再度縫い始めた。
三ツ谷君のアドバイス通りにやってみると、さっきよりか断然綺麗に出来た気がして、嬉しくなり、頬が緩んだ。
「泉さん、嬉しそうだね」
「分かりますか?」
「そりゃ、分かるよ。言ったじゃん。小さな変化もすぐ気付くようにちゃんと見てるって」
約束通り、ちゃんと自分を見て、小さな変化にも気が付いてくれる事に嬉しく思いつつも、またよく分からない胸の締め付けが襲い、ザワザワとして鼓動が速くなる。
やっぱり、不整脈かもしれない。
「…健診行った方がいいかも」
「は?何でいきなり、健診?」
「いえ、何でもないです」
三ツ谷君は不思議そうに首を傾げて私を見ていた。
休憩が終わり、部長が戻って来て、部活が再開された。
この短時間で成長した私の手先に部長は感心しながら、褒めてくれた。能面の私にこんな風に優しい笑顔を向けてくれた事が嬉しくて、心臓がトクトクと鳴った気がした。
もしかしたら、さっきの鼓動の速さは今のように嬉しかったのかと思ったが、今のとはまた少し違うような気もして、心の中が霧のようにモヤモヤとし始めた。
出口の見えない真っ白で分厚い霧に覆われたような感覚が少し怖く感じた。
モヤモヤを抱えたまま、仮入部の時間が終わり、部長にお礼を言って、正式な部員よりも一足先に帰る事になった。
三ツ谷君と一緒に帰路に着きながら、手芸部の話をしていると、彼は「どう?楽しかった?」と硬い声で聞いて来た。
「はい、楽しかったです。苦手なモノが出来るようになるって嬉しいですね」
「良かった」
今度は先程とは変わって、柔らかい声で安心したかのように笑っていた。
「入部する?」
「今日、家に帰ってから両親に相談してみようと思います」
「あぁ、そっか。塾とかもあるもんな」
「はい。でも、目標も出来ましたし、手芸部に入りたいです」
「目標って?」
「…秘密です」
「えー、逆に気になるんだけど」
「まだ、月とすっぽんのすっぽん側なので」
「は?」
「いつか、月になってみせます」
三ツ谷君は困惑したかのように眉間にシワを寄せていた。
気が付けば、もう既に私の家の前まで来ていた。ここまで帰り道が一緒なら、意外とご近所さんなのかもしれないと考えながら、「私の家、ここなので」と言うと、三ツ谷君は「あ、そうなんだ」と言ってから、また明日と手を振った。
ぺこりと頭を下げてから三ツ谷君と別れ、玄関を開けてから、今日のお礼を言っていない事に気が付き、慌てて外に戻り、三ツ谷君の遠ざかる背中に声を掛けようとすると、三ツ谷君は今歩いて来た道を戻っている事に気が付いた。
本当は近所ではなく、全くの逆方向だったのにも関わらず、一緒に帰っていたようだった。
どうして?と疑問に思うが、それは声にはならなかった。
まさか、家まで送ってくれたとか、そういう事なのかという考えが脳裏を過ぎると、心臓がギュッと握り潰されるかのような感覚と一緒にまた鼓動が速くなった。
夕日のオレンジに向かって歩く、三ツ谷君の背中をオレンジ色に溶けて消えてしまうまで、ずっと眺めていた。