コントラスト
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カーテンの隙間から漏れる陽光が眩しくて目を覚ます。ベットから出て、カーテンの隙間をぴっちりと閉め直して陽光を遮断させると、部屋はまた薄暗くなった。
このくらいの暗さが好きだ。まるで、自分の心の色を表しているようで気持ちが落ち着く。薄暗くて、じっとりとしていて、どんよりと重く灰色の世界。
普段の私は、職場や中学以降の友人の前ではそんな素振りは一切見せない。陰なんて感じさせない、陽の人間を演じている。だけど、一人の時は陽の自分は跡形もなく消えて、陰に飲み込まれていく。
そうなってしまったのは、十二年前。心から愛していた人と、別れを告げた時からだ。
小学校から一緒だったけれど、初めて話したのは中学校に入ってからだった。小学校の時の彼は、大人しそうで育ちの良さそうな服を着て、坊ちゃんのような髪型をして無機質な笑顔でニコニコと笑っていた。
だけど、中学に上がると同時に髪型はパンチパーマになって、服装はゴテゴテの柄シャツという、如何にも不良という見てくれになっていた。
前に街で彼を見かけた時、彼の顔にはニコニコとした笑みはなく、狂気に満ちた目で人を睨み付け、薄い笑みを浮かべて容赦なく人を殴っていた。その表情に落ちた陰。その姿がどことなく、私と似ているのではないかと思って、興味が湧いた。
中学校での彼は少し浮いていた。パンチのある見た目に加えて、気に入らなければ問答無用でタコ殴り。好き勝手暴れる彼に近寄る人間はあまり居なかったように記憶している。
そんな彼に私が話しかけた時は、ぱっちりとした大きい瞳を更に見開き、驚いていた。
「羽宮君、変わったね」
その言葉に彼は不快そうに顔を顰めて睨み付けてきたので、慌てて否定をした。
「ごめん、褒めたつもりだったの。そっちの方がいいよって」
彼は、また驚いたように今度は口まで開けていた。不良の見た目が好きとかそういう意味で言ったわけではないのに、凄く嬉しそうに笑って「オマエ、見た目地味なのにこーゆーの好きなんだ」と言った。
あの頃のような無機質な笑顔じゃない顔を見れて、嬉しかったのとサラッと地味と悪口を言われた上に勘違いしている彼が面白くて、私も彼と同じように笑った。
私には自分を変える勇気もない。こんなに大胆に自分を変えれるなんて素直に凄いって、羨ましいって思った。今思うと、もうその時から既に彼に惹かれていたんだ。
思い出すと、甘く切ない恋心がじんわりと心臓を蝕んでいく。
あのキラキラとした思い出達は、いつだって私を惨めにさせる。あんなにも輝いていた数ヶ月は幻のようで、愛おしくも悲しくもあった。
✳︎
彼を思い出す日はいつも、空は淀んでいた。そんな日に出掛けるのが好きだった。厚い雲に覆われて太陽の光が届かず、綺麗な青は隠れている薄暗い空が好きだ。
そんな暗い空の下、一人で渋谷の街をフラフラと歩く。昔、彼と一緒に行った、ゲームセンターやショッピングモール。どれもこれもこの十二年で潰れてしまったり、別の建物が立っていたりと十二年という時が思い出まで奪っていくような気がして胸が握り潰されるように痛くなった。
彼と最後に会ったのは、彼が少年院から出てきた日だった。二年間、会えなくて寂しくて。でも、私の気持ちが変わる事なんて全くなくて、ただひたすら、また会えるのが待ち遠しかった。
きっと会えたら、彼も私と同じ気持ちだと、再会を喜んでくれるものだと、勝手に思っていた。だけど、私はあの日の夜、彼に拒絶された。二度と関わるな、近づいたら例え、オマエでも殺す。そう告げられた。もうあの頃のオレじゃないと言った言葉が胸を締めつけた。もうあの頃の二人には戻れないと、戻るつもりはないと分かり、何も言えなかった。
一言も言葉を交わせないまま、一方的に投げつけられた三つの言葉達は私の心を壊すには十分だった。
最初の数年は諦めようと、忘れようとして他の男の人と付き合ってみたりもしたけれど、上手くいかなかった。心のどこかで彼と比べては悲しくなってしまっていた。そのうち、忘れることも諦めて、ただぼんやりと過ごしていた。
だけど、一ヶ月前に開催された中学の同窓会に参加した時、元クラスメイト達が噂していた話を聞いて、あの頃の感情が蘇ってしまった。
クラスメイト達は、羽宮一虎が出所しているらしいと言った。私たちの関係を知っていたかつての友人達は「会ったの?前、付き合ってたよね?」と再三聞かれたが、その度にかぶりを振った。そして、決まって「その方がいいよ、だって人殺しでしょ?」と言われる。
アンタらに一虎の何が分かる、と喉まで出かかっては飲み込む。それを何度も繰り返した。実際、私だって彼の事を何も分かっていないのだから、言えるはずもなかった。
こんな所、来なければよかった。そんな事ばかり考えていたが、一つだけ、来てよかったと思えたことがあった。
同じクラスだった女の子が「そういえば、XJランドっていうペットショップで働いているの見たよ」という一言だった。
瞬時に思ったのが、会いたいだった。そこに行けば会えるかもしれないと舞い上がったものの、家に帰ってから冷静になると、あの時みたいに拒絶されるかもしれないという考えが頭の中を占めて、一ヶ月間、会いに行けなかった。
私の好きな、どんよりとした天気の今日なら勇気を出していけるのではないかと思い、家を出たのはいいものの、臆病な私は真っ直ぐに足を向けることは出来ず、フラフラと思い出を巡るだけになってしまっていた。
寄り道をしながらも少しずつペットショップに近づき、その度に緊張と不安で胃がキリキリと痛み出していた。覚束ない足取りでも、歩けば当然距離は縮む。ついに、XJランドの看板が見えて来てしまった。
緊張で足は震え、気分も悪くなってくる。ソレらを抑えて一歩ずつお店に近づいて、窓ガラスから中を覗けば黒髪の男の人しか居らず、その顔は彼ではなかった。一気に安堵に襲われ、深いため息を吐いた。
一応、本当にここで働いているかだけでも確かめようと、自動ドアを開けて店内へ入った。ドアの開いた音で気が付いた店員さんは、笑顔で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。
店内を見るわけでもなく、ただ黙って立ち尽くす私を不思議に思ったのか、店員さんは「何かお探しですか」と声をかけてくれた。
「あの、一虎って居ますか?」
小さな声でボソボソと言ってしまい、聞こえたかどうかは定かではないが、彼は驚いたように目を見開いていた。
「いや、流石に虎はいないっスね。日本じゃ、虎は特定動物に指定されていますし、かなり厳しい基準をクリアして都知事の許可を得ないと飼えないですよ」
「え?あ、いや、虎じゃなくて…」
「じゃなくて?」
「羽宮一虎、居ますか?」
店員さんは更に目を大きくして、私を凝視した。
「一虎クンが何かしでかしましたか?」
「は?」
「お客様に失礼な態度を取りましたか?違う商品をお渡ししてしまいましたか?それとも、また適当な事でも言いましたか?」
まるでマシンガンのように彼の失態をいう店員さんに圧倒される。また、と言うことは前にも同じようなクレームでも入ったのだろうか。そんなに仕事出来ない人間なのかと心の中で思う。
「いえ、お客ではなくて、一虎とは中学の時の知り合いなんですけど、ここで働いているって話を聞いて来てみたんですけど…」
「えっ!?一虎クンを訪ねて来る友達なんて居たんスか?」
今度はこぼれ落ちそうなくらいに目を開いて、私を見つめた。そんなに驚くような事なのか、彼がオーバーリアクションなのかは分からないが、ここに彼が勤めているという事は確かなようなので、今日はそれだけで大きな収穫だ。
「今日はもう帰ります。ありがとうございました」
店員さんに頭を下げて、帰ろうとすると彼は私の右手を掴んで引き止めた。
「一虎クン、もう少しで帰って来るんで待っててあげてください」
あまりにも真剣な表情で言われてしまい、何も言えなくなってしまった。お互い黙り合って、探るように視線だけを絡ませていると、自動ドアが開く音が聞こえ、足音とともに「千冬ー、頼まれてたの買ってきたぞ」と懐かしい声が後ろから聞こえて来た。
昔より低くなって大人を感じさせる声。その声を聞いたら、振り向かずには居られなかった。
振り向けば、ずっとずっと会いたかった人の姿がそこにはあった。
私の顔を見るなり、彼の表情は固まってしまった。頬を引き攣らせて、小さな声で私の名前を呼ぶ。スっと視線を逸らして下を向いてしまう。一虎は私に会いたくなったのだろうかと不安だけが募り、胸が痛くなる。
「何で、オマエが千冬と…」
千冬とは、この店員さんの事だろうか。一虎の視線の先を辿ると私と店員さんの繋がれた手だった。店員さんもその視線で気が付いたのか、「あ、いつまでも、すみません」と申し訳なさそうにしながら、掴んでいた手を離した。
「あー、一虎クン。誤解しないで下さいね。アンタの為に引き止めてただけなんで」
「引き止めてた…?」
「友達の居ないアンタに会いに来てくれるなんて、この人くらいでしょ」
「友達の居ねぇって、テメェはいつも一言余計なんだよ」
「ハイハイ。今日はもうこのまま上がっていいんで」
「はっ?」
「じゃ、お疲れ様でした」
店員さんは私に一度、ぺこりと頭を下げてから奥の部屋に引っ込んでしまった。
取り残された私たちは、どうしたらいいか分からず無言のまま俯いてしまう。
「外、行くか」
「うん…」
歯切れの悪い彼は、頭をガシガシと掻きながら店の外を指さしていたので頷くと歩き出したので彼の後ろを着いていく。
あの日のように会った瞬間に拒絶されずに済んだ事にはホッと胸を撫で下ろした。
あの頃より伸びた背と髪。黒と金のメッシュは変わらないけれど、伸ばした髪はお団子で綺麗に括られている。後ろから見ただけなら、彼とは気付かないかもしれない。十二年の時の流れを改めて痛感した。
「ここでいいか?」
「あ、うん」
一虎が指さした先は公園というほどでもない、ベンチがあるだけの小さな空き地のような空間だった。空き地に足を踏み入れ、寂しそうにぽつんと置かれたベンチに並んで腰掛ける。
腰掛けた時の二人の間に出来た隙間が遠く感じて、虚しくなってしまった。何から話していいか分からず、俯いて膝の上にある握りしめた拳を見つめた。
「何で、いきなり会いになんて来たんだよ」
「…ゴメン」
「いや、そうじゃねぇよな…。名前」
名前を呼ばれたので俯いていた顔をゆっくりとあげると、一虎は言いづらそうに口をモゴモゴとさせ、視線を彷徨わせていた。不意に目が合うと、今度はそらさずに真っ直ぐに見つめた。
「あの時は、ゴメン。ずっと謝りたかった。あの日もこうやって会いに来てくれたのに、オレはオマエを傷付けた」
「…あの日、本当は言いたい事があったのに言えなかった。その事、ずっと後悔してた」
あの日の後悔をお互い清算するかのように、想いを口にしていく。ずっと後悔していた。あの日、一虎が言った「二度と関わるな、例えオマエでも近づいたら殺す。もうあの頃のオレじゃない」の言葉。その言葉に返したい言葉は私の中に確かにあったのに、言えなかった。過去に縛られ、この悔しさを胸に生きていくのはもう終わりにしたい。前にちゃんと進みたい。
「あの日、私に言った言葉、覚えてる?」
「…忘れられる訳ねぇよ」
「私、一虎の為なら死んでもいいよ」
静かに告げると、一虎は驚いたように目を見開いた。その表情は初めて私が話しかけた時と同じ表情で、何も変わっていなかった。少しずつ、時が巻き戻っていくような気がした。
「本当はあの時、そう言いたかったんだ」
当時の私には好きだとか、愛してるだとかそんな言葉を超えた感情を言い表すにはそんな言葉しか浮かばなかった。死んでもいいから、キミの傍に行かせてって言いたかった。
だけど、無機質な表情の中に悲しみに色を含んだ瞳を見たら、言えなかった。
一虎の首にある刺青にそっと触れる。昔と変わらない彼の暖かさが指から伝わって来る。入れたての頃、首に触れて「痛かった?」と聞いた時、痛みを思い出したのか瞳を潤ませて顔を歪めていた。今、その表情をしている。瞳を揺らして何かを堪えるよな表情だ。
一虎は私の両肩を掴んで、俯きながら消え入りそうな声で「オマエには、死んで欲しくねぇ」と呟いた。その瞬間、私の頬を暖かいモノが伝った。
「じゃあ、私と一緒に生きてよ」
ゆっくりと顔を上げた一虎も私と同じように頬を濡らしていた。濡れた頬を拭うように人差し指で触れて「一虎、大好き」と微笑めば、彼は右腕を私の首に回してグッと引き寄せた。ピッタリとくっ付いた胸からは彼の心地良い鼓動が伝わって来る。ぎこちなく近づく顔に胸が小さく跳ねる。顔が傾けられ、大きな瞳が伏せたのと同時に私も瞳を伏せる。唇には暖かで柔らかい感触が伝わった。
鼻先が触れるか触れないかの距離まで顔を離した。あの頃と変わらない仕草。オレのモンだと言うように、右腕で首を抱き寄せる所もキスした後に鼻先が触れるか触れないかの距離で見つめ合う所も昔のままだ。
まるで、あの頃に戻れたようだった。
瞬きをして瞳に溜まった涙を溢すと、モノクロのような味気ない世界がキラキラと輝き始めた。
灰色の薄暗い空は消えて、青々とした輝かしい空に変わっていた。今なら、この空も好きになれそうだ。
このくらいの暗さが好きだ。まるで、自分の心の色を表しているようで気持ちが落ち着く。薄暗くて、じっとりとしていて、どんよりと重く灰色の世界。
普段の私は、職場や中学以降の友人の前ではそんな素振りは一切見せない。陰なんて感じさせない、陽の人間を演じている。だけど、一人の時は陽の自分は跡形もなく消えて、陰に飲み込まれていく。
そうなってしまったのは、十二年前。心から愛していた人と、別れを告げた時からだ。
小学校から一緒だったけれど、初めて話したのは中学校に入ってからだった。小学校の時の彼は、大人しそうで育ちの良さそうな服を着て、坊ちゃんのような髪型をして無機質な笑顔でニコニコと笑っていた。
だけど、中学に上がると同時に髪型はパンチパーマになって、服装はゴテゴテの柄シャツという、如何にも不良という見てくれになっていた。
前に街で彼を見かけた時、彼の顔にはニコニコとした笑みはなく、狂気に満ちた目で人を睨み付け、薄い笑みを浮かべて容赦なく人を殴っていた。その表情に落ちた陰。その姿がどことなく、私と似ているのではないかと思って、興味が湧いた。
中学校での彼は少し浮いていた。パンチのある見た目に加えて、気に入らなければ問答無用でタコ殴り。好き勝手暴れる彼に近寄る人間はあまり居なかったように記憶している。
そんな彼に私が話しかけた時は、ぱっちりとした大きい瞳を更に見開き、驚いていた。
「羽宮君、変わったね」
その言葉に彼は不快そうに顔を顰めて睨み付けてきたので、慌てて否定をした。
「ごめん、褒めたつもりだったの。そっちの方がいいよって」
彼は、また驚いたように今度は口まで開けていた。不良の見た目が好きとかそういう意味で言ったわけではないのに、凄く嬉しそうに笑って「オマエ、見た目地味なのにこーゆーの好きなんだ」と言った。
あの頃のような無機質な笑顔じゃない顔を見れて、嬉しかったのとサラッと地味と悪口を言われた上に勘違いしている彼が面白くて、私も彼と同じように笑った。
私には自分を変える勇気もない。こんなに大胆に自分を変えれるなんて素直に凄いって、羨ましいって思った。今思うと、もうその時から既に彼に惹かれていたんだ。
思い出すと、甘く切ない恋心がじんわりと心臓を蝕んでいく。
あのキラキラとした思い出達は、いつだって私を惨めにさせる。あんなにも輝いていた数ヶ月は幻のようで、愛おしくも悲しくもあった。
✳︎
彼を思い出す日はいつも、空は淀んでいた。そんな日に出掛けるのが好きだった。厚い雲に覆われて太陽の光が届かず、綺麗な青は隠れている薄暗い空が好きだ。
そんな暗い空の下、一人で渋谷の街をフラフラと歩く。昔、彼と一緒に行った、ゲームセンターやショッピングモール。どれもこれもこの十二年で潰れてしまったり、別の建物が立っていたりと十二年という時が思い出まで奪っていくような気がして胸が握り潰されるように痛くなった。
彼と最後に会ったのは、彼が少年院から出てきた日だった。二年間、会えなくて寂しくて。でも、私の気持ちが変わる事なんて全くなくて、ただひたすら、また会えるのが待ち遠しかった。
きっと会えたら、彼も私と同じ気持ちだと、再会を喜んでくれるものだと、勝手に思っていた。だけど、私はあの日の夜、彼に拒絶された。二度と関わるな、近づいたら例え、オマエでも殺す。そう告げられた。もうあの頃のオレじゃないと言った言葉が胸を締めつけた。もうあの頃の二人には戻れないと、戻るつもりはないと分かり、何も言えなかった。
一言も言葉を交わせないまま、一方的に投げつけられた三つの言葉達は私の心を壊すには十分だった。
最初の数年は諦めようと、忘れようとして他の男の人と付き合ってみたりもしたけれど、上手くいかなかった。心のどこかで彼と比べては悲しくなってしまっていた。そのうち、忘れることも諦めて、ただぼんやりと過ごしていた。
だけど、一ヶ月前に開催された中学の同窓会に参加した時、元クラスメイト達が噂していた話を聞いて、あの頃の感情が蘇ってしまった。
クラスメイト達は、羽宮一虎が出所しているらしいと言った。私たちの関係を知っていたかつての友人達は「会ったの?前、付き合ってたよね?」と再三聞かれたが、その度にかぶりを振った。そして、決まって「その方がいいよ、だって人殺しでしょ?」と言われる。
アンタらに一虎の何が分かる、と喉まで出かかっては飲み込む。それを何度も繰り返した。実際、私だって彼の事を何も分かっていないのだから、言えるはずもなかった。
こんな所、来なければよかった。そんな事ばかり考えていたが、一つだけ、来てよかったと思えたことがあった。
同じクラスだった女の子が「そういえば、XJランドっていうペットショップで働いているの見たよ」という一言だった。
瞬時に思ったのが、会いたいだった。そこに行けば会えるかもしれないと舞い上がったものの、家に帰ってから冷静になると、あの時みたいに拒絶されるかもしれないという考えが頭の中を占めて、一ヶ月間、会いに行けなかった。
私の好きな、どんよりとした天気の今日なら勇気を出していけるのではないかと思い、家を出たのはいいものの、臆病な私は真っ直ぐに足を向けることは出来ず、フラフラと思い出を巡るだけになってしまっていた。
寄り道をしながらも少しずつペットショップに近づき、その度に緊張と不安で胃がキリキリと痛み出していた。覚束ない足取りでも、歩けば当然距離は縮む。ついに、XJランドの看板が見えて来てしまった。
緊張で足は震え、気分も悪くなってくる。ソレらを抑えて一歩ずつお店に近づいて、窓ガラスから中を覗けば黒髪の男の人しか居らず、その顔は彼ではなかった。一気に安堵に襲われ、深いため息を吐いた。
一応、本当にここで働いているかだけでも確かめようと、自動ドアを開けて店内へ入った。ドアの開いた音で気が付いた店員さんは、笑顔で「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。
店内を見るわけでもなく、ただ黙って立ち尽くす私を不思議に思ったのか、店員さんは「何かお探しですか」と声をかけてくれた。
「あの、一虎って居ますか?」
小さな声でボソボソと言ってしまい、聞こえたかどうかは定かではないが、彼は驚いたように目を見開いていた。
「いや、流石に虎はいないっスね。日本じゃ、虎は特定動物に指定されていますし、かなり厳しい基準をクリアして都知事の許可を得ないと飼えないですよ」
「え?あ、いや、虎じゃなくて…」
「じゃなくて?」
「羽宮一虎、居ますか?」
店員さんは更に目を大きくして、私を凝視した。
「一虎クンが何かしでかしましたか?」
「は?」
「お客様に失礼な態度を取りましたか?違う商品をお渡ししてしまいましたか?それとも、また適当な事でも言いましたか?」
まるでマシンガンのように彼の失態をいう店員さんに圧倒される。また、と言うことは前にも同じようなクレームでも入ったのだろうか。そんなに仕事出来ない人間なのかと心の中で思う。
「いえ、お客ではなくて、一虎とは中学の時の知り合いなんですけど、ここで働いているって話を聞いて来てみたんですけど…」
「えっ!?一虎クンを訪ねて来る友達なんて居たんスか?」
今度はこぼれ落ちそうなくらいに目を開いて、私を見つめた。そんなに驚くような事なのか、彼がオーバーリアクションなのかは分からないが、ここに彼が勤めているという事は確かなようなので、今日はそれだけで大きな収穫だ。
「今日はもう帰ります。ありがとうございました」
店員さんに頭を下げて、帰ろうとすると彼は私の右手を掴んで引き止めた。
「一虎クン、もう少しで帰って来るんで待っててあげてください」
あまりにも真剣な表情で言われてしまい、何も言えなくなってしまった。お互い黙り合って、探るように視線だけを絡ませていると、自動ドアが開く音が聞こえ、足音とともに「千冬ー、頼まれてたの買ってきたぞ」と懐かしい声が後ろから聞こえて来た。
昔より低くなって大人を感じさせる声。その声を聞いたら、振り向かずには居られなかった。
振り向けば、ずっとずっと会いたかった人の姿がそこにはあった。
私の顔を見るなり、彼の表情は固まってしまった。頬を引き攣らせて、小さな声で私の名前を呼ぶ。スっと視線を逸らして下を向いてしまう。一虎は私に会いたくなったのだろうかと不安だけが募り、胸が痛くなる。
「何で、オマエが千冬と…」
千冬とは、この店員さんの事だろうか。一虎の視線の先を辿ると私と店員さんの繋がれた手だった。店員さんもその視線で気が付いたのか、「あ、いつまでも、すみません」と申し訳なさそうにしながら、掴んでいた手を離した。
「あー、一虎クン。誤解しないで下さいね。アンタの為に引き止めてただけなんで」
「引き止めてた…?」
「友達の居ないアンタに会いに来てくれるなんて、この人くらいでしょ」
「友達の居ねぇって、テメェはいつも一言余計なんだよ」
「ハイハイ。今日はもうこのまま上がっていいんで」
「はっ?」
「じゃ、お疲れ様でした」
店員さんは私に一度、ぺこりと頭を下げてから奥の部屋に引っ込んでしまった。
取り残された私たちは、どうしたらいいか分からず無言のまま俯いてしまう。
「外、行くか」
「うん…」
歯切れの悪い彼は、頭をガシガシと掻きながら店の外を指さしていたので頷くと歩き出したので彼の後ろを着いていく。
あの日のように会った瞬間に拒絶されずに済んだ事にはホッと胸を撫で下ろした。
あの頃より伸びた背と髪。黒と金のメッシュは変わらないけれど、伸ばした髪はお団子で綺麗に括られている。後ろから見ただけなら、彼とは気付かないかもしれない。十二年の時の流れを改めて痛感した。
「ここでいいか?」
「あ、うん」
一虎が指さした先は公園というほどでもない、ベンチがあるだけの小さな空き地のような空間だった。空き地に足を踏み入れ、寂しそうにぽつんと置かれたベンチに並んで腰掛ける。
腰掛けた時の二人の間に出来た隙間が遠く感じて、虚しくなってしまった。何から話していいか分からず、俯いて膝の上にある握りしめた拳を見つめた。
「何で、いきなり会いになんて来たんだよ」
「…ゴメン」
「いや、そうじゃねぇよな…。名前」
名前を呼ばれたので俯いていた顔をゆっくりとあげると、一虎は言いづらそうに口をモゴモゴとさせ、視線を彷徨わせていた。不意に目が合うと、今度はそらさずに真っ直ぐに見つめた。
「あの時は、ゴメン。ずっと謝りたかった。あの日もこうやって会いに来てくれたのに、オレはオマエを傷付けた」
「…あの日、本当は言いたい事があったのに言えなかった。その事、ずっと後悔してた」
あの日の後悔をお互い清算するかのように、想いを口にしていく。ずっと後悔していた。あの日、一虎が言った「二度と関わるな、例えオマエでも近づいたら殺す。もうあの頃のオレじゃない」の言葉。その言葉に返したい言葉は私の中に確かにあったのに、言えなかった。過去に縛られ、この悔しさを胸に生きていくのはもう終わりにしたい。前にちゃんと進みたい。
「あの日、私に言った言葉、覚えてる?」
「…忘れられる訳ねぇよ」
「私、一虎の為なら死んでもいいよ」
静かに告げると、一虎は驚いたように目を見開いた。その表情は初めて私が話しかけた時と同じ表情で、何も変わっていなかった。少しずつ、時が巻き戻っていくような気がした。
「本当はあの時、そう言いたかったんだ」
当時の私には好きだとか、愛してるだとかそんな言葉を超えた感情を言い表すにはそんな言葉しか浮かばなかった。死んでもいいから、キミの傍に行かせてって言いたかった。
だけど、無機質な表情の中に悲しみに色を含んだ瞳を見たら、言えなかった。
一虎の首にある刺青にそっと触れる。昔と変わらない彼の暖かさが指から伝わって来る。入れたての頃、首に触れて「痛かった?」と聞いた時、痛みを思い出したのか瞳を潤ませて顔を歪めていた。今、その表情をしている。瞳を揺らして何かを堪えるよな表情だ。
一虎は私の両肩を掴んで、俯きながら消え入りそうな声で「オマエには、死んで欲しくねぇ」と呟いた。その瞬間、私の頬を暖かいモノが伝った。
「じゃあ、私と一緒に生きてよ」
ゆっくりと顔を上げた一虎も私と同じように頬を濡らしていた。濡れた頬を拭うように人差し指で触れて「一虎、大好き」と微笑めば、彼は右腕を私の首に回してグッと引き寄せた。ピッタリとくっ付いた胸からは彼の心地良い鼓動が伝わって来る。ぎこちなく近づく顔に胸が小さく跳ねる。顔が傾けられ、大きな瞳が伏せたのと同時に私も瞳を伏せる。唇には暖かで柔らかい感触が伝わった。
鼻先が触れるか触れないかの距離まで顔を離した。あの頃と変わらない仕草。オレのモンだと言うように、右腕で首を抱き寄せる所もキスした後に鼻先が触れるか触れないかの距離で見つめ合う所も昔のままだ。
まるで、あの頃に戻れたようだった。
瞬きをして瞳に溜まった涙を溢すと、モノクロのような味気ない世界がキラキラと輝き始めた。
灰色の薄暗い空は消えて、青々とした輝かしい空に変わっていた。今なら、この空も好きになれそうだ。