名前のない関係
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
雄英高校の放課後は、少しだけ現実味が薄れる。
ヒーロー科の訓練場から聞こえてくる爆音と怒号。
それとは対照的にサポート科の実習棟には金属が擦れる音と規則正しい機械音だけが流れている。
同じ学校にいながら、見ている世界はまるで違う。
私はドライバーを置いて肩を回した。作業台の上には耐熱補助用のパーツ。
試作品とはいえ、動作確認まであと少し。
サポート科は地味だ。
ヒーロー科みたいに拍手も歓声もない。
でも私はこの場所が好きだった。
部品が噛み合う感触。構造が正解に近づくときの静かな確信。
サポート科の作業室は私にとって一番落ち着く場所だった。
「よし」
最後の微調整を終えて、私は小さく息を吐いた。
開発中の耐熱補助パーツ、ヒーロー科から依頼された試作品だ。
轟燈矢と名前が書かれた依頼書を見て、胸の奥がほんの少しだけざわつく。
中学が一緒で、よく話していた。
最初はひどく素っ気なくて、話しかけても返事すらない日もあったけれど。
それでもなぜか、私は話しかけるのをやめなかった。
気づけば、卒業する頃には
「そこそこ仲がいい、くらいの距離にはなっていたと思う。
彼が雄英に行くことは知っていた。でも、私は言わなかった。
同じ学校に行くって言ったら、きっと驚くだろうな、って。そんなことを考えていたから。
驚いた顔をした轟くんに「また三年間、一緒だね」なんて事を言おうと思ってた。
でも実際は、ヒーロー科とサポート科では校舎も授業も違う。
全くと言っていいほど、会わなくなった。
体育祭で活躍する彼を私は知っている。
将来有望なヒーローとして名前が挙がるのも知っている。
私は見ることができるけれど、
彼が私を見つけることは、たぶんない。
それは、仕方のないことだと思っていた。
クラスメイトたちは静かに作業をしていて、私も静かに思い出にフケている。
だから余計にその音は乱暴に響いた。
ガン、と何かを叩いたような音に反射的に肩が跳ねる。
同時に空気が変わった。雑に開けられたドアから流れ込んできたのは、焼けた匂いと苛立ちを隠そうともしない気配。
ドアから覗かせた顔は中学の時から散々見た不機嫌そうな顔。
「相変わらず、治安悪いなぁ」
言ってから一拍遅れて、轟くんは睨むように声がした私の方を見る。
クラスの隅で、いつも窓の外を睨んでいた時と同じ目が私を捉えた。
轟くんの動きが止まって、不機嫌そうに細められていた目が少しずつ、はっきりと見開かれていく。
そのまま数秒無言が続いて、薄らと口が開いた。
「… 紡ちゃん?」
「久しぶり」
「なんでここに?」
「サポート科だから」
短い会話。それだけなのに久しぶりに名前を呼ばれて、胸の奥が小さく揺れた。
轟くんは、さっきまでの態度が嘘みたいに変わって表情がふっと緩む。
この人は、私を見つけるといつもこうだった。
「え、なんで。雄英にいるなら言ってよ」
少しだけ責めるような声なのに、隠しきれない嬉しさが滲んでいた。
「驚かせたくて。でも、雄英広いし、校舎も違うから全然会えないんだもん」
「なにそれ。そんなサプライズ要らないんだけど」
「また3年間、一緒だね」
もう言えないと思っていたセリフを言えて、少しだけ心が軽くなった。
轟くんは私の作業台の横までやって来て、私の手元を覗いて「まじ?」と低い声を漏らす。
「それ、紡ちゃんがやってくれてるの?」
「うん、そう。それにしても、大分無理な使い方してるね」
「…なんだよ、しょうがねぇじゃん」
パーツを指で弾くと、彼はムッとした表情を浮かべる。でも声は荒くない。むしろ、どこか疲れているようにも感じる。
ぽつりと、言い訳みたいに呟いた声に私は一瞬、手を止めてから顔を上げた。
「で?」
短い一言。でも、それで十分だった。
轟くんは肩をすくめて、小さく息を吐いた。
「別になにもねぇけど」
「ふぅん」
「…聞いてよ」
「はいはい」
その言い方が、あまりにも昔と同じで、胸の奥がきゅっと縮む。
——昔から、こうだった。ふと、記憶がよみがえる。
中学の放課後に誰もいなくなった教室で私は窓際の席で日誌を書いていた。
「なぁ、紡ちゃん」
顔を上げなくても分かる声に私を紡ちゃんと呼ぶ男の子は1人しかいない。
「聞いてよ」
椅子を引く音に顔を上げれば前の席に轟くんが座る。背もたれ側前にして私の書いている日誌を覗きながら話し始めた。
「またお父さんがさ……」
今と同じで不満と苛立ちとどうしようもなさが混じった声。私は書くのを止めずに相槌を打つ。
「はいはい」
「その反応ムカつくんだけど」
「ちゃんと聞いてるよ」
轟くんはしばらく文句を言ってから、最後に決まってこう言った。
「…クソ」
「語彙力」
「うるせぇ!」
そのやり取りになぜか安心した顔をしていたことを私は覚えている。今も、きっと変わらない。
私は工具を置いて、彼の方を向く。
それを合図にしたみたいに、轟くんは一気に言葉を吐き出した。
「またさ、言われたんだよ。無理すんなとか。その個性で無茶すんなとか」
轟くんは作業台に寄りかかり、視線を落とした。
指先でサポートアイテムの端をなぞる。
「分かってるっつーの、そんなの。俺の身体の事俺が1番知ってる」
吐き捨てるように言うけれど、語尾が少しだけ弱くなっていた。小さな声で「分かってるのにさ……」と呟いてから、言葉が途切れた。
轟くんはしばらく黙ってから、ぽつりと呟く。
「俺、こういうの誰にも言えねぇんだよ」
その声音は、怒りでも苛立ちでもなくて。ただ、疲れている人のものだった。
「夏くんには言うけどさ。迷惑そうな顔したり、嗜めて来るんだよなぁ」
「まぁ、轟くんの話長いもんねー」
「でも紡ちゃんは、そう言いながらもちゃんと聞いてくれるだろ」
疑問形じゃなく確認でもない。最初から、信じている目で私を見る。最初の頃の轟くんからは想像も出来ない。
私は答えずに、ただ小さく頷いた。
それで十分だと、轟くんも分かっているみたいだった。彼は少しだけ息を吐いて肩の力が目に見えて抜ける。
作業室の中では、相変わらず機械音が規則正しく響いている。誰もこちらを気に留めていない。
それが、逆にありがたかった。
「ここさ、落ち着く」
作業台の端に寄りかかりながら視線だけが室内をなぞる。
「ヒーロー科ってさ、うるさすぎなんだよ。クラスのヤツらもうるせぇし、いちいち話し掛けて来るし」
「友達になればいいじゃん」
「友達なんて要らない。紡ちゃんが居ればいいし」
「じゃあ、私が雄英に居なければ、轟くんは友達ゼロだったわけだ」
「今の聞いてそういう事言う?普通」
呆れたように言いながらも、轟くんの口元はわずかに緩んでいる。その表情に、何故か胸の奥がちくりとした。
「だって、極端なんだもん」
「極端で悪いかよ」
そう言って、彼は鼻で小さく笑った。
視線は合わず、作業台の金属を見つめたまま、指先でなぞる動きだけが続く。
「紡ちゃん居なかったら、誰にも言わずに勝手に溜め込んで、たぶんそのうち爆発してた」
自分の個性を指すみたいな言い方に、私は小さく息を吐いた。
「それ、危ないやつじゃん」
「だろ」
軽く言うけど、冗談に聞こえない。
本当に轟くんは溜め込んで爆発させてしまうタイプだったから。中学の時もそうだった。
「また、ここ来てもいい?作業の邪魔はしないからさ」
「静かにしてくれるならいいよ」
「出来るかどうかは分かんねぇけど」
即答だった。
私は少しだけ考えるふりをしてから、工具を持ち直す。
「…… 紡ちゃんさ」
不意に呼ばれて顔を上げると、轟くんは照れたように視線を逸らしたまま言った。
「中学の時も今もさ、俺の居場所、そこだったんだよ」
胸の奥静かに鳴る。
火力の上げ方しか教えてくれなかったと言っていた彼の火が静まる場所。言葉を吐き出しても、否定されない場所。
それが、私の隣だと言われてしまったら。
「じゃあ、利用料取ろうかな」
「は?」
「愚痴一回につき、アイス一個」
「高ぇな」
「嫌なら来なくていいよ?」
そう言うと、轟くんは一瞬だけ困った顔をしてから、観念したみたいにため息をついた。
「……分かったよ」
「毎回ね」
「毎回かよ」
でも、その声はどこか楽しそうだった。
静かな作業室で二人分の時間だけがゆっくりと流れていく。
やっぱり、変わっていない。たぶん、これからも。
「あ、ねぇ。スマホ買った?」
「うん、流石にね」
「連絡先、教えてよ。紡ちゃんがスマホ持ってなかったせいで連絡先知らないまま、卒業しちゃったし」
轟くんが制服のポケットの中から黒いスマホを取りだして、ヒラヒラと振る。
私もポケットの中からスマホを取りだして、アプリを開いて連絡先を交換すると、轟くんは満足そうに笑った。
「これでいつでも聞いて貰える」
「いや、それは勘弁して?」
冗談めかして言うと、轟くんは「ひでぇなァ」と小さく笑った。
「じゃあ、たまにでいい」
「たまにって?」
「限界来た時」
そう言って、スマホを制服のポケットにしまう。
「その時は、ちゃんと聞いてくれるんだろ」
「はいはい」
「その言い方さぁ」
不満そうに眉を寄せながらも、声はどこか安心しきっている。
作業室の時計を見ると、思っていたより時間が経っていた。
窓の外は少しだけ夕焼けに染まり始めている。
「そろそろ戻らないと、ヒーロー科怒られるんじゃない?」
「あー……そうかも」
名残惜しそうに作業台から離れて、ドアの方へ向かいかけて、ふと思い出したみたいに立ち止まる。
「なぁ」
「なに?」
「今日、ここ来るのめんどくせぇって思ってたけど、来てよかった」
振り返らずに言う声は、少しだけ低くて、素直だった。
「ありがとう、紡ちゃん」
「どういたしまして」
それだけ言うと、轟くんはドアを開けて出ていった。閉まる直前、ほんの一瞬だけこちらを振り返って、いつもの不機嫌そうな顔で。
でも、目だけは少しだけ柔らかかった。
ドアが閉まり、また作業室に機械音だけが戻る。
私はしばらく、その場に立ったまま動けなかった。
中学の頃と同じように、ただ話を聞いていただけなのにいつの間にか、彼の居場所になってしまっている。
それが嬉しいのかは分からない。
でも、胸の奥に残ったこの熱だけは、確かだった。
すると、また作業室の入口が開く音がして「すみません」と声がする。
振り返ると、ヒーロー科の制服を着た女子生徒が一人、立っていた。
「さっき、轟燈矢がこっちに来てませんでした?」
「来てましたけど、さっき帰りました」
「もう!轟くん、すぐフラッと消えるんだから!」
頬を膨らませる彼女は轟くんのクラスメイトなのだろうか。
彼女は私の手元をチラリと見て、それが誰の物なのかに気がついたようで、「それ…」と呟く。
「轟くんのサポートアイテムだぁ!」
「そうですね」
「私、同じクラスで、轟くんの個性と相性良いからよくチーム組むんですよ」
「そうでしたか」
何の話だと思いつつ、適当に相槌を打つが未だに彼女の話は止まらない。なんだか、デジャブを感じる。
すると、ポケットの中に入っていたスマホが震えた。取りだして画面を見れば、先程交換したばっかりの轟くんの名前。
トーク画面を開けば、猫の写真に『猫いた』というメッセージ。
何故、唐突に猫なんだ。
写真をよく見れば、背景は雄英の中庭のように見えた。
『そこ中庭?』と返信すれば、すぐに『そう』と返って来る。
「轟くん、中庭に居るそうですよ」
「え…?」
探しているという彼女に轟くんの居場所を教えれば、驚いたように目を見開いた。
固まってしまっている彼女に「行かないんですか?」って声をかければ、ハッとしたように肩を揺らす。
「ありがとう!助かりました、中庭行ってきます!」
そう言って晴れやかに彼女は作業室から出て行く。
彼女が出て行って、また静かな空間が戻って来た。私は作業台に手をついて、ゆっくり息を吐く。
すると、今度は近くに居たクラスメイトが呆れ顔で私を見て話しかけて来た。
「すごいね、轟燈矢と知り合いなんだ…?」
「中学が一緒だっただけ」
「中学一緒だけの距離じゃなくない?」
悪意はない。だからこそ、その言葉は胸に残る。
「……普通だと思うけど」
自分で言いながら、少しだけ迷う。普通って、どこまでだろう。
一人でモヤモヤとしながら考え込んでいると、クラスメイトはまだ話を続ける。
「普通じゃないよ。俺なんか前に轟のサポートアイテムの試作品作った時に『こんなんじゃ、全然使えない』って冷たく言われたし」
「…まぁ、轟くんの火の温度高いからねぇ」
「そこじゃなくて!俺と白瀬への態度の違いについて話してんの!」
「私も最初は無視されてたよ」
クラスメイトの言葉に、胸の奥が少しざわついた。無視されてたのに、今はこうしてちゃんと話してくれる。
あの時と同じ、でも少し違う。
なんだか、嬉しい気持ちまで混じってる。
「じゃあ、今は特別なんだ」
「特別…?」
「だってそうでしょ。あんなに話してる轟、見た事ないから」
それだけ言って、彼はまた自分の作業へと戻った。作業室には、また機械音だけが流れる。
私はネジを締めながら、さっきの言葉を反芻していた。
普通じゃない、特別。
そして、ここで愚痴を吐いて火を静める彼。
その全部を知っているのは、たぶん、私だけだ。
私はもう一度工具を手に取り、作業台に向き直った。静かな放課後。その静けさの中に、確かに彼の気配が残っていた。
───
次の日の放課後も轟くんはやって来た。
昨日と同じ不機嫌そうな顔をして。
いつも以上に不機嫌で作業室のドアが開く音に顔を上げると、案の定そこには腕を組んで、眉間にしわを寄せたままの轟くんが立っていた。
今日もいつものように「聞いてよ」と来るのだろうと思っていた。
けれど、轟くんは迷う様子もなく私の作業台の傍まで早足で来て、そのまま勢いよく、ガンと音を立てて手をついた。
「今日はどうしたの?」
「どうしたの、じゃねぇよ」
昨日よりも、明らかに機嫌が悪い。
私は工具を置いて、少しだけ首を傾げた。
「…昨日さ」
「うん」
言いかけて、言葉を切る。
そのまま、私の手元、昨日彼が使っていたサポートアイテムに視線を落とした。
「俺のこと探しに来てたよく知らねぇ女、居ただろ」
「あぁ、居たね。轟くんのクラスメイトの」
「クラス?…そう言えば居たような…」
一瞬、考える素振りを見せたがすぐに「いや、そうじゃなくて」とすぐに話を元に戻す。
「なんで、紡ちゃんじゃないの」
「は?何が?」
「中庭?って聞いてきたから、紡ちゃんが来ると思って、俺待ってたのに」
「行くって一言も言ってないじゃん」
「そうだけど、俺は待ってたんだよ!」
吐き捨てるみたいな言い方に肩をすくめる。
駄々っ子じゃないんだから、と呆れながらも「はいはい」と答えれば、「またそれかよ」と更に不機嫌そうになってしまう。
「俺は待ってたのにさ。変な女来るし、しかも紡ちゃんから居場所聞いたとかマジでムカつく」
「そんな事言われても」
「それに、紡ちゃんとどんな関係なんだって聞かれた」
その一言で、作業室の空気が少しだけ重くなった気がした。胸の奥がキュッとして、少しだけ痛い。
「なんて答えたの?」
「中学一緒だっただけって言った」
昨日と同じ答え。
それなのに、轟くんは納得していない顔をしている。
「でもさ、それだけじゃねぇだろ」
低い声だけど責めているわけでも、問い詰めているわけでもない。ただ、腑に落ちていないという顔だった。
「周りにそう思われるの嫌なんだよ」
「何が?」
「紡ちゃんと、他人みたいに」
「他人ではないけど」
「だろ?少なくとも、俺はそう思ってない」
被せるように即答された。
作業台に置いた手に少しだけ力が入る。
私は視線を逸らしながら、工具を持ち直した。
「友達って答えれば良かったんじゃない?」
「そんな軽い関係じゃねぇじゃん」
「じゃあ、親友とか」
轟くんは一瞬言葉に詰まって、苛立ったように髪をかき上げる。
「親友とか、友達とか、そういう枠に入れられるのも、なんかムカつく」
不機嫌そうに吐き捨てるけれど、怒っているというより困っているように見えた。
「じゃあ、なんなの」
「そんなの分かんねぇよ!紡ちゃんの方が俺の事よく知ってんだから、分かれよ!」
「いや、どんなキレ方よ。分からないよ、私にだって」
思わずそう返すと、轟くんは一瞬だけ言葉に詰まった。言い返してくるかと思ったのに、口を開いたまま、何も言わない。
私も言い過ぎたかな、とそう思った瞬間、彼は小さく舌打ちして視線を逸らした。
「…俺さ、紡ちゃんの事よく知らない」
「は?」
「俺がいつも話してばっかりで、紡ちゃんの話、あまり聞いてこなかったなって。だから、知りたい」
「…はぁ」
思わず間の抜けた声が出た。
知りたい、なんて言葉がこの口から出ると思ってなかったから。
「今さら?」
「今さらだよ」
ぶっきらぼうに言うくせに、視線は相変わらず合わない。
さっきまでの苛立ちは影を潜めて、代わりに落ち着かない空気が漂っている。
「紡ちゃんが何考えてるのかとか。何が好きなのかとかも知らなくて。だから、適当に猫、送った」
「それで猫なんだ。轟くんが好きなのかと思った」
「別に好きでも嫌いでもねぇよ。だから、教えて、紡ちゃんの好きなもの」
「これと言って、無いけど…強いて言うなら、轟くんの話?」
「は?俺の話?愚痴しか言ってないのに?」
「確かに面白い話じゃないね。うーん、じゃあ、轟くんと話す時間が好き」
言い切った瞬間、作業室の空気が止まった。
轟くんは一拍遅れて、ゆっくり瞬きをする。
さっきまで落ち着かない様子だったのに、今度は逆に固まったみたいだった。
「俺と話す時間が、好きって言った?」
「言ったけど」
自分で言ってから、少しだけ恥ずかしくなって視線を逸らす。言葉にしたら、思ってたより重かった。
轟くんは何も言わないけど、作業台に置いた手の指先が、わずかに動いたのが分かった。
「私だって轟くんの好きな物あまり知らないよ。お父さんが大好きな事くらいしか」
「はー!?キモイ事いってんじゃねぇよ!誰があんなクソ親父!」
即座に噛みつくみたいに否定されて、思わず肩をすくめた。
「だって、話聞いてる限り、めちゃくちゃ意識してるじゃん」
「違ぇよ、反面教師だっつーの!」
「はいはい」
「……好きなもの、俺にだってあるよ」
「何?」
「紡ちゃんが、ちゃんと俺を見て話す時間」
「私のパクリじゃん」
そう言うと、轟くんは一瞬だけ言葉に詰まって、すぐに不機嫌そうに視線を逸らした。
「うるせぇな」と低くぼそっと返されて、否定では無いことに胸の奥がまたざわつく。
轟くんは作業台に寄りかかったまま、指先で金属を弾いた。
「紡ちゃんがこっち見て話してる時、ちゃんと俺の話聞いてんだなって分かる。適当に相槌打ってても、目は逸らさねぇし」
一拍置いて、続ける。
「好きな物とか、話す時間とか、距離感とか。他の奴にはしねぇ事、俺には普通にするだろ」
昨日のクラスメイトの言葉が、頭をよぎる。
───中学一緒だけの距離じゃなくない?
その言葉の意味がじわじわと形取られていくような気がした。
「それ、俺だけって思っていいのかよ」
その問いかけは、責めるでもなく、縋るでもなく。ただ確かめるみたいで、ずるかった。
私はすぐに答えられなくて、工具の並んだ作業台に視線を落とす。金属の冷たさが、さっきまでよりはっきり伝わってきた。
「どうして、そんなこと気にするの」
「俺だけ特別だって思ってて違ってたら、結構キツいだろ」
低い声なのに、妙に正直だった。
胸の奥が、ゆっくりと締め付けられる。
逃げ道を探そうとしたけど、もう無理だと分かってしまった。
「昨日、猫送ったの、本当は紡ちゃんが来る理由が欲しかった」
「来てって言わなかったのに」
「それでも、俺の居場所分かったら来てくれるかなって」
一瞬、言葉を探すように視線が泳いでから、ぼそっと落とす。
そう言えば、中学の頃、お父さんに特訓の成果を見せたいから瀬古杜岳に来てと誘っても来てくれなかったと愚痴っていた事を思い出す。
不器用で、正直で、逃げ場のない言葉だった。
「じゃあ、次からは、ちゃんと言って」
「言ったら来てくれんの」
「言ってくれたら行くよ」
私がそう言うと、轟くんは少しだけ驚いた顔をしてから、困ったように眉を寄せる。
「来なかったら、普通に拗ねるからな」
「めんどくさい」
「今さらだろ」
そう言われて、思わず小さく息を吐いた。
確かに、今さらだ。
中学の頃から、ずっとこうだった。
言葉足らずで、期待して勝手に拗ねて。
それでも、何も言わずに隣に居ると少しだけ安心した顔をする。
轟くんは何も言わず、しばらく黙ったままだった。作業室に機械音だけが響く。
「紡ちゃんに来てほしい時は言うから…ちゃんと来て」
「うん、約束。…あ、でも頻繁に呼び出さないでよ?1ヶ月に1回くらいにしてよね」
「はっ?少なくね?」
即座に返されて、思わず吹き出しそうになる。
笑いを堪えているせいで工具を持った手が震えてしまう。
「多いよ。月一でも十分じゃない?」
「全然足りねぇ」
「何の基準なのそれ」
「俺基準」
真顔で言われて、言い返す気も失せる。
「じゃあ、二週間に一回」
「渋いな」
「嫌なら月一に戻すけど?」
「…二週間でいい」
納得してない顔のまま引き下がるのが、いかにも轟くんらしい。
工具を動かしながら横目で見ると、彼は作業台に寄りかかって、さっきより少しだけリラックスした表情をしていた。肩の力が抜けているのが分かる。
「呼んだら来るって約束、ちゃんと守れよ」
「分かってるよ。轟くんもちゃんと言う約束守ってね」
「言う」
短く言い切る声。
それだけで、もう大丈夫なんだと分かってしまうのが悔しい。
作業室には相変わらず機械音が響いている。
でも、その中で二人分の空気だけが、静かに落ち着いていた。
この気持ちに名前をつけるのは、まだ怖い。
けれど、ひとつだけ分かってしまった。
私はもう、轟くんがここに来なくなる未来を想像したくない。
「ねぇ、紡ちゃん」
不意に呼ばれて顔を上げると、轟くんは作業台に寄りかかったまま、視線だけこちらに向けていた。
「明日も来る」
「二週間に一回じゃなかったの」
「それは呼び出す回数だろ」
「ずるくない?」
「俺基準だから」
当然みたいに言われて、さっきと同じやり取りなのに、胸の奥が少しだけ熱くなる。
作業室の窓の外では、夕焼けが少しずつ濃くなっていく。その色を横目に見ながら、私は思う。
きっと、これは始まりだ。
恋だと認めるにはまだ足りなくて、ただの友達だと言うには、近すぎる。
それでも、彼が帰る場所のひとつに、私がなってしまったことだけは、もう否定できなかった。
ヒーロー科の訓練場から聞こえてくる爆音と怒号。
それとは対照的にサポート科の実習棟には金属が擦れる音と規則正しい機械音だけが流れている。
同じ学校にいながら、見ている世界はまるで違う。
私はドライバーを置いて肩を回した。作業台の上には耐熱補助用のパーツ。
試作品とはいえ、動作確認まであと少し。
サポート科は地味だ。
ヒーロー科みたいに拍手も歓声もない。
でも私はこの場所が好きだった。
部品が噛み合う感触。構造が正解に近づくときの静かな確信。
サポート科の作業室は私にとって一番落ち着く場所だった。
「よし」
最後の微調整を終えて、私は小さく息を吐いた。
開発中の耐熱補助パーツ、ヒーロー科から依頼された試作品だ。
轟燈矢と名前が書かれた依頼書を見て、胸の奥がほんの少しだけざわつく。
中学が一緒で、よく話していた。
最初はひどく素っ気なくて、話しかけても返事すらない日もあったけれど。
それでもなぜか、私は話しかけるのをやめなかった。
気づけば、卒業する頃には
「そこそこ仲がいい、くらいの距離にはなっていたと思う。
彼が雄英に行くことは知っていた。でも、私は言わなかった。
同じ学校に行くって言ったら、きっと驚くだろうな、って。そんなことを考えていたから。
驚いた顔をした轟くんに「また三年間、一緒だね」なんて事を言おうと思ってた。
でも実際は、ヒーロー科とサポート科では校舎も授業も違う。
全くと言っていいほど、会わなくなった。
体育祭で活躍する彼を私は知っている。
将来有望なヒーローとして名前が挙がるのも知っている。
私は見ることができるけれど、
彼が私を見つけることは、たぶんない。
それは、仕方のないことだと思っていた。
クラスメイトたちは静かに作業をしていて、私も静かに思い出にフケている。
だから余計にその音は乱暴に響いた。
ガン、と何かを叩いたような音に反射的に肩が跳ねる。
同時に空気が変わった。雑に開けられたドアから流れ込んできたのは、焼けた匂いと苛立ちを隠そうともしない気配。
ドアから覗かせた顔は中学の時から散々見た不機嫌そうな顔。
「相変わらず、治安悪いなぁ」
言ってから一拍遅れて、轟くんは睨むように声がした私の方を見る。
クラスの隅で、いつも窓の外を睨んでいた時と同じ目が私を捉えた。
轟くんの動きが止まって、不機嫌そうに細められていた目が少しずつ、はっきりと見開かれていく。
そのまま数秒無言が続いて、薄らと口が開いた。
「… 紡ちゃん?」
「久しぶり」
「なんでここに?」
「サポート科だから」
短い会話。それだけなのに久しぶりに名前を呼ばれて、胸の奥が小さく揺れた。
轟くんは、さっきまでの態度が嘘みたいに変わって表情がふっと緩む。
この人は、私を見つけるといつもこうだった。
「え、なんで。雄英にいるなら言ってよ」
少しだけ責めるような声なのに、隠しきれない嬉しさが滲んでいた。
「驚かせたくて。でも、雄英広いし、校舎も違うから全然会えないんだもん」
「なにそれ。そんなサプライズ要らないんだけど」
「また3年間、一緒だね」
もう言えないと思っていたセリフを言えて、少しだけ心が軽くなった。
轟くんは私の作業台の横までやって来て、私の手元を覗いて「まじ?」と低い声を漏らす。
「それ、紡ちゃんがやってくれてるの?」
「うん、そう。それにしても、大分無理な使い方してるね」
「…なんだよ、しょうがねぇじゃん」
パーツを指で弾くと、彼はムッとした表情を浮かべる。でも声は荒くない。むしろ、どこか疲れているようにも感じる。
ぽつりと、言い訳みたいに呟いた声に私は一瞬、手を止めてから顔を上げた。
「で?」
短い一言。でも、それで十分だった。
轟くんは肩をすくめて、小さく息を吐いた。
「別になにもねぇけど」
「ふぅん」
「…聞いてよ」
「はいはい」
その言い方が、あまりにも昔と同じで、胸の奥がきゅっと縮む。
——昔から、こうだった。ふと、記憶がよみがえる。
中学の放課後に誰もいなくなった教室で私は窓際の席で日誌を書いていた。
「なぁ、紡ちゃん」
顔を上げなくても分かる声に私を紡ちゃんと呼ぶ男の子は1人しかいない。
「聞いてよ」
椅子を引く音に顔を上げれば前の席に轟くんが座る。背もたれ側前にして私の書いている日誌を覗きながら話し始めた。
「またお父さんがさ……」
今と同じで不満と苛立ちとどうしようもなさが混じった声。私は書くのを止めずに相槌を打つ。
「はいはい」
「その反応ムカつくんだけど」
「ちゃんと聞いてるよ」
轟くんはしばらく文句を言ってから、最後に決まってこう言った。
「…クソ」
「語彙力」
「うるせぇ!」
そのやり取りになぜか安心した顔をしていたことを私は覚えている。今も、きっと変わらない。
私は工具を置いて、彼の方を向く。
それを合図にしたみたいに、轟くんは一気に言葉を吐き出した。
「またさ、言われたんだよ。無理すんなとか。その個性で無茶すんなとか」
轟くんは作業台に寄りかかり、視線を落とした。
指先でサポートアイテムの端をなぞる。
「分かってるっつーの、そんなの。俺の身体の事俺が1番知ってる」
吐き捨てるように言うけれど、語尾が少しだけ弱くなっていた。小さな声で「分かってるのにさ……」と呟いてから、言葉が途切れた。
轟くんはしばらく黙ってから、ぽつりと呟く。
「俺、こういうの誰にも言えねぇんだよ」
その声音は、怒りでも苛立ちでもなくて。ただ、疲れている人のものだった。
「夏くんには言うけどさ。迷惑そうな顔したり、嗜めて来るんだよなぁ」
「まぁ、轟くんの話長いもんねー」
「でも紡ちゃんは、そう言いながらもちゃんと聞いてくれるだろ」
疑問形じゃなく確認でもない。最初から、信じている目で私を見る。最初の頃の轟くんからは想像も出来ない。
私は答えずに、ただ小さく頷いた。
それで十分だと、轟くんも分かっているみたいだった。彼は少しだけ息を吐いて肩の力が目に見えて抜ける。
作業室の中では、相変わらず機械音が規則正しく響いている。誰もこちらを気に留めていない。
それが、逆にありがたかった。
「ここさ、落ち着く」
作業台の端に寄りかかりながら視線だけが室内をなぞる。
「ヒーロー科ってさ、うるさすぎなんだよ。クラスのヤツらもうるせぇし、いちいち話し掛けて来るし」
「友達になればいいじゃん」
「友達なんて要らない。紡ちゃんが居ればいいし」
「じゃあ、私が雄英に居なければ、轟くんは友達ゼロだったわけだ」
「今の聞いてそういう事言う?普通」
呆れたように言いながらも、轟くんの口元はわずかに緩んでいる。その表情に、何故か胸の奥がちくりとした。
「だって、極端なんだもん」
「極端で悪いかよ」
そう言って、彼は鼻で小さく笑った。
視線は合わず、作業台の金属を見つめたまま、指先でなぞる動きだけが続く。
「紡ちゃん居なかったら、誰にも言わずに勝手に溜め込んで、たぶんそのうち爆発してた」
自分の個性を指すみたいな言い方に、私は小さく息を吐いた。
「それ、危ないやつじゃん」
「だろ」
軽く言うけど、冗談に聞こえない。
本当に轟くんは溜め込んで爆発させてしまうタイプだったから。中学の時もそうだった。
「また、ここ来てもいい?作業の邪魔はしないからさ」
「静かにしてくれるならいいよ」
「出来るかどうかは分かんねぇけど」
即答だった。
私は少しだけ考えるふりをしてから、工具を持ち直す。
「…… 紡ちゃんさ」
不意に呼ばれて顔を上げると、轟くんは照れたように視線を逸らしたまま言った。
「中学の時も今もさ、俺の居場所、そこだったんだよ」
胸の奥静かに鳴る。
火力の上げ方しか教えてくれなかったと言っていた彼の火が静まる場所。言葉を吐き出しても、否定されない場所。
それが、私の隣だと言われてしまったら。
「じゃあ、利用料取ろうかな」
「は?」
「愚痴一回につき、アイス一個」
「高ぇな」
「嫌なら来なくていいよ?」
そう言うと、轟くんは一瞬だけ困った顔をしてから、観念したみたいにため息をついた。
「……分かったよ」
「毎回ね」
「毎回かよ」
でも、その声はどこか楽しそうだった。
静かな作業室で二人分の時間だけがゆっくりと流れていく。
やっぱり、変わっていない。たぶん、これからも。
「あ、ねぇ。スマホ買った?」
「うん、流石にね」
「連絡先、教えてよ。紡ちゃんがスマホ持ってなかったせいで連絡先知らないまま、卒業しちゃったし」
轟くんが制服のポケットの中から黒いスマホを取りだして、ヒラヒラと振る。
私もポケットの中からスマホを取りだして、アプリを開いて連絡先を交換すると、轟くんは満足そうに笑った。
「これでいつでも聞いて貰える」
「いや、それは勘弁して?」
冗談めかして言うと、轟くんは「ひでぇなァ」と小さく笑った。
「じゃあ、たまにでいい」
「たまにって?」
「限界来た時」
そう言って、スマホを制服のポケットにしまう。
「その時は、ちゃんと聞いてくれるんだろ」
「はいはい」
「その言い方さぁ」
不満そうに眉を寄せながらも、声はどこか安心しきっている。
作業室の時計を見ると、思っていたより時間が経っていた。
窓の外は少しだけ夕焼けに染まり始めている。
「そろそろ戻らないと、ヒーロー科怒られるんじゃない?」
「あー……そうかも」
名残惜しそうに作業台から離れて、ドアの方へ向かいかけて、ふと思い出したみたいに立ち止まる。
「なぁ」
「なに?」
「今日、ここ来るのめんどくせぇって思ってたけど、来てよかった」
振り返らずに言う声は、少しだけ低くて、素直だった。
「ありがとう、紡ちゃん」
「どういたしまして」
それだけ言うと、轟くんはドアを開けて出ていった。閉まる直前、ほんの一瞬だけこちらを振り返って、いつもの不機嫌そうな顔で。
でも、目だけは少しだけ柔らかかった。
ドアが閉まり、また作業室に機械音だけが戻る。
私はしばらく、その場に立ったまま動けなかった。
中学の頃と同じように、ただ話を聞いていただけなのにいつの間にか、彼の居場所になってしまっている。
それが嬉しいのかは分からない。
でも、胸の奥に残ったこの熱だけは、確かだった。
すると、また作業室の入口が開く音がして「すみません」と声がする。
振り返ると、ヒーロー科の制服を着た女子生徒が一人、立っていた。
「さっき、轟燈矢がこっちに来てませんでした?」
「来てましたけど、さっき帰りました」
「もう!轟くん、すぐフラッと消えるんだから!」
頬を膨らませる彼女は轟くんのクラスメイトなのだろうか。
彼女は私の手元をチラリと見て、それが誰の物なのかに気がついたようで、「それ…」と呟く。
「轟くんのサポートアイテムだぁ!」
「そうですね」
「私、同じクラスで、轟くんの個性と相性良いからよくチーム組むんですよ」
「そうでしたか」
何の話だと思いつつ、適当に相槌を打つが未だに彼女の話は止まらない。なんだか、デジャブを感じる。
すると、ポケットの中に入っていたスマホが震えた。取りだして画面を見れば、先程交換したばっかりの轟くんの名前。
トーク画面を開けば、猫の写真に『猫いた』というメッセージ。
何故、唐突に猫なんだ。
写真をよく見れば、背景は雄英の中庭のように見えた。
『そこ中庭?』と返信すれば、すぐに『そう』と返って来る。
「轟くん、中庭に居るそうですよ」
「え…?」
探しているという彼女に轟くんの居場所を教えれば、驚いたように目を見開いた。
固まってしまっている彼女に「行かないんですか?」って声をかければ、ハッとしたように肩を揺らす。
「ありがとう!助かりました、中庭行ってきます!」
そう言って晴れやかに彼女は作業室から出て行く。
彼女が出て行って、また静かな空間が戻って来た。私は作業台に手をついて、ゆっくり息を吐く。
すると、今度は近くに居たクラスメイトが呆れ顔で私を見て話しかけて来た。
「すごいね、轟燈矢と知り合いなんだ…?」
「中学が一緒だっただけ」
「中学一緒だけの距離じゃなくない?」
悪意はない。だからこそ、その言葉は胸に残る。
「……普通だと思うけど」
自分で言いながら、少しだけ迷う。普通って、どこまでだろう。
一人でモヤモヤとしながら考え込んでいると、クラスメイトはまだ話を続ける。
「普通じゃないよ。俺なんか前に轟のサポートアイテムの試作品作った時に『こんなんじゃ、全然使えない』って冷たく言われたし」
「…まぁ、轟くんの火の温度高いからねぇ」
「そこじゃなくて!俺と白瀬への態度の違いについて話してんの!」
「私も最初は無視されてたよ」
クラスメイトの言葉に、胸の奥が少しざわついた。無視されてたのに、今はこうしてちゃんと話してくれる。
あの時と同じ、でも少し違う。
なんだか、嬉しい気持ちまで混じってる。
「じゃあ、今は特別なんだ」
「特別…?」
「だってそうでしょ。あんなに話してる轟、見た事ないから」
それだけ言って、彼はまた自分の作業へと戻った。作業室には、また機械音だけが流れる。
私はネジを締めながら、さっきの言葉を反芻していた。
普通じゃない、特別。
そして、ここで愚痴を吐いて火を静める彼。
その全部を知っているのは、たぶん、私だけだ。
私はもう一度工具を手に取り、作業台に向き直った。静かな放課後。その静けさの中に、確かに彼の気配が残っていた。
───
次の日の放課後も轟くんはやって来た。
昨日と同じ不機嫌そうな顔をして。
いつも以上に不機嫌で作業室のドアが開く音に顔を上げると、案の定そこには腕を組んで、眉間にしわを寄せたままの轟くんが立っていた。
今日もいつものように「聞いてよ」と来るのだろうと思っていた。
けれど、轟くんは迷う様子もなく私の作業台の傍まで早足で来て、そのまま勢いよく、ガンと音を立てて手をついた。
「今日はどうしたの?」
「どうしたの、じゃねぇよ」
昨日よりも、明らかに機嫌が悪い。
私は工具を置いて、少しだけ首を傾げた。
「…昨日さ」
「うん」
言いかけて、言葉を切る。
そのまま、私の手元、昨日彼が使っていたサポートアイテムに視線を落とした。
「俺のこと探しに来てたよく知らねぇ女、居ただろ」
「あぁ、居たね。轟くんのクラスメイトの」
「クラス?…そう言えば居たような…」
一瞬、考える素振りを見せたがすぐに「いや、そうじゃなくて」とすぐに話を元に戻す。
「なんで、紡ちゃんじゃないの」
「は?何が?」
「中庭?って聞いてきたから、紡ちゃんが来ると思って、俺待ってたのに」
「行くって一言も言ってないじゃん」
「そうだけど、俺は待ってたんだよ!」
吐き捨てるみたいな言い方に肩をすくめる。
駄々っ子じゃないんだから、と呆れながらも「はいはい」と答えれば、「またそれかよ」と更に不機嫌そうになってしまう。
「俺は待ってたのにさ。変な女来るし、しかも紡ちゃんから居場所聞いたとかマジでムカつく」
「そんな事言われても」
「それに、紡ちゃんとどんな関係なんだって聞かれた」
その一言で、作業室の空気が少しだけ重くなった気がした。胸の奥がキュッとして、少しだけ痛い。
「なんて答えたの?」
「中学一緒だっただけって言った」
昨日と同じ答え。
それなのに、轟くんは納得していない顔をしている。
「でもさ、それだけじゃねぇだろ」
低い声だけど責めているわけでも、問い詰めているわけでもない。ただ、腑に落ちていないという顔だった。
「周りにそう思われるの嫌なんだよ」
「何が?」
「紡ちゃんと、他人みたいに」
「他人ではないけど」
「だろ?少なくとも、俺はそう思ってない」
被せるように即答された。
作業台に置いた手に少しだけ力が入る。
私は視線を逸らしながら、工具を持ち直した。
「友達って答えれば良かったんじゃない?」
「そんな軽い関係じゃねぇじゃん」
「じゃあ、親友とか」
轟くんは一瞬言葉に詰まって、苛立ったように髪をかき上げる。
「親友とか、友達とか、そういう枠に入れられるのも、なんかムカつく」
不機嫌そうに吐き捨てるけれど、怒っているというより困っているように見えた。
「じゃあ、なんなの」
「そんなの分かんねぇよ!紡ちゃんの方が俺の事よく知ってんだから、分かれよ!」
「いや、どんなキレ方よ。分からないよ、私にだって」
思わずそう返すと、轟くんは一瞬だけ言葉に詰まった。言い返してくるかと思ったのに、口を開いたまま、何も言わない。
私も言い過ぎたかな、とそう思った瞬間、彼は小さく舌打ちして視線を逸らした。
「…俺さ、紡ちゃんの事よく知らない」
「は?」
「俺がいつも話してばっかりで、紡ちゃんの話、あまり聞いてこなかったなって。だから、知りたい」
「…はぁ」
思わず間の抜けた声が出た。
知りたい、なんて言葉がこの口から出ると思ってなかったから。
「今さら?」
「今さらだよ」
ぶっきらぼうに言うくせに、視線は相変わらず合わない。
さっきまでの苛立ちは影を潜めて、代わりに落ち着かない空気が漂っている。
「紡ちゃんが何考えてるのかとか。何が好きなのかとかも知らなくて。だから、適当に猫、送った」
「それで猫なんだ。轟くんが好きなのかと思った」
「別に好きでも嫌いでもねぇよ。だから、教えて、紡ちゃんの好きなもの」
「これと言って、無いけど…強いて言うなら、轟くんの話?」
「は?俺の話?愚痴しか言ってないのに?」
「確かに面白い話じゃないね。うーん、じゃあ、轟くんと話す時間が好き」
言い切った瞬間、作業室の空気が止まった。
轟くんは一拍遅れて、ゆっくり瞬きをする。
さっきまで落ち着かない様子だったのに、今度は逆に固まったみたいだった。
「俺と話す時間が、好きって言った?」
「言ったけど」
自分で言ってから、少しだけ恥ずかしくなって視線を逸らす。言葉にしたら、思ってたより重かった。
轟くんは何も言わないけど、作業台に置いた手の指先が、わずかに動いたのが分かった。
「私だって轟くんの好きな物あまり知らないよ。お父さんが大好きな事くらいしか」
「はー!?キモイ事いってんじゃねぇよ!誰があんなクソ親父!」
即座に噛みつくみたいに否定されて、思わず肩をすくめた。
「だって、話聞いてる限り、めちゃくちゃ意識してるじゃん」
「違ぇよ、反面教師だっつーの!」
「はいはい」
「……好きなもの、俺にだってあるよ」
「何?」
「紡ちゃんが、ちゃんと俺を見て話す時間」
「私のパクリじゃん」
そう言うと、轟くんは一瞬だけ言葉に詰まって、すぐに不機嫌そうに視線を逸らした。
「うるせぇな」と低くぼそっと返されて、否定では無いことに胸の奥がまたざわつく。
轟くんは作業台に寄りかかったまま、指先で金属を弾いた。
「紡ちゃんがこっち見て話してる時、ちゃんと俺の話聞いてんだなって分かる。適当に相槌打ってても、目は逸らさねぇし」
一拍置いて、続ける。
「好きな物とか、話す時間とか、距離感とか。他の奴にはしねぇ事、俺には普通にするだろ」
昨日のクラスメイトの言葉が、頭をよぎる。
───中学一緒だけの距離じゃなくない?
その言葉の意味がじわじわと形取られていくような気がした。
「それ、俺だけって思っていいのかよ」
その問いかけは、責めるでもなく、縋るでもなく。ただ確かめるみたいで、ずるかった。
私はすぐに答えられなくて、工具の並んだ作業台に視線を落とす。金属の冷たさが、さっきまでよりはっきり伝わってきた。
「どうして、そんなこと気にするの」
「俺だけ特別だって思ってて違ってたら、結構キツいだろ」
低い声なのに、妙に正直だった。
胸の奥が、ゆっくりと締め付けられる。
逃げ道を探そうとしたけど、もう無理だと分かってしまった。
「昨日、猫送ったの、本当は紡ちゃんが来る理由が欲しかった」
「来てって言わなかったのに」
「それでも、俺の居場所分かったら来てくれるかなって」
一瞬、言葉を探すように視線が泳いでから、ぼそっと落とす。
そう言えば、中学の頃、お父さんに特訓の成果を見せたいから瀬古杜岳に来てと誘っても来てくれなかったと愚痴っていた事を思い出す。
不器用で、正直で、逃げ場のない言葉だった。
「じゃあ、次からは、ちゃんと言って」
「言ったら来てくれんの」
「言ってくれたら行くよ」
私がそう言うと、轟くんは少しだけ驚いた顔をしてから、困ったように眉を寄せる。
「来なかったら、普通に拗ねるからな」
「めんどくさい」
「今さらだろ」
そう言われて、思わず小さく息を吐いた。
確かに、今さらだ。
中学の頃から、ずっとこうだった。
言葉足らずで、期待して勝手に拗ねて。
それでも、何も言わずに隣に居ると少しだけ安心した顔をする。
轟くんは何も言わず、しばらく黙ったままだった。作業室に機械音だけが響く。
「紡ちゃんに来てほしい時は言うから…ちゃんと来て」
「うん、約束。…あ、でも頻繁に呼び出さないでよ?1ヶ月に1回くらいにしてよね」
「はっ?少なくね?」
即座に返されて、思わず吹き出しそうになる。
笑いを堪えているせいで工具を持った手が震えてしまう。
「多いよ。月一でも十分じゃない?」
「全然足りねぇ」
「何の基準なのそれ」
「俺基準」
真顔で言われて、言い返す気も失せる。
「じゃあ、二週間に一回」
「渋いな」
「嫌なら月一に戻すけど?」
「…二週間でいい」
納得してない顔のまま引き下がるのが、いかにも轟くんらしい。
工具を動かしながら横目で見ると、彼は作業台に寄りかかって、さっきより少しだけリラックスした表情をしていた。肩の力が抜けているのが分かる。
「呼んだら来るって約束、ちゃんと守れよ」
「分かってるよ。轟くんもちゃんと言う約束守ってね」
「言う」
短く言い切る声。
それだけで、もう大丈夫なんだと分かってしまうのが悔しい。
作業室には相変わらず機械音が響いている。
でも、その中で二人分の空気だけが、静かに落ち着いていた。
この気持ちに名前をつけるのは、まだ怖い。
けれど、ひとつだけ分かってしまった。
私はもう、轟くんがここに来なくなる未来を想像したくない。
「ねぇ、紡ちゃん」
不意に呼ばれて顔を上げると、轟くんは作業台に寄りかかったまま、視線だけこちらに向けていた。
「明日も来る」
「二週間に一回じゃなかったの」
「それは呼び出す回数だろ」
「ずるくない?」
「俺基準だから」
当然みたいに言われて、さっきと同じやり取りなのに、胸の奥が少しだけ熱くなる。
作業室の窓の外では、夕焼けが少しずつ濃くなっていく。その色を横目に見ながら、私は思う。
きっと、これは始まりだ。
恋だと認めるにはまだ足りなくて、ただの友達だと言うには、近すぎる。
それでも、彼が帰る場所のひとつに、私がなってしまったことだけは、もう否定できなかった。
1/1ページ
