焦げた運命のその先で
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「で、お前は今、仕事は何してる?」
「あー…えーと…」
喉が一瞬、詰まった。
あの人の名前を出したら、きっといい顔はしない。
どうしようかと答えあぐねていると、早くしろと言わんばかりに舌打ちを鳴らされた。
「エンデヴァー...」
「は?」
意を決して素直に答えようとしたのに、名前を言った瞬間に食い気味で不機嫌そうな声を出されて心臓がヒュンと縮むような感覚がする。
「事務所で事務をしております…」
恐る恐る続きを口にすれば、今度は何も答えてはくれない。
慌てて鞄の中から退職届を取り出して荼毘くんの目の前に突き出した。
「でも、もう辞めるつもりだったから、これ明日出すの!」
沈黙が怖すぎて聞かれてもない事をまたペラペラと話し出してしまう。
もう辞めるから怒らないで欲しい。ほら、今無意識に出している炎をしまってください。
昔から燈矢くんは感情が高ぶるとよく炎を出していたから、少しだけ懐かしさも感じてしまう。
すると急に荼毘くんは、喉の奥で笑いを噛み殺すように肩を揺らした。
「いや、辞めなくていい。むしろ好都合だ。お前、そのままスパイやれよ。あいつの情報俺に寄越せ」
「えっ…えぇ…!?辞めて正式に敵連合に入れてくれるんじゃないの?」
「お前の個性は俺のモンだ。他の奴らに使わせる気はねぇよ」
「は、はぁ…」
荼毘くんは突き出した退職届を燃やしてパラパラと消し炭を床に落とした。
「せいぜい、俺の為に働いてくれよ、灯」
呼ばれた名前に少しだけ寂しさを感じてしまうのは何故だろう。昔は、灯ちゃんと屈託なく笑ってくれていたのに。
呼び名ひとつで彼の言う通り、燈矢くんは死んで今は荼毘なんだと思わされてしまう。
「あと、住んでる所はそのままにしとけよ」
「え、どうして? 生活用品とか全部捨てちゃったよ」
「買い直せ。俺もそこに住む」
「……はい?」
一拍遅れて、言葉の意味が追いついた。
荼毘くんは当然かのような顔しているのも理解が出来ない。
「だから、そこに住む」
「ムリです」
即答すると、荼毘くんは一瞬だけ目を細めた。
「お前、ひとりで住んでるだろ」
「そうだけど」
「だったら問題ねぇ」
「問題大アリですけど!」
「何が問題なんだよ」
「火とか身元とか危ないでしょ?実家燃やされた時に放火犯がどうとかって言ってたから、事情聴取とかでヒーロー家に来るかもだし!」
「何してんだよ、お前」
「燃やしたの荼毘くんだよね!?」
勢いで言ってしまった言葉が部屋に落ちる。一瞬で空気が凍った。荼毘くんは何も言わなかった。
怒りも感じないし、舌打ちすらしない。
ただ、目だけが私を見た。
「お前、感謝してただろ」
「それは、うん。嬉しかった。ありがとう」
「礼は部屋の提供でいい」
「逆に荼毘くんは今までどこで生活してたの?」
荼毘くんは自分の事は教えるつもりはないようでその事について答えることは無かった。
一歩、距離を詰められ、逃げるように半歩下がったけれど背中が壁に当たって逃げられない。
「危ねぇのは俺じゃねぇ。ヒーローだろ。もし、連合との関係がバレたらどうする。お前、殺せるか?ヒーローを」
「…それは、」
言葉に詰まり黙り込んでいると荼毘くんは私を閉じ込めるように背後にある壁に両手を置かれた。
蒼い目がまっすぐ私を射抜き、視線を逸らす事は許されない。
すぐに答えられなかった。出来ないと思った。
荼毘くんはそれを見逃さない。
地獄でもいいと思ったけど、“人を殺す覚悟”まではまだ辿り着いていない。
「家も親も燃やされた。帰る場所もねぇ」
最後の一言だけ、少しだけ低くなった。
怒りでもなく、悲しみでもなく、事実として置かれた言葉。
「だったら、俺の目の届く所に居ろ」
「一緒に居ろ」よりもずっと重く感じる言葉だった。
「選択肢は二つだ」
「何?」
「俺と住むか、俺に監視されるか」
「…住む方でお願いします」
どっちも同じじゃないか、と思ったけど声に出したら完全に負けだと分かってしまった。
どっちを選んでも逃げ道はない。それでも“自分で選んだ形”を残したかった。せめてものの私なりの抵抗だ。
「安心しろ。お前が火傷しねぇ程度には、手加減してやる」
「それはどう言った意味なの」
「さぁな」
守る気なのか、壊す気なのか。分からないけど完全に逃げ道は塞がれていた。
「せめて、ルールは決めようよ!」
「は?」
少しでも対等になりたくて、勢いで言うと一瞬、荼毘くんの眉が動く。
管理されるだけの存在には絶対になりたくない。
ルールなんてまだ何も決めていないけど、ここで何も言わなかったら本当に“物”になってしまう気がした。
荼毘くんの顔の目の前に人差し指を突き出す。
「私の寝室には勝手に入らない!」
「無理」
間髪入れずに即答でめげそうになったけれど、それでもとにかくルールを口にする。
「その2! 寝室は別!」
「おいおい」
少し笑った声で大袈裟に肩を竦めて首を斜めにして困ったような表情を作ってみせた。
「まさか俺に床で寝ろって言うのか?」
「……っ」
「薄情だなぁ、灯ちゃんは」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がずるっと崩れた。この人、分かってて言ってる。私にとって一番効く呼び方を。
「ぐっ……!」
反論したいのに、言葉が詰まる。
それでも、負けたくなかった。
ここで引いたら、本当に全部持っていかれる。
私の居場所も、選択肢も、名前さえも。
「じゃあ、次は俺のルールな」
「なんで荼毘くん側のルール適用される前提なの?」
「無断外出禁止」
「え」
「誰と会うかは事前報告」
「いや、ちょっと待って」
「ヒーロー側の奴と二人で会うな」
「待って待って待って!それはルールと言うよりも束縛です!」
「違ぇよ。管理だ」
「余計に却下です!!」
叫んだ私を見て、荼毘くんはほんの少しだけ楽しそうに口角を上げた。
「可能性0じゃねぇからな。お前が裏切ること。ほんの1ミリでもあるなら最初に潰す」
「私が荼毘くんを裏切るわけないでしょ。それだけは絶対にない」
試すような視線を真っ直ぐに見つめ返してキッパリと言い切ると空気が張り詰めた。
威嚇でも脅しでもない、ただ見定めるような目が私を静かに見つめる。
「私には、荼毘くんだけだもん」
「言葉は要らねぇ」
次の瞬間、距離が更に詰められて気づいた時には、顎に指がかかっていた。
強くはないし逃げられないほどでもない。
ただ、逃げないかどうかを確かめているかのようだった。
蒼い瞳が感情を測るみたいに私を覗き込む。
「裏切られた時に痛ぇのは、裏切った方じゃねぇ。期待した方だ。だから最初から、裏切れねぇ位置に置く」
その言葉にハッとして、荼毘くんの手に軽く触れると私が知っている彼の温度より熱くなっているのがわかった。
────そうか、荼毘くんはあの日、痛かったんだ。あの日は必ず来てくれると信じていたのに来てくれなかったから。
彼の痛みに触れて目の縁からボロボロと涙がこぼれ落ちてしまう。
「信じなくてもいい。でも、私は荼毘くんを裏切らないのは本当。もし、私が裏切る様な事をした時は燃やしていいよ」
涙に濡れた私を見下ろす蒼い瞳が、一瞬だけ揺れる。
「イカれてるよ、お前」
吐き捨てるみたいに言ったくせに、その声はどこか低く掠れていた。
「私の命、荼毘くんにならあげられるよ」
そう言いながらも、手は離れない。代わりに、親指が目元を乱暴に拭った。優しくないけど、その熱だけがなんだか心地よかった。
「見物だな。お前がどこまで堕ちれるか」
荼毘くんがそう言ったのと同時にポケットの中に入っていたスマホが震え、メッセージが届いたのを知らせる音が鳴った。
目線で誰からの連絡か確認しろと言っているのを感じたのでポケットからスマホを取りだして、通知を見ると、その内容に一瞬息が止まる。
『今日は久しぶりに会えて嬉しかった!明日、家にご飯食べに来ない?夏も帰ってくるし、灯ちゃんの好きだったのもたくさん作るよ!』
今日、冬美ちゃんに連絡先を教えたのが幸か不幸か。何故、今送ってきたんだ。
なんて、冬美ちゃんには申し訳ないくらいの八つ当たりなのだが、荼毘くんに見せるのが怖すぎる。
胸の奥がざわついて視線を上げると、荼毘くんがこちらを見ていた。何も言わず、ただ見ている。
「ヒーロー側と二人で会うなって事だけど…これはアウトですか…」
私はスマホを差し出て、冬美ちゃんとのトーク画面を見せるとたったそれだけなのに、空気が変わる。
「…へぇ、まだ関わりあったのか、あの家族と」
「ううん。今日、お墓参りに行ったらたまたま冬美ちゃんに会ったの。会うのは10年ぶりくらいだよ」
「あんな何も入ってねぇ所に行ってんのか」
「…だって、そこでしか会えなかったから」
私がそう答えると、荼毘くんは一瞬だけ視線を伏せた。ほんの一瞬。見逃しそうなほど短い間。
「死んだ人間に会いに行く場所、か。そんで、生きてる方からは飯の誘い。…皮肉だな」
蒼い炎は出ていないけれど、空気がじりじりと焼けるみたいに重い空気が苦しかった。
「断るね。元々、行くつもりなかったし」
「いや、行け」
「本気で言ってる?それとも、試されてるの?」
「飯食って、笑って、あの家の中に座れ」
「でも、それって…」
「エンデヴァーにも家族と向き合う時間が必要だろ」
皮肉たっぷりの言い方に荼毘くんが私にどうして欲しいのか、あの家族に何をしたいのかを薄々感じ取った。
私があそこに居るだけで、燈矢くんが居ない事実を忘れられなくなる。
「でもなぁ…」
「冬美ちゃんを裏切れねぇってか?」
「いや、エンデヴァーさんと食卓囲むのがちょっと…うん、キツイ…」
本音を漏らせば、荼毘くんは一瞬キョトンとしたあと、吹き出した。「……あぁ、そこかよ」と口元を歪めて肩を揺らす。
「エンデヴァーと飯か。確かにキツいな」
「そんなに笑うとこ?」
「想像したら可笑しくなっただけだ。あいつが家族団欒やってる顔を。しかもそこに、お前が座ってる」
笑いが収まらないまま、視線だけが冷たくなる。
蒼い炎は出ていないのに、胸の奥がひりつく。
荼毘くんを至極楽しそうに笑って私を見た。
「最高の地獄だろ」
そう言って楽しそうに笑ったまま私じゃなくて、あの家を見ている目をしていた。
その目には気が付かないフリをして、冬美ちゃんに『ぜひ、お邪魔させて頂くね!楽しみにしてる』と返せば、直ぐに嬉しいとクマが言っているスタンプが返って来た。
にこやかに笑うクマがなんだか憎たらしく思えてしまい、スマホを閉じてポケットにしまった。
「私、明日も仕事だからもう帰るけど家に住むのはもう少し後にしてね。色々揃えたりするから」
「あぁ。俺も仕事があってな。それが終わったら行く」
荼毘くんと連絡先を交換して、この日は別れた。
アパートに戻って来て、またここに戻ってくるとは思わなかった。
家具と家電だけはまだ捨てられなかったので、移動させてなくてよかったと思う。
「…今日は疲れたからもう寝よう」
そう呟いて布団の中に潜ったが、色々あったので疲れているのに目は冴えてしまって眠れない。
眠気を誘う為にスマホを開く。
よくよく考えてみれば、敵連合って聞いた事あるんだよな。なんかニュースになっていたような気がするのを思い出して、敵連合と検索かけてみれば情報がズラっと出て来た。
雄英高校襲撃事件。
見覚えのある文字列に指が止まった。
喉がひくりと鳴る。
雄英高校襲撃事件のニュース記事をタップして読見進めていくと冷や汗がダラダラと流れ、心臓がバクバクとなり始める。
その後も保須事件など出て来て、叫びたくなってしまった。
なんであの時思い出さなかったの、バカ!
「私、無理かも…」
それから、私は一睡も出来ずに夜が明け、出勤時間となってしまった。
朝から胃が重い。
いつもの日常のハズなのに、私にとってスパイ初日。
そんな器用な方じゃないからすぐ顔に出てしまいそうだ。それでも、荼毘くんの為なら逃げないと決めた。ここが、私の“職場”で同時に私が堕ちていく場所だ。
それから、出勤してからの数時間は何も起きなかった。いつも通り書類を整理して、電話を取って、コピーを取る。何も起きない、それが逆に怖かった。
「灯ちゃん、この書類まとめといてくれる?」
「はい、分かりました」
声が裏返らなかったか、挙動不審になっていないか、そればかり気にしてしまう。背中に汗が張り付く感覚が取れない。無性に喉が乾いてしまい、何度も水を飲んで誤魔化している。
「そういえばさ。最近、妙な動き多くない?敵連合とか」
「えっ!?」
バーニンさんが何気なく言った言葉に心臓が一拍遅れて跳ねた。疑心暗鬼になっているのか、全ての言葉が試されてるいるように聞こえてしまい、過剰な反応を示してまう。
バーニンさんはこちらを見て不思議そうにしていたので慌てて笑顔を作る。
「あ、ニュースですよね。物騒ですよね」
「でしょー?ほんと嫌になるわ」
たったそれだけ。何気ない世間話なのに指先が震えてしまい、握っていたペンが滑り落ちてカラン、と乾いた音が鳴った。
「大丈夫?」
「すみません、ちょっと寝不足で」
バーニンさんが拾ってくれたペンを受け取るとやけに重く感じた。
私は今、ヒーローの事務所で働く敵側の人間だという事実がじわじわと内側から染み出してくる。
それから1日何事もなく仕事を終え、ホッと安堵のため息を吐きながら帰る支度をしていると、エンデヴァーさんがサイドキックの3人を引き連れて巡回から戻って来た。
「…お疲れ様です」
「あっ、灯ちゃん。おつかれー!今日は早く寝なねー」
「はい、ありがとうございます」
バーニンさんにお礼を言って頭を下げると、キドウさんとオニマーさんも気をつけてと声を掛けてくれたが、エンデヴァーさんはこちらを一瞥することもなく所長室へ戻って行った。
…やっぱり、あの人と食事はキツイ。
心折れそうだ。
事務所を出た時、足が少しだけ震えていた。何も起きていない一日だったはずなのに、心だけが擦り切れている。
帰り道、夕焼けがやけに綺麗でそれが余計に現実感を失わせた。世界は何も変わっていない。変わったのは、私だけ。
アパートに戻って靴を脱ぎ、電気もつけずにそのまま床に座り込んだ。スマホを握ったまましばらく動けなかった。
荼毘くんに連絡だけはしておかないと。
『今日はなにも収穫なし』
それだけ送ると直ぐに既読はついたものの、数分経っても一向に返事が来る気配はない。
「…なんだよ、荼毘くんのバカ」
せめて返信くらいくれてもいいじゃないか。
明日は地獄へ行かなくてはならないのだから、少しくらい労いの言葉をくれたって…。
いや、荼毘くんだしな。それはないか。
自分で勝手に納得して、未だに通知で震えないスマホをポケットにしまって立ち上がろうとすると、急に玄関の鍵が開く音がして重い音を立てて扉が開いた。
「…え?」
「なんだよ、こんな所で」
「いや、いやいや。なんで家の鍵持ってるの」
「貰った」
「あげてないですけど!盗んだの!?」
玄関に立つ荼毘くんは、靴を脱ぐ気もないまま私を見下ろしていた。
蒼い瞳が、床に座り込んだ私をゆっくりとなぞる。
「で、そこで何やってる」
「鍵の件はスルーですか。...疲れたの」
「見りゃ分かる」
ぶっきらぼうなのに、視線だけは逸らさない。
私は膝を抱えたまま、ぽつりと零した。
「明日はエンデヴァーさんとご飯なんだよ。胃が痛い」
「だから言っただろ。あれは地獄だって」
その言い方が妙に静かで。
胸の奥がきゅっと縮んで、思わず視線を上げてしまう。
「…荼毘くんとご飯食べたい」
「は?」
「今日は、一緒に食べようよ」
自分でも驚くほど素直な声だった。
甘えたみたいで少し恥ずかしいけど、それ以上に心がすり減ってしまっているのでそんな事にかまっていられない。
荼毘くんは数秒、何も言わずに私を見ていた。
それから、ゆっくり息を吐く。
「イカれてんのか、お前。俺との飯も地獄だろ」
「なんでよ。そんなわけないじゃん」
即答だった。
考えるより先に出た言葉で、あとから自分でも驚く。荼毘くんは一瞬だけ眉を寄せて、それから小さく鼻で笑った。
「即答かよ」
「嘘ばっかりの1日だったから。荼毘くんの前だけでは正直な私で居たいの」
被せるように言うと、蒼い瞳がわずかに細くなる。少ししてため息を吐きながら、荼毘くんは靴を脱ぎ、部屋に入ってきた。鍵を閉める音が、 やけに大きく響く。
「...蕎麦なら食ってやる」
「蕎麦ある!今すぐ茹でる!」
荼毘くんの答えに勢いよく立ち上がって、傍に駆け寄るとチラリと一瞥しながら「元気じゃねぇか」と呆れた声で呟いた。
「今ので元気出たの!」
「めんどくせぇな」
「元気出て良かったな、くらい言ってよ」
「うぜぇ」
「酷い」
ただ純粋に嬉しかった。昔から蕎麦が好きだった燈矢くんがほんの一瞬だけ、ここで見れた気がした。
湯気が立ち上る鍋の前で、私は慌ただしく蕎麦を茹でている。
背後に気配を感じて振り返ると、荼毘くんは壁にもたれて腕を組み、無言でこちらを見ていた。
「椅子、座れば?」
座るように促しても特に行動に移す訳でもなく、ただ蕎麦が茹で上がるまでそこでずっと私を見ていた。
蕎麦を二つの器に盛ってテーブルに置くと、荼毘くんは椅子を引いて座った。狭い部屋なので向かい合う距離が近い。
「いただきます」
荼毘くんは何も言わずに箸を取って静かに蕎麦を啜る。無言で啜る姿をジッと見つめていれば視線だけをこちらに寄越した。
「伸びてない?」
「ギリセーフ」
「荼毘くん、昔から蕎麦好きだったよね」
「… 誰の話だ」
「誰だろうね」
「おい」
怒るかと思ったけど、別にこれは琴線に触れていないらしい。
2人きりの空間なら、少しだけ燈矢くんの話をしてもいいのだろうか。そんな錯覚をさせるくらい、今は空気が柔らかい。
「そう言えば、うちの両親の葬式ってどうなるんだろう」
「もう要らねぇだろ、俺が火葬してやった」
「でも、まだ身体残ってるみたいだし?」
「…チッ、火力足りなかったか」
「消し炭になっちゃえば良かったのにね」
「つーか、飯食いながらする話じゃねぇだろ」
「意外とそういうの気にするんだ」
会話の内容は最悪なのに、一緒に飯を食べているという事実だけが胸にじんわり広がっていく。
荼毘くんは器を空にして、箸を置いた。
身体は細いのに食べるのは相変わらず早い。それが妙に懐かしくて、思わず笑ってしまう。
「なに笑ってんだ」
「なんか、生きてるって感じがして」
「は?」
「一緒にご飯食べてるから」
一瞬、空気が止まる。
蒼い瞳がこちらを見て、すぐに視線を逸らす。
「くだらねぇな」
でも、否定はそれだけだった。
そう言ったきり、荼毘くんは立ち上がらない。
器を片付けるでもなく、椅子に座ったまま肘をテーブルについたまま部屋を見回して最後に私を見た。
「狭ぇな」
「今さら?」
「で、俺はどこで寝りゃいい」
「……ん?」
あまりにも自然な言い方で、理解が追いつかなかった。
寝ると言った?この人。え、家に住むのはもう少し後って言ってなかったっけ。
心の中で突っ込んでいたつもりだったが、全て口に出ていたようで「帰る理由ねぇだろ」と淡々と言われてしまった。
理由はなくても、こちらの心の準備というものがある。
「もちろん、ソファでしょ」
「無理」
「それなら、仕方ないね。床でどうぞ」
「論外」
「じゃあ、帰ろっか?」
「それも無理」
「ちょっとは悩んでよ!」
「悩む価値がねぇ」
即答だった。
その無慈悲さに、思わず口を開いたまま固まる。
「じゃあ、どこで寝るつもりなの」
「決まってんだろ」
そう言って、私の寝室のドアを見てから視線がゆっくり私の方へ戻ってくる。いや、私の寝室がそこだってなぜ知っている。
「私の聖域なので却下」
「じゃあ、折衷案だ」
「なに」
「俺がベッドでお前が床」
「なんでそうなるの!?」
即座に否定すると、ジッとこちらを見てくるが負けじと睨み返す。その末、ため息をついたのは荼毘くんだった。
「..寝不足のスパイとか使えねぇんだよ」
「ということは、私がベッドで荼毘くんがソファでいいっていう...」
「床で並んで寝れば文句ねぇだろ」
「どうしてそうなった」
冗談か何かかと思ったけれど、この瞳は本気で言ってる。
荼毘くんはあまりにも平然としていて、心臓の準備が完全に追いつかない。顔が熱くなるのを誤魔化すように、私は視線を逸らした。
文句を言いながらも、結局布団を二つ並べて床に敷いた。リビングもそんなに広くはないのでほとんど隙間はない。
「恨むなら飯を誘った自分を恨め」
「...脳内で数時間前の私をぶん殴っている所です」
布団に並んで横になる。距離はあるのに、熱だけが伝わって来て身体が熱くなるのを感じた。
電気を消すと、暗闇の中で蒼い瞳が微かに光った。
静寂の中、とにかくもう寝ようと目を閉じると荼毘くんは私の名前を呼んだ。
「どうしたの」
「裏切ったら、燃やす」
「うん。わかってるよ」
「でもな」
一瞬、言葉が切れる。
「……帰って来たら、飯くらいはまた食ってやる」
それは脅しでも約束でもない。暗闇の中で、その言葉だけが静かに落ちた。
ただ、当たり前みたいに言われた先の話。
蒼い瞳は私を見ずに天井のどこかを見つめたまま、低い声が続く。
「壊れる前に帰って来い」
心配して言ってくれているのか。それとも、使える人間が居なくなるのが困るからなのか。
その真意は分からないけれど、どちらだってもうかまわない。帰って来いと思ってくれているその事実だけで、充分だ。
布団越しに指先で少しだけ荼毘くんに触れてみる。掴むでもなく、握るでもなく。
そこにいるかを確かめるみたいな距離感でただ、触れた。
言葉は要らないのならこれで伝わるかな、なんて。
熱が確かに隣にある。炎じゃない、人の体温。
私は天井を見つめながら、ゆっくり息を吐いた。
明日は地獄に行く。でも、帰って来る場所がある。
それだけで、少しだけ眠れそうな気がした。
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