勿忘草
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朝、目を覚ますと、場地は隣には居なかった。温もりの消えたひんやりとした隣に寂しく思いながらも、帰って来たらまた、沢山話が出来るだろうと思い直し、ベッドから出た。
今日は、武蔵神社でお参りをしに行こうと計画を立てている。場地が無事に帰って来ますようにと、一虎とマイキーが仲直り出来ますようにと願掛けしに行くつもりだ。
場地ならきっと、「そんなの願う必要なんざねーよ」とか言いそうな気もする。私は抗争に参加する事は出来ないけど、みんなの為に何かしたいと考え、思いついたのがコレだった。
きっと、抗争が終わったら、場地が一虎を私の前に連れて来て、一虎は気まずそうに目を逸らしながら「ごめん…」って聞こえないくらいの声で謝るの。そんな姿が容易に想像出来て、少しだけ頬が緩んだ。
マイキーと一虎が仲直りするのは難しいかもしれないけれど、その時は私と場地も何度だって、許して貰えるまで一緒に頭を下げに行く。だから、ちゃんと一虎には帰って来て欲しい。
気合入れるかのように場地から貰ったシュシュで髪を一つに結って、武蔵神社に向かった。神社の拝殿の前で場地と一虎に貰った安産御守りと三人でお揃いのカピバラのキーホルダーを握りしめて、みんなの無事をひたすらお願いした。どうか、みんなが笑って戻って来ますようにと。
だけど、そんな私の願いも虚しく、ましてや最悪の結果を聞く事となってしまった。
その日の夜、マイキーから告げられた言葉は「場地が亡くなった」だった。訳が分からなくて、頭が真っ白になった。喉が張り付いたような感覚がして、言葉を発する事は出来なかった。マイキーの言葉が理解出来なかった。いや、理解したくなかった。場地がもうこの世に居ないなんて事実があっていいワケがない。
ただただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「場地は…「聞きたくない」」
「おい、明日香」
「変な冗談言わないでよ。いくらマイキーでもそんな冗談、怒るよ」
無理に笑顔を作って彼に向けてから、その場から走り去った。後ろからマイキーが私の名を呼ぶ声が聞こえるが、無視をして走り続けた。今の話を全て振り切るようにひたすら走り続けた。
きっと、何かの間違いだ。絶対にそう。マイキーのタチの悪い冗談だよ。だって、そんな訳がない。
ひたすら走って団地までやってきて、場地の家のインターフォンを押した。きっと、なに食わぬ顔でひょこっと玄関から顔を出していつもの様に「おー、明日香、どうした?」って言ってくれる。
ガチャっと玄関が開く音がして、顔を覗かしたのは場地ではなく、涙で顔がグチャグチャになった場地のお母さんだった。私を見た瞬間にお母さんは何も言わずに私を抱き締めた。耳元で聞こえた「ごめんね」の声に胸が締め付けられた。
なんで謝っているんだろう。なんで、こんなに泣いているんだろう。なんで、どうして…。
ひたすら心の中で問い掛けるけれど、もう答えは分かっている。マイキーの言っていた事は事実なんだ。場地はもう居ないんだ。
そう思うと、体中の力が抜けてその場に座り込んだ。暫く、玄関前で肩を震わし、嗚咽を漏らして「圭介…」と消え入りそうな声で何度もそう呼ぶ、場地のお母さんに抱きしめられていた。
それ以降の記憶はほとんどない。何も覚えていなかった。
*
抗争の次の日、場地さんの葬儀が行われた。
お通夜も参列し、マイキー君とドラケン君と共におばさんのご好意でその夜はその場に残った。
お通夜は本来、故人が目を覚ます事を願い、一晩中、線香の火を絶やすことなく、故人の思い出を語り合う時間らしい。
だから、オレはひたすら願った。場地さんが目を覚ますようにと。微かな願いを捨て切れずにはいられなかったんだ。
オレらの間には、ほぼ会話はなく、三人で静かに場地さんを見つめていた。きっと心の中でそれぞれ、場地さんとの思い出を振り返っているのだろう。
お通夜には、明日香は来なかった。マイキー君に明日香さんの事を聞いたが、かぶりを振るだけだった。
彼女の気持ちは凄く分かるが、明日はどうしても来て欲しいと思った。場地さんとの最期の時間をどうか一緒に居てあげて欲しい。きっと、場地さんもそう思っているのではないかと思った。
「明日、明日香さんを迎えに行こうと思います」
「オレもその方が良いと思う。場地の顔を見れんの最後だし」
ドラケン君もそう賛同してくれたが、マイキー君は黙ったままだった。何を考えているのか分からない表情でただ、真っ直ぐに場地さんが眠る棺を見つめていた。
次の日の朝、葬儀の三時間前に起きて、明日香を迎えに行く為に家に向かった。
インターフォンを押すと出てきたのはお母さんで、迎えに来た事を伝えると部屋に通してもらった。そういえば、明日香さんのおばさんを初めて見たが、昨日のお通夜に居たような気がした。少し、やつれたような、目の下に隈が薄ら浮かんでいて「どうぞ」と言って、浮かべた笑顔が痛々しくて居た堪れなくなった。
部屋のドアをノックをするが、返事はなかったので「入ります」と声をかけて、ドアを開くと中は真っ暗で冷たかった。まるで、彼女の心の中に入ってしまったような気がして、それ以上進む事が出来ない。
「明日香さん、起きてますか?」
ドア付近かた語り掛けたが、返事は聞こえず部屋の中は静まり返っていた。それでも、構わずオレは言葉を続けた。
「場地さんに会えるの最後ですよ。一緒に行きましょう」
重い足を引きずるようにベッドへ近付き、毛布の上から肩に手を置いてもう一度名前を呼べば、モゾモゾと布団の中から顔を出した。覗かした顔は疲れきったような顔をして、一睡も出来ていないように見えた。しかし、涙は一つも出ておらず、乾いていた。
「…場地の匂いが消えちゃいそうなの」
そう呟いて、枕をそっと撫でた。その行為が何なのかはすぐに想像はついた。余計にそれが悲しくなった。それ以上、余計な事は言えず「場地さんも待ってますよ」と一言だけ零せば、彼女は小さく頷いた。
支度をするだろうと思い、一旦部屋から出て、門の外で出てくるのを待った。暫くすると、玄関の開く音が聞こえて振り返れば、制服を着た明日香さんが立っていた。ちゃんと出て来てくれた事に少し安心した。
一緒に並んで葬儀場まで歩くが、お互い何も言わずに無言のままだった。暫く歩いていると、目の前から二つの影が現れて、よく見れば、ドラケン君とマイキー君だった。二人も明日香さんを迎えに来た所だろう。
頭を軽く下げると、ドラケン君は小さく笑ってくれた。そこからは、四人で葬儀場に向かった。
葬儀場へ近付くになるにつれて、みんなの歩くペースが遅くなるのを感じる。多分、思っている事は一緒だ。出来れば、行きたくない。最後なんて嫌だって思っているんだ。
式場の入口まで来ると、故 場地圭介 儀 葬儀式場 の文字が見えた瞬間に急に足取りが重くなって、まるで自分の足が石になってしまったかのような感覚がした。隣を歩いていた、明日香さんもピタッと足が止まってしまっていた。その様子に気が付いたマイキー君とドラケン君も歩みを止め、振り返った。
ドラケン君が明日香さんの背中を支えるようにして、ゆっくりと歩き出し、オレとマイキー君も歩き出した。
式場に入り、場地さんの居る大ホールに足を踏み入れると、明日香さんは驚いたように目を見開き、微かに震え始めた。一点を見つめながら、彼女は小さく頭を振り始めた。視線の先を辿ると場地さんの遺影を見ていた。
「…違う」
「え?」
「違う…、こんな事に使う為に撮ったんじゃない…」
「オイ、明日香、大丈夫か?」
「嫌だ…嫌だ嫌だぁ…」
子供みたいに嫌々と頭を横に振って、泣き出してしまった。そんな彼女に何て声を掛けたら良いのか分からず、オレもマイキー君もドラケン君も何も言えなかった。
その時、気が付いてしまった。彼女の言っていた言葉の意味を。穏やかに、幸せそうに笑っている遺影は、場地さんの部屋の机の上に飾られていた、明日香さんと写っていた写真だった。
そして、明日香さんは踵を返して、式場を飛び出してしまった。慌てて、オレとドラケン君が追いかけようとすると、マイキー君は「いいよ」と止めた。
「なんでだよ?これが最後なんだぞ!?」
「うん、知ってる」
「だったら…!」
「今、受け入れるのも場地を見るのもしんどいだろ」
「そうかもしんねぇけど…」
「オレも兄貴の時がそうだった」
そう言ったマイキー君は小さく笑っているけれど、声には悲しみが含まれていた。それには、オレもドラケンくんも何も言えなくなってしまった。
「アイツなら、きっと大丈夫。いつか、現実を見据えた時に自分でちゃんと場地に会いに行くよ」
マイキー君の声があまりにも優しいモノだったから、オレもドラケン君も追いかける事は出来なくなってしまった。
式が始まる前にトイレの鏡の前に立ち、少し気崩していた制服のネクタイもちゃんと締めて、きっちりと着直した。入学式から着崩していたから、初めてちゃんと着る制服は堅苦しくて嫌だ。しかし、今日は場地さんの葬儀。着崩す訳にもいかない。こんなにきっちりと着たのは、この一年半で昨日のお通夜と今日だけだ。
鏡に映る自分の制服姿が、初めて会った時の場地さんの姿を連想させられた。
場地さん、あんな風にきっちり着てたの、全然似合ってませんでしたよ。なんて、言ったら怒られるだろうな。
葬儀が行われる部屋に入ると、場地さんの親族と東卍のメンバーが既に揃っていた。全員参列するのには人数が多すぎる為、壱番隊と幹部のみとなった。
場地さんのおばさんがオレの前に来て、挨拶をしてくれたので、オレも倣って頭を下げた。
真っ直ぐに目を見る事は出来ずに「すみません」と謝罪の言葉を口にする事しか出来ない。
それでも「千冬君のせいじゃない。顔を上げて」と言ってくれて、その優しさが逆に痛かった。苦しかった。
でも、優しくて、強くて、真っ直ぐで、この方の元で育った場地さんがあの性格に育つのも頷けた。
「…あの、すみません、遺影の事なんですけど」
オレがそう切り出すとすぐに理解したのか、場地さんのおばさんは小さく頷いて「明日香ちゃんには、辛かったかしら…」と呟いた。
「どうして、アレを?」
「圭介の母親を14年間して来たけれど、あんな顔で笑う圭介は初めて見たの。明日香ちゃんにしか見せない顔だったのね。私が見て来た中で一番、生き生きとしていて輝いているように見えた。圭介もあの瞬間が一番幸せだったんじゃないかって思ったから、あの写真を使ったの」
涙を浮かべながら場地さんの遺影を眺めるおばさんの横顔を見ていたら、オレも目の奥が熱くなってきてしまった。
涙を見られたくなくて、制服の袖でグイッと拭い、おばさんに頭を下げてから、踵を返して外に出た。
もうすぐ、葬儀が始まる時間に迫って来ている為か外には誰も居なくて、冷たい秋の風がオレを出迎えた。その場にしゃがみ込んで、誰にも見られないように、ひっそり一人で泣いた。
時間になって葬儀が始まり、僧侶がお経を読み始め、刻々と進み、葬儀も終盤を迎えた。
火葬場へと出棺される際の花入れの時間がやって来て、参列者が次々に花を添えて行く。
泣き崩れる人も沢山居て、会場は悲しみの渦に飲み込まれていった。そして、自分の番になり、沢山の綺麗な花の中で穏やかに眠る場地さんの顔を見て、自身も棺の中へ花を添える。
ソッと頬に手を添えると温かみも何も無く、固くて冷たかった。その事実に喉の奥が締め付けられるように苦しくて焼けるように熱い。胸が握り潰されるような感覚に陥り、右手で胸元の服を力いっぱい握り締める。呼吸が上手く出来ない。ずっと聞こえていた、沢山の啜り泣く声や嗚咽が漏れる声が急に聞こえなくなり、外の世界が遮断され、まるで場地さんと自分だけの世界になったように感じた。
「場地さん…守れなくて、すみません」
絞り出すように掠れた声で語りかけるが、彼は何も答えてはくれない。そして、頬に冷たいものが伝い、視界が歪みぼやけて顔が見えなくなる。
そのまま、彼の姿が消えしまうのではないかと錯覚してしまう。
「分かっていたのに。一人で戦っている事、オレは気付いていたのに…っ!」
もっと、自分に力があれば、救えたのではないかと、何度後悔してきた。
一番傍で見て来たのに、何も出来なかった。
どれ程、後悔したって、あの日には戻れない事は分かっている。分かってはいるけど、そうする事しか出来ない。
あの日、「ありがとな」と笑って息を引き取った彼の笑顔が脳裏に鮮明に蘇る。
まだ温かさの残る彼の亡骸を何度揺すっても、何度呼びかけても、いつもの声は聞こえなかった。独特の「千冬ぅ」という自分を呼ぶ声も二度と聞けない。笑った時に覗く八重歯も見えなかった。ただ、静かに眠るように目を閉じているだけだった。
「約束したじゃないですか。ペヤング…半分こって…!」
たったそれだけの事すらもう、叶わない。
場地圭介がもうこの世に居ないという事は頭では理解していたけど、心が追い付いて来なかった。だけど、この瞬間にやっと本当の意味で理解した。もう、二度と言葉や視線を交わす事、憧れ続けた彼の大きな背中を追う事も、背中合わせで戦う事も、いつかのように朝方まで、団地の階段の踊り場で語り明かす事も、笑い合う事も出来ないという事を。
瞳から流れ落とした涙が場地さんの目元に落ち、頬を滑り落ちた。まるで、彼が泣いているように見えた。そして、自身の悲痛な叫び声だけが広い部屋に響き渡った。
今日は、武蔵神社でお参りをしに行こうと計画を立てている。場地が無事に帰って来ますようにと、一虎とマイキーが仲直り出来ますようにと願掛けしに行くつもりだ。
場地ならきっと、「そんなの願う必要なんざねーよ」とか言いそうな気もする。私は抗争に参加する事は出来ないけど、みんなの為に何かしたいと考え、思いついたのがコレだった。
きっと、抗争が終わったら、場地が一虎を私の前に連れて来て、一虎は気まずそうに目を逸らしながら「ごめん…」って聞こえないくらいの声で謝るの。そんな姿が容易に想像出来て、少しだけ頬が緩んだ。
マイキーと一虎が仲直りするのは難しいかもしれないけれど、その時は私と場地も何度だって、許して貰えるまで一緒に頭を下げに行く。だから、ちゃんと一虎には帰って来て欲しい。
気合入れるかのように場地から貰ったシュシュで髪を一つに結って、武蔵神社に向かった。神社の拝殿の前で場地と一虎に貰った安産御守りと三人でお揃いのカピバラのキーホルダーを握りしめて、みんなの無事をひたすらお願いした。どうか、みんなが笑って戻って来ますようにと。
だけど、そんな私の願いも虚しく、ましてや最悪の結果を聞く事となってしまった。
その日の夜、マイキーから告げられた言葉は「場地が亡くなった」だった。訳が分からなくて、頭が真っ白になった。喉が張り付いたような感覚がして、言葉を発する事は出来なかった。マイキーの言葉が理解出来なかった。いや、理解したくなかった。場地がもうこの世に居ないなんて事実があっていいワケがない。
ただただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「場地は…「聞きたくない」」
「おい、明日香」
「変な冗談言わないでよ。いくらマイキーでもそんな冗談、怒るよ」
無理に笑顔を作って彼に向けてから、その場から走り去った。後ろからマイキーが私の名を呼ぶ声が聞こえるが、無視をして走り続けた。今の話を全て振り切るようにひたすら走り続けた。
きっと、何かの間違いだ。絶対にそう。マイキーのタチの悪い冗談だよ。だって、そんな訳がない。
ひたすら走って団地までやってきて、場地の家のインターフォンを押した。きっと、なに食わぬ顔でひょこっと玄関から顔を出していつもの様に「おー、明日香、どうした?」って言ってくれる。
ガチャっと玄関が開く音がして、顔を覗かしたのは場地ではなく、涙で顔がグチャグチャになった場地のお母さんだった。私を見た瞬間にお母さんは何も言わずに私を抱き締めた。耳元で聞こえた「ごめんね」の声に胸が締め付けられた。
なんで謝っているんだろう。なんで、こんなに泣いているんだろう。なんで、どうして…。
ひたすら心の中で問い掛けるけれど、もう答えは分かっている。マイキーの言っていた事は事実なんだ。場地はもう居ないんだ。
そう思うと、体中の力が抜けてその場に座り込んだ。暫く、玄関前で肩を震わし、嗚咽を漏らして「圭介…」と消え入りそうな声で何度もそう呼ぶ、場地のお母さんに抱きしめられていた。
それ以降の記憶はほとんどない。何も覚えていなかった。
*
抗争の次の日、場地さんの葬儀が行われた。
お通夜も参列し、マイキー君とドラケン君と共におばさんのご好意でその夜はその場に残った。
お通夜は本来、故人が目を覚ます事を願い、一晩中、線香の火を絶やすことなく、故人の思い出を語り合う時間らしい。
だから、オレはひたすら願った。場地さんが目を覚ますようにと。微かな願いを捨て切れずにはいられなかったんだ。
オレらの間には、ほぼ会話はなく、三人で静かに場地さんを見つめていた。きっと心の中でそれぞれ、場地さんとの思い出を振り返っているのだろう。
お通夜には、明日香は来なかった。マイキー君に明日香さんの事を聞いたが、かぶりを振るだけだった。
彼女の気持ちは凄く分かるが、明日はどうしても来て欲しいと思った。場地さんとの最期の時間をどうか一緒に居てあげて欲しい。きっと、場地さんもそう思っているのではないかと思った。
「明日、明日香さんを迎えに行こうと思います」
「オレもその方が良いと思う。場地の顔を見れんの最後だし」
ドラケン君もそう賛同してくれたが、マイキー君は黙ったままだった。何を考えているのか分からない表情でただ、真っ直ぐに場地さんが眠る棺を見つめていた。
次の日の朝、葬儀の三時間前に起きて、明日香を迎えに行く為に家に向かった。
インターフォンを押すと出てきたのはお母さんで、迎えに来た事を伝えると部屋に通してもらった。そういえば、明日香さんのおばさんを初めて見たが、昨日のお通夜に居たような気がした。少し、やつれたような、目の下に隈が薄ら浮かんでいて「どうぞ」と言って、浮かべた笑顔が痛々しくて居た堪れなくなった。
部屋のドアをノックをするが、返事はなかったので「入ります」と声をかけて、ドアを開くと中は真っ暗で冷たかった。まるで、彼女の心の中に入ってしまったような気がして、それ以上進む事が出来ない。
「明日香さん、起きてますか?」
ドア付近かた語り掛けたが、返事は聞こえず部屋の中は静まり返っていた。それでも、構わずオレは言葉を続けた。
「場地さんに会えるの最後ですよ。一緒に行きましょう」
重い足を引きずるようにベッドへ近付き、毛布の上から肩に手を置いてもう一度名前を呼べば、モゾモゾと布団の中から顔を出した。覗かした顔は疲れきったような顔をして、一睡も出来ていないように見えた。しかし、涙は一つも出ておらず、乾いていた。
「…場地の匂いが消えちゃいそうなの」
そう呟いて、枕をそっと撫でた。その行為が何なのかはすぐに想像はついた。余計にそれが悲しくなった。それ以上、余計な事は言えず「場地さんも待ってますよ」と一言だけ零せば、彼女は小さく頷いた。
支度をするだろうと思い、一旦部屋から出て、門の外で出てくるのを待った。暫くすると、玄関の開く音が聞こえて振り返れば、制服を着た明日香さんが立っていた。ちゃんと出て来てくれた事に少し安心した。
一緒に並んで葬儀場まで歩くが、お互い何も言わずに無言のままだった。暫く歩いていると、目の前から二つの影が現れて、よく見れば、ドラケン君とマイキー君だった。二人も明日香さんを迎えに来た所だろう。
頭を軽く下げると、ドラケン君は小さく笑ってくれた。そこからは、四人で葬儀場に向かった。
葬儀場へ近付くになるにつれて、みんなの歩くペースが遅くなるのを感じる。多分、思っている事は一緒だ。出来れば、行きたくない。最後なんて嫌だって思っているんだ。
式場の入口まで来ると、故 場地圭介 儀 葬儀式場 の文字が見えた瞬間に急に足取りが重くなって、まるで自分の足が石になってしまったかのような感覚がした。隣を歩いていた、明日香さんもピタッと足が止まってしまっていた。その様子に気が付いたマイキー君とドラケン君も歩みを止め、振り返った。
ドラケン君が明日香さんの背中を支えるようにして、ゆっくりと歩き出し、オレとマイキー君も歩き出した。
式場に入り、場地さんの居る大ホールに足を踏み入れると、明日香さんは驚いたように目を見開き、微かに震え始めた。一点を見つめながら、彼女は小さく頭を振り始めた。視線の先を辿ると場地さんの遺影を見ていた。
「…違う」
「え?」
「違う…、こんな事に使う為に撮ったんじゃない…」
「オイ、明日香、大丈夫か?」
「嫌だ…嫌だ嫌だぁ…」
子供みたいに嫌々と頭を横に振って、泣き出してしまった。そんな彼女に何て声を掛けたら良いのか分からず、オレもマイキー君もドラケン君も何も言えなかった。
その時、気が付いてしまった。彼女の言っていた言葉の意味を。穏やかに、幸せそうに笑っている遺影は、場地さんの部屋の机の上に飾られていた、明日香さんと写っていた写真だった。
そして、明日香さんは踵を返して、式場を飛び出してしまった。慌てて、オレとドラケン君が追いかけようとすると、マイキー君は「いいよ」と止めた。
「なんでだよ?これが最後なんだぞ!?」
「うん、知ってる」
「だったら…!」
「今、受け入れるのも場地を見るのもしんどいだろ」
「そうかもしんねぇけど…」
「オレも兄貴の時がそうだった」
そう言ったマイキー君は小さく笑っているけれど、声には悲しみが含まれていた。それには、オレもドラケンくんも何も言えなくなってしまった。
「アイツなら、きっと大丈夫。いつか、現実を見据えた時に自分でちゃんと場地に会いに行くよ」
マイキー君の声があまりにも優しいモノだったから、オレもドラケン君も追いかける事は出来なくなってしまった。
式が始まる前にトイレの鏡の前に立ち、少し気崩していた制服のネクタイもちゃんと締めて、きっちりと着直した。入学式から着崩していたから、初めてちゃんと着る制服は堅苦しくて嫌だ。しかし、今日は場地さんの葬儀。着崩す訳にもいかない。こんなにきっちりと着たのは、この一年半で昨日のお通夜と今日だけだ。
鏡に映る自分の制服姿が、初めて会った時の場地さんの姿を連想させられた。
場地さん、あんな風にきっちり着てたの、全然似合ってませんでしたよ。なんて、言ったら怒られるだろうな。
葬儀が行われる部屋に入ると、場地さんの親族と東卍のメンバーが既に揃っていた。全員参列するのには人数が多すぎる為、壱番隊と幹部のみとなった。
場地さんのおばさんがオレの前に来て、挨拶をしてくれたので、オレも倣って頭を下げた。
真っ直ぐに目を見る事は出来ずに「すみません」と謝罪の言葉を口にする事しか出来ない。
それでも「千冬君のせいじゃない。顔を上げて」と言ってくれて、その優しさが逆に痛かった。苦しかった。
でも、優しくて、強くて、真っ直ぐで、この方の元で育った場地さんがあの性格に育つのも頷けた。
「…あの、すみません、遺影の事なんですけど」
オレがそう切り出すとすぐに理解したのか、場地さんのおばさんは小さく頷いて「明日香ちゃんには、辛かったかしら…」と呟いた。
「どうして、アレを?」
「圭介の母親を14年間して来たけれど、あんな顔で笑う圭介は初めて見たの。明日香ちゃんにしか見せない顔だったのね。私が見て来た中で一番、生き生きとしていて輝いているように見えた。圭介もあの瞬間が一番幸せだったんじゃないかって思ったから、あの写真を使ったの」
涙を浮かべながら場地さんの遺影を眺めるおばさんの横顔を見ていたら、オレも目の奥が熱くなってきてしまった。
涙を見られたくなくて、制服の袖でグイッと拭い、おばさんに頭を下げてから、踵を返して外に出た。
もうすぐ、葬儀が始まる時間に迫って来ている為か外には誰も居なくて、冷たい秋の風がオレを出迎えた。その場にしゃがみ込んで、誰にも見られないように、ひっそり一人で泣いた。
時間になって葬儀が始まり、僧侶がお経を読み始め、刻々と進み、葬儀も終盤を迎えた。
火葬場へと出棺される際の花入れの時間がやって来て、参列者が次々に花を添えて行く。
泣き崩れる人も沢山居て、会場は悲しみの渦に飲み込まれていった。そして、自分の番になり、沢山の綺麗な花の中で穏やかに眠る場地さんの顔を見て、自身も棺の中へ花を添える。
ソッと頬に手を添えると温かみも何も無く、固くて冷たかった。その事実に喉の奥が締め付けられるように苦しくて焼けるように熱い。胸が握り潰されるような感覚に陥り、右手で胸元の服を力いっぱい握り締める。呼吸が上手く出来ない。ずっと聞こえていた、沢山の啜り泣く声や嗚咽が漏れる声が急に聞こえなくなり、外の世界が遮断され、まるで場地さんと自分だけの世界になったように感じた。
「場地さん…守れなくて、すみません」
絞り出すように掠れた声で語りかけるが、彼は何も答えてはくれない。そして、頬に冷たいものが伝い、視界が歪みぼやけて顔が見えなくなる。
そのまま、彼の姿が消えしまうのではないかと錯覚してしまう。
「分かっていたのに。一人で戦っている事、オレは気付いていたのに…っ!」
もっと、自分に力があれば、救えたのではないかと、何度後悔してきた。
一番傍で見て来たのに、何も出来なかった。
どれ程、後悔したって、あの日には戻れない事は分かっている。分かってはいるけど、そうする事しか出来ない。
あの日、「ありがとな」と笑って息を引き取った彼の笑顔が脳裏に鮮明に蘇る。
まだ温かさの残る彼の亡骸を何度揺すっても、何度呼びかけても、いつもの声は聞こえなかった。独特の「千冬ぅ」という自分を呼ぶ声も二度と聞けない。笑った時に覗く八重歯も見えなかった。ただ、静かに眠るように目を閉じているだけだった。
「約束したじゃないですか。ペヤング…半分こって…!」
たったそれだけの事すらもう、叶わない。
場地圭介がもうこの世に居ないという事は頭では理解していたけど、心が追い付いて来なかった。だけど、この瞬間にやっと本当の意味で理解した。もう、二度と言葉や視線を交わす事、憧れ続けた彼の大きな背中を追う事も、背中合わせで戦う事も、いつかのように朝方まで、団地の階段の踊り場で語り明かす事も、笑い合う事も出来ないという事を。
瞳から流れ落とした涙が場地さんの目元に落ち、頬を滑り落ちた。まるで、彼が泣いているように見えた。そして、自身の悲痛な叫び声だけが広い部屋に響き渡った。