勿忘草
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八月十三日、オレは一虎に呼び出された。一虎の運転するケッチの後ろに乗り夜の街を走る。キラキラとした夜の街は華やかで、一虎もどこか上機嫌で背中越しにそれを感じた。
「そういや、あの後、どうなった?」
「何が?」
「海行った帰りだよ。二人で帰ったんだろ?」
「どうって別に、普通に海沿い走って帰ったけど」
「はぁ?あの状況で何もしてねぇのかよ。それでも男かよ」
「余計なお世話だっつーの。オレにだってタイミングってのがあんだよ」
「お?って事は、一応考えてんの?」
「ウルセェな!テメェは首突っ込んで来んな」
やっぱり、機嫌のいい一虎は、楽しそうに笑っていた。何をそんなに彼を上機嫌にさせるのか不思議だった。
これから向かう先に何か良い事が待っているのだろうか。
「なぁ、一虎ぁ?どこ行くんだよ?」
赤信号になり、信号待ちの間に一虎は振り返り答えた。
「もうすぐマイキーの誕生日じゃん?オレらでプレゼントするんだよ!バブ」
「でも、バブなんて誰も持ってねぇよ」
「いーから、いーから」
何を言い出すかと思えば、マイキーの誕生日の事だった。確かに、マイキーにバブをプレゼント出来たらいいとは思うが生憎、譲ってくれる先輩も知り合いもいない。一虎にもそんなツテがあるとは思えず、疑問だけが浮かんでいた。行先も分からないまま、ただ流れる景色をぼんやりと眺めていると一虎が急に「ここだ」とブレーキを掛けて、止まった。
「ここ?」
「バイク屋」
煌々と明かりが灯る、一軒の店。S.S MOTORと書かれた、バイク屋だった。店内に並ぶ数々のバイクたちが白のライトに照らされて、艶めいて見える。その中でも一際目立つ、存在感を放っているのは、目の前に横付けで置いてある、バブだった。マイキーが憧れるのも頷けるほどの魅力がそのバイクには詰まっていた。感嘆の声を思わず漏らしてしまう程だ。
「コレ盗んじまおう」
「え!?」
一虎は悪びれる様子もなく、そう言った。もう既に盗む気は満々で手には番線カッターを持っていた。バブをジッと見つめる目は、どう盗むのかを考えているようで一切、逸らす事はなくひたすら見つめ続けていた。
「盗むのはダメだろ!?」
「…それが…?」
変な所で融通が効かなく、一度決めたら全く譲らない。それが大好きで尊敬しているマイキーの為なら尚更だ。オレの言葉なんて聞く気は一切なさそうだ。
「…そんなんで手に入れたバブ…マイキー喜ばねーよ」
「バーカ、そんなの言わなきゃいーんだよ。オレら中坊が単車乗るにはヒトのもらうか盗むしかねーだろ?」
確かに、マイキーにプレゼントするにはソレしかない。プレゼントしたい気持ちと盗むのは良くないという葛藤でどうも返事が煮え切らない。
「マイキーの喜ぶ顔見てーだろ?アイツがずっと憧れてる単車だぜ?」
「そうだけどよぉ…」
さっきの上機嫌な理由はこれだと、理解した。一虎は本気でマイキーが喜ばせたいの一心で自分の手を汚しても構わないと思っている。それほど、マイキーに憧れ崇拝しているのだと感じた。
貰って喜ぶマイキーの笑顔を想像したのと同時に、脳裏に浮かんだのは、明日香の悲しむ顔だった。きっと、アイツは盗みに入ったなんて聞いたら悲しむハズだ。そんな事してもマイキーの為にはならないと。
「…明日香にも内緒にしろよ」
今、考えていた人物の名前が一虎の口からも出た事に、心臓がドクンと跳ねた。
「アイツ、怒るだろ?」
「当たり前だろ」
「だから、内緒な」
「だったら止めようぜ」
「まぁまぁ、いーじゃん。で、明日香はマイキーにプレゼントとか用意してんの?」
「お子様ランチ作るって言ってたぜ」
「マイキー好きだもんなぁ。これは、最高な誕生日になりそうだな」
一虎は嬉しそうに笑った。
*
誰もいない時間、夜中の三時までそこらで時間を潰した。この空いている時間で一虎は手順を立てたようで、店に向かう足取りには迷いは感じられなかった。先を早足で歩く一虎の後を躊躇しながらもついて行き、明かりが消え、どの店もシャッターが閉められた真っ暗な商店街を歩く。まるで、この場に居る事を拒むかのような暗さと静けさがオレの中の迷いを膨張させた。
「手順はこうだ。まず、裏口の窓割って中に侵入。警備会社の警備員が駆けつけるまで約十分。その間にCB250のチェーンロックぶった切る。鍵は差しっぱだったのは確認してる。表のシャッター開けて外に出してそのまま乗って逃げる」
一虎は自分で立てた手順を詳しく説明し、その間もオレに口を挟ませる隙を与えないかのように一気に話した。一虎は「楽勝だろ?」と呑気にそんな事を言った。
「バカ!そーゆー問題じゃねぇよ。盗みはヤベぇって言ってんだよ」
「なんだかんだ言ってさ、いつも付き合ってくれるよな」
ニッコリと笑って、嬉しそうにしている一虎を見たら何も言えなくなってしまった。きっと、ここでオレがやらないと言っても、一虎は一人でもやると言って聞かないはずだ。盗むのに一人では絶対に無理だ。
盗みはまずいと分かっていながらも、一虎は大事な仲間だから、放っては置けない。迷いはまだ、心の中でぐるぐると渦巻いていた。
バブのあった店の前に着くと、そこもシャッターが降りていて物凄く静かだった。路地裏に入り、大きな音が出ないように窓ガラスにガムテープを何重にも貼り付けた。
「よーし、行くぞ」
「マジかよ…」
一切迷いを見せない一虎は躊躇なく番線カッターの柄でガラスを叩き割った。小さく割れた穴から手を通して、施錠された鍵を開けて軽々とドアから侵入する事に成功した。
「開いた!」
「あれ?警報鳴んねぇな…」
予想していた警報は鳴らず、不思議に思うが一虎は特に気にした様子はなく「まーいっか。行くぞ」と中へズカズカと入って行ってしまった。
「本当に行くのか、一虎!!」
「静かにしろよ、もう店の中だぞ!?」
「本当にいいのか?この先はもう引き返せねぇぞ」
一虎に言っているのか、自分に言っているのか分からないセリフを口にする。躊躇いは自分の中にまだ確かにある。マイキーの喜ぶ顔、明日香の悲しむ顔。天秤にかけ大事なモノを計ってみてもどちらも大事だと心は言っていて、決めかねない。迷いも何もない一虎はドアを開けて中に進んでいく。引き返したい気持ちで重い足を引きずる様に動かして一虎の後に続いた。
「ん?見ろよ、場地」
開けたドアの先には、さっきライトに照らされていたバイクたちが今は静かに眠るように並べられていた。その奥には目的の代物が置いてあった。
「コレだ、バブだ!!」
「……かっけぇ…」
間近で見るバイクは息を呑むほどで、盗みに入っているのにも関わらず、高揚感を覚えた。
「よく見るとこれ新品じゃねーな」
「ああ…メンテ中のバブだ。…すげぇカスタム…」
カスタムを施したソレは純正のモノより断然カッコ良く、マイキーがバイクに跨って特服を靡かせて街中を走り抜ける姿を想像すると胸が高鳴る。自分が思い描く総長の姿が脳裏に浮かんだ。
「マイキーが乗ったらメッチャかっけぇだろうな…」
思わず口に出して呟いてしまう程だった。もう、この頃には迷いも何もかも吹き飛んでしまっていた。
「よしっ、番線カッター貸して」
「おう」
一虎から番線カッターを受け取り、チェーンを切りに掛かる。だが、キーチェーンは固く、思うように切れなくて手間取ってしまう。十分というタイムリミット付きで更に焦燥感に駆られ汗が垂れてきた。
角度を変えたりして何度か繰り返しているうちにようやく、太いチェーンを切ることに成功した。緊張や成功への喜びなどで呼吸が荒くなる。一虎も同じように浅い呼吸を繰り返していた。
「切れた!!」
「よっしゃ!運び出すぞ!!」
「シャッター開けてくるから、外出るまでエンジンかけんなよ!!」
「オッケー、うまくいきそうだな、一虎!」
「ああ、外で合流だ!!マイキーの喜ぶ顔が目に浮かぶぜ」
バイクを外に出す為にハンドルグリップを握って運び出そうとする。胸がドキドキしていて、自分の鼓動が身体中から響いているようだった。
最っ高の誕生日にしてやるぜ…マイキーと心の中で呟いた瞬間に背後から「オイ!」と男の声と物音が聞こえ、ドキッと心臓が跳ねた。一虎の声ではないその声に振り返れば、暗闇の中から人影がぼんやりと浮かび上がって来た。
「なんだ…?ドロボーか?誰の店に入ってんだ!?コラ」
夢中になっていたせいで物音や気配を全く感じられていなく、背後を取られている事に声をかけられるまで気が付けなかった。低く威嚇するような声に焦燥感は増す一方だった。近くに来た男の手にはスパナが握られ、やり合うには部が悪すぎる。顔も見られている為、逃げ切っても捕まる。どうするのがいいのか、何が正解なのか分からず、呼吸だけが荒くなっていく。
「ん?オマエ…どっかで見た顔だな?」
近づく男の顔が徐々に見えて来る。暗闇に慣れた目にハッキリと映った顔は、自身もよく知っている顔だった。
「ケースケか?」
「し……真一郎君…?なんで…なんで…ここに?」
「あン?ここオレの店だもん」
嫌な汗がどんどんと吹き出して来るのを感じる。焦りと不安、そして罪悪感。知らなかったとは言え、真一郎君の店に盗みに入ってしまった。色々な感情の濁流に飲み込まれそうになる。
真一郎君と対面していると、暗闇の中から走って来る一虎の姿がぼんやりと見え、鮮明に見えた時には一虎は番線カッターを大きく振りかぶっていた。
「やめろ、一虎あぁ!!」
大声で叫ぶが間に合わず、一虎の振りかぶったソレは何かが割れるような大きな音を立てた。暗闇の中で浮かび上がる二つのシルエットはスローモーションのように見えた。一虎の足元に重い音を立てて倒れた真一郎君を見て一気に血の気が引くのを感じ、戦慄した。
「逃げんぞ、場地!!」
一虎の声で我に返って、ようやく身体を動かす事が出来た。急いで真一郎君の元へ駆け寄り、座り込んで安否を確認する。
「何やってんだよ一虎!!」
「しょうがねぇだろ!見られたんだからよぉ」
「違ぇよ!!そういう事じゃねぇんだよ!!真一郎君はマイキーの兄貴なんだよ!!」
「…え?」
じんわりと涙が滲み、真一郎君の姿がぼやけて見える。一虎と怒鳴り合うが、その声すらどこか遠く聞こえた。
何度も何度も、彼の名を呼びかけるがピクリとも動かず、反応がない事に心臓が握りつぶされように苦しくなる。
「マイキーの…兄…貴…?」
一虎の驚きと後悔に滲んだ声を聞きながらジワジワと赤い染みを床に作っていくのを見て、上手く呼吸が出来ない。息苦しい。
「どうしよう…一虎ぁあ…真一郎君…息してねぇよ」
「嘘だろ…?」
自分で言ったその言葉に現実を理解し、瞳に溜まった雫は目の縁から溢れ出して頬を静かに伝う。項垂れて自分たちのしてしまった事に後悔し始める。
なんて事をしてしまったのだろう。こんなハズじゃなかった。ただ、マイキーの喜ぶ顔が見たかった。それだけのハズだった。
「オレらが盗もうとしたバイクは…マイキーの兄貴のCB250だったんだ」
自分の愚かさ、選択を誤ってしまった事への後悔。マイキーと真一郎君への罪悪感。目の前の現実。それらに蝕まれ、考えても考えても頭は真っ白でどうしようと言葉を繰り返す事しか出来なかった。
一虎はガタガタと震え、怯え切っていた。
「そうだ、救急車!救急車呼ばねぇと!!救急車呼んで逃げよう、一虎」
行動に移そうと立ち上がり一虎に声を掛けると、遠くからパトカーのサイレンの音が微かに聞こえて来た。徐々に近くなる音に焦りが膨れ上がる。
「ヤベぇ!!サツだ!とりあえず逃げるぞ、一虎!!」
ここで捕まる訳にも行かないと判断し、逃げる事を一虎に告げるが一虎はブツブツと何かを呟くだけで、その場から動こうとはしなかった。一虎の名前を呼び掛けると「マイキーを殺さないと」と言った声が今度はハッキリと耳に届いた。
怯えた表情から滲み出た狂気。ゾワッと鳥肌が立ち、背筋に冷たいモノが伝った。
*
オレらは、その場に到着した警察に取り押さえられ、手錠をかけられて外へと連行された。無線で「通報のあった店で少年二人逮捕!!負傷者一名!!」と伝えているサツの声が耳に入り、自分の犯してしまった罪を再確認させられる。
なんでこんな事に…。そうだ、これはきっと悪い夢だ。悪い夢から覚めたらきっと、全部なかった事になっている。いつものように、アイツらとバカやって喧嘩して、いつものように明日香の隣を歩いて、一緒に笑い合う。そんな何気ない日常が待っている。だから、早く悪い夢から覚めてくれ。
「場地!!」
自分の名を呼ぶ声がして顔を声の方に向けると、そこにはマイキーの姿があった。汗を浮かべ、困惑したような表情を浮かべるマイキーの顔を見たら、一気に現実に引き戻されてしまった。これは、悪い夢なんかじゃないと。「どうした?」と聞く声とその姿に再度涙が溢れた。喜ばしたかっただけなのに、全てを奪ってしまった。大事な仲間の大事なモンを自分が奪ってしまった。自分の大事なモンも自らの手で奪ってしまった。
「何があった?」
「ごめんっ」
酷く情けない声だった。それ以外の言葉は出て来なかった。
そのままパトカーに乗り込み、渋谷署まで連れて行かれた。そこでは事情聴取を受けたが一虎が庇ってくれたおかげで、自分は年少に入らなくて済む事になった。
しかし、一虎は年少に入ることになってしまった。自分だけ良いのか。止めきれなかった自分にも罪はある。全ての罪を一虎に背負わせる訳にはいかない。自分に出来る、罪を償う方法はないだろうか。そんな事ばかり考えていた。
署まで迎えに来た、かーちゃんは人前にも関わらず、泣いていた。いつも、強気で怒ってばっかりで怖いかーちゃんが何度も何度もサツに頭を下げ、嗚咽を漏らして泣いていた。そんな姿を見て、色んな人を悲しませてしまった事にまた、自分の罪が胸にズッシリとのしかかり、泣きそうになってしまった。
夜が明ける前に釈放され、かーちゃんと静かに帰路に就く。歩みを進めていると、頭の中にフと浮かんだのは明日香の顔だった。顔をクシャッとして笑った顔が浮かんだ。その笑顔が大好きだった。オレを呼ぶ柔らかい声も大好きだった。それらが思い返されると、無性に会いたくなって、その声が聞きたくなった。この事を知ったら、傷付く事も悲しませる事も分かっている。大好きだった笑顔がもう見れないかもしれないと思うと怖くなる。もう、名前を呼んで貰えないかもしれないと思うと悲しくなる。だけど、それ以上に彼女に会いたくて仕方なかった。
足は勝手に明日香の家の方向へと向かい、走り出していた。後ろから聞こえる、かーちゃんの叫ぶ声を耳にしながら無我夢中で少し明るくなった夜道を走り抜けた。
「そういや、あの後、どうなった?」
「何が?」
「海行った帰りだよ。二人で帰ったんだろ?」
「どうって別に、普通に海沿い走って帰ったけど」
「はぁ?あの状況で何もしてねぇのかよ。それでも男かよ」
「余計なお世話だっつーの。オレにだってタイミングってのがあんだよ」
「お?って事は、一応考えてんの?」
「ウルセェな!テメェは首突っ込んで来んな」
やっぱり、機嫌のいい一虎は、楽しそうに笑っていた。何をそんなに彼を上機嫌にさせるのか不思議だった。
これから向かう先に何か良い事が待っているのだろうか。
「なぁ、一虎ぁ?どこ行くんだよ?」
赤信号になり、信号待ちの間に一虎は振り返り答えた。
「もうすぐマイキーの誕生日じゃん?オレらでプレゼントするんだよ!バブ」
「でも、バブなんて誰も持ってねぇよ」
「いーから、いーから」
何を言い出すかと思えば、マイキーの誕生日の事だった。確かに、マイキーにバブをプレゼント出来たらいいとは思うが生憎、譲ってくれる先輩も知り合いもいない。一虎にもそんなツテがあるとは思えず、疑問だけが浮かんでいた。行先も分からないまま、ただ流れる景色をぼんやりと眺めていると一虎が急に「ここだ」とブレーキを掛けて、止まった。
「ここ?」
「バイク屋」
煌々と明かりが灯る、一軒の店。S.S MOTORと書かれた、バイク屋だった。店内に並ぶ数々のバイクたちが白のライトに照らされて、艶めいて見える。その中でも一際目立つ、存在感を放っているのは、目の前に横付けで置いてある、バブだった。マイキーが憧れるのも頷けるほどの魅力がそのバイクには詰まっていた。感嘆の声を思わず漏らしてしまう程だ。
「コレ盗んじまおう」
「え!?」
一虎は悪びれる様子もなく、そう言った。もう既に盗む気は満々で手には番線カッターを持っていた。バブをジッと見つめる目は、どう盗むのかを考えているようで一切、逸らす事はなくひたすら見つめ続けていた。
「盗むのはダメだろ!?」
「…それが…?」
変な所で融通が効かなく、一度決めたら全く譲らない。それが大好きで尊敬しているマイキーの為なら尚更だ。オレの言葉なんて聞く気は一切なさそうだ。
「…そんなんで手に入れたバブ…マイキー喜ばねーよ」
「バーカ、そんなの言わなきゃいーんだよ。オレら中坊が単車乗るにはヒトのもらうか盗むしかねーだろ?」
確かに、マイキーにプレゼントするにはソレしかない。プレゼントしたい気持ちと盗むのは良くないという葛藤でどうも返事が煮え切らない。
「マイキーの喜ぶ顔見てーだろ?アイツがずっと憧れてる単車だぜ?」
「そうだけどよぉ…」
さっきの上機嫌な理由はこれだと、理解した。一虎は本気でマイキーが喜ばせたいの一心で自分の手を汚しても構わないと思っている。それほど、マイキーに憧れ崇拝しているのだと感じた。
貰って喜ぶマイキーの笑顔を想像したのと同時に、脳裏に浮かんだのは、明日香の悲しむ顔だった。きっと、アイツは盗みに入ったなんて聞いたら悲しむハズだ。そんな事してもマイキーの為にはならないと。
「…明日香にも内緒にしろよ」
今、考えていた人物の名前が一虎の口からも出た事に、心臓がドクンと跳ねた。
「アイツ、怒るだろ?」
「当たり前だろ」
「だから、内緒な」
「だったら止めようぜ」
「まぁまぁ、いーじゃん。で、明日香はマイキーにプレゼントとか用意してんの?」
「お子様ランチ作るって言ってたぜ」
「マイキー好きだもんなぁ。これは、最高な誕生日になりそうだな」
一虎は嬉しそうに笑った。
*
誰もいない時間、夜中の三時までそこらで時間を潰した。この空いている時間で一虎は手順を立てたようで、店に向かう足取りには迷いは感じられなかった。先を早足で歩く一虎の後を躊躇しながらもついて行き、明かりが消え、どの店もシャッターが閉められた真っ暗な商店街を歩く。まるで、この場に居る事を拒むかのような暗さと静けさがオレの中の迷いを膨張させた。
「手順はこうだ。まず、裏口の窓割って中に侵入。警備会社の警備員が駆けつけるまで約十分。その間にCB250のチェーンロックぶった切る。鍵は差しっぱだったのは確認してる。表のシャッター開けて外に出してそのまま乗って逃げる」
一虎は自分で立てた手順を詳しく説明し、その間もオレに口を挟ませる隙を与えないかのように一気に話した。一虎は「楽勝だろ?」と呑気にそんな事を言った。
「バカ!そーゆー問題じゃねぇよ。盗みはヤベぇって言ってんだよ」
「なんだかんだ言ってさ、いつも付き合ってくれるよな」
ニッコリと笑って、嬉しそうにしている一虎を見たら何も言えなくなってしまった。きっと、ここでオレがやらないと言っても、一虎は一人でもやると言って聞かないはずだ。盗むのに一人では絶対に無理だ。
盗みはまずいと分かっていながらも、一虎は大事な仲間だから、放っては置けない。迷いはまだ、心の中でぐるぐると渦巻いていた。
バブのあった店の前に着くと、そこもシャッターが降りていて物凄く静かだった。路地裏に入り、大きな音が出ないように窓ガラスにガムテープを何重にも貼り付けた。
「よーし、行くぞ」
「マジかよ…」
一切迷いを見せない一虎は躊躇なく番線カッターの柄でガラスを叩き割った。小さく割れた穴から手を通して、施錠された鍵を開けて軽々とドアから侵入する事に成功した。
「開いた!」
「あれ?警報鳴んねぇな…」
予想していた警報は鳴らず、不思議に思うが一虎は特に気にした様子はなく「まーいっか。行くぞ」と中へズカズカと入って行ってしまった。
「本当に行くのか、一虎!!」
「静かにしろよ、もう店の中だぞ!?」
「本当にいいのか?この先はもう引き返せねぇぞ」
一虎に言っているのか、自分に言っているのか分からないセリフを口にする。躊躇いは自分の中にまだ確かにある。マイキーの喜ぶ顔、明日香の悲しむ顔。天秤にかけ大事なモノを計ってみてもどちらも大事だと心は言っていて、決めかねない。迷いも何もない一虎はドアを開けて中に進んでいく。引き返したい気持ちで重い足を引きずる様に動かして一虎の後に続いた。
「ん?見ろよ、場地」
開けたドアの先には、さっきライトに照らされていたバイクたちが今は静かに眠るように並べられていた。その奥には目的の代物が置いてあった。
「コレだ、バブだ!!」
「……かっけぇ…」
間近で見るバイクは息を呑むほどで、盗みに入っているのにも関わらず、高揚感を覚えた。
「よく見るとこれ新品じゃねーな」
「ああ…メンテ中のバブだ。…すげぇカスタム…」
カスタムを施したソレは純正のモノより断然カッコ良く、マイキーがバイクに跨って特服を靡かせて街中を走り抜ける姿を想像すると胸が高鳴る。自分が思い描く総長の姿が脳裏に浮かんだ。
「マイキーが乗ったらメッチャかっけぇだろうな…」
思わず口に出して呟いてしまう程だった。もう、この頃には迷いも何もかも吹き飛んでしまっていた。
「よしっ、番線カッター貸して」
「おう」
一虎から番線カッターを受け取り、チェーンを切りに掛かる。だが、キーチェーンは固く、思うように切れなくて手間取ってしまう。十分というタイムリミット付きで更に焦燥感に駆られ汗が垂れてきた。
角度を変えたりして何度か繰り返しているうちにようやく、太いチェーンを切ることに成功した。緊張や成功への喜びなどで呼吸が荒くなる。一虎も同じように浅い呼吸を繰り返していた。
「切れた!!」
「よっしゃ!運び出すぞ!!」
「シャッター開けてくるから、外出るまでエンジンかけんなよ!!」
「オッケー、うまくいきそうだな、一虎!」
「ああ、外で合流だ!!マイキーの喜ぶ顔が目に浮かぶぜ」
バイクを外に出す為にハンドルグリップを握って運び出そうとする。胸がドキドキしていて、自分の鼓動が身体中から響いているようだった。
最っ高の誕生日にしてやるぜ…マイキーと心の中で呟いた瞬間に背後から「オイ!」と男の声と物音が聞こえ、ドキッと心臓が跳ねた。一虎の声ではないその声に振り返れば、暗闇の中から人影がぼんやりと浮かび上がって来た。
「なんだ…?ドロボーか?誰の店に入ってんだ!?コラ」
夢中になっていたせいで物音や気配を全く感じられていなく、背後を取られている事に声をかけられるまで気が付けなかった。低く威嚇するような声に焦燥感は増す一方だった。近くに来た男の手にはスパナが握られ、やり合うには部が悪すぎる。顔も見られている為、逃げ切っても捕まる。どうするのがいいのか、何が正解なのか分からず、呼吸だけが荒くなっていく。
「ん?オマエ…どっかで見た顔だな?」
近づく男の顔が徐々に見えて来る。暗闇に慣れた目にハッキリと映った顔は、自身もよく知っている顔だった。
「ケースケか?」
「し……真一郎君…?なんで…なんで…ここに?」
「あン?ここオレの店だもん」
嫌な汗がどんどんと吹き出して来るのを感じる。焦りと不安、そして罪悪感。知らなかったとは言え、真一郎君の店に盗みに入ってしまった。色々な感情の濁流に飲み込まれそうになる。
真一郎君と対面していると、暗闇の中から走って来る一虎の姿がぼんやりと見え、鮮明に見えた時には一虎は番線カッターを大きく振りかぶっていた。
「やめろ、一虎あぁ!!」
大声で叫ぶが間に合わず、一虎の振りかぶったソレは何かが割れるような大きな音を立てた。暗闇の中で浮かび上がる二つのシルエットはスローモーションのように見えた。一虎の足元に重い音を立てて倒れた真一郎君を見て一気に血の気が引くのを感じ、戦慄した。
「逃げんぞ、場地!!」
一虎の声で我に返って、ようやく身体を動かす事が出来た。急いで真一郎君の元へ駆け寄り、座り込んで安否を確認する。
「何やってんだよ一虎!!」
「しょうがねぇだろ!見られたんだからよぉ」
「違ぇよ!!そういう事じゃねぇんだよ!!真一郎君はマイキーの兄貴なんだよ!!」
「…え?」
じんわりと涙が滲み、真一郎君の姿がぼやけて見える。一虎と怒鳴り合うが、その声すらどこか遠く聞こえた。
何度も何度も、彼の名を呼びかけるがピクリとも動かず、反応がない事に心臓が握りつぶされように苦しくなる。
「マイキーの…兄…貴…?」
一虎の驚きと後悔に滲んだ声を聞きながらジワジワと赤い染みを床に作っていくのを見て、上手く呼吸が出来ない。息苦しい。
「どうしよう…一虎ぁあ…真一郎君…息してねぇよ」
「嘘だろ…?」
自分で言ったその言葉に現実を理解し、瞳に溜まった雫は目の縁から溢れ出して頬を静かに伝う。項垂れて自分たちのしてしまった事に後悔し始める。
なんて事をしてしまったのだろう。こんなハズじゃなかった。ただ、マイキーの喜ぶ顔が見たかった。それだけのハズだった。
「オレらが盗もうとしたバイクは…マイキーの兄貴のCB250だったんだ」
自分の愚かさ、選択を誤ってしまった事への後悔。マイキーと真一郎君への罪悪感。目の前の現実。それらに蝕まれ、考えても考えても頭は真っ白でどうしようと言葉を繰り返す事しか出来なかった。
一虎はガタガタと震え、怯え切っていた。
「そうだ、救急車!救急車呼ばねぇと!!救急車呼んで逃げよう、一虎」
行動に移そうと立ち上がり一虎に声を掛けると、遠くからパトカーのサイレンの音が微かに聞こえて来た。徐々に近くなる音に焦りが膨れ上がる。
「ヤベぇ!!サツだ!とりあえず逃げるぞ、一虎!!」
ここで捕まる訳にも行かないと判断し、逃げる事を一虎に告げるが一虎はブツブツと何かを呟くだけで、その場から動こうとはしなかった。一虎の名前を呼び掛けると「マイキーを殺さないと」と言った声が今度はハッキリと耳に届いた。
怯えた表情から滲み出た狂気。ゾワッと鳥肌が立ち、背筋に冷たいモノが伝った。
*
オレらは、その場に到着した警察に取り押さえられ、手錠をかけられて外へと連行された。無線で「通報のあった店で少年二人逮捕!!負傷者一名!!」と伝えているサツの声が耳に入り、自分の犯してしまった罪を再確認させられる。
なんでこんな事に…。そうだ、これはきっと悪い夢だ。悪い夢から覚めたらきっと、全部なかった事になっている。いつものように、アイツらとバカやって喧嘩して、いつものように明日香の隣を歩いて、一緒に笑い合う。そんな何気ない日常が待っている。だから、早く悪い夢から覚めてくれ。
「場地!!」
自分の名を呼ぶ声がして顔を声の方に向けると、そこにはマイキーの姿があった。汗を浮かべ、困惑したような表情を浮かべるマイキーの顔を見たら、一気に現実に引き戻されてしまった。これは、悪い夢なんかじゃないと。「どうした?」と聞く声とその姿に再度涙が溢れた。喜ばしたかっただけなのに、全てを奪ってしまった。大事な仲間の大事なモンを自分が奪ってしまった。自分の大事なモンも自らの手で奪ってしまった。
「何があった?」
「ごめんっ」
酷く情けない声だった。それ以外の言葉は出て来なかった。
そのままパトカーに乗り込み、渋谷署まで連れて行かれた。そこでは事情聴取を受けたが一虎が庇ってくれたおかげで、自分は年少に入らなくて済む事になった。
しかし、一虎は年少に入ることになってしまった。自分だけ良いのか。止めきれなかった自分にも罪はある。全ての罪を一虎に背負わせる訳にはいかない。自分に出来る、罪を償う方法はないだろうか。そんな事ばかり考えていた。
署まで迎えに来た、かーちゃんは人前にも関わらず、泣いていた。いつも、強気で怒ってばっかりで怖いかーちゃんが何度も何度もサツに頭を下げ、嗚咽を漏らして泣いていた。そんな姿を見て、色んな人を悲しませてしまった事にまた、自分の罪が胸にズッシリとのしかかり、泣きそうになってしまった。
夜が明ける前に釈放され、かーちゃんと静かに帰路に就く。歩みを進めていると、頭の中にフと浮かんだのは明日香の顔だった。顔をクシャッとして笑った顔が浮かんだ。その笑顔が大好きだった。オレを呼ぶ柔らかい声も大好きだった。それらが思い返されると、無性に会いたくなって、その声が聞きたくなった。この事を知ったら、傷付く事も悲しませる事も分かっている。大好きだった笑顔がもう見れないかもしれないと思うと怖くなる。もう、名前を呼んで貰えないかもしれないと思うと悲しくなる。だけど、それ以上に彼女に会いたくて仕方なかった。
足は勝手に明日香の家の方向へと向かい、走り出していた。後ろから聞こえる、かーちゃんの叫ぶ声を耳にしながら無我夢中で少し明るくなった夜道を走り抜けた。