真4・真4F
東京の女神は未だその力を十全に取り戻してはいないはずだったが、飽かず創世を果たした新宇宙の神の下に救世主を送って来る。
事象の果てに重なる点をいくつ連ねても、神の次元に辿り着くには至らない。至らせない為に、正しく神の観測者であり神の剣である自分が居る。
血と脂に塗れた肉体に雨が降り注ぐ。目を閉じて身体を伝う雫を甘受する。全身にこびりついた救世主達の返り血と残滓がいとも容易く流れ落ちていく。柔らかく身を包む風が流れてきて、濡れそぼった身体を乾かしていった。硝煙と血錆の臭いが、薫風に霧散していく。雨は、風は、この宇宙に巡る事象は、かつて孤高の神となるべき少年を導き、名も無き存在へと還った魔神と、少年が自ら砕いた愛しき魂の欠片達が巡って織り成している。
神殺しとしてこの宇宙に在る自分にも宇宙の意思は恵みを与える。
「フリン」
声に呼応して並列して存在する事象の糸を一つ手繰り、駆けて行くと、全身に纏わり付いたノイズが晴れていく。
宇宙の中心の玉座に座する、少年の姿をした神の元に馳せ参じ、膝をつく。言葉にせずとも、フリンが役目を果たしたことを神は知っている。
「おーいナナシー、フリンもー、お茶が入ったよ。飲んで行きなよー」
女神─アサヒ─が呑気な声をあげて手を振る。少し離れた場所に、シンプルな白いテーブルと椅子が用意されている。
フリンは女神に一度視線を送り、改めて自らの主を仰ぎ見る。
「行けば?」
ナナシはそう言って自らも玉座から降り、テーブルへと足を運んだ。フリンも何も言わず後へと従う。
飾り気のない椅子に座った少年は見かけだけなら儚い。ただ浮かべる笑みはおよそ人のそれとはかけ離れている。まさしく淘汰する者の表情だった。
テーブルの上に置かれた控えめな飾りのついたカップに、澄んだ色の紅茶が湯気を立てている。ジャムサンドクッキーがバスケットに入って添えられていた。
「さー座って座って!」
女神の促しに従って椅子に腰掛ける。
既にカップを傾けている主に従って紅茶に口を付けた。優しく豊かな香りが口の中に広がる。美味しいと感じた。
「ねえ、フリンの初恋っていつ?」
女神がクッキーを摘みながら無邪気に尋ねる。
「僕にそのような些事は分かりかねます」
実際記憶など無いに等しいのでそう答えた。神にとって重要なのはフリンの魂と役割であって器ではない。
「えーそれじゃ『恋バナ』出来ないじゃん!ナナシ見てきて!」
女神が駄々を捏ねる。何に触発されたのか理解不能だが、女神は「恋バナ」がしたいらしい。
「不要です」
フリンがそう告げるより、ナナシがふらりと立ち上がる方が早かった。立ち上がって瞑目する。
「見てきた?」
女神がそわそわとナナシに尋ねた。
「キチジョージ村で、近所に住んでいた女の子に森で摘んだ花を渡していた、そういう事象が否定されない」
「すごーい!本物の花?どんな花だったの?綺麗?」
ナナシは屈んで自らの宇宙の花園に咲き乱れている花を1つ手折り、幼い頃に同郷の少女がフリンに手渡したという花を模して作り替えた。
フリンは顔色を変えることもなくただナナシの手元を注視している。
ナナシは女神の手に花を添える。
「すごい!きれい!」
女神は目を輝かせて、花をもぎ壊した。花の残骸から滲む雫が女神の手を瑞々しく濡らしている。
ナナシは女神の掌を指で拭って、それをフリンの口腔内へ突っ込んだ。植物のそれとは思えない、化学的な苦味が広がる。フリンが僅かに顔を顰める。
「脳は弄ってないから効くだろう」
指でフリンの口腔内を搔きまわす。
「幸福になる薬だ」
舌が痺れ、縺れる。頭蓋の奥に冷汗が流れるような感覚が沸き起こり、目の前が霞む。指先から全身に、浮遊感が広がっていく。
ぼやけた視界の端で、女神の舌に花の雫を垂らすナナシの姿を捉える。
女神はけたたましく笑い、瞼に涙を溜めながら噎せ込んだ。唇の端に泡を浮かべて、曖昧に目を開く。
ナナシは女神の涙に唇を沿わせ、頰の輪郭に舌を這わせた。
女神が微笑む。その姿を幸福と認識する論理がーー元から無かったのか抜け落ちたのかは定かではないがーーフリンの中には無かった。
かつてのナナシにとって卑近な性とは、繁殖とは隔絶した暴力と快楽だった。
今、創造主として為す女神とのまぐわいは意味を成す交合だ。
ナナシが女神の服を、母親が赤子の服を脱がせるように優しく脱がせていく。露わになった肌に、恭しく唇を落とす。余すところなく丹念に触れる。女神の瞳は焦点が合っていない。口元には笑みを浮かべたままだ。ナナシが女神に覆い被さる。結合する。女神が喘鳴めいた嬌声を上げる。どんな状態であっても女神の身体はその機能に従順に人類の創造を遂行する。
ナナシが側に転がっているフリンの結い上げた髪を引っ掴んで、上等な刃物の手入れをするように、注意深く所有物を扱う手付きで顔に触れる。
フリンはナナシの剣であることを誓い、そのようにあった。所有者が持ち物をメンテナンスすることは至極妥当だ。ただ現在の状態は、神殺しとしての機能が十全ではない。それが主である神によってもたらされた状況であったとしてもだ。言うなれば武装を解除して剣を身から離すような行為であるはずだ。纏まらない思考の中でも、主が無防備であることを危惧する。
「戯れだよ」
笑いを含んだ声音が耳朶に入り込んできた。
ナナシがフリンのスカーフを解く。露わになった首筋に、温度を感じさせない手掌を沿わせる。微かな息苦しさを感じて身動ぎする。身につけた青い外套と白い装束を脱がされていく。身体に纏わりつく外気を生温く感じる。白く骨張った指が、汗ばんだ皮膚を伝っていった。四肢が酷く重く動かしづらいが、触れられた場所の感覚は鋭敏になっていった。
唇に唇を重ねて、縺れる舌を柔く食んで、吸われる。凪いだ金の双眸が視界を覆い、漏れる水音が聴覚を満たしていく。
ナナシがフリンの両下肢を開き、その間に身体を滑り込ませる。しなやかな大腿がフリンの股間に柔く押し付けられた。反射的に身体が小さく跳ねる。
不要な筈の快楽が肉体を占める。曖昧に霞む脳のシナプスが焼き尽くされていく。微かにナナシが笑う気配がした。
「気持ちいいのか?」
問い掛けに緩慢に首を横に振って応える。余剰な機能に過ぎない快楽に耽って、剣としての自分の機能が損なわれることが由々しかった。
笑みの気配が消え、大腿が退けられる。ナナシが口内にフリンの性器を含む。輪郭に沿って舌を這わせ、柔い粘膜で締め付ける。堪えきれずに熱い吐息が溢れた。至極丹念に口淫が施される。否応無しに息が上がっていく。
ナナシが頭を上げ、指を咥えた。その指をフリンの後腔に押し当てる。濡れた指が後腔を押し拡げていく。異物感に息を詰めた。
「息吐いて、楽にして」
耳元であやすように囁かれる。母親に言い含められる幼子のように、従順にその言葉に従った。ナナシの指がフリンの中で蠢く。不意に指が引き抜かれ、後腔に性器が充てがわれた。
「入れるぞ」
下肢を熱と質量が貫く。指とは比べ物にならない異物感がせり上がってくる。上げそうになる悲鳴を必死に堪えて、必死で息を吐き出す。
金の双眸がまろく光る。こめかみを汗が伝っていった。腰が押し進められ、肉が割り開かれていく。絶え間ない異物感と鈍い痛みの中に、微かに快楽の糸を見出して困惑する。性器を全て収めて、ナナシは息を吐いた。フリンの唇に触れて、そこに口付ける。甘く舌を絡められ、意識がそこへと浮かび上がる。
ナナシが性器を抽挿する。微かな痛みに身体が慣れ、代わりに悦びを感じる。啼くように声を上げる。ナナシの細い身体にしがみつくように凭れる。
肌を打つ濡れた音が増していき、やがてナナシはフリンの中で吐精した。性器が抜き取られる感覚と、粘稠性のある液体が後腔から流れ出る感覚に身を震わせた。
ナナシが身を整えて、フリンの身体を拭う。その布はおそらく抜き取ったフリンのスカーフだったが、敢えて何か言うことはなかった。
多少身綺麗になり、息が整うと、ナナシは何処かへ姿を消した。
気怠さの残る身体で身支度をし、フリンは暫しその場で横になった。
空間がひび割れる音がする。救世の為に量子が唸る音がする。並列する事象の帰結が牙を剥く。
救世主の訪れを察する神殺しの知覚が、常人に捉えざる音の渦の中で肌を粟立てさせる。
宇宙が宇宙としてあるためのゆらぎの中の脆弱性をついて、東京の女神の死の息吹が吹き込んでくる。
愛しき宇宙に醜いノイズが生じる。
歪みながら肥大し、痂しながら滑る肉の塊の中に、出来の悪い人形のような物がぶら下がっていた。
黒きサムライが纏っていた鎧で身体を覆い、艶を失った髪は辛うじて結髪にしていることがわかる。指は風化と腐食が進み、今にも崩れ落ちそうになっているのに、顔は今しがた切り刻まれたばかりのように鮮やかな肉を晒し、血を滴らせている。旧世界の輪廻の残渣に囚われた哀れな肉の檻だ。
『僕は…命に代えても…』
酷くひび割れた声で人の形をしたものが喋る。フリンは如何なる形であれ神に仇なす物を退けるが、特にこれはなんとしてでも退けなければならないと本能が警鐘を鳴らした。
フリンは機関銃を想起し、物質として空間に固着させ、掃射する。
肉塊は聞くに耐えない呻き声を上げ、僅かに後退する。
銃はあまり効かない。そう判断し、機関銃を放棄して剣を抜く。肉塊が震え、意思を持つようにフリンに襲いかかる。
『僕、は…』
「お前の命などとうに無い。お前が守れなかったものと心中しろ」
肉に毒づき、身を翻し、衝撃で薙ぎ払おうとするが、勢いを殺しきれなかったものはフリンの身に突き刺さってきた。構わずに中心に埋まった人の形をしたものに剣を突き立てる。心臓があると思わしき場所を穿った。肉塊が身悶えるように縮小していく。致命傷に至らない。
「バロウズ、ブラックデモニカの耐性」
サーチされた結果を見て、衝撃魔法を展開する。鋭い風が腐食した肉塊と人の形をしたものを切り刻む。
再度剣を一閃させた。神殺しの剣が厳かに光る。人の形を保てなくなった亡霊は砂塵と化して崩れ去り、肉塊は消退した。空間の位相の捻れが正常さを取り戻していく。宇宙は再び静謐さに満たされる。
雨が降らない。
肉をもった亡霊の血と脂に塗れたまま、フリンは玉座を目指した。
主はそこにおらず、玉座はもぬけの殻だった。
十メートル程離れた場所に、既視感を覚えるような白い丸テーブルと椅子が二脚置かれていた。その椅子の片方にナナシは座り、見た目の年齢相応に足をぶらぶらと揺らしている。
テーブルの上には湯気を立てるカップとソーサーが置かれていた。
「まあ、座れよ」
ナナシは笑みを浮かべながら空いている椅子を示す。
「失礼ですが、このままでは椅子を汚してしまいますので、清めて参ります」
「座れ」
笑みを絶やさないまま、今度は命令として告げた。不承不承、椅子に座る。
「飲め」
カップを満たしていたのはコーヒーだった。
フリンはナナシと相対して座り、カップに口を付けた。
芳しい香りがして、苦味が口の中に広がる。肉体が記憶していない、触れたことのない奇妙な筈のその味を何故か美味しい、と感じた。ナナシもまたカップに口を付ける。その光景をみて、奇妙な感覚が湧く。
ずっと昔に、彼とどこかでこうして肩を並べてコーヒーを飲んだような。
昔?
彼?
それは誰の?いつの?
それは記憶なのか?
思案を巡らせて手が止まったフリンの顔をナナシが覗き込む。金色の瞳がフリンだけを写す。
ナナシはおもむろに取り出した釣り針で、フリンの利き手の示指を刺した。
ぷつりと赤黒い血が滲む。
「ねえ、幼馴染を殺すってのはどんな気持ち?」
ナナシが無邪気に問う。
フリンには答えようが無い。ただ無言で、血の滲む指を見つめている。その血が滴って己の主を汚すことがないかを案じるが、身動ぎもできない。
「俺には出来なかった。幼馴染をこの手で殺すこと。お前だけが出来たんだ。ある意味羨ましいよ。ところでさ、」
憧れの人を殺すのはどんな気持ちだったと思う?
「まあ、もう関係ないけれど」
そう言ってナナシは血の滲んだフリンの指を自らの唇へと導き、口内に含んだ。
事象の果てに重なる点をいくつ連ねても、神の次元に辿り着くには至らない。至らせない為に、正しく神の観測者であり神の剣である自分が居る。
血と脂に塗れた肉体に雨が降り注ぐ。目を閉じて身体を伝う雫を甘受する。全身にこびりついた救世主達の返り血と残滓がいとも容易く流れ落ちていく。柔らかく身を包む風が流れてきて、濡れそぼった身体を乾かしていった。硝煙と血錆の臭いが、薫風に霧散していく。雨は、風は、この宇宙に巡る事象は、かつて孤高の神となるべき少年を導き、名も無き存在へと還った魔神と、少年が自ら砕いた愛しき魂の欠片達が巡って織り成している。
神殺しとしてこの宇宙に在る自分にも宇宙の意思は恵みを与える。
「フリン」
声に呼応して並列して存在する事象の糸を一つ手繰り、駆けて行くと、全身に纏わり付いたノイズが晴れていく。
宇宙の中心の玉座に座する、少年の姿をした神の元に馳せ参じ、膝をつく。言葉にせずとも、フリンが役目を果たしたことを神は知っている。
「おーいナナシー、フリンもー、お茶が入ったよ。飲んで行きなよー」
女神─アサヒ─が呑気な声をあげて手を振る。少し離れた場所に、シンプルな白いテーブルと椅子が用意されている。
フリンは女神に一度視線を送り、改めて自らの主を仰ぎ見る。
「行けば?」
ナナシはそう言って自らも玉座から降り、テーブルへと足を運んだ。フリンも何も言わず後へと従う。
飾り気のない椅子に座った少年は見かけだけなら儚い。ただ浮かべる笑みはおよそ人のそれとはかけ離れている。まさしく淘汰する者の表情だった。
テーブルの上に置かれた控えめな飾りのついたカップに、澄んだ色の紅茶が湯気を立てている。ジャムサンドクッキーがバスケットに入って添えられていた。
「さー座って座って!」
女神の促しに従って椅子に腰掛ける。
既にカップを傾けている主に従って紅茶に口を付けた。優しく豊かな香りが口の中に広がる。美味しいと感じた。
「ねえ、フリンの初恋っていつ?」
女神がクッキーを摘みながら無邪気に尋ねる。
「僕にそのような些事は分かりかねます」
実際記憶など無いに等しいのでそう答えた。神にとって重要なのはフリンの魂と役割であって器ではない。
「えーそれじゃ『恋バナ』出来ないじゃん!ナナシ見てきて!」
女神が駄々を捏ねる。何に触発されたのか理解不能だが、女神は「恋バナ」がしたいらしい。
「不要です」
フリンがそう告げるより、ナナシがふらりと立ち上がる方が早かった。立ち上がって瞑目する。
「見てきた?」
女神がそわそわとナナシに尋ねた。
「キチジョージ村で、近所に住んでいた女の子に森で摘んだ花を渡していた、そういう事象が否定されない」
「すごーい!本物の花?どんな花だったの?綺麗?」
ナナシは屈んで自らの宇宙の花園に咲き乱れている花を1つ手折り、幼い頃に同郷の少女がフリンに手渡したという花を模して作り替えた。
フリンは顔色を変えることもなくただナナシの手元を注視している。
ナナシは女神の手に花を添える。
「すごい!きれい!」
女神は目を輝かせて、花をもぎ壊した。花の残骸から滲む雫が女神の手を瑞々しく濡らしている。
ナナシは女神の掌を指で拭って、それをフリンの口腔内へ突っ込んだ。植物のそれとは思えない、化学的な苦味が広がる。フリンが僅かに顔を顰める。
「脳は弄ってないから効くだろう」
指でフリンの口腔内を搔きまわす。
「幸福になる薬だ」
舌が痺れ、縺れる。頭蓋の奥に冷汗が流れるような感覚が沸き起こり、目の前が霞む。指先から全身に、浮遊感が広がっていく。
ぼやけた視界の端で、女神の舌に花の雫を垂らすナナシの姿を捉える。
女神はけたたましく笑い、瞼に涙を溜めながら噎せ込んだ。唇の端に泡を浮かべて、曖昧に目を開く。
ナナシは女神の涙に唇を沿わせ、頰の輪郭に舌を這わせた。
女神が微笑む。その姿を幸福と認識する論理がーー元から無かったのか抜け落ちたのかは定かではないがーーフリンの中には無かった。
かつてのナナシにとって卑近な性とは、繁殖とは隔絶した暴力と快楽だった。
今、創造主として為す女神とのまぐわいは意味を成す交合だ。
ナナシが女神の服を、母親が赤子の服を脱がせるように優しく脱がせていく。露わになった肌に、恭しく唇を落とす。余すところなく丹念に触れる。女神の瞳は焦点が合っていない。口元には笑みを浮かべたままだ。ナナシが女神に覆い被さる。結合する。女神が喘鳴めいた嬌声を上げる。どんな状態であっても女神の身体はその機能に従順に人類の創造を遂行する。
ナナシが側に転がっているフリンの結い上げた髪を引っ掴んで、上等な刃物の手入れをするように、注意深く所有物を扱う手付きで顔に触れる。
フリンはナナシの剣であることを誓い、そのようにあった。所有者が持ち物をメンテナンスすることは至極妥当だ。ただ現在の状態は、神殺しとしての機能が十全ではない。それが主である神によってもたらされた状況であったとしてもだ。言うなれば武装を解除して剣を身から離すような行為であるはずだ。纏まらない思考の中でも、主が無防備であることを危惧する。
「戯れだよ」
笑いを含んだ声音が耳朶に入り込んできた。
ナナシがフリンのスカーフを解く。露わになった首筋に、温度を感じさせない手掌を沿わせる。微かな息苦しさを感じて身動ぎする。身につけた青い外套と白い装束を脱がされていく。身体に纏わりつく外気を生温く感じる。白く骨張った指が、汗ばんだ皮膚を伝っていった。四肢が酷く重く動かしづらいが、触れられた場所の感覚は鋭敏になっていった。
唇に唇を重ねて、縺れる舌を柔く食んで、吸われる。凪いだ金の双眸が視界を覆い、漏れる水音が聴覚を満たしていく。
ナナシがフリンの両下肢を開き、その間に身体を滑り込ませる。しなやかな大腿がフリンの股間に柔く押し付けられた。反射的に身体が小さく跳ねる。
不要な筈の快楽が肉体を占める。曖昧に霞む脳のシナプスが焼き尽くされていく。微かにナナシが笑う気配がした。
「気持ちいいのか?」
問い掛けに緩慢に首を横に振って応える。余剰な機能に過ぎない快楽に耽って、剣としての自分の機能が損なわれることが由々しかった。
笑みの気配が消え、大腿が退けられる。ナナシが口内にフリンの性器を含む。輪郭に沿って舌を這わせ、柔い粘膜で締め付ける。堪えきれずに熱い吐息が溢れた。至極丹念に口淫が施される。否応無しに息が上がっていく。
ナナシが頭を上げ、指を咥えた。その指をフリンの後腔に押し当てる。濡れた指が後腔を押し拡げていく。異物感に息を詰めた。
「息吐いて、楽にして」
耳元であやすように囁かれる。母親に言い含められる幼子のように、従順にその言葉に従った。ナナシの指がフリンの中で蠢く。不意に指が引き抜かれ、後腔に性器が充てがわれた。
「入れるぞ」
下肢を熱と質量が貫く。指とは比べ物にならない異物感がせり上がってくる。上げそうになる悲鳴を必死に堪えて、必死で息を吐き出す。
金の双眸がまろく光る。こめかみを汗が伝っていった。腰が押し進められ、肉が割り開かれていく。絶え間ない異物感と鈍い痛みの中に、微かに快楽の糸を見出して困惑する。性器を全て収めて、ナナシは息を吐いた。フリンの唇に触れて、そこに口付ける。甘く舌を絡められ、意識がそこへと浮かび上がる。
ナナシが性器を抽挿する。微かな痛みに身体が慣れ、代わりに悦びを感じる。啼くように声を上げる。ナナシの細い身体にしがみつくように凭れる。
肌を打つ濡れた音が増していき、やがてナナシはフリンの中で吐精した。性器が抜き取られる感覚と、粘稠性のある液体が後腔から流れ出る感覚に身を震わせた。
ナナシが身を整えて、フリンの身体を拭う。その布はおそらく抜き取ったフリンのスカーフだったが、敢えて何か言うことはなかった。
多少身綺麗になり、息が整うと、ナナシは何処かへ姿を消した。
気怠さの残る身体で身支度をし、フリンは暫しその場で横になった。
空間がひび割れる音がする。救世の為に量子が唸る音がする。並列する事象の帰結が牙を剥く。
救世主の訪れを察する神殺しの知覚が、常人に捉えざる音の渦の中で肌を粟立てさせる。
宇宙が宇宙としてあるためのゆらぎの中の脆弱性をついて、東京の女神の死の息吹が吹き込んでくる。
愛しき宇宙に醜いノイズが生じる。
歪みながら肥大し、痂しながら滑る肉の塊の中に、出来の悪い人形のような物がぶら下がっていた。
黒きサムライが纏っていた鎧で身体を覆い、艶を失った髪は辛うじて結髪にしていることがわかる。指は風化と腐食が進み、今にも崩れ落ちそうになっているのに、顔は今しがた切り刻まれたばかりのように鮮やかな肉を晒し、血を滴らせている。旧世界の輪廻の残渣に囚われた哀れな肉の檻だ。
『僕は…命に代えても…』
酷くひび割れた声で人の形をしたものが喋る。フリンは如何なる形であれ神に仇なす物を退けるが、特にこれはなんとしてでも退けなければならないと本能が警鐘を鳴らした。
フリンは機関銃を想起し、物質として空間に固着させ、掃射する。
肉塊は聞くに耐えない呻き声を上げ、僅かに後退する。
銃はあまり効かない。そう判断し、機関銃を放棄して剣を抜く。肉塊が震え、意思を持つようにフリンに襲いかかる。
『僕、は…』
「お前の命などとうに無い。お前が守れなかったものと心中しろ」
肉に毒づき、身を翻し、衝撃で薙ぎ払おうとするが、勢いを殺しきれなかったものはフリンの身に突き刺さってきた。構わずに中心に埋まった人の形をしたものに剣を突き立てる。心臓があると思わしき場所を穿った。肉塊が身悶えるように縮小していく。致命傷に至らない。
「バロウズ、ブラックデモニカの耐性」
サーチされた結果を見て、衝撃魔法を展開する。鋭い風が腐食した肉塊と人の形をしたものを切り刻む。
再度剣を一閃させた。神殺しの剣が厳かに光る。人の形を保てなくなった亡霊は砂塵と化して崩れ去り、肉塊は消退した。空間の位相の捻れが正常さを取り戻していく。宇宙は再び静謐さに満たされる。
雨が降らない。
肉をもった亡霊の血と脂に塗れたまま、フリンは玉座を目指した。
主はそこにおらず、玉座はもぬけの殻だった。
十メートル程離れた場所に、既視感を覚えるような白い丸テーブルと椅子が二脚置かれていた。その椅子の片方にナナシは座り、見た目の年齢相応に足をぶらぶらと揺らしている。
テーブルの上には湯気を立てるカップとソーサーが置かれていた。
「まあ、座れよ」
ナナシは笑みを浮かべながら空いている椅子を示す。
「失礼ですが、このままでは椅子を汚してしまいますので、清めて参ります」
「座れ」
笑みを絶やさないまま、今度は命令として告げた。不承不承、椅子に座る。
「飲め」
カップを満たしていたのはコーヒーだった。
フリンはナナシと相対して座り、カップに口を付けた。
芳しい香りがして、苦味が口の中に広がる。肉体が記憶していない、触れたことのない奇妙な筈のその味を何故か美味しい、と感じた。ナナシもまたカップに口を付ける。その光景をみて、奇妙な感覚が湧く。
ずっと昔に、彼とどこかでこうして肩を並べてコーヒーを飲んだような。
昔?
彼?
それは誰の?いつの?
それは記憶なのか?
思案を巡らせて手が止まったフリンの顔をナナシが覗き込む。金色の瞳がフリンだけを写す。
ナナシはおもむろに取り出した釣り針で、フリンの利き手の示指を刺した。
ぷつりと赤黒い血が滲む。
「ねえ、幼馴染を殺すってのはどんな気持ち?」
ナナシが無邪気に問う。
フリンには答えようが無い。ただ無言で、血の滲む指を見つめている。その血が滴って己の主を汚すことがないかを案じるが、身動ぎもできない。
「俺には出来なかった。幼馴染をこの手で殺すこと。お前だけが出来たんだ。ある意味羨ましいよ。ところでさ、」
憧れの人を殺すのはどんな気持ちだったと思う?
「まあ、もう関係ないけれど」
そう言ってナナシは血の滲んだフリンの指を自らの唇へと導き、口内に含んだ。