真4・真4F
キチジョージの森の奥。
普段なら狩人や木樵を生業とするカジュアリティーズすら滅多に足を運ばないような場所に、不釣り合いな小さな子供が、湿った土にしゃがみ込んで息を殺していた。
多くのミカド国の村がそうであるように、子供ーーーテモテの住むオギクボ村もそう多くはないカジュアリティーズが倹しく、長閑に暮らす農村であった。
穏やかな日々を過ごしていた故郷が、突如現れた悪魔の襲撃によって蹂躙されたのは昨日のことだ。
悲鳴と怒号が飛び交う中で、母親に手を引かれ逃げていた筈のテモテはいつの間にか1人はぐれて村の外れに辿り着いていた。
視界を巡らせても人影はなく、遠くから悪魔と、悪魔とよって死をもたらされる人間の叫びが聞こえてくるだけだ。
と、テモテは道の脇にうずくまる人影を見つけた。
一瞬死んでいるのかと身を固くするが、時折びくりと身を震わせていることが分かると、矢も盾もたまらずに駆け寄った。
近寄ると、質素な身なりをした年若い女性である。
「だいじょうぶ、ですかっ」
肩を揺さぶると、スッ、と顔を上げてぎこちなくこちらに目を向けた。
すべての動作が、ギギ、と音が聞こえそうな緩慢さであることにテモテは一抹の不安を覚えた。が、
「あら…あな…た…テモテね…」と、ぼんやりしながらもこちらの名前を呼んだことでどっと緊張が和らいだ。
よく見れば知り合いの女性だ。
母親にレース編みを習っていて、時折飴玉をくれた…最近は姿を見なかったが。
「おかあさんとはぐれちゃったんだ、はやくにげよう」
必死で女性の手を引くが、頑として動かない。
「何してるの、はやくにげなきゃ…!」「何故逃げるの?」
唐突に返された言葉に理解が追いつかず、テモテは一瞬言葉に詰まった。
女はやんわりと手を取り、強く握り締めた。
瞳はギラギラとテモテの顔を捉えている。
「私ね、ずっと本を読んでいたの。お上が禁じた、ケガレビト達の本。だけどわかったのよ、人生って本当はもっと素晴らしいものなの。こんなところで安穏と過ごして無駄にしていいわけない…」
女の熱っぽく語る声がひび割れ、肌が色を失っていくのを声を上げることも出来ずに見ていたテモテだが、その両眼が赤く染まるのを見て、渾身の力で手を振りはらい、駆け出した。
「悪魔だ!」、と。
がさり、と足音が近づいてくるのを聞きとり、テモテは我に返った。
あの悪魔が、自分を追いかけ、見つけ出したらどうなる…
殺されるのか。食われるのか。
ふと視界に影が差した気がして、テモテは顔を上げた。
青い服を着た金の髪の少女が、音も無く立っていた。
澄んだ金の瞳がこちらを見つめている。
ぞわり、と、嫌な感覚がテモテの全身を駆け巡った。
悪魔になったあの女性の瞳の、何十倍もの恐怖と嫌悪。
「うわあああああああああああん!」
テモテの叫びなど意に介さずに少女はくるりと踵を返し、
「ニンゲーン、子どもいたよー!」と良く通る声で言った。
がさり、がさり、と先程の足音が近づいてくる。
恐怖が臨界点を超えたテモテは、髪を結った青年が、木々の梢と悪戦苦闘しながらこちらを覗き込むのを言葉も無く惚けて見つめていた。
青年が少女へと向き直り、呆れたように息をついた。
「止めろアリス、この子は違う。」
「アリス、また勝手にウロウロしたな。それに戦闘でも無いのに人間の前に不用意に姿を見せないでくれ」
「何よー?ニンゲン、シット?」
青年は強張ったテモテを無造作に抱き上げながら、気まぐれな少女に叱言をくれている。
「僕は君のことを買ってはいるけど、別にどこに行こうがかまわないよ。代わりがいない訳じゃない。」
「女の子に対して良くそんなこと言えるわね!デリカシーないんだから!」
テモテには青年と少女の関係性が見えない。
兄妹にしては似ていないし、そもそも家族にしては遠慮はないがよそよそしさがある。
「あの、お兄さんは、その子の、おとうさん?」
テモテが尋ねると、青年は虚を突かれた眼をした後、苦々しげに違うと告げた。
「取り引き…約束をしてるだけだ…」
森を歩くなら普通、獣避けの為に大袈裟なくらい物音を立てるものだ。
しかし今のキチジョージでは獣と出喰わすより数倍悪魔に戯れに殺される恐れが大きい。
テモテを抱えながらも、青年は可能な限り足音を消し、その剣には聖なる魔法をかけて進んでいた。
それでも突如現れた悪魔に隙を突かれれば交戦は避けられない。
戦いになっても、青年は剣を振るわない。
テモテを抱えているというだけではなく、ガントレットを通じて自らも悪魔を使役しているらしい。
らしい、と言うのは、悪魔を捌ききれなかった青年は必ずテモテの瞼を柔らかく覆ってしまうから、何が起こっているのかは把握しきれない為だ。
混乱しながらも、聴覚は妙に鋭く、青年と少女の応酬を聞き取る。
「さあアリス、そいつはかまわないよ。」と、青年が硬い声色で告げる「死んでくれる?」と無邪気にはしゃぐ少女の声が応えると、青年は瞼から手を離す。
眩しさに耐えて眼を凝らしても、テモテには悪魔の死体や交戦の痕を見つけ出すことは出来なかった。
普段なら狩人や木樵を生業とするカジュアリティーズすら滅多に足を運ばないような場所に、不釣り合いな小さな子供が、湿った土にしゃがみ込んで息を殺していた。
多くのミカド国の村がそうであるように、子供ーーーテモテの住むオギクボ村もそう多くはないカジュアリティーズが倹しく、長閑に暮らす農村であった。
穏やかな日々を過ごしていた故郷が、突如現れた悪魔の襲撃によって蹂躙されたのは昨日のことだ。
悲鳴と怒号が飛び交う中で、母親に手を引かれ逃げていた筈のテモテはいつの間にか1人はぐれて村の外れに辿り着いていた。
視界を巡らせても人影はなく、遠くから悪魔と、悪魔とよって死をもたらされる人間の叫びが聞こえてくるだけだ。
と、テモテは道の脇にうずくまる人影を見つけた。
一瞬死んでいるのかと身を固くするが、時折びくりと身を震わせていることが分かると、矢も盾もたまらずに駆け寄った。
近寄ると、質素な身なりをした年若い女性である。
「だいじょうぶ、ですかっ」
肩を揺さぶると、スッ、と顔を上げてぎこちなくこちらに目を向けた。
すべての動作が、ギギ、と音が聞こえそうな緩慢さであることにテモテは一抹の不安を覚えた。が、
「あら…あな…た…テモテね…」と、ぼんやりしながらもこちらの名前を呼んだことでどっと緊張が和らいだ。
よく見れば知り合いの女性だ。
母親にレース編みを習っていて、時折飴玉をくれた…最近は姿を見なかったが。
「おかあさんとはぐれちゃったんだ、はやくにげよう」
必死で女性の手を引くが、頑として動かない。
「何してるの、はやくにげなきゃ…!」「何故逃げるの?」
唐突に返された言葉に理解が追いつかず、テモテは一瞬言葉に詰まった。
女はやんわりと手を取り、強く握り締めた。
瞳はギラギラとテモテの顔を捉えている。
「私ね、ずっと本を読んでいたの。お上が禁じた、ケガレビト達の本。だけどわかったのよ、人生って本当はもっと素晴らしいものなの。こんなところで安穏と過ごして無駄にしていいわけない…」
女の熱っぽく語る声がひび割れ、肌が色を失っていくのを声を上げることも出来ずに見ていたテモテだが、その両眼が赤く染まるのを見て、渾身の力で手を振りはらい、駆け出した。
「悪魔だ!」、と。
がさり、と足音が近づいてくるのを聞きとり、テモテは我に返った。
あの悪魔が、自分を追いかけ、見つけ出したらどうなる…
殺されるのか。食われるのか。
ふと視界に影が差した気がして、テモテは顔を上げた。
青い服を着た金の髪の少女が、音も無く立っていた。
澄んだ金の瞳がこちらを見つめている。
ぞわり、と、嫌な感覚がテモテの全身を駆け巡った。
悪魔になったあの女性の瞳の、何十倍もの恐怖と嫌悪。
「うわあああああああああああん!」
テモテの叫びなど意に介さずに少女はくるりと踵を返し、
「ニンゲーン、子どもいたよー!」と良く通る声で言った。
がさり、がさり、と先程の足音が近づいてくる。
恐怖が臨界点を超えたテモテは、髪を結った青年が、木々の梢と悪戦苦闘しながらこちらを覗き込むのを言葉も無く惚けて見つめていた。
青年が少女へと向き直り、呆れたように息をついた。
「止めろアリス、この子は違う。」
「アリス、また勝手にウロウロしたな。それに戦闘でも無いのに人間の前に不用意に姿を見せないでくれ」
「何よー?ニンゲン、シット?」
青年は強張ったテモテを無造作に抱き上げながら、気まぐれな少女に叱言をくれている。
「僕は君のことを買ってはいるけど、別にどこに行こうがかまわないよ。代わりがいない訳じゃない。」
「女の子に対して良くそんなこと言えるわね!デリカシーないんだから!」
テモテには青年と少女の関係性が見えない。
兄妹にしては似ていないし、そもそも家族にしては遠慮はないがよそよそしさがある。
「あの、お兄さんは、その子の、おとうさん?」
テモテが尋ねると、青年は虚を突かれた眼をした後、苦々しげに違うと告げた。
「取り引き…約束をしてるだけだ…」
森を歩くなら普通、獣避けの為に大袈裟なくらい物音を立てるものだ。
しかし今のキチジョージでは獣と出喰わすより数倍悪魔に戯れに殺される恐れが大きい。
テモテを抱えながらも、青年は可能な限り足音を消し、その剣には聖なる魔法をかけて進んでいた。
それでも突如現れた悪魔に隙を突かれれば交戦は避けられない。
戦いになっても、青年は剣を振るわない。
テモテを抱えているというだけではなく、ガントレットを通じて自らも悪魔を使役しているらしい。
らしい、と言うのは、悪魔を捌ききれなかった青年は必ずテモテの瞼を柔らかく覆ってしまうから、何が起こっているのかは把握しきれない為だ。
混乱しながらも、聴覚は妙に鋭く、青年と少女の応酬を聞き取る。
「さあアリス、そいつはかまわないよ。」と、青年が硬い声色で告げる「死んでくれる?」と無邪気にはしゃぐ少女の声が応えると、青年は瞼から手を離す。
眩しさに耐えて眼を凝らしても、テモテには悪魔の死体や交戦の痕を見つけ出すことは出来なかった。