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真1

こぐま座α星、と少女が呟く声が落ちた。
新月の夜、東京の空は曇り模様だった。
その雲の合間に、少女は星を見て取ったようだ。
横たわったまま身じろぎもせず、視線だけを高く設えられた窓に向ける。
角度が悪いのか、また雲に呑まれたのか、北極星は見えなかった。

「星が好きなのか」
眼を閉じて、黙り込んだ少女に問う。
階段の下には弱い悪魔を放っている。一瞬で消し炭にされるのでもなければ、断末魔は聞こえるだろう。
聴覚にだけ気をやれば良い。
「好きって訳じゃないけど。まあ嫌いじゃないかも」
曖昧な返答に、必要なければ見ないし、と少女は続けた。
「こぐま座、アルカス、母親を射った息子」
「何それ」
「ギリシャ神話」
そこまで言って、敬虔なメシア教徒の家に生まれついた彼女が古代の神話など知り得るはずもないと悟る。
案の定、少女はなにそれ、と繰り返した。

星を見る必要性など、30年前の東京には無かった。
星を見るのに適した空を、30年前の東京は有してもいなかった。

小学校の理科の授業で星座早見盤をもらった日の夜。
自分も隣家の幼馴染の女の子も上機嫌で、興奮しながら星空を眺めていた。
幼馴染は星々の描く星座や、それに纏わる神話、そしてロマンチックな占いに心惹かれるようだった。
「わたしの運命のひとは、9月生まれで、長男で、優しくて、音楽に関係のあるひと」
そんな話を真に受けて、9月生まれでもないのに、他人と波風立てず、好きでもない音楽番組を毎週欠かさず見て、人気のCDは予約して買っていた。
幾許かの気安い友人が増え、そして幼馴染は知らないうちに知らない男と付き合っていた。

「そういえばあいつ9月生まれだったのかな」
唐突に独り言つ。
少女は座ったまま壁に凭れ、微かに寝息を立てていた。
細心の注意を払って抱き寄せ、横たえる。
微かに身を固くする気配がしたが、抵抗は無かった。

「ポラリス、こぐま座α星、視等級1.86から2.13のケフェイド変光星で2等星。地球から433.8光年。いいな、そういうの。ロマンがあって好きだ」
眠るものへの気遣いなどなく捲したてる。

恒星は全て太陽の様に燃える高密度の天体が、ずっと遠くにあるから小さな光に見えている。地表で観測されるのは何百年も、何千年も前の、あるいは何億年も前に燃え尽きた星の光かも知れない。
そんな話が大好きだった。平たい空に描かれたお伽話よりずっと神秘的で、キラキラしていた。
30と8年前、幼馴染に言っても微塵も理解されないどころか、
「きもちわるい」
とまで言われた感性が、今でも残っている。
そこに少女が触れたのか、偶々彼女が似通った感性を培ったのかはわからないが、好ましい、と思った。
「占いとか、神話とか、ホントは好きじゃない」
自らの手で成仏させた初恋の少女と、ついでに勝手に満足していった長男で音楽家志望だったらしい優男が脳裏をよぎったが、後ろめたさは無かった。
考え方が、少し違うだけ。見え方が違うだけで、見ているものは一緒だったはずだ。
「本当に、」
少女のはっきりとした言葉に目を開く。
闇の中でも意思の強い眼差しを感じられる気がした。
「神話ってみんな物騒ね。陳腐だわ」
おやすみ、と言って瞼を閉じる少女に苦笑する。

自分は、少なくとも母の姿をしていた物を切りつけ、撃ち、悪魔を率いて、殺めた。
神様に頼る気は、もう無い。
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