……まだ日が地平線から昇り、街全体がボンヤリと輪郭を溶かしていたある朝の日。ロシア…カザニにあるキャンプ場から怒声が飛び交った。

その声量は朝一で聞いたら鼓膜が痺れるのではないか、と心配になる程。その声を聞いて同じキャンプ場で夢と現実をトロトロと行き来していた数人が一気に跳ね起きるまでだった。ゼーハーゼーハー呼吸を繰り返し、鼓動を落ち着かせる被害者一同。

「……毎朝毎朝、御苦労なこったぜ」

バッチリ目覚めてしまった吉良ヒロトはその聞き慣れた怒声にウンザリしつつも苦笑を浮かべる。寝相が悪かったのか頰には微かに枕の跡が残っていた。

「鏡花の怒声聞いても生命が大丈夫だと思ってんの水月ぐらいだよな。直接じゃないのに俺らが跳ね起きるほどだぜ？鬼婆だよ、本当」

ヒロトと同室である灰崎凌兵もボサボサな長髪を少し搔きあげながら…確かにと頷く。

「……まぁ、監督が鏡花を飼育係に強制任命したのが悪ィと思う」

いつもより数トーン低い声音はまだ寝足りない、と言いたげだった。

「鏡花、参戦早々苦労してんねぇ……」

そんな哀れむような会話が数メートル先の室内で起こってるとは露知らず、鏡花…大門 鏡花は彼の布団をひっぺがす。

「水月君!!!!いい加減に…起きて、3度目の正直!!!!」

眉間に皺を深い程に寄せながらスゥ…と息を吸った鏡花は“水月君、朝食間に合わなくなる!!!!”と彼に怒声を轟かす。

「……え、もう朝なわけ…」

怠そうに寝返りを打ちかけた水月…水月 大河の目下には薄っすらとした線が引いている。これが涙袋ではなく睡眠不足から引き出されるクマであることを鏡花は知っていた。

「昨日何時まで起きてたの…低血圧なんだからちゃんと自立した生活しなさいって言ったじゃない…！」

畳み掛けるかのように鏡花が怒ると鬱陶しげに彼は溜息を吐いて毒舌を垂らす。

「……センパイ、五月蝿い。」

ピキリ。鏡花の表情筋が固まる音が盛大に響く。…普通の常識がある人なら（いくら寝坊しれど）ここで大抵は跳ね起きる。けれど。
彼は言うならば人間の域を超えている。

「…センパイ、過労死で絶対50歳以内に生命尽きるよ、俺が保証する」
「どーも（怒）」

ニッコリと暗黒微笑を浮かべた鏡花は彼の両頬を抓ろうかと半歩彼と距離を縮めた、


瞬間。


パチッと彼の瞼が反射行為かのように跳ね、鏡花の姿を捉える。
突然の事に少しビックリした鏡花は伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。

「起きてるんじゃん!!!!」
「別に寝てるなんて言ってませんけど」

ああ言えばこう言う。2人の仲は良いのか悪いのか一度始まった問題はなかなか展開もしないし終わりもしない。

「……はい、もう起きたね！？私もう行くからね！？まだ掛け布団畳んでないから________ 」
「誰が行って良いって言ったの」

身を翻し、食堂へと向かおうとしていた鏡花のお腹近くに彼の手が刹那、回されて引き止められた。寝起きとは思えない程の力に鏡花の体は回された手からくの字に曲がる。

「ヴッッッ!!!!」

……文だけならキュン、と来るかもしれない。しかし、これを実際にやられたらそうはいかない。…突然、不意打ちでお腹辺りに手を回されるとどうなるかご存知だろうか。


…………そう、腹パン。ストレートではない変化球腹パン。それをもろに食らった鏡花から溢れた悲鳴は流石に水月も…え、と顔を向ける。

「センパイ、どうしたの貧血？」

見事にノックアウトされた鏡花は殺意を覚えながら数十分間意識を手放すのだった。