仮初のアライアンス
「“S”_________ ですか?」
「ああ。今回追っている案件は外部からの情報提供が重要になってくるんだ」
書類の山から資料を躊躇いなく抜き取った関さんは人が良い笑顔で微笑む。
俺のような“仮初めの笑顔”ではなく、心からの笑み。人柄の良さが滲み出た笑み。
何処かゆとりのある所作は、今追いかけている薬物事件が解決に向かっている安堵からだろう。
関大輔。俺の今の上司にあたる。厚労省内の影の名前はサイボーグ然り。
その仕事ぶりと検挙率は流石と言うべきか。部下への情に厚く、フォローはきっちり忘れない。
入省早3年で瞬く間に課長の座まで上り詰め、なおそれ以上の出世を断り、この麻薬取締部の課長として居続ける実力者。
個性強い課内メンツがこうも結束しているのは関さんの統率力他ならないだろう。
俺は“少し困った素振り”のフリをしながら少し視線を逸らす。
「うーん、困りましたね……。実は僕、こっち での顔馴染みがいなくて。過去担当している事件で協力を仰げそうな人はちょっと難しいですし」
「そうだね、今大路にはいつも1人で任務をこなしてもらっていたから、今頃って話にはなるんだけど」
真っ赤な嘘ではない。むしろ今告げたのはほとんど事実だ。
しかし、関さんの案件はどうしても受けるわけにはいかない。やんわりと遠回しにSをスカウトする事は出来ないと暗に告げる。
____________俺は。日本 に始末事を増やすわけにはいかないのだから。
(Sにだって、このマトリメンバーにだって、知られるわけにはいかねーんだよ……)
そう、本心を吐露する事も無く、心内穏やかでないまま関さんとの話は続いた。
⭐︎
帰宅して1番、鼻についた形容できない刺激臭に思わず鼻を顰める。
ようやく一息つける横浜のマンションまで来たからか、張り詰めていた精神が緩んだ気がした。
「っはぁ、だりー……」
週末にあるマトリの飲み会を用事があるから、とまたもややんわりと柔らかく躱してバイクをかっ飛ばしてきた道中に買い込んだコンビニ弁当を乱雑にテーブルに広げながらワイシャツを脱ぎ捨てる。何日か前に仕事に嫌気が差してヤケ飲みしたビールの缶が部屋の端に転がっていた。
(……マトリのメンバーが見たら仰天するだろうな)
品行方正で物腰柔らかな帰国子女。温和な紳士。
皆から好かれ、なおかつ踏み込まれない様に。皆から信頼されるように、かつ話しかけられやすい様に。
演じている人物像はそんな胡散臭い役柄だった。
そんな偽りの自分を疑いもせず、それを“本性”と捉えて接しているマトリメンバーはお人好しも良いところだろう。そう、嘲りながらも何処か微かに寂しさが混じる。
そろそろ本来の俺自身と仕事の時の自分が乖離しそうで。
この生活は何処か機会的で能動的だった。
粉骨した体に1日の疲れが滲み始め、俺は軽く頭を抱えてソファに身を投げ出す。
白一色の面白みのない天井がただ淡々と蛍光灯の淡い光に照らされていた。
結局、そのまま弁当を温めたまま寝落ちしたせいか、空腹で目が覚めた。
糠雨の音を聞きながら俺はズルズルとソファから起き上がる。
(……雨……)
無意識のうちに鼻に皺を寄せながら、適当にシャツを引っ掛ける。
雨は、嫌いだ。そして、何より…………虹が嫌いだ。
そう思いながらズボンに手を突っ込んで _________________ 僅かに狼狽した。
(……バイクの鍵、がない)
声もなく凍りついた俺の背中越しに朝を告げるスマホのアラームが高らかに鳴り響いた。
⭐︎
「はーー、ようやく迎えたオアシス……」
疲労困憊4文字を肩に背負いながら紙パックを絞り上げて鉄分を摂取する。
軽くフラフラして覚束ない足元に鉄分は必要不可欠だ。
オートロックを解除し、自動ドアを潜る。
機会的動作を終えて溜息を吐き出した直後、廊下の角隅に見慣れぬ小物を見つけた。
「……………鍵」
その小ぶりさから何か大切な鍵だと察するまでに疲弊し切った脳で理解するのに約10秒。
思わず踏みそうになり、慌てて飛び退いた。
(このマンションの人なんだろうけど、……これ、バイクの鍵?)
なんとなく鍵の形状で見積もった俺はその場にしゃがみ込む。
朝の光がチカチカとコンピューターと睨み合っていた俺の双眼をジリジリと焼いた。
とっとと素通りすればよかった。
見て見ぬふりをすればよかった。
事務所に届ければよかった。
幾らでもほかに選択肢はあったのにこの時の俺は本当にどうかしていた、という事にして欲しい。常日頃、しょうもないお人好しだと呆れ多量で数少ない友人に言われてしまうのもこの時になってようやく身に染みて理解した。
何を考えたのか俺は誰のものかわからない鍵を拾い上げ。このマンションで駐車場にバイク利用登録している名簿帳を事務所に借りにその足で出向いてしまったのだった。
こうして、交えるはずのない彼等の仮初の同盟は幕を開ける___________________________。
「ああ。今回追っている案件は外部からの情報提供が重要になってくるんだ」
書類の山から資料を躊躇いなく抜き取った関さんは人が良い笑顔で微笑む。
俺のような“仮初めの笑顔”ではなく、心からの笑み。人柄の良さが滲み出た笑み。
何処かゆとりのある所作は、今追いかけている薬物事件が解決に向かっている安堵からだろう。
関大輔。俺の今の上司にあたる。厚労省内の影の名前はサイボーグ然り。
その仕事ぶりと検挙率は流石と言うべきか。部下への情に厚く、フォローはきっちり忘れない。
入省早3年で瞬く間に課長の座まで上り詰め、なおそれ以上の出世を断り、この麻薬取締部の課長として居続ける実力者。
個性強い課内メンツがこうも結束しているのは関さんの統率力他ならないだろう。
俺は“少し困った素振り”のフリをしながら少し視線を逸らす。
「うーん、困りましたね……。実は僕、
「そうだね、今大路にはいつも1人で任務をこなしてもらっていたから、今頃って話にはなるんだけど」
真っ赤な嘘ではない。むしろ今告げたのはほとんど事実だ。
しかし、関さんの案件はどうしても受けるわけにはいかない。やんわりと遠回しにSをスカウトする事は出来ないと暗に告げる。
____________俺は。
(Sにだって、このマトリメンバーにだって、知られるわけにはいかねーんだよ……)
そう、本心を吐露する事も無く、心内穏やかでないまま関さんとの話は続いた。
⭐︎
帰宅して1番、鼻についた形容できない刺激臭に思わず鼻を顰める。
ようやく一息つける横浜のマンションまで来たからか、張り詰めていた精神が緩んだ気がした。
「っはぁ、だりー……」
週末にあるマトリの飲み会を用事があるから、とまたもややんわりと柔らかく躱してバイクをかっ飛ばしてきた道中に買い込んだコンビニ弁当を乱雑にテーブルに広げながらワイシャツを脱ぎ捨てる。何日か前に仕事に嫌気が差してヤケ飲みしたビールの缶が部屋の端に転がっていた。
(……マトリのメンバーが見たら仰天するだろうな)
品行方正で物腰柔らかな帰国子女。温和な紳士。
皆から好かれ、なおかつ踏み込まれない様に。皆から信頼されるように、かつ話しかけられやすい様に。
演じている人物像はそんな胡散臭い役柄だった。
そんな偽りの自分を疑いもせず、それを“本性”と捉えて接しているマトリメンバーはお人好しも良いところだろう。そう、嘲りながらも何処か微かに寂しさが混じる。
そろそろ本来の俺自身と仕事の時の自分が乖離しそうで。
この生活は何処か機会的で能動的だった。
粉骨した体に1日の疲れが滲み始め、俺は軽く頭を抱えてソファに身を投げ出す。
白一色の面白みのない天井がただ淡々と蛍光灯の淡い光に照らされていた。
結局、そのまま弁当を温めたまま寝落ちしたせいか、空腹で目が覚めた。
糠雨の音を聞きながら俺はズルズルとソファから起き上がる。
(……雨……)
無意識のうちに鼻に皺を寄せながら、適当にシャツを引っ掛ける。
雨は、嫌いだ。そして、何より…………虹が嫌いだ。
そう思いながらズボンに手を突っ込んで _________________ 僅かに狼狽した。
(……バイクの鍵、がない)
声もなく凍りついた俺の背中越しに朝を告げるスマホのアラームが高らかに鳴り響いた。
⭐︎
「はーー、ようやく迎えたオアシス……」
疲労困憊4文字を肩に背負いながら紙パックを絞り上げて鉄分を摂取する。
軽くフラフラして覚束ない足元に鉄分は必要不可欠だ。
オートロックを解除し、自動ドアを潜る。
機会的動作を終えて溜息を吐き出した直後、廊下の角隅に見慣れぬ小物を見つけた。
「……………鍵」
その小ぶりさから何か大切な鍵だと察するまでに疲弊し切った脳で理解するのに約10秒。
思わず踏みそうになり、慌てて飛び退いた。
(このマンションの人なんだろうけど、……これ、バイクの鍵?)
なんとなく鍵の形状で見積もった俺はその場にしゃがみ込む。
朝の光がチカチカとコンピューターと睨み合っていた俺の双眼をジリジリと焼いた。
とっとと素通りすればよかった。
見て見ぬふりをすればよかった。
事務所に届ければよかった。
幾らでもほかに選択肢はあったのにこの時の俺は本当にどうかしていた、という事にして欲しい。常日頃、しょうもないお人好しだと呆れ多量で数少ない友人に言われてしまうのもこの時になってようやく身に染みて理解した。
何を考えたのか俺は誰のものかわからない鍵を拾い上げ。このマンションで駐車場にバイク利用登録している名簿帳を事務所に借りにその足で出向いてしまったのだった。
こうして、交えるはずのない彼等の仮初の同盟は幕を開ける___________________________。
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