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番外編

バスが発車したと同時に、乾いた砂のようなにおいが鼻をつく。どんどん遠のいていくその後ろ姿を、俺は何年も前から見送り続けている。
学校帰りの通学路。空はすっかり茜色に染まり、ただでさえ閑散とした住宅街は、さらに活気を失っていくようだった。掠れたカラスの鳴き声に、遠くから聞こえてくる救急車のサイレン。普段ならさして気にならないような環境音も、今の俺にとってはこの上なく迷惑かつ無駄な情報でしかない。

「……今日はやけにボーッとしてますね。何か悩みでもあるんです?」

後方から妙に苛つく猫なで声。クラスメイトの犀藤快吏は、いつからか勝手に俺の家まで着いてくるようになっていた。酷い時は、というか、最近は朝も家の前で待ち伏せされてしまっている。

「悩みがあるとしたら、お前が俺に絡んでくることだろうな」

「えぇ? つれないですねぇ。私が一緒にいてあげなかったら正真正銘のぼっちになっちゃいますよ? ……あ、もしかして照れ隠し?」

せっかく早歩きをして隣り合わせにならないようにしていたのに、あいつはわざわざ追いついてきて、俺の顔を覗き込んできた。にんまりと、いかにも上機嫌そうに。こういうところが本当に嫌いだ。

「……少し、昔のこと思い出してた」

「昔のこと、ですか。なんだか意外というかなんというか……」

ずっとからかわれるのも癪だから、正直に考えていたこと教えてやると、返ってきたのはわざとらしい素っ頓狂な返事。いつもそうだ。事ある毎に俺に話しかけてきては、大袈裟に相槌を打って、話を合わせて。こんな無意味な会話をして何が楽しいのだろうか。どうせ大して興味もないくせに。

「……例えば、この公園とかにも思い出があったり?」

足を止め、指をさされた方向を見やれば、そこには随分と寂れてしまった小さな公園。長い間使われていなかったのか、砂場は雑草で埋め尽くされ、遊具は蜘蛛の巣や鳥の糞で汚れきっていた。おまけに、公園の隅にぽつんと佇む公衆トイレはよほど損傷が酷いらしく、ブルーシートとトラテープで覆われていて、きっと使いものにならない。そんな荒れ放題の公園に、あいつはズカズカと入り込んでいくものだから、流石に俺も慌ててその背中を追う。

「あはは、ろくに整備もされてないし、草もこんなに伸びきっちゃって。痒くなっちゃいそう。こんな酷い状態で子供は遊べるんですかねぇ」

「遊ぶ子供がいないから放置してるんだろ……ッ……!」

「あぁ、なるほど。少子高齢化社会ですもんね」

俺が焦っていようとお構い無しに、何を思ったのか、あいつは細い木の枝を手にすると、近くのブランコに絡みついていた蜘蛛の巣を取り払っていく。一台、二台、――残りの二台には手をつけずに、すっかり糸だらけになった枝はどこか遠くの方へと投げ捨てられた。

「おい、お前まさか……」

なんとなく、この先の展開が読めたような気がして、思わず顔を顰めてしまう。こんなことなら追いかけずに、さっさと先に帰ってしまえば良かったのだ。こちらを振り返ったあいつは俺とは対照的に、満足気な、意地の悪い笑みを浮かべていて。

「どちらがより高くブランコを漕げるか勝負しましょう!」

断ると更に面倒なことになるのは、今までの経験で痛いほど分かっていた。今この場所にもう一人の問題児がいなかっただけ、不幸中の幸いというべきか。夏の暑さと疲労で弱った脳みそに、けたたましい蝉声がこれでもかというほど響き渡っている。
錆びたチェーンに手がかけられ、椅子には足がかけられる。久々に役目を果たすであろうブランコは、キィキィと不快な音をたてながら、前に後ろに、一定のリズムで往復を繰り返す。

「ほら、ハク君も早く」

そう言って急かされたので、俺も仕方なく空いている手前のブランコに乗り、立ち漕ぎを、しよう、と。

「……動かない」

何故だろうか。昔はちゃんと出来ていたはず。もちろんあいつが俺の醜態を見逃すわけもなく、案の定堰を切ったように笑いだした。出来ることなら抗議をしたいところだが、生憎今の状況を庇えるような言葉は持ち合わせていない。羞恥と焦燥で、頭の中が更に熱くなっていくのを感じる。体を揺らしても、膝を曲げても、ブランコは揺れなかった。

「ッふふ……多分、勢いが足りないんですよ。これじゃあ勝負にもならないでしょうし、特別に私が手伝ってあげましょう」

いい歳した高校生が、こんなこと、馬鹿げているにも程があるだろう。もうやめろと声をかけようとしたが、少しばかり遅かったようで。腰の辺りに、優しく突き飛ばすような感触。最初は短い間隔で、前に揺れて、後ろに戻る度に押し返されての繰り返し。間隔が長くなっていくにつれ、ブランコの振れ幅は広くなっていく。
頬を撫でる風が、心做しか懐かしいように思えた。

「どうです?風になった気分は。小学生でもないのに一人で立ち漕ぎも出来ないだなんて、恥ずかしいですねぇ」

嘲笑うような声を聞き流しながら、俺は再び昔の記憶を思い返していた。それこそ、小学生時代の懐かしく、痛々しい思い出を。
確かに、いたのだ。毎日馬鹿みたいに遊び呆けて、くだらないことで大喧嘩して、それでも尚友人と呼べるような奴が。家が近所だったか、幼馴染だったか、詳しい境遇は忘れてしまったが、珍しく馬が合う奴だったことはよく覚えている。もっとも、そいつは中学年の頃の夏休みにこの町を離れたきりで、もう何年も連絡がとれていないけれど。

「……また考えごとですか? 空想に耽けるのもいいですけど、友達である私の存在を置いてけぼりにしちゃうのはどうかと思うなぁ……」

ふと気がつくと、ブランコの揺れは既にゆるやかになっていて、ついさっきまで後ろにいたあいつは目の前で不満気にこちらを見つめていた。

「…………お前と友達になった覚えはない」

とりあえず適当に睨み返してやったら、何が良かったのかは知らないが、またいつもの営業スマイルに早戻り。コロコロと移り変わる表情も、恐らくは上辺だけのものなのだろう。貼り付けたような胡散臭い笑顔からは、なんの感情も汲み取れない。

「……そろそろいい時間ですね。流石に帰りましょうか」

ブランコから降りると同時に、鳴り始めたのは午後五時を告げるチャイム。あいつの気まぐれもこれで強制終了。ようやく解放される。

――ふと、帰り際に公園を見返してみた。
やはりそこには誰もいなくて、役目を放棄した遊具達がただただ寂しげに立ち尽くしているだけ。その事実が、なんだか妙に受け入れがたくて、結局すぐに視線を逸らしてしまう。

「ハク君!置いて行っちゃいますよ?」

「……わかってる」

くぐもった鐘の音が、やけに脳内に響いていた。
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