第十章
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市丸は左肩から腹にかけて斬り裂かれ、血飛沫を上げる。なつみは凍りついて、全く動けなくなってしまった。膝から崩れ落ちていく市丸。藍染は崩玉を取り戻し、落ち着きも取り戻していた。
「ー進化には恐怖が必要だ。今のままではすぐにでも、滅び消え失せてしまうという恐怖が。ありがとう、ギン、なつみ。君たちのお陰で私は、遂に死神も虚も超越した存在となったのだ」
目の前で起きてしまった最悪のシーン。市丸隊長は宇宙一強い死神だもん。何があっても隊長についていけば大丈夫なんだ。そんな風にいつも思っていた。なのに。何が大丈夫だ。自分のせいで。震えた唇をグッと噛むと、一気に怒りの感情に呑み込まれた。自分を守らせてしまったせいで、市丸が斬られてしまったことと、斬った藍染に対して。
開く眼。
「ア゛ァァァァァァアアアッ‼︎‼︎‼︎」
なつみは斬魄刀を抜き、藍染に飛びかかった。
なつみが得意とする高速攻撃が、雨に打たれるように、藍染に降りかかる。斬魄刀同士のぶつかり合う音が、無数に響き渡った。嬉しそうにその全ての攻撃を受け止める藍染は、邪魔者のいないふたりだけの空間を求めて、わざと押されるように空へ移動していった。
「そうだ、なつみ。私を許すな。だがまだ足りない。殺意だ。殺意を抱け。でなければ、私は倒すことはできない」
若い芽を摘むことはしない。そんなことをして頂点に立っても、自分の底が知れてしまうだけ。高みへ登り詰めるには、強く成長する下の者が押し上げてくれるのを、待たなければならない。だから藍染は楽しげにしている。
微笑んで語りかける藍染に、なつみは斬撃だけでなく、白打も鬼道も繰り出して、全方位から攻撃を仕掛けにいった。たくさんの先生たちから学んだ技術を、全力でぶつけていく。こんな、こんなぐちゃぐちゃな世界に備えての訓練だったなんて。藍染は始めから知っていたに違いない。きっと。知っていて、なつみをそばに置いて育てていた。わからないこと、わかりたくもないことばかりだ。しかし、芯を手放すほど呑まれはしなかった。
(勝機はまだある。崩玉を奪い取れば、この戦いを終わらせられる!ぼくにしかできない!ぼくがやらなきゃ!すぐに市丸隊長を助けに行く!できる、できる、できる!できる‼︎‼︎)
微かな市丸の鼓動を感じ取り、拒絶と怒りの闘志は冷静さへ傾いたのだ。その保てた自信を高めて、立ち向かう勇気を奮い立たせる。
それでは藍染は満足しない。なつみは自分の隣にいるに相応しい、可愛い子として見ているから。心も強く鍛えてあげたい。自分が見る景色と同じものを見ても、生きていられる強い心を持てと。
藍染は隙をついて、なつみの首を後ろから掴み、真下を見下ろさせた。そこでは市丸が仰向けになり、戦いの成り行きを見届けようとしてくれていたようだ。だが、様子がおかしい。
「よく見るんだ、なつみ。君は都合よく錯覚してしまっている。あれが本物のギンだよ」
瞬きが許されない力みがなつみを襲う。白い肌、赤く染まった身体。消えた霊圧。耳に届いた囁き。
「ギンは死んでいる…」
プツン…。なつみの中で、留まってくれていたものが切れてしまった。
「ンゥウアアアアアッ‼︎‼︎」
パリンと砕けたのにも気付かないほど、なつみは自分を失った。酷いことを言い、酷いことを見せた、隣にいるこの男が憎くてたまらない。この感情のやり場は、こいつでしかない。
「アアアアアーッ‼︎‼︎」
ただ藍染を倒したい。それだけの想いで、無心に刀を振る。
「良くなっているよ、なつみ」
至る所から心臓を狙われているのに、藍染はまだ余裕でいる。
虚圏に連れていった意味があった。
「なつみ、もしも心の底から憎むべき相手が現れてしまったとき、絶対に許してはいけないよ。徹底的に向き合いなさい。さもなければ、苦しみはいつまでも君に付きまとう。君の手で消し去らない限り、いつまでも」
「ぼく、そんなに誰かに嫌な思いさせられること、無いですよ」
「もしものときだよ。破面たちから、怒り方を教えてもらうと良い。怒りを力に変えることも身に付けておくと、いざという時に役立つだろう」
「穏やかじゃないですね〜」
ある日の朝食の席でのことだった。
この上辺だけの平和な世の中を覆すには、間違いを間違いだと訴える、強い気持ちが大切で、怒りも説得力を与えるのに必要だ。
なつみは藍染に向かって、斬魄刀を槍投げのように振りかぶってからぶん投げた。当然のように躱される。武器を手放したなつみは、藍染に接近してくる。何をしてくるのか様子を見よう。鬼道か、それとも白打か。だが、そんな態度も油断でしかなかった。なつみに常識は通用しない。しかも、今のなつみはキレている。予想など容易く超えてくる。
「何⁉︎」
突撃してきたものだから、殴るのかと思ったが、違う。なつみは藍染の胸と腹に足を付けて踏ん張り、右手を藍染の胸の崩玉に、左手を右腕にやり、それぞれを目一杯の力で握った。そして引っ張る!
「ウ゛ゥゥゥゥ」
唸りながら。
「そんなもので奪い取れるとでも思っているのか」
藍染がやや呆れるも、残念ながらなつみの馬鹿力はこんなものではない。
ブチブチブチブチッ
嫌な音がする。
「馬鹿なッ」
脚の力もかかり、崩玉も腕も離れようとする。
なつみの思いはこうだ。崩玉があるから、市丸隊長が酷い目に遭わされた。鏡花水月があるから、藍染隊長はダメなんだと。このふたつを奪い去れば、全部終わる。怒りを込めて。
「ウォォォォォォォォォォオオオッ‼︎‼︎」
好きにさせてはいけないかもしれないと、今になって思った藍染は、自由な左手をなつみにかざした。鬼道を仕掛けるつもりで。しかし。
チャキン…
背中に鋒が当たっている。心臓のすぐ後ろ。
(鳥頭め)
ひとりでに斬魄刀が動いたのだ。ムッちゃんの意思か、それとも。
なつみが踏ん張れば、藍染の身体は後ろに傾く。このままいけば、なつみの掌で何が起こるかわからない。崩玉と斬魄刀、藍染の自信の源となる力が奪われれば、再び、死の淵に追いやられる。今度は帰ってこないかもしれない。やはりなつみだったと、諦める他無いのか。その時。
サンッ
なつみの左耳を掠めるほど近くで、カマイタチのような疾風が往来した。その刹那に、聞こえた気がした。
「なつみちゃんは、誰も殺したらアカン」
怒りがスッと引いて、両手もパッと開いた。
「たいちょ…」
ガシッ‼︎
気が抜けたなつみは一瞬にして、藍染から引き離された。
「こんなの、らしくないよ、なつみちゃん」
頭のすぐ上で、そう囁かれた。なつみの右手は、血に染まっていた。
「藍染、次はオレが相手だ」
「フン…、君には落胆した、黒崎一護」
向こうで、藍染の前に立ちはだかる一護の姿があった。こちらには京楽が。
「春水さん…」
なつみの斬魄刀がサッと飛んできた。
「ムッくんも落ち着いて」
京楽が刀を収めてくれた。
「惣右介くんは一旦、一護くんに任せよう。キミは市丸隊長の手当てを。キミにしかできない」
「だって…」
場所を移すと言い、一護が藍染を片手で連れ去るのを見た。
「行こう」
京楽は、なつみを抱きしめて、下へと降りていった。
そこでは、乱菊が市丸の傷を癒そうと、回道を施していた。その市丸は、残った左手に斬魄刀を握っていた。駆けつける京楽となつみ。
「えかった。届いた…」
薄っすらと笑い、市丸は呟いた。
「バカ。無茶して」
そう言う乱菊の頬には、涙の跡だろうか。
「市丸隊長‼︎‼︎」
なつみは地面に足を着けた途端に、市丸の右脇に置かれた彼の腕を拾い上げ、切り口同士を付けた。
「なつみちゃん」
京楽がすぐに、なつみのマントを差し出してくれた。拾っていてくれたのだ。
「ありがとうございますッ」
生きていた。市丸はまだ死んでいなかった!助けられる。自分になら絶対。このための今までだから!
「もう大丈夫ですよ!隊長!」
市丸にマントをかけ、乱菊に目を向ける。
「代わります!」
「お願い、なつみ」
なつみは市丸の胸と右腕に手をかざす。同時に治療をするつもりだ。いち早く市丸を痛みから救ってあげたいのだ。なのだが、市丸が何か言いたげだった。
「何ですか、隊長」
「腕から治してや…」
「でもっ」
胸の傷だってかなり深い。後回しには。
「ええから。頼むわ」
なつみには聞きたくない頼みだったが、仕方がない。隊長命令だ。
「わかりました」
胸に添えた右手を左に寄せる。
数秒で繋いだ。ドヤ!お次は正面と。
「ありがとう。もうええで」
市丸は繋いでもらった手で、なつみのほっぺに触れてきた。
「良いって、何がですか。全然治せてませんよ!」
しかめ面なのも気にせず、市丸は更に、ぷにぷにとほっぺの柔らかさを堪能するように、優しく揉んできた。
「あったか…、なつみちゃんのほっぺ」
「隊長‼︎」
藍染が離れたのを察知して、仲間たちも合流してきた。
「木之本!市丸隊長、助けられそうか⁉︎」
「言ってやってよ、みんな!隊長が!隊長がぁ‼︎」
倒れている市丸の左隣になつみ、右に乱菊。そこに駆け寄る仲間たちを、京楽は腕を上げて止めた。
「京楽隊長…」
尾田が怪訝そうに言う。
「ありがとう…」
穏やかに、市丸が礼を言った。
京楽は目を伏せ、そして瞑る。
「みんな、…そのままだよ」
仲間たちの表情が困惑を物語っている。その中でなつみは、キッと京楽を睨んだ。首を振る京楽。むにむにしてくる市丸の手を掴んで、間違っていると叫んだ。
「隊長が変なこと言うからですよ‼︎‼︎」
目に涙を浮かべていた。言い終われば震える唇。
「ごめんな…」
大切な彼女たちを見ておきたくて、開かれている瞼。なつみから、無言で乱菊へ。ばつが悪そう。やっぱりなつみへ。ほっぺから下ろされた、きゅぅと握る手。
「失敗してもうた…。ボクの代わり、頼むで…。妹ちゃん…」
まだクスリと冗談を言う。
「おとーとッ‼︎‼︎」
悲しい。とてもとても悲しい。どんなになつみが力を込めても、胸の傷は癒やされなかった。
「どうしてっ…、どうしてッ‼︎」
霊力が跳ね返って、市丸の上で消えてしまう。
「どうしてなんですか‼︎生きてください‼︎隊長‼︎」
なつみの涙も霊子と共に風に乗り、ふわりきらり。
市丸の瞼が降りていく。閉ざすのではなく、眠るように。
「ボクは…望まん…」
ほんの数センチの高さで握っていた市丸の右手が、解けて落ちていく。それは一瞬が何倍にも長くなって、ゆっくりと見えるのに、自分の手も遅くて、届かなかった。いつまでも。きっと、振り向いてくれないんだ…。
「ワァァァーアンッ‼︎‼︎」
なつみの泣き叫ぶ声が轟いた。落ちた右手はマントの上に。その手になつみの涙が大粒になって降り注ぐ。
「隊長!隊長!市丸隊長ぉッ‼︎」
横たわる市丸の身体を大きく揺する。毎日、起こしたり、起こしてもらったりの関係だったふたりはもう、「もうちょっと」なんていう優しい言い方では済まなくなってしまっていた。
「ヤァァーーーッ‼︎‼︎」
事実を否定したくて、ブンブンと首を横に振り、額を市丸の胸と重ね、泣きじゃくった。大泣きのせいじゃない、彼の鼓動が聞こえないのは。
なつみによる世界の否定が始まり、ざわめき立つ空気の異変。京楽には覚えがあった。世界が幸せに向けて消滅を始める感覚だ。なつみを落ち着かせなければ、今度こそ本当に実行されてしまうかもしれない。それほど大きな存在を、たった今、なつみは失ったのだから。
京楽は踏み出そうとしたが、それを止めさせる出来事が起きた。乱菊が、なつみを後ろから抱きかかえ、無理矢理起こして立ち上がらせたのだ。
「起きなさい、なつみッ!」
「ううッ」
名残惜しくて、手を市丸に伸ばして暴れるなつみ。
「諦めなさい‼︎‼︎」
乱菊は強くなつみを抱きしめて、一歩、一歩と市丸から離れていった。込み上げてくる涙を堪えて。
「戦いは終わってないのよ‼︎‼︎向こうで一護が1人で戦ってんの!あんなバケモノと!ここはあたしたちに任せて、あんたは一護を助けに行きなさい‼︎あんたしかダメなのよ‼︎‼︎」
「あうぅっ」
なつみは溢れて止まらない涙と鼻水を、ゴシゴシと服の袖で拭いた。全然足りていないが。
京楽がなつみを預かる。
「ありがとう、乱菊ちゃん」
そして仲間たちに振り向いた。
「キミたちで市丸隊長をここから運んでくれ。ちゃんと弔ってあげよう。山じいに見つかったら、絶対に横取りされるから、確実に卯ノ花隊長の指示の下で安置してもらって。今ボクたちに、悲しんでる暇は無いよ。さぁ、涙を拭いて!」
「はいッ‼︎‼︎」
尾田たち6人は担架になりそうなものを探しに行った。美沙は残り、見張りをする。
「なつみ、このマントかけてあげてて良い?」
まだまだ震えて潤んでいる瞳だが、なつみは固い気持ちで「うん」と頷いた。美沙と2人でマントを広げて伸ばす。「護」が読める面を上にして、全身を覆えるように市丸にかけてあげた。
「ここの指揮は、あたしに任せてください」
乱菊が京楽に言った。
「わかった。ボクはなつみちゃんと行くよ」
京楽がなつみの方を向くと、なつみは市丸に身体を寄せていて、両方の掌と右のほっぺを当てていた。
「隊長、あったかい」
時を進める方を自分で選んだなつみだった。
「行くよ、なつみちゃん。市丸隊長に良い報告、してあげようね」
起き上がるなつみ。
「はい」
自分の脚で立ち、山が吹き飛ぶような音と衝撃があった場所へ、京楽と向かった。
着いた頃には、藍染の背中からたくさんの十字架が生えてきていた。元の姿に戻ろうとしているのと、悲痛の表情に声でわかる。藍染の敗北を。そことはまだ距離があった。緑色の羽織を着た帽子の男の存在を確認した。なつみには誰だかわからなかったが、京楽は知っているようだった。だからかなつみに、ちょっと待っていようと言った。藍染は、らしくない形相と必死さで、何かを帽子の男に叫んでいた。
藍染の進行を止めるためにやってきたのだから、黒崎一護と謎の男がしていることを邪魔してはならない。そうわかっていても、なつみの心に、悲しみが染みのようにじわりと広がった。市丸に託してもらったことに、自分が間に合わなかったのもあり。ただこれで、この戦争に終止符を打てたことに変わりない。これでも良かったはずである。
藍染が完全に術に覆い尽くされ、封印されてしまった直後、京楽に行って良いと言われた。サッと駆け寄った。
目の前に聳え立つ白い柱。触って、藍染がどうなってしまったのか、感じ取ってみたかったが、それはやめておいた。
「藍染隊長……」
「なつみ」
一瞬ハッとしたが、名前を呼んだから、呼び返してもらえた気になっただけだ、そうなつみは思うようにした。そして気付いた。
(崩玉は、そのままなんだ)
京楽は帽子の男と話している。一護は空座町へ向かったようだ。
「崩玉はいずれ、藍染をも取り込むつもりかもな」
「え…」
ムッちゃんの声が聞こえた。
「誕生した以上、森羅万象、自らの生涯を全うしたいと願うのは、当然だ」
なつみは思ったことを飲み込んだ。
(ぼくが崩玉から、魂魄を解放できなかったのは…)
成功、達成、失敗、喪失。混ざり合う感情に、なつみは両手に顔を埋めて、少しの間でも現実から目を逸らそうとした。
「ー進化には恐怖が必要だ。今のままではすぐにでも、滅び消え失せてしまうという恐怖が。ありがとう、ギン、なつみ。君たちのお陰で私は、遂に死神も虚も超越した存在となったのだ」
目の前で起きてしまった最悪のシーン。市丸隊長は宇宙一強い死神だもん。何があっても隊長についていけば大丈夫なんだ。そんな風にいつも思っていた。なのに。何が大丈夫だ。自分のせいで。震えた唇をグッと噛むと、一気に怒りの感情に呑み込まれた。自分を守らせてしまったせいで、市丸が斬られてしまったことと、斬った藍染に対して。
開く眼。
「ア゛ァァァァァァアアアッ‼︎‼︎‼︎」
なつみは斬魄刀を抜き、藍染に飛びかかった。
なつみが得意とする高速攻撃が、雨に打たれるように、藍染に降りかかる。斬魄刀同士のぶつかり合う音が、無数に響き渡った。嬉しそうにその全ての攻撃を受け止める藍染は、邪魔者のいないふたりだけの空間を求めて、わざと押されるように空へ移動していった。
「そうだ、なつみ。私を許すな。だがまだ足りない。殺意だ。殺意を抱け。でなければ、私は倒すことはできない」
若い芽を摘むことはしない。そんなことをして頂点に立っても、自分の底が知れてしまうだけ。高みへ登り詰めるには、強く成長する下の者が押し上げてくれるのを、待たなければならない。だから藍染は楽しげにしている。
微笑んで語りかける藍染に、なつみは斬撃だけでなく、白打も鬼道も繰り出して、全方位から攻撃を仕掛けにいった。たくさんの先生たちから学んだ技術を、全力でぶつけていく。こんな、こんなぐちゃぐちゃな世界に備えての訓練だったなんて。藍染は始めから知っていたに違いない。きっと。知っていて、なつみをそばに置いて育てていた。わからないこと、わかりたくもないことばかりだ。しかし、芯を手放すほど呑まれはしなかった。
(勝機はまだある。崩玉を奪い取れば、この戦いを終わらせられる!ぼくにしかできない!ぼくがやらなきゃ!すぐに市丸隊長を助けに行く!できる、できる、できる!できる‼︎‼︎)
微かな市丸の鼓動を感じ取り、拒絶と怒りの闘志は冷静さへ傾いたのだ。その保てた自信を高めて、立ち向かう勇気を奮い立たせる。
それでは藍染は満足しない。なつみは自分の隣にいるに相応しい、可愛い子として見ているから。心も強く鍛えてあげたい。自分が見る景色と同じものを見ても、生きていられる強い心を持てと。
藍染は隙をついて、なつみの首を後ろから掴み、真下を見下ろさせた。そこでは市丸が仰向けになり、戦いの成り行きを見届けようとしてくれていたようだ。だが、様子がおかしい。
「よく見るんだ、なつみ。君は都合よく錯覚してしまっている。あれが本物のギンだよ」
瞬きが許されない力みがなつみを襲う。白い肌、赤く染まった身体。消えた霊圧。耳に届いた囁き。
「ギンは死んでいる…」
プツン…。なつみの中で、留まってくれていたものが切れてしまった。
「ンゥウアアアアアッ‼︎‼︎」
パリンと砕けたのにも気付かないほど、なつみは自分を失った。酷いことを言い、酷いことを見せた、隣にいるこの男が憎くてたまらない。この感情のやり場は、こいつでしかない。
「アアアアアーッ‼︎‼︎」
ただ藍染を倒したい。それだけの想いで、無心に刀を振る。
「良くなっているよ、なつみ」
至る所から心臓を狙われているのに、藍染はまだ余裕でいる。
虚圏に連れていった意味があった。
「なつみ、もしも心の底から憎むべき相手が現れてしまったとき、絶対に許してはいけないよ。徹底的に向き合いなさい。さもなければ、苦しみはいつまでも君に付きまとう。君の手で消し去らない限り、いつまでも」
「ぼく、そんなに誰かに嫌な思いさせられること、無いですよ」
「もしものときだよ。破面たちから、怒り方を教えてもらうと良い。怒りを力に変えることも身に付けておくと、いざという時に役立つだろう」
「穏やかじゃないですね〜」
ある日の朝食の席でのことだった。
この上辺だけの平和な世の中を覆すには、間違いを間違いだと訴える、強い気持ちが大切で、怒りも説得力を与えるのに必要だ。
なつみは藍染に向かって、斬魄刀を槍投げのように振りかぶってからぶん投げた。当然のように躱される。武器を手放したなつみは、藍染に接近してくる。何をしてくるのか様子を見よう。鬼道か、それとも白打か。だが、そんな態度も油断でしかなかった。なつみに常識は通用しない。しかも、今のなつみはキレている。予想など容易く超えてくる。
「何⁉︎」
突撃してきたものだから、殴るのかと思ったが、違う。なつみは藍染の胸と腹に足を付けて踏ん張り、右手を藍染の胸の崩玉に、左手を右腕にやり、それぞれを目一杯の力で握った。そして引っ張る!
「ウ゛ゥゥゥゥ」
唸りながら。
「そんなもので奪い取れるとでも思っているのか」
藍染がやや呆れるも、残念ながらなつみの馬鹿力はこんなものではない。
ブチブチブチブチッ
嫌な音がする。
「馬鹿なッ」
脚の力もかかり、崩玉も腕も離れようとする。
なつみの思いはこうだ。崩玉があるから、市丸隊長が酷い目に遭わされた。鏡花水月があるから、藍染隊長はダメなんだと。このふたつを奪い去れば、全部終わる。怒りを込めて。
「ウォォォォォォォォォォオオオッ‼︎‼︎」
好きにさせてはいけないかもしれないと、今になって思った藍染は、自由な左手をなつみにかざした。鬼道を仕掛けるつもりで。しかし。
チャキン…
背中に鋒が当たっている。心臓のすぐ後ろ。
(鳥頭め)
ひとりでに斬魄刀が動いたのだ。ムッちゃんの意思か、それとも。
なつみが踏ん張れば、藍染の身体は後ろに傾く。このままいけば、なつみの掌で何が起こるかわからない。崩玉と斬魄刀、藍染の自信の源となる力が奪われれば、再び、死の淵に追いやられる。今度は帰ってこないかもしれない。やはりなつみだったと、諦める他無いのか。その時。
サンッ
なつみの左耳を掠めるほど近くで、カマイタチのような疾風が往来した。その刹那に、聞こえた気がした。
「なつみちゃんは、誰も殺したらアカン」
怒りがスッと引いて、両手もパッと開いた。
「たいちょ…」
ガシッ‼︎
気が抜けたなつみは一瞬にして、藍染から引き離された。
「こんなの、らしくないよ、なつみちゃん」
頭のすぐ上で、そう囁かれた。なつみの右手は、血に染まっていた。
「藍染、次はオレが相手だ」
「フン…、君には落胆した、黒崎一護」
向こうで、藍染の前に立ちはだかる一護の姿があった。こちらには京楽が。
「春水さん…」
なつみの斬魄刀がサッと飛んできた。
「ムッくんも落ち着いて」
京楽が刀を収めてくれた。
「惣右介くんは一旦、一護くんに任せよう。キミは市丸隊長の手当てを。キミにしかできない」
「だって…」
場所を移すと言い、一護が藍染を片手で連れ去るのを見た。
「行こう」
京楽は、なつみを抱きしめて、下へと降りていった。
そこでは、乱菊が市丸の傷を癒そうと、回道を施していた。その市丸は、残った左手に斬魄刀を握っていた。駆けつける京楽となつみ。
「えかった。届いた…」
薄っすらと笑い、市丸は呟いた。
「バカ。無茶して」
そう言う乱菊の頬には、涙の跡だろうか。
「市丸隊長‼︎‼︎」
なつみは地面に足を着けた途端に、市丸の右脇に置かれた彼の腕を拾い上げ、切り口同士を付けた。
「なつみちゃん」
京楽がすぐに、なつみのマントを差し出してくれた。拾っていてくれたのだ。
「ありがとうございますッ」
生きていた。市丸はまだ死んでいなかった!助けられる。自分になら絶対。このための今までだから!
「もう大丈夫ですよ!隊長!」
市丸にマントをかけ、乱菊に目を向ける。
「代わります!」
「お願い、なつみ」
なつみは市丸の胸と右腕に手をかざす。同時に治療をするつもりだ。いち早く市丸を痛みから救ってあげたいのだ。なのだが、市丸が何か言いたげだった。
「何ですか、隊長」
「腕から治してや…」
「でもっ」
胸の傷だってかなり深い。後回しには。
「ええから。頼むわ」
なつみには聞きたくない頼みだったが、仕方がない。隊長命令だ。
「わかりました」
胸に添えた右手を左に寄せる。
数秒で繋いだ。ドヤ!お次は正面と。
「ありがとう。もうええで」
市丸は繋いでもらった手で、なつみのほっぺに触れてきた。
「良いって、何がですか。全然治せてませんよ!」
しかめ面なのも気にせず、市丸は更に、ぷにぷにとほっぺの柔らかさを堪能するように、優しく揉んできた。
「あったか…、なつみちゃんのほっぺ」
「隊長‼︎」
藍染が離れたのを察知して、仲間たちも合流してきた。
「木之本!市丸隊長、助けられそうか⁉︎」
「言ってやってよ、みんな!隊長が!隊長がぁ‼︎」
倒れている市丸の左隣になつみ、右に乱菊。そこに駆け寄る仲間たちを、京楽は腕を上げて止めた。
「京楽隊長…」
尾田が怪訝そうに言う。
「ありがとう…」
穏やかに、市丸が礼を言った。
京楽は目を伏せ、そして瞑る。
「みんな、…そのままだよ」
仲間たちの表情が困惑を物語っている。その中でなつみは、キッと京楽を睨んだ。首を振る京楽。むにむにしてくる市丸の手を掴んで、間違っていると叫んだ。
「隊長が変なこと言うからですよ‼︎‼︎」
目に涙を浮かべていた。言い終われば震える唇。
「ごめんな…」
大切な彼女たちを見ておきたくて、開かれている瞼。なつみから、無言で乱菊へ。ばつが悪そう。やっぱりなつみへ。ほっぺから下ろされた、きゅぅと握る手。
「失敗してもうた…。ボクの代わり、頼むで…。妹ちゃん…」
まだクスリと冗談を言う。
「おとーとッ‼︎‼︎」
悲しい。とてもとても悲しい。どんなになつみが力を込めても、胸の傷は癒やされなかった。
「どうしてっ…、どうしてッ‼︎」
霊力が跳ね返って、市丸の上で消えてしまう。
「どうしてなんですか‼︎生きてください‼︎隊長‼︎」
なつみの涙も霊子と共に風に乗り、ふわりきらり。
市丸の瞼が降りていく。閉ざすのではなく、眠るように。
「ボクは…望まん…」
ほんの数センチの高さで握っていた市丸の右手が、解けて落ちていく。それは一瞬が何倍にも長くなって、ゆっくりと見えるのに、自分の手も遅くて、届かなかった。いつまでも。きっと、振り向いてくれないんだ…。
「ワァァァーアンッ‼︎‼︎」
なつみの泣き叫ぶ声が轟いた。落ちた右手はマントの上に。その手になつみの涙が大粒になって降り注ぐ。
「隊長!隊長!市丸隊長ぉッ‼︎」
横たわる市丸の身体を大きく揺する。毎日、起こしたり、起こしてもらったりの関係だったふたりはもう、「もうちょっと」なんていう優しい言い方では済まなくなってしまっていた。
「ヤァァーーーッ‼︎‼︎」
事実を否定したくて、ブンブンと首を横に振り、額を市丸の胸と重ね、泣きじゃくった。大泣きのせいじゃない、彼の鼓動が聞こえないのは。
なつみによる世界の否定が始まり、ざわめき立つ空気の異変。京楽には覚えがあった。世界が幸せに向けて消滅を始める感覚だ。なつみを落ち着かせなければ、今度こそ本当に実行されてしまうかもしれない。それほど大きな存在を、たった今、なつみは失ったのだから。
京楽は踏み出そうとしたが、それを止めさせる出来事が起きた。乱菊が、なつみを後ろから抱きかかえ、無理矢理起こして立ち上がらせたのだ。
「起きなさい、なつみッ!」
「ううッ」
名残惜しくて、手を市丸に伸ばして暴れるなつみ。
「諦めなさい‼︎‼︎」
乱菊は強くなつみを抱きしめて、一歩、一歩と市丸から離れていった。込み上げてくる涙を堪えて。
「戦いは終わってないのよ‼︎‼︎向こうで一護が1人で戦ってんの!あんなバケモノと!ここはあたしたちに任せて、あんたは一護を助けに行きなさい‼︎あんたしかダメなのよ‼︎‼︎」
「あうぅっ」
なつみは溢れて止まらない涙と鼻水を、ゴシゴシと服の袖で拭いた。全然足りていないが。
京楽がなつみを預かる。
「ありがとう、乱菊ちゃん」
そして仲間たちに振り向いた。
「キミたちで市丸隊長をここから運んでくれ。ちゃんと弔ってあげよう。山じいに見つかったら、絶対に横取りされるから、確実に卯ノ花隊長の指示の下で安置してもらって。今ボクたちに、悲しんでる暇は無いよ。さぁ、涙を拭いて!」
「はいッ‼︎‼︎」
尾田たち6人は担架になりそうなものを探しに行った。美沙は残り、見張りをする。
「なつみ、このマントかけてあげてて良い?」
まだまだ震えて潤んでいる瞳だが、なつみは固い気持ちで「うん」と頷いた。美沙と2人でマントを広げて伸ばす。「護」が読める面を上にして、全身を覆えるように市丸にかけてあげた。
「ここの指揮は、あたしに任せてください」
乱菊が京楽に言った。
「わかった。ボクはなつみちゃんと行くよ」
京楽がなつみの方を向くと、なつみは市丸に身体を寄せていて、両方の掌と右のほっぺを当てていた。
「隊長、あったかい」
時を進める方を自分で選んだなつみだった。
「行くよ、なつみちゃん。市丸隊長に良い報告、してあげようね」
起き上がるなつみ。
「はい」
自分の脚で立ち、山が吹き飛ぶような音と衝撃があった場所へ、京楽と向かった。
着いた頃には、藍染の背中からたくさんの十字架が生えてきていた。元の姿に戻ろうとしているのと、悲痛の表情に声でわかる。藍染の敗北を。そことはまだ距離があった。緑色の羽織を着た帽子の男の存在を確認した。なつみには誰だかわからなかったが、京楽は知っているようだった。だからかなつみに、ちょっと待っていようと言った。藍染は、らしくない形相と必死さで、何かを帽子の男に叫んでいた。
藍染の進行を止めるためにやってきたのだから、黒崎一護と謎の男がしていることを邪魔してはならない。そうわかっていても、なつみの心に、悲しみが染みのようにじわりと広がった。市丸に託してもらったことに、自分が間に合わなかったのもあり。ただこれで、この戦争に終止符を打てたことに変わりない。これでも良かったはずである。
藍染が完全に術に覆い尽くされ、封印されてしまった直後、京楽に行って良いと言われた。サッと駆け寄った。
目の前に聳え立つ白い柱。触って、藍染がどうなってしまったのか、感じ取ってみたかったが、それはやめておいた。
「藍染隊長……」
「なつみ」
一瞬ハッとしたが、名前を呼んだから、呼び返してもらえた気になっただけだ、そうなつみは思うようにした。そして気付いた。
(崩玉は、そのままなんだ)
京楽は帽子の男と話している。一護は空座町へ向かったようだ。
「崩玉はいずれ、藍染をも取り込むつもりかもな」
「え…」
ムッちゃんの声が聞こえた。
「誕生した以上、森羅万象、自らの生涯を全うしたいと願うのは、当然だ」
なつみは思ったことを飲み込んだ。
(ぼくが崩玉から、魂魄を解放できなかったのは…)
成功、達成、失敗、喪失。混ざり合う感情に、なつみは両手に顔を埋めて、少しの間でも現実から目を逸らそうとした。