入学前編
名前変換
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声にならない叫び声を上げながら、咄嗟にそれを足から振り払う。肩からずり落ちた学校の鞄の紐を強く握り締めながら(名前)は走り出した。
(なにアレ、なにアレ、なにアレ!?)
初めて見る怪奇の存在に(名前)の脳内は完全にパニック状態だった。今それが後をつけてきているのか確認をしたいものの、恐怖心が勝ってしまい後ろを見ることはできそうにない。だが、(名前)の胸のざわめきは止まらなかった。
ずっと嫌な予感がしているのだ。振り返らずとも、すぐそこまでそれが来ていることに勘づいていた。
どうしよう、と同じ言葉を頭の中で何度も繰り返しながら、もつれそうになる足を必死に動かした。
とにかく家まで走り抜ける。それが(名前)に出来る唯一の打開策だった。
あの角を曲がればすぐに家が見える。あと少し、もう少し。
(名前)はそのままの勢いで角を曲がった。
しかしすぐに、
「へぶッ」
「おっと」
眼前に迫ったなにかに衝突した。
その反動に耐えきれず(名前)は尻餅をつく。
直感的に、壁だと思った。壁の続いた道を曲がった先でまた壁にぶつかったのだと。
冷静になって考えればそんなことあるわけないと思うが、今の(名前)にはそう考えられる余裕がなかった。
(名前)は赤くなった鼻を押さえてぶつかったなにかを見上げる。
薄暗い住宅街、分厚い雲の間から漏れる月明かりがそれを照らしていた。長身に白髪、全身黒い服に身を包み、目元は黒い布で覆われている。(名前)が壁だと思ったそれは紛れもなく人であった。
自分のピンチにたまたま居合わせた人間。本来なら助けを求めるべきなのだろうが、この出来事は(名前)にとってただ恐怖心を煽るだけだった。
冷静さを欠いた(名前)の頭の中には怖いという2文字しか浮かばない。
「すっ、すみませんでした!」
関わりたくない、関わったらダメだ。(名前)の本能がそう強く叫んでいる。すぐさま立ち上がり何度も深くお辞儀をした。早くこの状況から脱したかったのだ。
足元に落ちていた自分の鞄を乱雑に拾い上げると、(名前)は逃げるようにその場を後にする。
すれ違いざまになにか声をかけられたような気がしたが、聞こえないふりをして家まで走った。
あれから(名前)は無事に家に着くことができた。途中会った人のおかげで忘れかけていたが、後ろを振り返ってもあの気味の悪い生き物の姿は見えなかった。
玄関に入ってから、やっとそこで初めて呼吸ができた感じさえする。
軽く食事を済まし(名前)は自分の部屋に入った。
脳裏に焼き付いた光景が、先程からずっとフラッシュバックしている。あれは一体なんだったのだろう。
ギョロリとこちらを見る目玉、目が合うと同時に漠然と感じた不安感。思い出すだけで背筋が凍りそうだ。
初めにすれ違ったあの女性はそれの存在に気付いていないようだった、まるで見えていないものかのように。
だが(名前)にはハッキリ見えたのだ。足に残った感触を未だに忘れることができない。
「バイト詰めすぎたかな……」
毎夜バイトに追われる生活をしている(名前)は、疲れていることを理由に自分に言い聞かせることにした。あれは疲れの溜まった自分が見た幻覚だと、幻だと。
心の底からそうは思えなくても、無理に自分自身に言い聞かせなければ今日眠れない気がしたのだ。
長めのため息を吐いて、(名前)はふとあることを思い出す。
(そうだ、数学の課題…)
明日提出の数学の課題プリントが出ていたことを思い出した。
高校卒業後、(名前)は公立大学への進学を希望している。自分を養ってくれる叔母たちに心配をかけないよう、私立には行かないと前々から決めていた。だからこそ、内申点を下げるような真似は絶対できないのだ。
(名前)は鞄からプリントを取り出そうとする。
がしかし、目当ての物は見当たらない。隅々まで探してもどこにもない。
(嘘でしょ…)
苦し紛れに鞄をひっくり返してもそれは出てこなかった。
サーッと血の気が引いていくのがわかる。確か渡された時に鞄に入れたような……、そうは思うものの確信が持てなかった。
急いで明日の時間割を見る。
提出するのはその授業の始まりだから、最悪その時間までに終わらせればいいはずだと(名前)は考えた。もし学校でもプリントが見つからなければ、先生に無くしたと正直に言ってもう1枚貰えばいい。
だがそんな淡い希望は儚く散ることになる。
明日の数学の授業は1限目だった。
「1限か…」
(名前)はがくりと項垂れた。流石に朝の時間だけで終わるような問題の量ではなかった。
朝早くに学校に行って課題をやることも考えてみたが、明日は日直なのだ。帰る際、黒板の隅の【今日の日直】欄に自分の名前が書かれているのを見た。課題をやる暇などないだろう。
負の連鎖というものは、本当に存在するのだと(名前)は苦笑いを浮かべる。
このまま考えていたってどうすることもできない。行くしかない。(名前)は目当てのものが学校にあると信じ、探しに行くことにした。時刻はもうすぐ23時になる。