Stub(バッファローマン夢小説)
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街なかに、冬を思わせる風が吹き始めた。すでに木々たちは、すっかり葉を落としていた。
何かを奪っていくような寒さが衣服のなかを通りすぎていく瞬間、ふと不安におそわれる。
身体の熱がこぼれ落ちないようにと、外套の前をしっかりかきあわせる人たちのなかで、ただ一人バッファローマンだけは冬の脅威におかされずにいる。超人である彼の肉体のなかには、無尽蔵に供給可能な炉があって、常にそこからなにがしかの補給を受けているのだろう。そして「寒い寒い」と彼女がアピールすれば(本当はいくらも寒さを感じていなくても)、いつだって彼は「ほら」と、ボンバージャケットの片脇を開けてくれる。「ありがと」と、彼女は一言そえて、定位置にチョコンとおさまる。
ある秋の日の午後遅く、彼女はリビングで、そのボンバージャケットを広げていた。もういくらもしないうちに、これの出番がやってくる。傷みや汚れがないか点検し、簡単な手入れもしておくつもりだった。明るい光のしたで、身ごろのレザーは艶々しく、ポツポツと不吉なカビのスポットもない。毛の長い馬毛のブラシで、表面のホコリをはらう。襟と裏地は同一のムートンで、暖かさは折り紙つきだがクリーニングは難しい。これまでも見よう見まねで、できるだけの汚れは落としておいたけれど、首回りの、とくに肌が直接あたる部分はやはり少々黒ずんでいる。彼女はそこにそっと指をはわせ、それから鼻にあて、スン、と息を吸いこんだ。
獣毛のやわらかな匂いにまぎれて、たくましい匂いがあった。たちまち、彼女を抱きしめるあの力強い腕を思い出す。人並み外れた、言い換えればバッファローマンにしか着られないサイズのそれを、我が物のように扱っていると、自分は彼にとって特別な存在――既得権者なのだという実感で、じんわり胸が温かくなる。やわらかなその温かさは、気弱な秋の陽射しによく似ていた。
それから裏地のムートンも専用のブラシで梳いて、最後に内ポケットに手をやると、なにかの紙片にふれた。取りだしたそれは、表面の印字がすっかり薄らいだ映画館の半券だった。
(……あの時のだ)
初めて二人で行った、そして最初で最後の映画。
その日の夕飯の最中、彼女はバッファローマンに、冬服の手入れの最中に出てきた紙片の話をした。
「コレ、ボンバージャケットの内ポケットにあったよ」と、半券をバッファローマンの大きな掌に乗せると「なんだコレ、ゴミか?」と、とぼけた返事がかえってきた。彼女は苦笑して「ゴミじゃないよ、二人で行った映画のチケット」と、種を明かした。
一見すれば自明のことだが、映画館という限られた空間に配された座席に、バッファローマンの巨躯はまず収まらない。仮に無理してそこに尻をこじ入れたとしても、250センチという長身とロングホーンが背後の客の視界をはなはだしく妨げる。そんなわけで劇場での映画鑑賞となると、いつも彼は最後部の壁に立ちんぼうして鑑賞することになるのだ。正規の料金を支払って、席につく権利を得ているにも関わらず。とはいえバッファローマンにとって、そういう(超人の立場からみた)不条理は今やすっかり慣れっこになっていて、ことさら騒ぎたてることもない。
ある日、彼女が映画館に行こうと提案し、バッファローマンはそれに同意した。つき合い始めたばかりで、そういう事情に気づくには、彼女はまだ経験が足りなかったのだ。場内に入ったところで、バッファローマンは初めて上述のいきさつを説明し「悪いが自分は後ろで観るから、気にせず座ってゆっくり観てくれ」と彼女に告げると、のしのしと、最後部に歩いていってしまった。それからすぐに、映画が始まった。今の彼女なら、自分もさっさと席をたち、二人で立ったまま映画を観るだろう。しかしそのときの彼女は、とっさにベストな選択を思いつかず、言われるがままポツンと席に着いて、上映終了までそこにいたのだった。
映画館を出て「なかなか楽しめた」などと言いながら、何の気なしにバッファローマンが彼女を見ると、なんとも悲しそうな表情を浮かべていて、けげんに思った彼は「どうした?」と、理由をたずねた。
「わたし、気がつかなくて、座席のこと……ごめんなさい」
「いや、こっちこそ誘ってくれたのに悪かった、コレばっかりはどうにもならなくて」
バッファローマンは彼女をのぞき込んで、元気づけるように笑いかけた。
「なあ、DVDになったらもう一回あの映画観ないか?ウチで、並んで座ってさ」
「……うん!」
しばらくして、その映画がめでたくDVDで発売された。それを機に彼女は初めてバッファローマンの自宅を訪ねることができた。おまけに、キスどまりだった今までの関係も、さらに一歩の進展をみた。
なつかしい思い出にひたるような表情で彼女は言った。
「あの時、とってもうれしかった。バッファローマンってすごく優しくて思いやりがある人なんだって」
「そーいやあったな、そんなコト」
「もうちょっとロマンチックに共感してほしい」
「要するにおまえは、オレが思いやりっつーか、気づかいで提案したと思ったワケね?」
「ちがうの?」
「家に連れ込む口実だったんだよな、今だから言うが」
サラッと告げられた事実に、彼女は耳を疑った。
「えっ!?」
「んでもって、ついでに抱いちまうつもりだった。あんまり経験なさそうだったから途中までにしといたけどな。オトコの思考回路なんて、大体そんなモンだぜ?」
「……」
バッファローマンは面白がるような笑いをうかべ、しげしげと彼女の様子をながめた。それから「それにしてもやっぱりおまえは天然つーか、ウブなんだな」と、満足そうな表情でグラスのビールを飲み干した。
「ビール、もう少し飲む?」
「そうだな。おまえも飲めよ」
「うん」
ビールをとりにキッチンへと彼女は立ちあがり、冷蔵庫のドアを開けながら当時を思いかえしていた。
その日の朝、新しいとっておきの下着をおろしたこと。
チョキン、とプライスタグを切り落としたときの音をいまでも覚えていること。
だけどそのことは、バッファローマンには内緒にしておこう、と心に決めた。
end
(初出:オンラインイベント 2022.02)
何かを奪っていくような寒さが衣服のなかを通りすぎていく瞬間、ふと不安におそわれる。
身体の熱がこぼれ落ちないようにと、外套の前をしっかりかきあわせる人たちのなかで、ただ一人バッファローマンだけは冬の脅威におかされずにいる。超人である彼の肉体のなかには、無尽蔵に供給可能な炉があって、常にそこからなにがしかの補給を受けているのだろう。そして「寒い寒い」と彼女がアピールすれば(本当はいくらも寒さを感じていなくても)、いつだって彼は「ほら」と、ボンバージャケットの片脇を開けてくれる。「ありがと」と、彼女は一言そえて、定位置にチョコンとおさまる。
ある秋の日の午後遅く、彼女はリビングで、そのボンバージャケットを広げていた。もういくらもしないうちに、これの出番がやってくる。傷みや汚れがないか点検し、簡単な手入れもしておくつもりだった。明るい光のしたで、身ごろのレザーは艶々しく、ポツポツと不吉なカビのスポットもない。毛の長い馬毛のブラシで、表面のホコリをはらう。襟と裏地は同一のムートンで、暖かさは折り紙つきだがクリーニングは難しい。これまでも見よう見まねで、できるだけの汚れは落としておいたけれど、首回りの、とくに肌が直接あたる部分はやはり少々黒ずんでいる。彼女はそこにそっと指をはわせ、それから鼻にあて、スン、と息を吸いこんだ。
獣毛のやわらかな匂いにまぎれて、たくましい匂いがあった。たちまち、彼女を抱きしめるあの力強い腕を思い出す。人並み外れた、言い換えればバッファローマンにしか着られないサイズのそれを、我が物のように扱っていると、自分は彼にとって特別な存在――既得権者なのだという実感で、じんわり胸が温かくなる。やわらかなその温かさは、気弱な秋の陽射しによく似ていた。
それから裏地のムートンも専用のブラシで梳いて、最後に内ポケットに手をやると、なにかの紙片にふれた。取りだしたそれは、表面の印字がすっかり薄らいだ映画館の半券だった。
(……あの時のだ)
初めて二人で行った、そして最初で最後の映画。
その日の夕飯の最中、彼女はバッファローマンに、冬服の手入れの最中に出てきた紙片の話をした。
「コレ、ボンバージャケットの内ポケットにあったよ」と、半券をバッファローマンの大きな掌に乗せると「なんだコレ、ゴミか?」と、とぼけた返事がかえってきた。彼女は苦笑して「ゴミじゃないよ、二人で行った映画のチケット」と、種を明かした。
一見すれば自明のことだが、映画館という限られた空間に配された座席に、バッファローマンの巨躯はまず収まらない。仮に無理してそこに尻をこじ入れたとしても、250センチという長身とロングホーンが背後の客の視界をはなはだしく妨げる。そんなわけで劇場での映画鑑賞となると、いつも彼は最後部の壁に立ちんぼうして鑑賞することになるのだ。正規の料金を支払って、席につく権利を得ているにも関わらず。とはいえバッファローマンにとって、そういう(超人の立場からみた)不条理は今やすっかり慣れっこになっていて、ことさら騒ぎたてることもない。
ある日、彼女が映画館に行こうと提案し、バッファローマンはそれに同意した。つき合い始めたばかりで、そういう事情に気づくには、彼女はまだ経験が足りなかったのだ。場内に入ったところで、バッファローマンは初めて上述のいきさつを説明し「悪いが自分は後ろで観るから、気にせず座ってゆっくり観てくれ」と彼女に告げると、のしのしと、最後部に歩いていってしまった。それからすぐに、映画が始まった。今の彼女なら、自分もさっさと席をたち、二人で立ったまま映画を観るだろう。しかしそのときの彼女は、とっさにベストな選択を思いつかず、言われるがままポツンと席に着いて、上映終了までそこにいたのだった。
映画館を出て「なかなか楽しめた」などと言いながら、何の気なしにバッファローマンが彼女を見ると、なんとも悲しそうな表情を浮かべていて、けげんに思った彼は「どうした?」と、理由をたずねた。
「わたし、気がつかなくて、座席のこと……ごめんなさい」
「いや、こっちこそ誘ってくれたのに悪かった、コレばっかりはどうにもならなくて」
バッファローマンは彼女をのぞき込んで、元気づけるように笑いかけた。
「なあ、DVDになったらもう一回あの映画観ないか?ウチで、並んで座ってさ」
「……うん!」
しばらくして、その映画がめでたくDVDで発売された。それを機に彼女は初めてバッファローマンの自宅を訪ねることができた。おまけに、キスどまりだった今までの関係も、さらに一歩の進展をみた。
なつかしい思い出にひたるような表情で彼女は言った。
「あの時、とってもうれしかった。バッファローマンってすごく優しくて思いやりがある人なんだって」
「そーいやあったな、そんなコト」
「もうちょっとロマンチックに共感してほしい」
「要するにおまえは、オレが思いやりっつーか、気づかいで提案したと思ったワケね?」
「ちがうの?」
「家に連れ込む口実だったんだよな、今だから言うが」
サラッと告げられた事実に、彼女は耳を疑った。
「えっ!?」
「んでもって、ついでに抱いちまうつもりだった。あんまり経験なさそうだったから途中までにしといたけどな。オトコの思考回路なんて、大体そんなモンだぜ?」
「……」
バッファローマンは面白がるような笑いをうかべ、しげしげと彼女の様子をながめた。それから「それにしてもやっぱりおまえは天然つーか、ウブなんだな」と、満足そうな表情でグラスのビールを飲み干した。
「ビール、もう少し飲む?」
「そうだな。おまえも飲めよ」
「うん」
ビールをとりにキッチンへと彼女は立ちあがり、冷蔵庫のドアを開けながら当時を思いかえしていた。
その日の朝、新しいとっておきの下着をおろしたこと。
チョキン、とプライスタグを切り落としたときの音をいまでも覚えていること。
だけどそのことは、バッファローマンには内緒にしておこう、と心に決めた。
end
(初出:オンラインイベント 2022.02)
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