ヘラクレスの手紙(ウルフマン夢小説)
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医者の診断はやはり捻挫だった。ウルフマンは整形外科まで送っただけでなく、診察と処置が終わるまで待ち、自宅まで送ってくれた。
「すみません、ご迷惑をおかけして」
何度目になるだろうか、車中で彼女は謝罪とともに深々と頭を下げた。
「いいってことよ、気にすんな。軽い捻挫でも放っておくと繰り返すからな。きっちり治すことだ」
ウルフマンは取りなすように片手をふった。怪我に対する用心は、格闘家である彼の経験からくるものだ。
「はい、治るまでちゃんと通います。それより、今日のこと、お礼をさせてください」
「気をつかうこたぁない」
「でもウルフマン教官の貴重な休暇が、わたしのせいで一日無駄になってしまいました」
うーん、とウルフマンはアゴに手をあてて考える風をみせた。
「そう言ってくれるならケガが治ってからでかまわないんだが……つき合ってもらいたい所があるんだ」
それから十日ほどが過ぎて、足の腫れや痛みもすっかり消えた。そうして次の日曜日、彼女は約束どおりウルフマンと会うことになった。
「よお、元気だったか?」
待ち合わせ場所に姿を現したウルフマンは、藍色の地にトンボを白く染め抜いた浴衣をまとっていた。いかにも大人(たいじん)らしい悠揚とした姿に道行く人が振り返る。
「この通りすっかり良くなりました、すぐに病院に連れて行ってくださったウルフマン教官のおかげです」
彼女はもう全く問題ないのだというように、足先でトントンと地面を叩いてみせた。
「ウルフマンでいいよ、かたっくるしい」
ざっくばらんな物言いからして、ウルフマンはさっぱりとした気性なのだろう。それでも、その気安い呼び方は、自分が仕事相手ではなく、私的な相手として彼に認識されているように思えて、彼女は胸がドキドキした。
「こっちなんだ」と、ウルフマンが彼女を案内したのは、路地裏の古びた甘味処だった。意外な場所に、彼女は一瞬自分の眼を疑った。しかし、清潔そうな白いのれんにはハッキリと、甘味処と墨で記されている。表のガラスケースにはロウで作られたあんみつやぜんざいが飾られていた。
ガラガラと音を立てる引戸を開けて、ウルフマンはのれんをくぐった。
「邪魔するぜ」
「いらっしゃぃませ!」
二人はハキハキとした店員に出迎えられた。玉砂利を埋め込んだコンクリートの床に白木のテーブルセットが幾つかあって、椅子の座面と背あてには絣布が使われている。テーブルの上の一輪挿しには紅花が活けられ、心なごむ雰囲気が店内に満ちていた。
二人が席に着くと店員が緑茶を運んできた。
「ここはあんみつも旨いがぜんざいもなかなかなんだ」
「ほんと、このお品書きの写真、みんな美味しそうです!えっと私はクリームあんみつにします」
「じゃあそれを二つ。それから豆かんとぜんざいを一つずつ」
店員は注文を確認すると、オーダーを伝えに戻っていった。
「……甘党なんですね」
あっけに取られた彼女を見てウルフマンが面映ゆそうに笑った。
「笑っちまうだろ?こんないかついナリで。だから今日はあんたを誘って、ツレのフリをさせてもらった」
ヘラクレス・ファクトリーでのウルフマンは、四角四面で厳しい教官と聞かされていたので、意外な一面に彼女は思わず笑みをうかべた。
やがて注文の甘味が運ばれてきた。ウルフマンは自分の前に並べられた甘味を嬉しそうに眺めると「いただきます」と折り目正しく手を合わせた。彼女も食前のあいさつをして、黒みつのかかった寒天を木匙ですくう。口に運んだ瞬間、思わず声が出た。半透明の寒天はパシッと角が立って爽やかで、これまで食べたものとはまるで違っていた。
「おいし……!」
「だろう?ここの寒天は使ってる天草が他とちょっと違うんだ」
寒天だけではなかった。クリームはソフトクリームを使っていて、コクのあるまろやかな味わいが、こっくりとした餡にじつによく合った。合間にフルーツを挟みながら順番に食べ進めていると、ガラスの器はあっという間に空になった。
彼女は食後のほうじ茶を飲みながら、ウルフマンが続けてぜんざい、最後に豆かんを平らげるところを眺めていた。嬉しそうに好物を口に運ぶ姿は、ありふれた中年男と何ら変わらない。あるいは彼女がいつも書類をやり取りしている他の教官らもまた、彼と同じようにそんな部分を隠して、遠い遠いあの星で誰かのために力を尽くしているのかもしれない。
全ての器を空にすると、ウルフマンはいかにも人心地ついたという風にほっと息を吐いた。
「ああ、旨かった」
「満ち足りた感じのお顔ですね」
「この季節に戻ってこられて良かった。やっぱり暑い時期の方がこういうものは旨いからな」
「わたし、ずっとウルフマンさんとこんな風にお話ししてみたかったので、今日は嬉しかったです」
「アンタからの書類に一筆添えてあるのが、いつも嬉しかったよ。ありがとう」
「そんな、わたしこそ」
「実は」そう言うと、ウルフマンは一瞬口ごもり、続けた。「あんたがくれたメモ、みんな取ってあるんだ。レッスル星は日本のような季節の移り変わりがなくて。だから、あんたのメモにそえられた一筆で「ああ日本はもう秋なのか」とか、そんなふうに思いだしてた。とくにヘラクレス・ファクトリーに移ったばかりの頃は、それをよく読み返していたよ。地球が懐かしくて」
自分の手紙が、そこにこめた思いが、そんなふうに伝わっていたなんて。嬉しくて、彼女は胸が熱くなった。
「あの……書類がないときも、あなた宛に手紙を書いてもいいですか?お仕事の邪魔にならない程度に」
思いがけない一言に、ウルフマンは一瞬眼を丸くしたあとクシャリと笑い、嬉しそうにその提案を受け入れた。
「ああ、もちろん!楽しみに待っている。それにオレも返事を書こう」
ウルフマンの休暇が終わり、とうとうレッスル星へ帰還する日がきた。宇宙船に乗り込んだウルフマンが、シートベルトを確かめていると、ふいに人影が射した。
「教官どの、そろそろ発射時刻になります。ご準備はよろしいでしょうか」
「ああ、大丈夫だ」
「レッスル星まで短い間ですが私がパーサーを努めさせていただきます。よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく頼む」
地球とレッスル星を行き来するのはほぼ全てが超人だ。発射後は重力の井戸を抜け出すまでの間、猛烈なGに耐えねばならず、地球から充分離れたあとは、すぐさまワープ航法に突入する。どちらも肉体に大変な負荷がかかり、超人でなければそれに耐えることは難しい。
発射までのつかの間、ウルフマンは彼女のとのやり取りを思い出していた。短い時間だが楽しかった。
本当に手紙は届くだろうか。
いい歳をして文通などと、気恥ずかしさを感じなくもないが、朴訥で不器用な自分には案外合っているかもしれない。きっと自分は返事を書くだろう。希望に満ちた明るい内容の手紙を。それは相手だけではなく自分へのエールでもある。
そうしていつか平和になった地球で、彼女と再開できたらいい。
いよいよ宇宙へ飛び出すために身震いを始めたロケットの動きを感じながら、ウルフマンはそんなことを考えていた。
end
(初出:「夢みる頃を過ぎても」 2022.09)
「すみません、ご迷惑をおかけして」
何度目になるだろうか、車中で彼女は謝罪とともに深々と頭を下げた。
「いいってことよ、気にすんな。軽い捻挫でも放っておくと繰り返すからな。きっちり治すことだ」
ウルフマンは取りなすように片手をふった。怪我に対する用心は、格闘家である彼の経験からくるものだ。
「はい、治るまでちゃんと通います。それより、今日のこと、お礼をさせてください」
「気をつかうこたぁない」
「でもウルフマン教官の貴重な休暇が、わたしのせいで一日無駄になってしまいました」
うーん、とウルフマンはアゴに手をあてて考える風をみせた。
「そう言ってくれるならケガが治ってからでかまわないんだが……つき合ってもらいたい所があるんだ」
それから十日ほどが過ぎて、足の腫れや痛みもすっかり消えた。そうして次の日曜日、彼女は約束どおりウルフマンと会うことになった。
「よお、元気だったか?」
待ち合わせ場所に姿を現したウルフマンは、藍色の地にトンボを白く染め抜いた浴衣をまとっていた。いかにも大人(たいじん)らしい悠揚とした姿に道行く人が振り返る。
「この通りすっかり良くなりました、すぐに病院に連れて行ってくださったウルフマン教官のおかげです」
彼女はもう全く問題ないのだというように、足先でトントンと地面を叩いてみせた。
「ウルフマンでいいよ、かたっくるしい」
ざっくばらんな物言いからして、ウルフマンはさっぱりとした気性なのだろう。それでも、その気安い呼び方は、自分が仕事相手ではなく、私的な相手として彼に認識されているように思えて、彼女は胸がドキドキした。
「こっちなんだ」と、ウルフマンが彼女を案内したのは、路地裏の古びた甘味処だった。意外な場所に、彼女は一瞬自分の眼を疑った。しかし、清潔そうな白いのれんにはハッキリと、甘味処と墨で記されている。表のガラスケースにはロウで作られたあんみつやぜんざいが飾られていた。
ガラガラと音を立てる引戸を開けて、ウルフマンはのれんをくぐった。
「邪魔するぜ」
「いらっしゃぃませ!」
二人はハキハキとした店員に出迎えられた。玉砂利を埋め込んだコンクリートの床に白木のテーブルセットが幾つかあって、椅子の座面と背あてには絣布が使われている。テーブルの上の一輪挿しには紅花が活けられ、心なごむ雰囲気が店内に満ちていた。
二人が席に着くと店員が緑茶を運んできた。
「ここはあんみつも旨いがぜんざいもなかなかなんだ」
「ほんと、このお品書きの写真、みんな美味しそうです!えっと私はクリームあんみつにします」
「じゃあそれを二つ。それから豆かんとぜんざいを一つずつ」
店員は注文を確認すると、オーダーを伝えに戻っていった。
「……甘党なんですね」
あっけに取られた彼女を見てウルフマンが面映ゆそうに笑った。
「笑っちまうだろ?こんないかついナリで。だから今日はあんたを誘って、ツレのフリをさせてもらった」
ヘラクレス・ファクトリーでのウルフマンは、四角四面で厳しい教官と聞かされていたので、意外な一面に彼女は思わず笑みをうかべた。
やがて注文の甘味が運ばれてきた。ウルフマンは自分の前に並べられた甘味を嬉しそうに眺めると「いただきます」と折り目正しく手を合わせた。彼女も食前のあいさつをして、黒みつのかかった寒天を木匙ですくう。口に運んだ瞬間、思わず声が出た。半透明の寒天はパシッと角が立って爽やかで、これまで食べたものとはまるで違っていた。
「おいし……!」
「だろう?ここの寒天は使ってる天草が他とちょっと違うんだ」
寒天だけではなかった。クリームはソフトクリームを使っていて、コクのあるまろやかな味わいが、こっくりとした餡にじつによく合った。合間にフルーツを挟みながら順番に食べ進めていると、ガラスの器はあっという間に空になった。
彼女は食後のほうじ茶を飲みながら、ウルフマンが続けてぜんざい、最後に豆かんを平らげるところを眺めていた。嬉しそうに好物を口に運ぶ姿は、ありふれた中年男と何ら変わらない。あるいは彼女がいつも書類をやり取りしている他の教官らもまた、彼と同じようにそんな部分を隠して、遠い遠いあの星で誰かのために力を尽くしているのかもしれない。
全ての器を空にすると、ウルフマンはいかにも人心地ついたという風にほっと息を吐いた。
「ああ、旨かった」
「満ち足りた感じのお顔ですね」
「この季節に戻ってこられて良かった。やっぱり暑い時期の方がこういうものは旨いからな」
「わたし、ずっとウルフマンさんとこんな風にお話ししてみたかったので、今日は嬉しかったです」
「アンタからの書類に一筆添えてあるのが、いつも嬉しかったよ。ありがとう」
「そんな、わたしこそ」
「実は」そう言うと、ウルフマンは一瞬口ごもり、続けた。「あんたがくれたメモ、みんな取ってあるんだ。レッスル星は日本のような季節の移り変わりがなくて。だから、あんたのメモにそえられた一筆で「ああ日本はもう秋なのか」とか、そんなふうに思いだしてた。とくにヘラクレス・ファクトリーに移ったばかりの頃は、それをよく読み返していたよ。地球が懐かしくて」
自分の手紙が、そこにこめた思いが、そんなふうに伝わっていたなんて。嬉しくて、彼女は胸が熱くなった。
「あの……書類がないときも、あなた宛に手紙を書いてもいいですか?お仕事の邪魔にならない程度に」
思いがけない一言に、ウルフマンは一瞬眼を丸くしたあとクシャリと笑い、嬉しそうにその提案を受け入れた。
「ああ、もちろん!楽しみに待っている。それにオレも返事を書こう」
ウルフマンの休暇が終わり、とうとうレッスル星へ帰還する日がきた。宇宙船に乗り込んだウルフマンが、シートベルトを確かめていると、ふいに人影が射した。
「教官どの、そろそろ発射時刻になります。ご準備はよろしいでしょうか」
「ああ、大丈夫だ」
「レッスル星まで短い間ですが私がパーサーを努めさせていただきます。よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく頼む」
地球とレッスル星を行き来するのはほぼ全てが超人だ。発射後は重力の井戸を抜け出すまでの間、猛烈なGに耐えねばならず、地球から充分離れたあとは、すぐさまワープ航法に突入する。どちらも肉体に大変な負荷がかかり、超人でなければそれに耐えることは難しい。
発射までのつかの間、ウルフマンは彼女のとのやり取りを思い出していた。短い時間だが楽しかった。
本当に手紙は届くだろうか。
いい歳をして文通などと、気恥ずかしさを感じなくもないが、朴訥で不器用な自分には案外合っているかもしれない。きっと自分は返事を書くだろう。希望に満ちた明るい内容の手紙を。それは相手だけではなく自分へのエールでもある。
そうしていつか平和になった地球で、彼女と再開できたらいい。
いよいよ宇宙へ飛び出すために身震いを始めたロケットの動きを感じながら、ウルフマンはそんなことを考えていた。
end
(初出:「夢みる頃を過ぎても」 2022.09)
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