陰(バッファローマン夢小説)
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乗るつもりだった電車のドアが目の前でプシュ、と閉じた。彼女は仕方なく後ろのベンチに腰をおろす。見上げれば空はすっきりと青い。
春の天気は変わりやすい。昨日だって夕方になってから急に雨が降りだして、結局それは朝まで続いた。おかげで大気中のチリやら何ならはすっかり洗い落とされて空気は澄み渡っているが、足元や日陰は意外なくらい冷えている。
影がずいぶん濃くなった。もっとすればコントラストはさらに強烈になって、サングラスや日傘、それから帽子が必要になるだろう。
これから水族館に行く予定だ。平日で空いているだろうから、好きな水槽を飽きるまで観て。下から見上げる形の、流れるプールみたいなところを泳ぐペンギンがいるのでそこは絶対に外せない。そのあとでウインドーショッピング。そうだ、今日は新しい帽子も見ようか。
もちろん全部一人でだけど。
バッファローマンは忙しいし、この歳になると大抵の友人知人は家庭に入って育児の真っ最中か、でなければ働いていてる。ウイークデーに彼女のようにふと思い立って出かけることなどできはしないから、誘いの連絡など言語道断だ。
彼女だって仕事をしていた。バッファローマンと二人で暮らすのを機に辞めた。別に指図されたわけではない、好きに暮らしたらいいと言われた。だから100パーセント自由意志だ。器用な質ではないから仕事と家事を――主に家事を――自分が許せるレベルで維持していく自信がなかっただけだ。
社会的地位が確立していて潤沢な資産があり、フィジカルもメンタルも充分にゆとりのあるバッファローマンとの生活は、さながら彼の陰に隠れながら社会を垣間見ているような感じだ。
そして勤めにでたりすれば、ある程度はその陰から出て行かなければならなくなるだろう。いずれかのコミュニティに帰属することになるし、他者との関わりを可能な限り薄くしたところでゼロにすることはできない。
するとどうなるか。
初対面からある程度たってその人たちと打ち解ければ「歳は今いくつなのか」、「何処に住んでいるのか」。そんなことから始まって「付き合っている相手はいるのか」、「(いるとすれば)何年くらいつきあっているのか」、「有名人なら誰に似ているのか」、「どんな仕事をしているのか」と、プライベートにからんだ疑問がワンセットになってついてくる。
彼女が正直に答えるとすればこんな感じだろうか。「今住んでいるところは恋人の家、彼の身長は250センチメートルあって体重は220キロ。頭の左右から長い角が生えていてそれはロングホーンと呼ばれている。仕事は(どういう仕組みかよく判らないけれど)平和のために戦っている」。
もちろん、そんな答えが反ってくるとは相手も想定していないから、彼女は一つ一つの答えに細心の注意をはらわなければならない。バッファローマンにまつることをろくに知らない相手にも、彼のことが正しく伝わるように。
そしてやがて、二人で居るときには道選びまで悩むことになるのだ。面識のある誰かと会って、誤解を生んだり予断を与えないために。
そうやって主従が入れ替われば、彼女とバッファローマンの関係も変化していく。
――徒労だ。
二人で居るためだけに(少なくともバッファローマンにその気がなくなるまでは)自分の時間はあるのだから、それ以外の事を考えるなど、まったくのリソースの無駄遣いだ。
だから、今はこのままでいい。
周りの空気が動いたので彼女が面を上げると、ホームに電車が入ってくるところだった。そのままベンチから立ち上がり、乗車待ちの列につく。車両のドアが開くと、車内に乗り込む人の波のなかに彼女の姿は紛れて消えた。
end
(初出 pixiv 2021年3月)
春の天気は変わりやすい。昨日だって夕方になってから急に雨が降りだして、結局それは朝まで続いた。おかげで大気中のチリやら何ならはすっかり洗い落とされて空気は澄み渡っているが、足元や日陰は意外なくらい冷えている。
影がずいぶん濃くなった。もっとすればコントラストはさらに強烈になって、サングラスや日傘、それから帽子が必要になるだろう。
これから水族館に行く予定だ。平日で空いているだろうから、好きな水槽を飽きるまで観て。下から見上げる形の、流れるプールみたいなところを泳ぐペンギンがいるのでそこは絶対に外せない。そのあとでウインドーショッピング。そうだ、今日は新しい帽子も見ようか。
もちろん全部一人でだけど。
バッファローマンは忙しいし、この歳になると大抵の友人知人は家庭に入って育児の真っ最中か、でなければ働いていてる。ウイークデーに彼女のようにふと思い立って出かけることなどできはしないから、誘いの連絡など言語道断だ。
彼女だって仕事をしていた。バッファローマンと二人で暮らすのを機に辞めた。別に指図されたわけではない、好きに暮らしたらいいと言われた。だから100パーセント自由意志だ。器用な質ではないから仕事と家事を――主に家事を――自分が許せるレベルで維持していく自信がなかっただけだ。
社会的地位が確立していて潤沢な資産があり、フィジカルもメンタルも充分にゆとりのあるバッファローマンとの生活は、さながら彼の陰に隠れながら社会を垣間見ているような感じだ。
そして勤めにでたりすれば、ある程度はその陰から出て行かなければならなくなるだろう。いずれかのコミュニティに帰属することになるし、他者との関わりを可能な限り薄くしたところでゼロにすることはできない。
するとどうなるか。
初対面からある程度たってその人たちと打ち解ければ「歳は今いくつなのか」、「何処に住んでいるのか」。そんなことから始まって「付き合っている相手はいるのか」、「(いるとすれば)何年くらいつきあっているのか」、「有名人なら誰に似ているのか」、「どんな仕事をしているのか」と、プライベートにからんだ疑問がワンセットになってついてくる。
彼女が正直に答えるとすればこんな感じだろうか。「今住んでいるところは恋人の家、彼の身長は250センチメートルあって体重は220キロ。頭の左右から長い角が生えていてそれはロングホーンと呼ばれている。仕事は(どういう仕組みかよく判らないけれど)平和のために戦っている」。
もちろん、そんな答えが反ってくるとは相手も想定していないから、彼女は一つ一つの答えに細心の注意をはらわなければならない。バッファローマンにまつることをろくに知らない相手にも、彼のことが正しく伝わるように。
そしてやがて、二人で居るときには道選びまで悩むことになるのだ。面識のある誰かと会って、誤解を生んだり予断を与えないために。
そうやって主従が入れ替われば、彼女とバッファローマンの関係も変化していく。
――徒労だ。
二人で居るためだけに(少なくともバッファローマンにその気がなくなるまでは)自分の時間はあるのだから、それ以外の事を考えるなど、まったくのリソースの無駄遣いだ。
だから、今はこのままでいい。
周りの空気が動いたので彼女が面を上げると、ホームに電車が入ってくるところだった。そのままベンチから立ち上がり、乗車待ちの列につく。車両のドアが開くと、車内に乗り込む人の波のなかに彼女の姿は紛れて消えた。
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(初出 pixiv 2021年3月)
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