海神(わだつみ)
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バッファローマンは相良(と林田)の厚意を初めは固辞しようとしたが、ご都合がつくなら是非にと重ねて勧められ、また、辞退することでかえって相手に気遣いさせることに気がついたので、有りがたく招待を受けることにした。
最初に通された部屋にそのまま宿泊することになった。
濡れた衣服が乾いてもサイズのあう寝間着がないため、相良はスタッフに声をかけ、若い女性社員を一人連れてきた。
「すみません、寝間着の代わりになると思うものをご用意させていただきました。お立ちになっていただいて、少しお身体に触れてもよろしいでしょうか?」
そう言われて、バッファローマンは立ち上がった。女性はその身の丈に余るほどの白い一枚布を持っていて、それを二つ折りにすると上辺を外側に折り込んだ。手際よく布をバッファローマンの首あたりで巻き込み、左右の肩のうえを安全ピンでとめ、腰のあたりを持参した紐で結んだ。
彼の外観は西洋の古代人のようになった。
「はい、できました!お身体にあうサイズの布が、客室用のダブルベッドのシーツしかなくて申し訳ないのですが。いかがですか?」
「うん、悪くない。ラクだし、やっぱり腰に布を巻いただけっていうのはちょっと心もとないよな」
苦笑したあと、ぐるりと自分の姿を見回した。
女性社員によれば古代ギリシアの着方でキートンというそうだ。堂々たる体躯のバッファローマンがそれを纏うと、彫像のように実に見事な出で立ちになった。
夕食は別の個室でということになり、自分の装いが気に入ったバッファローマンは、その格好のまま食事の席に着いた。
水平線の際が茜色に染まっている。傍らのガラス窓から射し込んだ夕日が、二人の横顔を淡く照らしている。テーブルには小さなキャンドルが灯され、ほのかな灯りが揺らめいていた。
食前酒はビワ酒だった。この果物は県の特産品らしい。それをブランデーに浸けた果実酒だ。ほんのり金色のそれを舌の上でころがすと、淡く楚々とした丸い甘味があった。ウェイターに訊ねると、毎年、収穫の季節に、選り分けた極上のビワをこれも高級なブランデーに浸けて、出来上がったものを客に振る舞っているらしい。
美しい金色でとても品の良い味わいだとバッファローマンが感想を述べると、ウェイターは、ありがとうこざいます、と頭を下げ、それからコースの料理を二人の食事の進み具合を計りながら運んできた。
前菜はシーズンにはいったばかりの活き車エビを使ったマリネ。新しくてプリプリとした身は大層甘い。
お好きなものを、と差し出されたワインリストからバッファローマンが白と赤を選んだ。
スープはさつまいもの冷製スープ。柔らかなクリーム色で、ヴィシソワーズと比べるとほんのり甘く、そこに親しみやすさを感じる。
ポワソンは、これもはしりの舌平目で、シンプルにムニエルに仕上げてある。使っているバターは地元の酪農家が作ったものだそうだ。徳川家のある将軍が、外国から取り寄せた牛をこの地で飼育して乳製品を作ったそうで、そこからこの県は「日本酪農の発祥の地」と一説には呼ばれているらしい。
ヴィヤンドには里見伏姫牛という県産のブランド牛のフィレステーキにタプナードソースを添えたものがサーブされた。
これも、口に運べば思わずうん、と頷いてしまうような一品だった。
コースの締めくくりであるコーヒーとデセールを運んできたウェイターが、それぞれを二人の前に置くと、するりとバッファローマンに近づいた。
「お食事の最中に申し訳ありませんが、副支配人がお客さまにお目にかかりたいと申しております。いかがいたしますか?」
「うん。お通ししてくれ」
返事を携えて退出したウェイターは、相良と、昼間に海岸で別れた林田を伴って戻ってきた。
「どうも、お食事中に申し訳ありません。お休みになるまえにと思いまして――
相良の言葉の途中で、隣に立っていた林田はバッファローマンの前にガバッと膝をついた。そのまま額を床につけて土下座した。
「すみません!この度は私が親として到らないばかりに、バッファローマンさまにご迷惑を、いえ、命に危険が及ぶようなご行為をさせることになってしまい、本当に申し訳ありません!!」
林田は背中を丸めて必死で謝罪の言葉を口にする。
バッファローマンは立ち上がり、林田の傍らにかがみ込んだ。
「林田さん、頭をあげてくれ。オレはアンタにこんなことをして欲しくてあの子を助けたわけじゃねえ、な?」
そう言って、グローブみたいに大きな手を相手の背中に添えた。
相良も反対側にかがみ込む。
「なあ、直樹。バッファローマンさんもこう仰ってくれてるんだ。取りあえず頭をあげないか?」
二人に促されて、林田はゆっくりと顔をあげた。よく見れば髪は乱れて、目は落ち窪んでいる。当たり前だが、昼間の出来事が余程堪えたのだろう。
気をきかせたウェイターが二人分の椅子をテーブルの脇に運んできた。
相良と林田はそこに腰かけた。
バッファローマンは話の取っ掛かりになるようにたずねかけた。
「坊やの容態はもう大丈夫なのか?」
「はい、おかげさまで。救急車のなかでも意識はありましたし、向こうに着いてから受けた検査もほぼ異常ないとのことで。少しですが飲んだ水が肺にはいっているので、一晩は酸素吸入をしながら様子をみると。明日には迎えに行けます」
「それは何よりだ。話を聞いてオレも安心した」
「よかったな、直樹」
林田はやっと少しだけ表情を和らげた。だが、またすぐに眉根が寄せられる。
「医者が言うには、子供が溺れた場合、肺や脳に重い障害が残ることが珍しくないそうです。完樹の場合はバッファローマンさんがすぐに水中から助けあげて下さったので、とても幸運だったと。本当にありがとうございました」
気が高ぶってまた土下座をしようと立ち上がりかけた林田を相良が制した。
中腰のまま林田は動きをとめた。静寂を訝しんだバッファローマンが顔を見ると彼は涙を流しながら必死で嗚咽を堪えていた。
「向こうで、検査が終わって落ち着いてから完樹と話せたんです。あそこに居た理由を聞いたら、呼ばれた、って言うんです。ママに、呼ばれたって。3年も経ったのに、なんで。完樹がいなくなったら、私は今度こそ本当に独りだ。なのに」
再びどさりと椅子にくずれ落ちると、今度こそ声を出してすすり泣き始めた。
最初に通された部屋にそのまま宿泊することになった。
濡れた衣服が乾いてもサイズのあう寝間着がないため、相良はスタッフに声をかけ、若い女性社員を一人連れてきた。
「すみません、寝間着の代わりになると思うものをご用意させていただきました。お立ちになっていただいて、少しお身体に触れてもよろしいでしょうか?」
そう言われて、バッファローマンは立ち上がった。女性はその身の丈に余るほどの白い一枚布を持っていて、それを二つ折りにすると上辺を外側に折り込んだ。手際よく布をバッファローマンの首あたりで巻き込み、左右の肩のうえを安全ピンでとめ、腰のあたりを持参した紐で結んだ。
彼の外観は西洋の古代人のようになった。
「はい、できました!お身体にあうサイズの布が、客室用のダブルベッドのシーツしかなくて申し訳ないのですが。いかがですか?」
「うん、悪くない。ラクだし、やっぱり腰に布を巻いただけっていうのはちょっと心もとないよな」
苦笑したあと、ぐるりと自分の姿を見回した。
女性社員によれば古代ギリシアの着方でキートンというそうだ。堂々たる体躯のバッファローマンがそれを纏うと、彫像のように実に見事な出で立ちになった。
夕食は別の個室でということになり、自分の装いが気に入ったバッファローマンは、その格好のまま食事の席に着いた。
水平線の際が茜色に染まっている。傍らのガラス窓から射し込んだ夕日が、二人の横顔を淡く照らしている。テーブルには小さなキャンドルが灯され、ほのかな灯りが揺らめいていた。
食前酒はビワ酒だった。この果物は県の特産品らしい。それをブランデーに浸けた果実酒だ。ほんのり金色のそれを舌の上でころがすと、淡く楚々とした丸い甘味があった。ウェイターに訊ねると、毎年、収穫の季節に、選り分けた極上のビワをこれも高級なブランデーに浸けて、出来上がったものを客に振る舞っているらしい。
美しい金色でとても品の良い味わいだとバッファローマンが感想を述べると、ウェイターは、ありがとうこざいます、と頭を下げ、それからコースの料理を二人の食事の進み具合を計りながら運んできた。
前菜はシーズンにはいったばかりの活き車エビを使ったマリネ。新しくてプリプリとした身は大層甘い。
お好きなものを、と差し出されたワインリストからバッファローマンが白と赤を選んだ。
スープはさつまいもの冷製スープ。柔らかなクリーム色で、ヴィシソワーズと比べるとほんのり甘く、そこに親しみやすさを感じる。
ポワソンは、これもはしりの舌平目で、シンプルにムニエルに仕上げてある。使っているバターは地元の酪農家が作ったものだそうだ。徳川家のある将軍が、外国から取り寄せた牛をこの地で飼育して乳製品を作ったそうで、そこからこの県は「日本酪農の発祥の地」と一説には呼ばれているらしい。
ヴィヤンドには里見伏姫牛という県産のブランド牛のフィレステーキにタプナードソースを添えたものがサーブされた。
これも、口に運べば思わずうん、と頷いてしまうような一品だった。
コースの締めくくりであるコーヒーとデセールを運んできたウェイターが、それぞれを二人の前に置くと、するりとバッファローマンに近づいた。
「お食事の最中に申し訳ありませんが、副支配人がお客さまにお目にかかりたいと申しております。いかがいたしますか?」
「うん。お通ししてくれ」
返事を携えて退出したウェイターは、相良と、昼間に海岸で別れた林田を伴って戻ってきた。
「どうも、お食事中に申し訳ありません。お休みになるまえにと思いまして――
相良の言葉の途中で、隣に立っていた林田はバッファローマンの前にガバッと膝をついた。そのまま額を床につけて土下座した。
「すみません!この度は私が親として到らないばかりに、バッファローマンさまにご迷惑を、いえ、命に危険が及ぶようなご行為をさせることになってしまい、本当に申し訳ありません!!」
林田は背中を丸めて必死で謝罪の言葉を口にする。
バッファローマンは立ち上がり、林田の傍らにかがみ込んだ。
「林田さん、頭をあげてくれ。オレはアンタにこんなことをして欲しくてあの子を助けたわけじゃねえ、な?」
そう言って、グローブみたいに大きな手を相手の背中に添えた。
相良も反対側にかがみ込む。
「なあ、直樹。バッファローマンさんもこう仰ってくれてるんだ。取りあえず頭をあげないか?」
二人に促されて、林田はゆっくりと顔をあげた。よく見れば髪は乱れて、目は落ち窪んでいる。当たり前だが、昼間の出来事が余程堪えたのだろう。
気をきかせたウェイターが二人分の椅子をテーブルの脇に運んできた。
相良と林田はそこに腰かけた。
バッファローマンは話の取っ掛かりになるようにたずねかけた。
「坊やの容態はもう大丈夫なのか?」
「はい、おかげさまで。救急車のなかでも意識はありましたし、向こうに着いてから受けた検査もほぼ異常ないとのことで。少しですが飲んだ水が肺にはいっているので、一晩は酸素吸入をしながら様子をみると。明日には迎えに行けます」
「それは何よりだ。話を聞いてオレも安心した」
「よかったな、直樹」
林田はやっと少しだけ表情を和らげた。だが、またすぐに眉根が寄せられる。
「医者が言うには、子供が溺れた場合、肺や脳に重い障害が残ることが珍しくないそうです。完樹の場合はバッファローマンさんがすぐに水中から助けあげて下さったので、とても幸運だったと。本当にありがとうございました」
気が高ぶってまた土下座をしようと立ち上がりかけた林田を相良が制した。
中腰のまま林田は動きをとめた。静寂を訝しんだバッファローマンが顔を見ると彼は涙を流しながら必死で嗚咽を堪えていた。
「向こうで、検査が終わって落ち着いてから完樹と話せたんです。あそこに居た理由を聞いたら、呼ばれた、って言うんです。ママに、呼ばれたって。3年も経ったのに、なんで。完樹がいなくなったら、私は今度こそ本当に独りだ。なのに」
再びどさりと椅子にくずれ落ちると、今度こそ声を出してすすり泣き始めた。