心とかすような(バッファローマン夢小説)
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そうして、彼女は次の休みの日に、バッファローマンと海へドライブに行くことに決まった。
決まってしまった。
それからはもう大変だった。
どんなクルマに乗ってくるのだろう、どこの海に行くのだろう。なにを話せばいいだろうか。着るものは?お弁当はどうしよう?作るとすればパンかご飯か。でも彼はきっとものすごくたくさん食べるだろうし、どれくらいなのかおよそ見当がつかない。それにキライだったり食べられないものもあるだろう。まだそこまで把握できている仲ではないし。もっといえば向こうは向こうでどこの店でランチにするか考えているかもしれない。
デートだって、ドライブだって、何度も経験したのに、中学生くらいに戻ってしまったような気がする。
だって彼は(彼女にとってだけではなく万人にとって)格段に特別な存在で、そんな人と自分がかかわり合いになるなんて考えたこともなかったから。
ついに運命の日がきた。
しかし運命、と思っていたのは彼女だけだったかもしれない。
バッファローマンは待ち合わせ場所に指定した最寄り駅のロータリーまで愛車を走らせながら「天気になってよかった」と、まるで他人事のようにのほほんとかまえていた。
彼が「晴れてほしい」と思った日はたいていよい天気になる。見るからに晴れ男といった佇まいのこの大男が、かんじんかなめのときに雨で全身ずぶ濡れになっていたら、いろんな意味で台なしだから。
バッファローマンが「雨が降ってくれてよかった」と思ったのは、まことの心をかくして、かつて主と仰いだ者の隣に座っていた、あのときだけだ。顔をつたい流れ落ちていく雨が、バッファローマンの本心をかくしてくれた。陽光のもとであれば一目瞭然だったろう。
しかし、あるいはあの方はバッファローマンがなにを考えていて、どんなふるまいをするつもりでいるのか、隠さずともはなから悟っていたかもしれない。
悟ってなお、己の傍らに自分を侍らせていたのではないだろうか。
今となっては、そう、思う。
白いコットンの半袖開襟シャツとロング丈のフレアスカートのコーディネイトは、あの古い映画のヒロインを意識してみた。まるきり同じでは能がないのでスカートには水玉模様を選んで。
ドライブならパンツルックのほうが楽なことは判っているが、仕事のときはジーンズしかはかないから、ここ一番の今日はやっぱりスカートしかないだろう。
そして赤いパンプスとカチューシャにわら編みのかごバッグをあわせた。
待ち合わせの駅前のロータリーには約束の時間の10分前についた。混みあう場所で長時間クルマを停めさせておくのは迷惑になるから。
だけどそこには、すでに彼がいた。
バッファローマンが。
とんでもなく目立つ、巨大な紺色のオープンカーの運転席にどっしり腰かけて、ゆうゆうデートの相手――彼女を待ってる。
あのステキに見事なロングホーンが「オレはここにいるぞ」と世界中に告げていた。
通りすぎていく人々が、必ず一度はその姿を見る。
驚嘆の。
羨望の。
畏怖の。
だから、彼女は少しだけ怖じ気づいてそろそろと彼に近づいた。
バッファローマンはその姿をみとめると、大きく手を上げた。
「……お、おはようございます」
「おはよう、晴れてよかった」
「はい」
「乗ってくれ」
ほら、とバッファローマンは上半身をのばして助手席側のロックをはずした。今どきでは珍しいロックピン式で、外観からしてずいぶん古い車にみえる。
「失礼します」
彼女がそろそろと腰をおろすと、黒い本革のシートはすっかり温かくなっていた。
市街地を抜けるまで、ウォーミングアップのように加減速が続いた。いきおいバッファローマンもシフトレバーのコントロール(当然ながらマニュアル車だ)に集中しがちで、あたりさわりのない会話が続いた。
そうしてやっと、海へ向かうハイウェイにたどり着くと、二人を乗せたオープンカーは枷を外されたようにみるみるうちに加速した。センターラインと、ガードレールと、防音壁。その三つだけが回転のぞき絵のように、視界のなかに繰り返し現れる。
初めて乗るオープンカーはびっくりするほど風が強くて、ちょっと気をぬくと魂を引きはがされそうになる。だから、しっかりと腹に力をいれて腰を落ちつけた。
「こわいか?」
「いえ、大丈夫です。初めて乗るから、嬉しいです。なんていうクルマなんですか?」
「トリノだ、トリノGT」
「アメリカのクルマですね」
「そう、フォードだ。よく知ってるな」
「このクルマが主役になってる映画、観たことあります」
「若いころ、アメリカの南部で過ごしたことがあったんだ。金がなくてな。バスにも乗れなくて、ルート66のあたりをとぼとぼ歩いてたら、オープンカーがものすごい勢いで通り過ぎていって、カッコよくて、忘れられなかった。それで、コイツを買ったんだ」
バッファローマンは後ろ手で後部からブランケットを取りだすと、ほら、と彼女に手渡した。
「この季節でも風にあたると身体がひえる。よかったら使え」
赤いタータンチェックのネル地のブランケットだった。すそが少しほつれている。ひざにかけると暖かくて、両手もすべりこませた。
それからバッファローマンはとつとつと彼女に問いかけた。
「チリの作り方はどこで覚えたのか」とか「クルマが好きなのか」とか。
実際のところ、彼女はテキサスに住んだことがなければ、アメリカ本土に行ったこともなかった。ただ好きな映画の舞台だったので、しぜん興味をおぼえるようになったのだ。ホットドッグ屋は個人で始めたのではなくフランチャイズ形式で、技術とノウハウを学んだあと、キッチンカーを本社から借りるかたちで営業していた。それでもこの仕事はとても気に入っていて、いつか資金がたまったらこのクルマを買い取って渡米して、本場テキサスで自分の作ったホットドッグを売りたいと思っている。そう話すとバッファローマンは「ソイツはいい考えだ」といってニッコリと笑った。その笑顔をみた瞬間、彼女の顔は火がついたようにカッと赤くなった。
「でも、英語がうまくないので、練習しないとなんです」
しどろもどろになってそう言うと
「大丈夫さ、アンタはガッツがありそうだから」
そんな背中を押すような返事が、サムズアップともにかえってきたのだった。
そうして少しずつ彼女もリラックスして話せるようになった。
バッファローマンの姿は目立つので、店に寄ってくれていい宣伝になっていること、やってきた女性や子どもがワーゲンバスをクラシックで可愛いとほめてくれること。
するとバッファローマンは「こんなでくのぼうでも役に立ってるなら何よりだ」と笑った。
「そんな。でも、人混みのなかではぐれたりしなくていいですね」
「ああ、だから悪いこともできないのさ」
彼のような著しい巨躯の超人にとって、都会での生活は窮屈さを感じるのではと思われがちだが、実際は少々異なる。人目が多いということと、耳目を集めるということは別の話だ。老若男女それぞれが有象無象なことを頭に思い描きながらごったがえす雑踏のなかでは、レジェンド・バッファローマンですら風景の一部としてしか認識されず――ごく少数の者が「ああ、あれはあの有名な」と囁いたりはするけれど――とどこおりなく集団のなかに埋没する。そんな居心地のよい無関心さがバッファローマンが都会で暮らしている理由のひとつだった。
決まってしまった。
それからはもう大変だった。
どんなクルマに乗ってくるのだろう、どこの海に行くのだろう。なにを話せばいいだろうか。着るものは?お弁当はどうしよう?作るとすればパンかご飯か。でも彼はきっとものすごくたくさん食べるだろうし、どれくらいなのかおよそ見当がつかない。それにキライだったり食べられないものもあるだろう。まだそこまで把握できている仲ではないし。もっといえば向こうは向こうでどこの店でランチにするか考えているかもしれない。
デートだって、ドライブだって、何度も経験したのに、中学生くらいに戻ってしまったような気がする。
だって彼は(彼女にとってだけではなく万人にとって)格段に特別な存在で、そんな人と自分がかかわり合いになるなんて考えたこともなかったから。
ついに運命の日がきた。
しかし運命、と思っていたのは彼女だけだったかもしれない。
バッファローマンは待ち合わせ場所に指定した最寄り駅のロータリーまで愛車を走らせながら「天気になってよかった」と、まるで他人事のようにのほほんとかまえていた。
彼が「晴れてほしい」と思った日はたいていよい天気になる。見るからに晴れ男といった佇まいのこの大男が、かんじんかなめのときに雨で全身ずぶ濡れになっていたら、いろんな意味で台なしだから。
バッファローマンが「雨が降ってくれてよかった」と思ったのは、まことの心をかくして、かつて主と仰いだ者の隣に座っていた、あのときだけだ。顔をつたい流れ落ちていく雨が、バッファローマンの本心をかくしてくれた。陽光のもとであれば一目瞭然だったろう。
しかし、あるいはあの方はバッファローマンがなにを考えていて、どんなふるまいをするつもりでいるのか、隠さずともはなから悟っていたかもしれない。
悟ってなお、己の傍らに自分を侍らせていたのではないだろうか。
今となっては、そう、思う。
白いコットンの半袖開襟シャツとロング丈のフレアスカートのコーディネイトは、あの古い映画のヒロインを意識してみた。まるきり同じでは能がないのでスカートには水玉模様を選んで。
ドライブならパンツルックのほうが楽なことは判っているが、仕事のときはジーンズしかはかないから、ここ一番の今日はやっぱりスカートしかないだろう。
そして赤いパンプスとカチューシャにわら編みのかごバッグをあわせた。
待ち合わせの駅前のロータリーには約束の時間の10分前についた。混みあう場所で長時間クルマを停めさせておくのは迷惑になるから。
だけどそこには、すでに彼がいた。
バッファローマンが。
とんでもなく目立つ、巨大な紺色のオープンカーの運転席にどっしり腰かけて、ゆうゆうデートの相手――彼女を待ってる。
あのステキに見事なロングホーンが「オレはここにいるぞ」と世界中に告げていた。
通りすぎていく人々が、必ず一度はその姿を見る。
驚嘆の。
羨望の。
畏怖の。
だから、彼女は少しだけ怖じ気づいてそろそろと彼に近づいた。
バッファローマンはその姿をみとめると、大きく手を上げた。
「……お、おはようございます」
「おはよう、晴れてよかった」
「はい」
「乗ってくれ」
ほら、とバッファローマンは上半身をのばして助手席側のロックをはずした。今どきでは珍しいロックピン式で、外観からしてずいぶん古い車にみえる。
「失礼します」
彼女がそろそろと腰をおろすと、黒い本革のシートはすっかり温かくなっていた。
市街地を抜けるまで、ウォーミングアップのように加減速が続いた。いきおいバッファローマンもシフトレバーのコントロール(当然ながらマニュアル車だ)に集中しがちで、あたりさわりのない会話が続いた。
そうしてやっと、海へ向かうハイウェイにたどり着くと、二人を乗せたオープンカーは枷を外されたようにみるみるうちに加速した。センターラインと、ガードレールと、防音壁。その三つだけが回転のぞき絵のように、視界のなかに繰り返し現れる。
初めて乗るオープンカーはびっくりするほど風が強くて、ちょっと気をぬくと魂を引きはがされそうになる。だから、しっかりと腹に力をいれて腰を落ちつけた。
「こわいか?」
「いえ、大丈夫です。初めて乗るから、嬉しいです。なんていうクルマなんですか?」
「トリノだ、トリノGT」
「アメリカのクルマですね」
「そう、フォードだ。よく知ってるな」
「このクルマが主役になってる映画、観たことあります」
「若いころ、アメリカの南部で過ごしたことがあったんだ。金がなくてな。バスにも乗れなくて、ルート66のあたりをとぼとぼ歩いてたら、オープンカーがものすごい勢いで通り過ぎていって、カッコよくて、忘れられなかった。それで、コイツを買ったんだ」
バッファローマンは後ろ手で後部からブランケットを取りだすと、ほら、と彼女に手渡した。
「この季節でも風にあたると身体がひえる。よかったら使え」
赤いタータンチェックのネル地のブランケットだった。すそが少しほつれている。ひざにかけると暖かくて、両手もすべりこませた。
それからバッファローマンはとつとつと彼女に問いかけた。
「チリの作り方はどこで覚えたのか」とか「クルマが好きなのか」とか。
実際のところ、彼女はテキサスに住んだことがなければ、アメリカ本土に行ったこともなかった。ただ好きな映画の舞台だったので、しぜん興味をおぼえるようになったのだ。ホットドッグ屋は個人で始めたのではなくフランチャイズ形式で、技術とノウハウを学んだあと、キッチンカーを本社から借りるかたちで営業していた。それでもこの仕事はとても気に入っていて、いつか資金がたまったらこのクルマを買い取って渡米して、本場テキサスで自分の作ったホットドッグを売りたいと思っている。そう話すとバッファローマンは「ソイツはいい考えだ」といってニッコリと笑った。その笑顔をみた瞬間、彼女の顔は火がついたようにカッと赤くなった。
「でも、英語がうまくないので、練習しないとなんです」
しどろもどろになってそう言うと
「大丈夫さ、アンタはガッツがありそうだから」
そんな背中を押すような返事が、サムズアップともにかえってきたのだった。
そうして少しずつ彼女もリラックスして話せるようになった。
バッファローマンの姿は目立つので、店に寄ってくれていい宣伝になっていること、やってきた女性や子どもがワーゲンバスをクラシックで可愛いとほめてくれること。
するとバッファローマンは「こんなでくのぼうでも役に立ってるなら何よりだ」と笑った。
「そんな。でも、人混みのなかではぐれたりしなくていいですね」
「ああ、だから悪いこともできないのさ」
彼のような著しい巨躯の超人にとって、都会での生活は窮屈さを感じるのではと思われがちだが、実際は少々異なる。人目が多いということと、耳目を集めるということは別の話だ。老若男女それぞれが有象無象なことを頭に思い描きながらごったがえす雑踏のなかでは、レジェンド・バッファローマンですら風景の一部としてしか認識されず――ごく少数の者が「ああ、あれはあの有名な」と囁いたりはするけれど――とどこおりなく集団のなかに埋没する。そんな居心地のよい無関心さがバッファローマンが都会で暮らしている理由のひとつだった。