種(ブラックホール夢小説)
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今夜も彼が先に来ていた。
店のドアを開けると正面奥がカウンターになっている。そこの、本当のど真ん中に置かれているスツールが彼の定席だ。
ほの暗い店内で、ゆいつその場所だけがスポットライトのように照らし出されている。
バーテンダーがその位置でシェイカーをふれば、パフォーマンスショーのようにも見える。
彼――ブラックホールの佇まいもまたエンターテイナーのようだ。
首から上は真っ黒で、頭髪はいっさいない。代わりといってはなんだが顔の真ん中に楕円の穴が大きく空いている。大抵のときはその穴から向こう側の様子が見てとれる。
それからブラウンのモヘアのプルオーバーセーター、ブラックのスリムパンツ、素足にローファー。
靴下もはかないで寒くないのか。そんなことを思いつつ近づいていくと、のっぺりとした顔の真ん中にある穴からカウンターテーブルの上のカクテルグラスが見てとれた。
(やっぱりマティーニ)
いつもと同じ振るまいに居心地の良さを感じ、彼女は小さく微笑んだ。
ブラックホールはマティーニが好きだ。カクテルを飲み干したあと、添えられたオリーブを食べるさまを興味津々で眺めたバーテンダーが昔いて、それを面白がっているうちに、気がつけばマティーニを飲むのが習い性になってしまったらしい。
「待たせてしまったかしら」
ハスキーだけれども女性らしい艶のある声にブラックホールは振り返った。
「いや、ちっとも。こちらこそ先にやらせてもらっているよ」
どうぞ、とすすめるように斜め半身で隣の席を示した。
彼女はそこへ腰を下ろす。
「ミントジュレップを」
すべるように二人の前に立ったバーテンダーにオーダーを告げた。
この店は行きつけなのでもちろん彼はブラックホールが飲食するさまをまじまじと眺めたりはしない。
少しして彼女の前に丈高いコリンズグラスが差し出された。薄茶色に透き通った美しい飲み物のなかに鮮やかな緑色のミントの葉がたっぷりめに沈んでいる。一口飲んで舌をうるおすと話し出した。
「昨日、新しいオーダーが入ってね、急ぎだそうだから迷ったんだけど受けたわ。早く軌道にのせたいし」
経緯のあとは相手方や依頼内容をポツリ、ポツリと口にした。
その話に耳を傾けながらブラックホールはちらりと彼女を盗み見る。
遠くを眺めるような視線で何事かを考えながら語る横顔が好きだ。
どんなイメージを頭のなかに思い浮かべているのだろう。
ブラックホールは彼女の恋人だけれども、自分ではなく、どこか別の場所を眺めている時の彼女の顔のほうが好きだったりする。
そしてそれは自分に目鼻がないことと少し関係があるような気がする。
「――とにかく、コンスタントに仕事が入ってくるようになったらバイトは辞めたい、ううん、辞める」
「前も言ったと思うけど、一緒に暮らせば食べることは僕が面倒見るのに」
情愛のこもった言葉を噛み締めるように、彼女は視線を下に落とした。
「ありがとう、嬉しいわ。でも私、自分の夢に責任を持ちたいのよ」
「うん、そうだろうね」
非力だし特殊能力もない。それでもなお夢を抱いて前にすすむ。ニンゲンのそんなところが好きだ。
彼は彼女を通してそんなイメージを見ている。
「でも、バイトを辞められたら、一度旅行でも行きましょうよ。いつも隙間時間でこんな風に会うばかりじゃ寂しいわ」
「いいね、賛成だ。どこがいいかな、国内?海外?」
「どこでもいいわ。考えてみたらあなとならどんな遠くでも行けるのよね」
妙案を思いついた、とでもいうようにクスクス笑った。
ブラックホールの特殊能力『ロケーションムーブ』のことを言っているのだろう。
彼は顔の穴の向こう側に任意の場所を映し、穴に吸い込んだ相手と自分とをそこへ運ぶことができるのだ。
確かにその能力を使えば、南極だろうとアフリカだろうと一瞬だ。
でも。
「それはあまり上手いアイデアとは思えないな」
「ごめんなさい、気を悪くしたかしら」
「いや、能力を使うのはやぶさかではないがね。ただ旅の本質は目的地にたどり着くまでの過程にあるんじゃないかと僕は思うんだ」
ひとつずつ言葉を選びながら話すブラックホールの姿は、何かの概念が服を着て座っているようにも見えた。
「……あなたがいうと含蓄があるわ」
彼女はグラスに残ったミントジュレップを飲み干した。
「本当言うと、君とならどこでもいいんだ。誰も来ないようなさびれた温泉宿でも」
「それ、逆にいいわね。ヒミツっぽくて」
二人は顔を見合わせると忍やかに笑った。
「さて、今夜はどちらの部屋にしようか?」
「よければウチに来ない?リエットを作ったの。明日の昼にワインと一緒にいただきましょう」
「黄金の日曜日が過ごせるね」
「味は保証するわ」
「じゃ、君の部屋にやっかいになるとするか」
おもむろに二人はカウンターテーブルを離れて店をあとにした。
テーブルにはクラッシュアイスがわずかに残ったコリンズグラスと、空のカクテルグラスが残され、紙ナプキンに包まれたオリーブの種がその傍らに置かれていた。
end
初出:PIXIV 2021.08.17
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店のドアを開けると正面奥がカウンターになっている。そこの、本当のど真ん中に置かれているスツールが彼の定席だ。
ほの暗い店内で、ゆいつその場所だけがスポットライトのように照らし出されている。
バーテンダーがその位置でシェイカーをふれば、パフォーマンスショーのようにも見える。
彼――ブラックホールの佇まいもまたエンターテイナーのようだ。
首から上は真っ黒で、頭髪はいっさいない。代わりといってはなんだが顔の真ん中に楕円の穴が大きく空いている。大抵のときはその穴から向こう側の様子が見てとれる。
それからブラウンのモヘアのプルオーバーセーター、ブラックのスリムパンツ、素足にローファー。
靴下もはかないで寒くないのか。そんなことを思いつつ近づいていくと、のっぺりとした顔の真ん中にある穴からカウンターテーブルの上のカクテルグラスが見てとれた。
(やっぱりマティーニ)
いつもと同じ振るまいに居心地の良さを感じ、彼女は小さく微笑んだ。
ブラックホールはマティーニが好きだ。カクテルを飲み干したあと、添えられたオリーブを食べるさまを興味津々で眺めたバーテンダーが昔いて、それを面白がっているうちに、気がつけばマティーニを飲むのが習い性になってしまったらしい。
「待たせてしまったかしら」
ハスキーだけれども女性らしい艶のある声にブラックホールは振り返った。
「いや、ちっとも。こちらこそ先にやらせてもらっているよ」
どうぞ、とすすめるように斜め半身で隣の席を示した。
彼女はそこへ腰を下ろす。
「ミントジュレップを」
すべるように二人の前に立ったバーテンダーにオーダーを告げた。
この店は行きつけなのでもちろん彼はブラックホールが飲食するさまをまじまじと眺めたりはしない。
少しして彼女の前に丈高いコリンズグラスが差し出された。薄茶色に透き通った美しい飲み物のなかに鮮やかな緑色のミントの葉がたっぷりめに沈んでいる。一口飲んで舌をうるおすと話し出した。
「昨日、新しいオーダーが入ってね、急ぎだそうだから迷ったんだけど受けたわ。早く軌道にのせたいし」
経緯のあとは相手方や依頼内容をポツリ、ポツリと口にした。
その話に耳を傾けながらブラックホールはちらりと彼女を盗み見る。
遠くを眺めるような視線で何事かを考えながら語る横顔が好きだ。
どんなイメージを頭のなかに思い浮かべているのだろう。
ブラックホールは彼女の恋人だけれども、自分ではなく、どこか別の場所を眺めている時の彼女の顔のほうが好きだったりする。
そしてそれは自分に目鼻がないことと少し関係があるような気がする。
「――とにかく、コンスタントに仕事が入ってくるようになったらバイトは辞めたい、ううん、辞める」
「前も言ったと思うけど、一緒に暮らせば食べることは僕が面倒見るのに」
情愛のこもった言葉を噛み締めるように、彼女は視線を下に落とした。
「ありがとう、嬉しいわ。でも私、自分の夢に責任を持ちたいのよ」
「うん、そうだろうね」
非力だし特殊能力もない。それでもなお夢を抱いて前にすすむ。ニンゲンのそんなところが好きだ。
彼は彼女を通してそんなイメージを見ている。
「でも、バイトを辞められたら、一度旅行でも行きましょうよ。いつも隙間時間でこんな風に会うばかりじゃ寂しいわ」
「いいね、賛成だ。どこがいいかな、国内?海外?」
「どこでもいいわ。考えてみたらあなとならどんな遠くでも行けるのよね」
妙案を思いついた、とでもいうようにクスクス笑った。
ブラックホールの特殊能力『ロケーションムーブ』のことを言っているのだろう。
彼は顔の穴の向こう側に任意の場所を映し、穴に吸い込んだ相手と自分とをそこへ運ぶことができるのだ。
確かにその能力を使えば、南極だろうとアフリカだろうと一瞬だ。
でも。
「それはあまり上手いアイデアとは思えないな」
「ごめんなさい、気を悪くしたかしら」
「いや、能力を使うのはやぶさかではないがね。ただ旅の本質は目的地にたどり着くまでの過程にあるんじゃないかと僕は思うんだ」
ひとつずつ言葉を選びながら話すブラックホールの姿は、何かの概念が服を着て座っているようにも見えた。
「……あなたがいうと含蓄があるわ」
彼女はグラスに残ったミントジュレップを飲み干した。
「本当言うと、君とならどこでもいいんだ。誰も来ないようなさびれた温泉宿でも」
「それ、逆にいいわね。ヒミツっぽくて」
二人は顔を見合わせると忍やかに笑った。
「さて、今夜はどちらの部屋にしようか?」
「よければウチに来ない?リエットを作ったの。明日の昼にワインと一緒にいただきましょう」
「黄金の日曜日が過ごせるね」
「味は保証するわ」
「じゃ、君の部屋にやっかいになるとするか」
おもむろに二人はカウンターテーブルを離れて店をあとにした。
テーブルにはクラッシュアイスがわずかに残ったコリンズグラスと、空のカクテルグラスが残され、紙ナプキンに包まれたオリーブの種がその傍らに置かれていた。
end
初出:PIXIV 2021.08.17
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