55gの




 ランタンの灯りに染まるケースからインサイドユニットを取り出し、底部のねじをゆるめて中身を点検する。フリント、スプリング、コットンとフェルト、そしてウィック。どれも劣化が認められたため、ひとつひとつを新しいものに交換していく。
 日本で採掘した豊富な素材のなかから選りすぐり、フリントはより硬度の高いものに。コットンとフェルトは密度を調整し、オイルの持ちが向上することに期待する。グラスファイバーをコイル線で編み込んで作ったウィックは、より完成度の高いものが出来上がったため取り替えた。
 摩耗やすす汚れのない、より丈夫で清潔なパーツが正しく収まったことを確認し、オイルを注入する。独特の臭いが漂うと、煙草に火が点く瞬間が思い出された。オイルの焼ける臭いを好むスタンリーは、この出来栄えに満足することだろう。
 乾いた布でインサイドユニットをていねいに拭き取り、ケースにおさめる。強度を上げるためチタンを加工して作ったケースは、飾り気のないシンプルなデザインにした。もちろん、キャップの裏側にはひそかにX印を刻んである。
 汚れた指先と爪を簡単に拭い、椅子の背もたれに体重をかける。木製のそれが微かに軋んだ。


 スタンリーの喫煙が習慣になったのは、ティーンエイジャーの頃だった。アナポリスに進学したスタンリーが冬に帰省した際、ダウンジャケットに染み込んでいた煙のにおいで発覚した。折に触れて美味そうに煙を吐き散らす姿を見て、喫煙の習慣がとっくに身に付いていることにおどろいた。

 そのおどろきは、スタンリーが煙草を吸うようになったことに対してのものではない。
 僕のいないところでスタンリーが変わっていたことにおどろいたのだ。

「変わんねえな。相変わらず研究一辺倒かよ」
 帰省のたびに、スタンリーは呆れたように肩をすくめた。
 けれどスタンリーは、身体付きも、指先にまで染みる煙のにおいも、傷痕の種類も数も変わっていった。僕に対する温度も距離もむかしとなにも変わらない一方で、スタンリー自身は軍人としての過酷な道を着実に登り詰めていく最中にいたのだ。

 時間のうつろいのなかでひとは変わる。
 当然の真理である。
 しかし手の届かないところで唯一無二の幼馴染みが変わっていく様に、どこか感傷を覚えたこともまた事実であった。
 元々安物の使い捨てライターを使用していたスタンリーに、ジッポー製のライターを改造したものをプレゼントした。日常的な手入れが簡単で、帰省した際に僕がメンテナンスをすれば当分問題なく使用できるように。
 いま思い返せば、あまりにあからさまで幼稚なジンクスだ。


 今度のライターはれっきとした純正品だ。耐久性もオイルの持ちも、格段に向上させてある。X印に恥じない出来栄えのライター。キャップを弾くと、金属音が暗くて狭い室内に小気味よく響いた。
 密封性に拘ったシガレットケースから一本取り出し、火を灯す。記憶通りのオイルの臭いと、煙の重さ。血管を通して指先まで毒が回る感覚と、スタンリーが常に纏っていたなつかしい煙たさ。

 アラシャに滞在していた頃は、スタンリーの所在を把握していることも、時折足を運ぶことも黙認されていた。当然、司の監視の目がついてはいたが。
 スタンリーのもとに足を運ぶたび、何をするでもなくただ煙草を吸った。語りかけてみることもあったが、その行為が無意味であると思い知る瞬間が嫌でいつからかしなくなっていた。
 その頃から、スタンリーが目覚めることを許される日のために、煙草の改良を重ねてきた。試作品の味見を兼ねて何本もの煙草を吸った。必ずスタンリーのとなりで。けれど、語りかけることを辞めたのと同様の理由で、煙草を手向けることもしなくなった。旧世界でスタンリーが好んで吸っていた銘柄が再現できたら、その口元に運んでいたかもしれないが。

 来日して以降、スタンリーの居場所は明かされていない。あたりはついているものの、自身の立場を態々危うくすることの愚かさが分からないほど落ちぶれてはいない。
 みじかくなった煙草を灰皿に押し付け、冷めたコーヒーを一気に飲み干す。
 煙草もオイルライターも、ようやく満足のいく出来栄えのものが出来上がった。
 それをスタンリーに伝えたら、彼はいったい、どんな顔をするだろう?

 ランタンの灯りに染まるつめたい金属は、てのひらに乗せるとその重みとともにしっくり馴染んだ。コートの内ポケットにライターとシガレットケースをそっと仕舞う。いつからか、このふたつを身につけることが習慣になっていた。


 ***


「このライター、けっこ年季入ってんね」

 もう何本目かになる煙草を灰にしたところで、ライターを陽光にかざしたスタンリーがつぶやいた。光の反射の加減から、細かな傷がいくつも入っていることを確かめているのだろう。
「まさかお下がり?」
 意地悪く口角を上げるスタンリーからライターを取り上げ、目元に掲げる。
「僕が君に誰彼の手垢がついた中古品を贈るとでも?」
「無ェな、あんたのプライドが許さねえ」
「よく分かっているじゃないか。当然、君のためだけに作った特注品さ」
「それも、純正のX印」
 スタンリーが煙草を咥えたため、キャップを弾いて火を灯す。小気味良い金属音も、火の加減も問題ない。一瞬目を丸くしたスタンリーは、しかしその煙草の先を火に寄せるとていねいに息を吸い込んだ。石化によりまっさらに戻ったはずのスタンリーの両肺は、すでに毒ガスで汚染されきっているだろう。
「ただ、新品にしては、やたらしっくりくんな、って。フリントもウィックもほぼ新品なのに、ガワはそこそこ擦れてて昨日今日作った感じじゃねえ」
「それはそうさ」
 たっぷり間をあけ、胸ポケットのケースを取り出す。
「この数年間、誰がこのライターのメンテナンスをしていたと?」
 シガレットケースから煙草を出して見せ、今はもうスタンリーのものになったライターで火をつける。
 タールを下げてメンソールを配合した、清涼感のある軽やかな煙が風下にいるスタンリーのほうへと流れていった。
 今度こそ動揺を抑え切れずに面食らった顔をするスタンリーに、思わず吹き出しそうになる。
「ッ、ふっ……! そんな、豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔、しないでくれ。っくく……端正な顔立ちが、台無しだよ、スタン」
 目尻に浮かぶ涙を拭いながら、深呼吸も兼ねて煙草を咥え、スタンリーの顔にたっぷりと息を吐く。当然ながら、あからさまにむっすりと顔を顰めたスタンリーに、より重たい煙を吹き付けられた。




 まだ僕らがアラシャにいた頃。
 スタンリーのもとに足を運ぶたび、何をするでもなくただ煙草を吸った。語りかけてみることもあったが、その行為が無意味であると思い知る瞬間が嫌でいつからかしなくなっていた。

 その頃から、スタンリーが目覚めることを許される日のために、煙草の改良を重ねてきた。試作品の味見を兼ねて何本もの煙草を吸った。必ずスタンリーのとなりで。けれど、語りかけることを辞めたのと同様の理由で、煙草を手向けることもしなくなった。
 旧世界でスタンリーが好んで吸っていた銘柄は、とっくに再現できていた。
 しかしその頃には東洋の島国にいて、スタンリーの所在は隠匿されていた。
 喫煙の習慣だけが残された日々のなかで、どれだけこのときを待ち望んだことだろう。


 復活を許された日、長年僕の内ポケットでくすぶっていたライターにいのちが宿った。スタンリーのものになった瞬間が本当の意味での完成であり、完璧な物質になったといえる。てのひらで陽光をにぶく反射させるそれが、僕の内ポケットに仕舞われる日はもう来ない。

 ああ、なんという僥倖だろう!
 ほとんど泣きたいくらいの感動を、目の前の幼馴染みによって与えられている。

 時間のうつろいのなかでひとは変わる。
 スタンリーが変わっていく姿を見つめていたあの頃のように、スタンリーもまた歳を重ねた僕の姿に無常を感じてくれるだろうか。そしてこのどうしようもなくくだらないこどもじみた報復を、笑い飛ばしてくれないか。


「まあ、これを毒ガスと捉えていることも、禁煙推奨の姿勢にも変わりはないさ。僕は僕のライターを持っていないしね。ただ、君といるときくらい、と思っているんだが……。スタン、君はどう思う?」

 おかえり、僕のスタンリー・スナイダー。
 最愛にして最強の、唯一無二の幼馴染み。






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 初出:2021年某日
 スタンリー復活記念に