来世もよろしく




 薬剤のにおいと、うすく黄ばんだ白いカーテン。その隙間から入り込む太陽のひかり。時折廊下から聞こえる足音や、ナースと患者の他愛ないやりとり。隣室から聞こえる誰かの咳。
 パイプ椅子に腰かけながら、スタンリーは寝息をたてる彼の幼なじみを見つめていた。もう何時間もそこに座っているというのに、微動だにせず、ただ呼吸をするのみである。かたくけわしい、不貞腐れたこどものような面持ちのまま。腕にはひどい火傷の痕があるが、痛がる様子はみじんもない。ただただ、じいっと、ベッドで眠る幼なじみを見ている。十六をむかえたばかりの少年とは思えないしずけさで。

 意識がもどったら呼んでくださいね。ナースはスタンリーにそう言った。まだ少年の域を出ないスタンリーにナースがていねいな言葉で接したのは、彼の容姿があまりに浮世離れしていたからに他ならない。長い睫毛とすきとおるような青い瞳。つややかで血色のよいくちびる。稀有なプラチナブロンド。少年らしい体躯でありながら、スタンリーの容姿は女性的な魅力を兼ね揃えていた。スタンリーのミステリアスな外見に誰もが息をのむ。少年から青年へとうつりかわる輝かしさと儚さは、性別や年齢を問わず魅了する。そのことをじゅうにぶんに理解しているスタンリーは、初対面の相手の目を見ることをなにより嫌う。無意識的に開かれた瞳孔と上気した頬。それらはスタンリーにとって侮辱であると同時に、たまらない屈辱をおぼえさせるのだ。

 ベッドに横たわる彼の幼なじみ——ゼノとは、五年前に知り合った。利害の一致からむすばれた関係は、いつしかスタンリーにとって唯一無二の友愛関係になっていた。他人を信頼する、という感覚は、ゼノと過ごす時間のなかでおぼえたものである。そしてまた、彼の外見的な魅力には目もくれず、ただただスタンリー自身を必要とするゼノの存在は貴重だった。スタンリーが女性に間違えられたり、彼を想う相手からの屈曲した(時にいきすぎた)求愛行動により迷惑を被るたびに、ゼノは愉快そうに笑った。それらのエピソードを時に揶揄われることこそあれど、不快に感じた記憶はない。

 ゼノの規則的な呼吸にあわせて上下する腹部をみていると、ただ眠っているだけのように思える。けれど、その頭部に巻かれた包帯と額のガーゼに滲む赤に目を遣ると、いやおうなく現実に引き戻される。
だから、離れてろって言ったんよ。
 スタンリーの忠告を無視したゼノに対する苛立たしさがわきあがる。事故から一晩たってもまだ目を覚まさないゼノに、はやく自業自得だと言ってやりたい。ベッドのサイドラックに置かれた林檎がみずみずしく香る。スタンリーのボディバッグには、林檎をむくためのナイフが入っている。

 カーテンの隙間から入り込む光に橙の色味がまじった頃合いに、ゼノの呼吸に変化がみられた。深く上下していた腹部が浅くなり、寝息が止んだ。むずがゆそうに眉間にしわをよせたかと思えば、鼻をすすり、そうしてゆっくり目を開けた。まだ眠い。朝起こしに行くと、にべもなくそう告げる表情のままであったため、スタンリーは思わず笑ってしまった。寝返りをうち毛布にくるまろうとするゼノの肩を、もう夕方だからはやく起きろとやさしく叩く。頭を打っている相手のことを、普段のように乱暴に揺さぶるほど冷静さを欠いているわけでない自身に安堵する。
「夕方……? ああ、いけない。まだ実験が途中だった」
 は、と思い出したかのように目覚めるところまでがあまりに普段通りだった。そのせいで、ゼノが次に継いだ台詞にスタンリーは言葉を失った。
「君、……どちらさま?」
 ゼノの瞳の色は、濃く深い。けれどその瞳孔が開くさまを、スタンリーは見逃さなかった。自身の視力をこれほどまでに恨んだことはない。ゼノのまるみを帯びた頬には朱がさし、ちいさなくちびるは呆けたように開いたままである。まるで初対面の相手がスタンリーに見せるかのようなゼノの表情。背筋に冷たい汗がつうと落ちる。血の気がひく、というのは、こういう感覚を指すのだろう。そう、どこか遠いところで考えた。

 実験中に事故は起こった。試作段階の小型ロケット——実質ミサイルに等しいが、設計図からバックアップしているデータに至るまで全て小型ロケットという名目で進めている——の耐久試験中にエンジン部分が暴発したのだ。発射時の操作をゼノが遠隔で行い、調整と映像記録のためにスタンリーが発射地点近くに控えると事前に示し合わせていた。それだというのに、万一を想定してのスタンリーの頑なな制止を聞かずに、直前になってゼノも同地点で立ち会いたいと言い張った。好奇心に勝てないゼノらしい言動ではあったが、何かあったら、と思うと首を縦に振ることができなかった。けれどいつだって、スタンリーはゼノの頼みを断れない。結果としてロケットが暴発し、ふたりはその爆炎に巻き込まれた。
 幸いにして、スタンリーはロケットから聞こえた微かな異音と燃焼反応の違和感を見落とさなかった。視覚情報を脳で処理したことによる反応ではなく、ほとんどが脊髄反射だった。ゼノを庇うようにして発射地点から距離をとったことにより、スタンリーは腕にひどい火傷をおった。揃ってかなりの勢いで倒れ込んだ衝撃で、ゼノは頭をうった。ゼノの身体に火傷こそなかったものの、頭のうちどころがわるかった。額を切ったことによる大量の出血と意識喪失。医師による診断は脳震盪だが、ゼノはなかなか目を覚まさなかった。連日ほとんど寝ずに研究に没頭していたため、そこからくる脳と幼い身体への過負荷も一因として考えられる。

「ゼノ」

 いまだにゆめうつつな表情を見せるゼノに声をかける。
 意識がもどったら呼んでくださいね。
 ナースからの言葉が脳内で警鐘のようにリフレインする。一回りも年下のスタンリーにていねいな言葉で接したナースも、浮世離れしたスタンリーの容姿に見惚れていることは明白だった。ゼノもまた、同様の表情をしている。夕焼け色の病室で、寝癖のついたゼノはずいぶんと幼く見える。

 スタンリーは、初対面の相手の目を見ることをなにより嫌う。無意識的に開かれた瞳孔と上気した頬。それらはスタンリーにとって侮辱であると同時に、たまらない屈辱をおぼえさせるのだ。けれどその外見的な魅力には目もくれず、ただただスタンリー自身を必要とするゼノの存在は貴重だった。ゼノだけが、スタンリーをただの友人として見てくれた。
 そのゼノが、過去にスタンリーに途方もない屈辱を味合わせた大衆とおなじ目をしている。喉がひりつくように乾き、呼吸が浅くなる。あまりの絶望感に、世界から色が消えていく。
「君……」
 殊更ゆっくり言葉を紡ごうとするゼノから目を逸らす。握りしめたこぶしはちいさく震えていた。ゼノが意識を取り戻したことによりようやく思い出した火傷の痛みが、ぢくぢく疼く。

「ずいぶん鍛えているんだね! おそらく僕と同年代と見受けられるが、衣服越しでもわかるくらいには! てひどい怪我を負っているようだが、患部の処置方法的に火傷だろう? 腕にそんな火傷を負っておきながら、擦り傷と軽度の打撲程度しか見られない。火事に巻き込まれたとは到底思えないな。ふむ、なにか非日常的な事故に巻き込まれたようだね。例えばそう、……なにかすさまじいエネルギー源を有した機械の暴発とか。上手に受け身をとったようだ。でなければ、首や顔にも火傷痕があるはずだからね。ちょっと手を見せてもらっても? へえ、ずいぶん硬いマメがいくつもあるね。なにか武術をやっているのかい? それに、通常の生活を送っていたら薄いままの皮膚がじゃっかんかたくなっている。ここからは僕の当て推量だから見当違いだったら申し訳ない。聞かなかったことにしてくれ。君は、ナイフや槍のような武器の扱に長けていて、優れた射撃の腕を持っている。違うかい?」
 矢継ぎ早に言うゼノの顔がずいと近くに寄せられる。その瞳は無邪気な純真さからきらきらと輝き、惜しみなく上がった口角と上気する頬はありのままの好奇心を曝け出している。
「僕の研究に付き合ってくれないかい? ああ、申し遅れてすまない。僕はゼノ。ゼノ・ヒューストン・ウィングフィールド。ちなみに研究というのは──」
 相手の名前と返答を聞くことなく、なおも手を握ったまま続けるゼノの言葉を遮るようにスタンリーが吹き出した。そうしてそのまま、声をあげて笑いはじめたものだから、ゼノが呆気にとられた表情で首を傾げた。目をしろくろさせてかたまるゼノに、ひいひいとお腹を抱えて笑うスタンリーがわりぃと一言断りを入れる。ようやく呼吸が落ち着いた頃、ゼノに向き直し、涙の浮いた目尻を拭いながら言った。

「なあ、それって一目惚れってやつ?」





「僕の研究に付き合ってくれないかい?」
 まだお互いの名前も知らなかった頃だった。はじめましての挨拶もなく、ゼノは唐突にスタンリーの前に現れた。父親に連れられて参加した射撃大会の帰り際、スタンリーの射撃技術をとうとうと褒め称えたゼノはそう言った。突拍子のない非常識さに呆れるよりも先に、外見的な魅力には目もくれず、明らかにスタンリー自身に興味を示していたゼノのことが、もうすでに特別だった。
 当時とまったく同様の口説き文句でスタンリーを研究に誘うゼノに、笑わずにはいられない。だから当時とまったく同様に、
「それって一目惚れってやつ?」
 そう返答する以外は思い浮かばない。





「一目惚れ? というのが、一目見た瞬間にその相手に対して夢中になる体験、あるいは心的な反応を指すのであればイエスだ。僕は君に興味がある。そしてきっと君も、僕の研究内容に興味を持つだろうという確信がある」
 ゼノらしい身勝手な物言いに、ようやく生きた心地を思い出す。
「あんたって、来世で会ってもそう言ってきそうでウケんね」
 噛み合わない会話を気にとめるでもなく、ゼノが自身の研究内容について説明しはじめた。それを聞き流しながら、サイドラックに置かれた林檎を手に取る。赤くつややかで、甘い香り。どうせすぐに思い出すだろうという根拠のない確信。自業自得だと怪我を負ったことへの小言を言うのは、それからでも遅くない。

 ゼノの存在が、スタンリーのなかでいっとう色づく。
 例えまっさらな状態で出会いなおそうと、こうして互いを必要とするのだろう。









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 初出:2020.12.14