一枚の写真








 ハロー スタン
 ヒューストンは晴れ

 今年も雪を見ることのないまま
 ブルーボネットが彩りをみせている

 君を空港で見送った日には
 まだコートを手放せなかったのに

 もしかすると極寒の地か
 ともすれば猛暑のなかにいるかもしれない君が
 変わらず健勝であることを祈る
ゼノ




 淹れたばかりのコーヒーを飲みながら一通のメールを送る。朗らかな朝陽がカーテンの隙間からさしこみ、おだやかな心地だった。
 年が明けてしばらくしてからとった休暇は、幼なじみと共に過ごした。二週間。何度か職場に顔を出し、各進捗状況や差し迫った案件の有無の確認はしたものの、一年分の疲れを癒すのにはじゅうぶんな時間を確保できた。ゼノ宛の依頼は、ほとんどがリモートで対応できるものばかりであったことも大きい。冷え込む朝も、体温の高い幼なじみがすぐ隣にいたおかげで、早すぎる春を感じたくらいだ。
 溜まっているタスクと、連なる会議の予定、出張先、参加する学会の日程とそれまでにまとめておきたい自身の研究の進捗状況。脳内にスケジュールをリストアップしながら期日に間に合うよう逆算していく。忙しい日が続く。幼なじみも、次の任務は長期に渡ると言っていた。
 気付けは残り僅かになっていたコーヒーを飲み下し、ぐ、と背筋を伸ばす。陽だまりのなかで気持ちよさそうに伸びをする猫になったようだ。






 ハロー スタン
 ヒューストンは快晴

 この地はほんとうに夏がはやい
 湿度が高いからなおさら

 アイスコーヒーを久しぶりに飲んだ
 室内で飲むにはいささか気乗りしないが
 カフェのテラスで飲んだらおどろくほど
 おいしく感じた

 街路樹が青々としていて
 日中の日差しが目に染みる

 君も体調には気を付けて
 休めるときにはしっかり休むこと

 健勝を祈る
ゼノ






 多忙な日々がようやくひと段落つき、NASA局内でも夏の休暇に関する話題をひんぱんに耳にするようになった。夏の休暇を予定していないゼノは、けれど浮かれたつ訓練生や研究員の雰囲気は嫌いではなかった。ランチタイムに賑わうテーブルを横目に、コーヒーを飲む。室内は空調が効きすぎているため、ホットコーヒーがちょうどいい。
「食うか?」
 差し出されたビスコフを受け取り、百夜に礼を言う。声が大きく、感情的なこのおとこと関わることを、はじめは苦手としていたことを思い出す。話をしてみれば、豊かな感情の合間に垣間見せる合理的な思考に気付けば興味を持っていた。彼の息子──血のつながりはないそうだが、肉親に向けるものよりも深い愛情を向けている日本の高校生──が、非常に賢く合理的であることもまたゼノの好奇心を刺激した。ゼノと百夜の息子がメールでやりとりをしていることを、本人は知る由もない。
「Dr.は休暇とらねえの?」
「ああ。年明けにしっかり休んだからね」
「いや、もう半年も経ってんだろ」
「まだ五ヶ月と十日だ」
 白夜が、ええ、と大きな口をあける。ゼノが年に一、二回まとまった休暇をとること、それ以外では勤務日も休日も関係ないことは局内では共通認識だ。百夜もそれを知らないわけではないだろうに。
「次の休暇に備えて、前倒しで仕事を進めておきたい。何せ、僕の〝休暇〟はいつ必要になるかが読めないからね」
 ビスコフをちいさくかじり、そのあまさをコーヒーで中和する。
 ちゃんと休め、休まねえと──と小言のようなことを遠慮なく言う白夜に苦笑を禁じえない。他人のことなのに、まるで自分事のように気を配る感性は理解できない。それでも、何故だか憎めないから不思議なものだ。






 ハロー スタン
 ヒューストンは大雨

 この地に来たばかり頃はハリケーンの頻度に
 いささかおどろいたものだが
 今となってはもう慣れた

 吹き荒れる暴風と窓を叩く大雨は
 自然がその偉大さを強調しているかのようだ

 ハリケーンが木々の葉を落とせば
 間もなく冬がくるだろう

 音沙汰のない君の変わらぬ健勝を祈る
ゼノ





 吹き荒れる風雨を横目にサンドウィッチを咀嚼する。はなから帰宅する気はなかったが、おかげで睨みを聞かせる室長に帰らないのではなく帰れないのだという理由を突き付けることができた。呆れ顔で、この悪天候のなか帰宅していた室長の苦りきった顔。妻子を持つおとこは不自由だ。

 幼なじみはむかしから連絡無精だ。
 一緒に過ごす時間のほうがうんと長かったティーンエイジャーの頃はよかった。連絡をとる必要性さえ感じなかったから。しかし、幼なじみが軍に身を置くようになってから、返ってこないメールに一抹の不安を覚える時期があった。ほんの一時のことだ。何せ、数ヶ月音沙汰がなかったとしても、前触れなくけろりと帰ってくるのだ。ちょっと煙草を買いに出ていただけのような軽々しさで。ベランダで煙草を吸い、時にウイスキーを舐めている。そのぞんざいさとふてぶてしさを知っているから、いっしゅんでも身を案じたことがばかばかしいとさえ思えた。
 
 もとより、死の遠くにいるおとこだ。彼が自分の知らないうちに命を落とすことはありえない。奪うことはあれど、決して奪われることはないだろうと思えるつよい命。戦場という不条理な場においても、彼の命はその上をいく理不尽さを持っている。消しても消えることのないつよい灯。そして彼の肉体もまた、合理性から遠くかけ離れた生命力を持っている。

 一方で、ゼノは連絡をまめにとる性格である。仕事においても、プライベートにおいても。ゼノ自身もレスポンスの早い相手に対して信頼を置いている。かつて、離れた場所にいる他者とコミュニケーションをとることが不可能とされていた時代があった。その過去の価値観をすっかり覆した科学の力はエレガントだ。

 ゼノが幼なじみにメッセージを送るのは、返事を期待してのことではない。合理的に考えれば、無意味ともとれる行為である。
 では、何故返事のこない相手にメッセージを送るのか。
〝自己満足〟
 たったそれだけの、非合理的な理由にすぎない。

 いま自分がなにを考え、どう感じ、どのような季節を生きているのか。
 それをただ伝えたいだけである。
 メッセージがその場で読まれるとは限らない。国家機密にも絡む仕事をしている相手が、プライベートで使用している端末を好きに操作できるわけがない。数日はおろか、数週間も先に届くであろうメッセージを送る。
 彼はたまったメッセージを遡り、あきれ顔をするのか、それとも苦々しく笑うのか。







 ハロー スタン
 ヒューストンは晴れ

 街路樹の葉はすっかり落ちて
 ポインセチアが鮮やかだ

 スープがいっそうおいしく思えるよ
 今度君が帰ったら一緒に行きたい店をみつけた
 具材はどれも食べ応えのあるサイズだから
 きっと君も気に入るだろう

 毒ガスばかり吸っていないで
 ちゃんと栄養のあるものを食べること
 いいね?

 健勝を祈る
ゼノ



 メールを送信し、すっかり冷めたコーヒーをひとくちすする。窓辺に置かれたポインセチアが、冬のよく晴れた空に映えていた。ヒューストンの冬はあたたかい。すくなくとも、マサチューセッツにいた頃と比べれば。雪景色を好むゼノにとってはじゃっかんの物足りなさを覚えるが、けれど、足の竦むような寒さに凍えなくてもいいことは救いといえる。ひとりで迎える朝は寒さがいっとう身に沁みる。
 連絡無精はお墨付きの幼なじみだが、けれど季節をみっつも跨いだというのに電話の一本も入れてこないことは過去になかった。何かあった、とは思えない。もし万が一の不幸に見舞われたとして、その一報はゼノのもとに届くよう手を打ってある。もちろん秘密裏に。
 ただただ任務が長引いているのか、新たな任務が立て続いているというだけのことだろう。




 ハロー スタン
 ヒューストンは雨

 雪景色がなつかしい
 今度の休暇は雪のある場所に行きたい

 君と雪玉を投げ合い
 大敗を喫した日を思い出した

 くやしいどころか
 いっそすがすがしいとさえ感じた
 チェスやポーカーでなら負けないのに

 おいしいりんごが手に入った
 君の好きな酸味ののっているりんごだ
 とっておくことはしないから
 うらみごとは言わないように

 健勝を祈る
ゼノ







 冷たい雨が降っている。雪に変わることなく無慈悲にふりそそぐ真冬の雨は、夜更けにうんと地上を冷やす。
 ストーブに火を焚き、ホットワインで暖をとる。シナモンを溶かすと贅沢な風味がつかれた身体に染み渡る。幼なじみと出かけたバーですすめられてはじめて飲んで以来、冬の夜に欠かせないものになった。
 ぬくい室温と身体の芯。ガウンの襟首を寛がせ、届いたメールに返信していく。メールボックスに幼なじみの名前はない。

 季節も時間も異なる場所にいるであろう最愛の幼なじみ。
 ふと、悪戯を思いついてひとり愉快な気分になった。
 届いたメールを見た彼は、どんな表情をするだろう。




〝悪戯メール〟を送って三日が経った頃、幼なじみからメールが届いた。研究室でコーヒーを淹れながら、帰宅していく同僚を見送ったあとのことだ。
 本文はなく、そこにはたった一枚の写真が添付されていた。
 暗闇に浮かぶ小さな火と、それを掴む指先。そして、立てられた中指。より多くの光を集めるためにオートで遅められたシャッタースピード。その影響で、うまくピントが合わずに全体的にぶれている。
 煙草をつまみながら中指を立てる幼なじみの表情を想像する。おおよそ、野蛮に舌を出していることだろう。
 プライベートで使用している端末を操作でき、なおかつ写真を撮っても咎められることのない場所。ヒューストンとおそらく同時刻。国内にいるであろうことが読み取れる。

 メールを確認して数秒後、着信音が静かな室内に鳴り響く。
 文章よりも音声を通じての連絡手段を好む彼らしい対応だった。

「やあスタン。ずいぶん早いじゃないか」
「あんたのおかげで、残務投げ捨てて休暇申請したっつの」
「それはそれは。休み明けは、書類の山だ」
「下手すりゃ始末書もんだかんね」
「何日間?」
「三日が限界。青筋浮かせた上官前にして一週間休ませろなんて言えんのは、大統領か宇宙人くらいしかいないだろうぜ」
「ふむ。移動時間を概算して、早くても正午か。あまり僕を待たせないでくれ」
「明朝。朝一番の便で着っから、それまでしっかり理性と股締めとけよ」
「職権乱用は国に仕える誇り高き海兵隊員としてどうなんだい?」
「だあから下手すりゃ始末書もんだっつってんだろ」
「それはそれは心強い」
 く、と嗤いを喉で飲み下す。どういった手段をとるかは憶測するしか手立てはないが、ろくでもない裏道ルートで来るのだろう。
 冷静で理性的な幼なじみ──スタンリー・スナイダーが、自分のことになると揺らぎを見せる様は気分が良い。たまには〝悪戯〟をするのも悪くはない。思惑以上に事が運び、ほくそ笑んでいることをきっと彼は分かっている。分かっているから、より悔しいに違いない。

 幼なじみからのメールに連なる、三日前に送信した自身のメッセージが目に入る。




 こうも寒い夜が続くと
 ひとりで寝るのにそろそろ耐えられそうにない



 ToもFromも入れずに送った〝悪戯メール〟
 幸い、りんごはまだひとつ残っている。ご機嫌取りには不十分かもしれないが、半年以上連絡を放置した彼にも少なからず引け目はあるだろう。
 受け取った写真を保存して、端末の待ち受け画面に設定する。
 明日の朝、どういった顔を見せてくれるのか楽しみだ。







 ハロー スタン
 知っての通り、ヒューストンは晴れ

 今夜は期待と緊張で眠れそうにない!

 愛する君の変わらない姿を願う
ゼノ









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 初出:2020.12.09