新世界
眠りは浅い。すこしの物音で目を覚ます。長いこと戦場に身を置いてきた。たった数千年たらずでは、この癖は治らない。新世界は静かだ。クラクションやエンジン音、ミュージック、鳴りやまない銃声とも悲鳴とも程遠い。静かで、暗い。気が遠くなるほどおだやかで、それでいて、生きるために忙しい。
「ゼノ、寝ねぇの」
扉の向こうに感じる気配に声をかける。歩き方の癖からみて、ゼノとみて間違いない。
「ああ、すこし思いついた仮説があってね。検証するまではどうにも寝付けそうにない」
遠ざかっていく小さな声。夜這いにでも来てくれたのではないかと少なからず期待した自分を恥じる。ゼノにはそんな趣味はない。ゼノからお誘いがある日というのは、もっと大胆で性急だ。
起き上がって後を追う。夜目が効くため火を灯す必要はない。闇を克服するために太古の昔に灯された火。その火を手に持ち、ゼノは研究室へとまっすぐ進む。淡いブロンドが赤く染まって美しい。
どれくらい経っただろうか。ゼノに聞けば、秒単位で返答があるだろう。会話も、視線を交わらせることも、距離を詰めることもなくただスタンリーはそこにいた。近からず遠からぬ位置から、ゼノが「仮説」を「検証」する過程を観察した。軍の幹部候補生として科学の知識は当然身に着けた。武術のみならず座学においても、スタンリーの能力は頭一つ抜けていた。しかしゼノの手元で創り上げられる科学の世界は、まったく次元の違うものである。
「スタン。君の悪癖だ。時間は浪費するべきではない。休めるときにはしっかり休めといつも僕に言っているだろう」
満足のいく結果が出なかったのか、手元の機材だけでは足りなかったのか、不機嫌そうにゼノが言う。
「あぁ、ゼノを見てた」
「返事になっていない」
「や、なんか。ゼノがいんな、って。毎日さ。あんたが当然のように手の届くところにいる、ってことが、不思議だ」
「なにを今更」
「こんな世界も悪くない、って話」
「君はほんとうに、」
手を伸ばせば触れられる。旧世界ではそんな日はとうに過去と化していた。
「僕を愛してやまないんだね」
このままではきっと、ゼノのいない日々には戻れない。
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初出:2020年某日