白樺
side:X
冬の朝はすべてが透明に澄んでいるように感じる。
むかしなにかの文学作品で取り上げられていたフレーズを思い出す。読んだ当初は、物体の彩度は視神経の機能面の影響をうけるため、ひとによって見え方が異なるところまでは理解できた。けれど、透明に澄む、という比喩表現の捉え方にくるしんだ。ステンドグラスやレースカーテンを指すのならまだしも、すべて、と言われてしまうと、果たして土や煉瓦までもが透き通るものなのかと思わずにはいられない。幼なじみにそのことを話したら、あきれ顔でこう言った。
あんたは情緒が欠けてんね。そういうのは、物質的な見え方、じゃなくて、捉え方の問題だろ。
そこではじめて、ひとの持つ理性と情緒の二面性について考えた。自分はどこまでも理性的にものを見る。情緒は心のゆたかさの象徴だ。冷静な判断をするうえでは不要なスケールだが、生きていくうえであるに越したことのないものだと捉えた。
それでは幼なじみが果たして情緒的な男だったかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない。けれど、情緒的なものの見方をすることはできていた。先天的なものなのか、後天的に得たものかは定かではない。すくなくとも、ゼノは自身の何処に情緒というものがあるのか分かりかねたため、文学作品を研究の合間に読むようにした。恋愛面に触れた内容となると、共感さえできない言葉の羅列だった。その都度幼なじみに訊ねることにした。呆れた顔で、
あんたにとって不要な感情なんよ
と言われた。
しんしんと降りつもる雪に手を伸ばすように、白樺が空高く並んでいる。鋭尖形の葉がついていたはずの枝は凍り、樹皮は白い。地面は雪に覆われている。白化粧をほどこされた世界では吐く息までもが白く、黒いコートを着る自身だけが唯一暗色を纏っている。
ゼノは冬の朝について考えた。すべての季節のなかでいっとううつくしい時間帯であると思えた。布団のなかで絡め合う素足は幸福で、冷えたからだをあたためるために淹れるコーヒーは格別に美味しい。暖炉のぬくもりを感じながら、幼なじみと毛布にくるまる時間は満ち足りていた。この、満ち足りるという感覚こそが、情緒の恩恵であると知った。
今では手の届かなくなってしまった時間を思い出す。
遠く離れた幼なじみのうつくしい横顔と、形のいい喉仏。暖炉に照らされ色づく肌。
情緒というものを学んでしまったがゆえに、凍てつく寒さはさみしさを思い出させた。
side:S
いつからか、冬の朝がきらいになっていた。
もともと、冬という季節がもっともすきだった。寒さにかじかみながら吸う煙草は美味く、熱い濃いコーヒーの良さが際立つ。幼なじみの血色のうすいくちびるがかさつく感触さえもが愛おしかった。着込みすぎてまんまるくなったフォルムは愛嬌があり、くしゃみをするたびに可笑しくてしかたがなかった。
ひとりで迎える朝には慣れている。もともと、ひとりで生きるのに適していた。軍に従事してからそれをなおさら確信した。
けれど、ふたりで過ごす時間を覚えてしまった。奪うことを生業としていた自分が、あたたかく幸福な時間に身を置くことに罪悪感は芽生えなかった。幼なじみが肯定するものはすべてにおいて、何の問題も持ち合わせていない。
白樺の木に触れる。白い樹皮はひやりと冷たく、しかし力強い瑞々しさがあった。
情緒を学ぼうと思う。
そうはりきっていた幼なじみは、果たしてその後成し得たのだろうか。
元々、科学で説明のつくものにしか興味のなかったおとこが、情緒を学ぶと文学作品を読み漁るようになった。どうにも滑稽だった。後天的に学習した知識は、情緒と相反する概念に等しい。そのことを見落とす様は、至極彼らしい。
遠く離れた幼なじみの丸みを帯びた額の形と、小ぶりな耳朶。寒さに赤らむちいさな鼻。
あたたかな幸福感を手放した今では、冬の朝に自身の弱さを思い知らされる。
白樺:カバノキ科の落葉樹の一種。生長が速いが、一代の寿命は七〇年程度であり樹木のなかでは比較的短い。白い樹皮が特徴的。
花言葉は「いつまでもあなたを待ちます」、「忍耐」、「光と豊富」
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初出:2020年某日