旬
「おや、ようやくお目覚めかい?」
眩しいという刺激を感じるのはいつぶりだろう。電球の生白い光に目を細める。ノートパソコンを閉じ、穏やかに笑うゼノを見て思う。とりあえずは生きているということと、まず視界に入ったのがゼノでよかったということ。
「腕は?」
「残念ながら、五体満足さ。四肢にも臓器にも欠損はないよ。いちばん驚いていたのは君が撃ち抜かれるところをすぐ間近で見ていた君の部下。次いで、施術を担当した医師さ」
「そりゃ僥倖。昔っから運がよくて参るね」
「ああ、君は運がいい。そして、その星のもとに生まれたことこそ最大の不運だ。また君は地獄へと駆り出される」
「Semper Fiがウチのモットーなんでね」
「実に滑稽だ。国にも神にも忠義なんて抱いていない君がそれを言うと」
「言ってくれんな、仕事のうちだ」
おおきく息を吸い、それを吐き出す。左肩を中心に軋みを覚える。けれど鈍く響く感覚はない。弾丸は骨に遮られることなく突き抜けた。次いで、指の動きを一本一本たしかめる。小指の先まで指示通りの動きをみせる。
「四肢と臓器どころか、骨にも神経にも異常ナシときた。よっぽど神は、俺に仕事を続けさせたいらしい」
「そのようだね。君は神から愛されている」
「あんたの口から神って言葉を聞くと、それもまた滑稽だ」
標的までは相当な距離があった。確実に標的は撃ち抜いた。スコープ越しに倒れる標的の姿は視認した。しかしその標的を餌にして、方角と角度を逆算し、寸分狂わず撃ち返された。通常であれば、自分達に指令を出すトップが倒れれば、そこで乱れる。動揺から和は崩れ、その綻びから破滅する。
標的が影武者だったわけではない。現に、もしスタンリーが撃ち抜いた標的が影武者であれば、それほどまでに頭の切れる策士と工作員がいたのであれば、戦況は容易に一変する。こんな都市部の病院での治療は受けられない。最善の治療を受けている状況は、任務が完遂されたことを意味する。とすれば、自身のトップさえも餌にしてこちら側に一矢報いりたいと野心を抱え、それを適える腕を持つ狙撃手が存在したということだ。今となっては、生死さえも定かでないが。
記憶を辿れば狙撃された後のことを思い出せるだろうが、出血と激痛のなか自分がどういった指揮をとったのかは朧気で曖昧だ。結果として、生きているのだからそれでいい。生きて、さらに運のいいことに、目覚めたその場にあるのは最愛の幼なじみの姿。これが夢でも、死んだあとで見ている景色でも驚かない。できすぎているとさえ思う。
「あんたがここにいんのは、偶然?」
「まさか、必然さ。タスクも会議もすべてなげうってきた。僕が不在の会議は今頃滞りなく進み、なんの進展もないまま予算の帳尻合わせだけで終わっているだろう」
「ヒューストンに戻ったあんたがどんな顔をするか、想像するだけで笑えんね」
「構うものか。こうでもしないと、君とゆっくり話をする機会は作れない」
「愛されてんね」
「もちろん。僕は君を愛している」
かさついた指先が頬に触れ、次いでこどもにするようなキスが額に降ってくる。
幼少期から天才と褒めそやされ、期待と羨望と妬みを一身に浴びせられ、それでもなお軸の揺らぎを感じさせない科学者としてのゼノの姿は、いつも痛ましい。
「撃たれたと分かったとき、俺がなにを考えたと思う?」
「さあね。他者の感情と脳内イメージは観測がもっとも困難な領域だ。僕がそれに答えることはただの憶測であり、仮説の域にも及ばない。科学者としては口にすることも憚られるね」
「じゃ、科学者としての殻を捨てろよ。俺といるときだけだろ、それがゆるされんのは」
「それは一人の男として?」
「そ。ファンタジーやフィクションに無関心なあんたも、たまには人の心を想像する経験をすべきだ」
「僕のことを思い浮かべた。そう考えることはおこがましいかい?」
「いや、大正解。あんたの言葉を借りるならエレガントだ。作戦失敗、任務の未完遂さえも予期できる状況で、俺はあんたのことを考えた。もし腕が吹っ飛んでたら、どれだけいいかってね」
「それは想定外だ。希死念慮でも?」
「まさか、まったくその逆。やっぱりあんたは、人の心を推し量る力が欠けてんね」
「おおスタン、君は時々、僕でさえ想像の及ばないことを言う」
ゼノが自身の口元に手をあて、顔を顰める。細められた目の奥では、それこそスタンリーには到底想像の及ばない計算式が巡らされているのだろう。
「いいね、あんたがそんな顔すんの久しぶりに見た」
「揶揄わないでくれ、僕は本気だ」
「それならホームワークな。研究の合間にでも考えろ」
ひらりと手を振り欠伸を漏らす。しばらく眠ればまた軍務に従事する日々が日常となる。それでも、目の前でスタンリーの言わんとしていることを計算式に当て嵌めようとする幼なじみ以外のために死ぬ気はない。
国にも神にも、忠義を誓った覚えはない。
──倒れる標的を視認し、カウンターの可能性を見越して射撃位置を左に逸らす。途端、スタンリーの弾道を辿るようにして数発の弾丸が撃ち込まれた。左肩に激しい衝撃と、やや遅れて届く発砲音。血のにおい。息をのむ隊員にまず告げたのは、落ち着け、ただその一言だった。敵組織のトップはたしかに撃ち抜いた。それならば、すべきことは普段と同じだ。普段と同じ手順を踏んで、各々すべきことを確実にこなせ。出血からくる意識障害までの時間を逆算し各隊員にセオリー通りの指示を出す。左腕にはもはや感覚がないが、思考はいやにクリアだった。狙撃手と指揮官としての仕事をこなすスタンリーに、隊の足並みが合致していく。これくらいのことで動揺するなんざ、まだまだしごきが足りねぇか? そう喝を入れるのは、復帰してからでも遅くない。
隊への指揮と並列の思考回路には、幼なじみの姿が浮かんだ。走馬灯では決してない。ゼノ以外のために死ぬ自分はあり得ないことを知っている。それでも、腕がなくなれば確実に軍人としての命は失う。名誉除隊の後は、スタンリーの若さにしては積み上げすぎた功績を、英雄の化石として祀り上げられるだろう。そうすれば、特殊部隊の隊長でも狙撃手でもないスタンリー自身を生かせるのは、ゼノだけになる。失った腕には義手をつければいい。狙撃銃のかわりにナイフとピストルを持てばいい。思ってもいない世界平和を謳う軍を捨て、ゼノの命だけを守り、ゼノの望むがままに生きればいい!
絵空事だとは理解している。
それでも、いつしかそんな未来を生きたい。
ゼノ自身を認めることができるのはスタンリーだけであるのと同様に、スタンリー自身を生かせるのはゼノしかしないことを知りすぎた。
夜空が白んでうつる間に、すべてを融かす。だからそれまでは、この世界で息をしていたい。
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初出:2020年某日