「ガクのボスってどんな人?」






 ※楽モブ描写あり








「ガクのボスってどんなひと?」
 
 ピロートークも当然なしに、ゲーム端末を操作するガクに声をかける。ちかちか光る液晶画面が、以前会ったときよりも日に焼けたガクの目元を忙しなく照らし出す。表情筋機能不全症候群(命名、私)のガクは死人のように無感情だから、やかましく照らされているくらいがちょうどいい。
 愛嬌のある黒目がちの瞳は手元の端末に落とされたまま、指先だけがものすごいスピードでボタンを叩く。その動きに合わせて暴力的な効果音が鳴り響く。画面が光る。色が変わる。指が動いて、音が鳴る。とくべつ楽しんでいるわけでもなさそうなのに、ガクはゲームの手を止めない。だからといって不服や不満を覚えるでもなく、重たそうな二重瞼や、幼さの残るまるい額、そのわりに大人びた首の太さやくっきりと浮き出た喉仏をぼんやり眺める。
 ややあって、あ、となにかを思い出したようにみじかく声を発したガクが、けれどゲームの手は休めることなくつぶやいた。

「引くほど顔がキレイ」

 へえ。はぁ。え、あぁ。そう。──たぶん、そんなような感嘆詞が、脳を介さず口からこぼれ落ちた。と、おもう。腹減った、と同じトーンで言ったガクも、その内容も、思考回路に入る前にしばらく宙を舞ったのだ。

「ガク」の漢字も、そもそも本名かもわからないこの男の子には、「ボス」がいる。ガクってどんな字を書くの? 何歳? という当たり障りのない話題から、仕事や休日の過ごし方、住んでいる場所、出身地や、連絡先。なにを聞いても、「ボスに言うなって言われてんだよなあ」と返ってくる。はぐらかす口実ならわかるのだけど、ガクの口振りからして、“ボスがそう言うからにはそうするのが当たり前”という価値観が、自然と根付いているとしか考えられない。「こうしなさい」と言われたら反発心が芽生えるのが男の子、という一般論が、ガクにはまったく通じないのだ。

 組織に属して集団行動をとっている姿が一欠片もイメージできない筋金入りのマイペースのくせに、ガクには「ボス」と呼ぶ存在がいる。「ボス」が言えば、ガクにとっては疑いようもなく白は黒。野良猫とひどく似通った気質なのに、「ボス」と口にする姿はまるで飼い犬。どのパーツもてんでバラバラ、しかしそれらの要素を組み合わせると、ガクになる。

 だからふと気になって、ガクのボスはどんなひとかを訊いてみた。
 どうせお決まりの「ボスに言うなって言われてんだよなあ」が返ってくるのだろうとたかを括っていたので、「引くほど顔がキレイ」と言われても、出し抜けに辻斬りに遭ったくらいの衝撃だ。だからまあ、あれ、と思ったら死んでいる、みたいな感じ。長いトンネルを抜けると地獄であった、ともいえる。たぶん。

「キレイだから、懐いてるんだ」
 ようやく組み上げた言葉を放り出す。的外れなことを言えば、もうすこし何か聞き出せるかもしれない。案の定ガクは無表情ながらも首を傾げ、私の言葉を無言で否定した。
「あ、ちがうんだ。それなら、どうしてガクはボスについてるの?」
 情報収集は、底の見えない深い泉に釣り針を垂らし、永遠に待ち続ける作業の繰り返しだ。生きた餌も擬似餌も慎重に精査する必要があるし、なにもかからないかもしれないという不安や徒労感は排除しないとやってはいけない。ガクとのやりとりはまさにその典型をなぞっていたが、ここにきてようやく鉤素が揺れた感触がした。
「つえーし、よく飯を奢ってくれるから」
 野良猫の皮を被った飼い犬らしい言い分だった。とはいえ、お世辞や睦言の一切を口にしないガクが、「キレイ」と評したことに違和感が残る。仮に絶世の美女だとして、ガクよりも強いという要素を兼ねられるとはおもえない。どうしたって、女は男に劣るから。力以外の闘い方を持たない限り、簡単に使い捨てられるから。
「キレイなうえに、つよくて、やさしいんだねえ。ガクのボスは」
 せめて性別、あるいは年代。スラーについてなにかもう一片でも情報を咥えて帰らなければ、私のボスは、容易く私を見限るだろう。
 ガクのボスと違い、私のボスは、放し飼いをよしとしない。私の存在意義は、猟犬としての成果でしか証明しえない。
 歯痒さと焦燥感、そして劣等感に喉がひりつく。
 踏み込みすぎたかもしれないと我に返ったのは、ガクの瞳がすっくりとこちらを捉えたからだった。底の見えない暗い双眸。垂らした針は、気付かぬうちに泉の底で砂を食っていたのだろうか。

 重く冷たい沈黙を破ったのは、聞き慣れない着信音だった。
「あ、ボス」
 ぱ、っとこちらから目を背けたガクは脱ぎ捨てたズボンからスマートフォンを漁り出し、お構いなしに通話をはじめた。
「はいはい、なんすかぁ。……えー、いま? ■■の、なんか小洒落たホテル。……や、もっといいとこ。……あれ、それって今日でしたっけ。まじか。……いや、日付勘違いしてた、サーセン。ボス、怒った? ……けどさー、俺が仕事殺しすっぽかすわけねーじゃん。……あは、りょーかい。……あーい」
 ガクは通話の途中からもそもそと服を着て、そして、うっすらとだけど、たしかに笑った。わずかに口角を上げ、愉快そうな声をこぼした。
 通話口から聞こえてきたのは、うそみたいにやわらかく、しかしどこまでも平熱の域を出ない、男の人の声だった。

 スラーは、男。声色からして、二十代ないし三十代。そして、ガク曰く、「引くほど顔がキレイ」

 殺連支部にあれだけの損害を与えてもなお幻のように姿を消したスラーの手がかり。この情報を持ち帰れば、ようやく人並みに扱われるだろうと確信したが、けれど私に視線を戻したガクの表情は、通話しているときとは打って変わった感情のない無の色だった。










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 初出:2023.01.26