溶け込む






 ※進路が明かされる前に書いたものなので無い記憶のファンタジー世界線です
 ※綻び 1の後日談ですが読まなくても問題ないです









 凍った風に切り付けられて、瀬見は思わず自身の腕を抱いた。さするようにして暖をとると、先ほどまで腕に巻き付いてきていたおんなの甘いにおいが流れてきた。それと同時に、えいたくん、と潤んだくちびるで紡がれた、とろけたような声色が思い出された。えいたくん、えいたくん。よかったら、抜けない? ふたりで。赤らんだ頬や、恥じらうように口元に添えられた手、指先を彩る控えめなネイルに、ゆるやかにカーブした栗色の髪。それらに魅力を感じなくなったのは、いつからだったか。身体にじくじくと熱は回っているのに、皮膚に刺さる風はこんなにも冷たい。ネックウォーマーで鼻先まで覆い、息を吐く。


 もう何度目かになる「飲み会に誘われて出向いたら合コンだった罠」に、瀬見は今日もまんまと引っ掛けられた。かといって、今更動じることもない。良くも悪くも、慣れたのだ。そこそこのルックスに、人見知りしない性格、いじりやすいキャラクターということで、男女の集まる飲み会となれば瀬見はたいてい重宝される。「瀬見くんいるならいく」と言う女子もいれば、「瀬見いれば女子集まるけどあいつカノジョいるっぽいから総浚いすることはない」と言う男子もいる、引く手あまたの(ある意味)人気者なのである。人好きで、大人数で楽しく飲むことに抵抗のない瀬見は、友人からの「飲み会」の誘いであれば基本的には断らない。結果、実質合コンである飲みの席につかされることが、本人の意志とは関係なしに増えてしまった。


 カツン、と薄暗闇に金属がぶつ音が響いた。鍵穴にうまく差し込まれなかった小振りの鍵を、もう一度真っ直ぐ突き立てる。カツン。またしくじった。自分で思っている以上に酔っているらしい。じれったくなり、ドアベルを二回押した。二回だ。程なくしてチェーンを外す音がして、不機嫌そうな顔をした白布が顔を出す。不用心、と瀬見がごちれば、二回も鳴らす迷惑な来客はあんたくらいですよ、と憎まれ口を叩かれた。

 脱いだ拍子に転がってしまったスニーカーを、しゃがみこんで真っ直ぐ揃える。踏み散らしてしまった白布のスニーカーも、同様に。当然のように瀬見の身体に染み付いているその習慣は、いつであったか、白布をたいそう驚かせた。意外と几帳面ですよね、というのは、白布の言葉だ。靴を揃えるのも、いただきますと手を合わせるのも、脱いだ服をそのままにしないのも、瀬見にとっては日常の一部であり、几帳面だといちいち言われるような特別ではなかった。しかしいつしか、几帳面、という個人の内的な一面を指す言葉から、育ちがいい、というこれまでの環境に対する言葉になっていた。お前はあんがい雑だよな。というのは、瀬見が白布に言った言葉である。シンクに残る食器や、座椅子に引っかけられたままのコートを見るたびに、批難する意図を持たず、それどころか意外な一面に感心するかのような口振りで、言う。



 ぬくい室内に安心しきって、いっとう気が抜けた。瀬見は喉の渇きを思い出し、伏せられたパソコンのわきに置いてあるマグカップに目がいった。湯気のたっていないコーヒーを指さして、これ飲んでいい? と言えば、コップに注がれた冷えた麦茶を渡された。
「間接キスなんてご免なんで」
「あんだとベロチューすんぞオラ」
「酒臭い煙草臭い香水臭いヒゲが痛いのコンボはちょっと」
 あからさまに距離を置く白布に苦笑して、冷えた麦茶を流し込む。お茶って家によって味違うよな、おれお前んとこのお茶好きだ、と言って、そんなんどこも同じでしょ、と馬鹿にされたのはたしか夏の真ん中だった。白布の生活に入り込むようになってからずいぶんと経つように思えるが、しかし実際は季節を一巡すらしていない。体感時間が、白布と過ごしていると、どうにも狂う。

「シャワー、浴びれますか」
「うーん、もっちょい、酔いさめてからにするわ」
 こいこい、と手招きすれど、なかなか近付いてきてくれない。袖口を嗅いでみると、なるほどたしかになかなか臭う。居酒屋と、おんなのにおい。下手に弁解するのは逆効果であると言われてからというもの、飲み会に誘われて出向いたら合コンだった、と事実のみを伝えるようになった。謝罪をするのはやましいことがあるからだ、とも言われたから、無意味に謝る真似もしない。
 瀬見は拗ねた顔で座椅子にもたれ、教科書やら資料やらで散らかる机の上を見た。
「あれ、このレポート、しめきり来月って言ってなかったっけ」
 ──教養でとった経済学史の先生が偏屈な人で、厄介なテーマのレポート課題出されたんですよね。文量はそんなにないし、締め切り来月だから別にいいんですけど。なんか調子狂います。
 とか何とか、先週あたりにぼやいていた白布の困ったような表情を思い出す。何の気なしにそう聞いて振り向けば、白布の姿が消えていた。ついさっきまで、うしろにいたのに。重たい腰を浮かせると、足がもつれて床に転んだ。ここにきてから、思い出したかのように酔いが回って仕方ない。ビールと焼酎と日本酒のちゃんぽんを強いられたのに、今日は回るのがゆるやかだった。調子が良かっただけかもしれないし、えいたくうん、と猫なで声で呼んでくるおんなが隣にいたからかもしれない。

 ずり、と腹這いで、台所へと向かう。ちょうど、白布が缶ビールを開けたとこだった。プシュ、と小気味のいい音が響き、同時にひやりとした空気に腹から冷えた。皮膚のうすい白布は、酒を飲むと肌がすぐ火照って赤くなる。酔ってると思われて、飲ませられないタイプである。本人はそれをうまいこと利用して、お酒弱いのでこれくらいにしときます、とほろ酔い程度で切り上げる。思考がゆるむほど外で飲んだことはないという。一方瀬見は、典型的な飲ませられるタイプだ。目立つ上に、ノリがよい。体育会系の飲み会ではひっそりと健在なイッキを強いられることもしばしばだ。潰してこようとする輩もいる。それが、「モテるやつの失態をばっちり写メってやる」というモテない男子による陰謀であればまだいいが、「潰して既成事実をつくってしまえ」という酔った肉食系女子による策略であった場合はたちがわるい。一度、あやうく食べられそうになったことがあると、白布に尋ねられた際に素直に白状した。白布と付き合う前の話だった。九死に一生を得て何とか逃げおおせたが、くちびるを奪われ舌を吸われた。酒は飲んでも飲まれるな、女子の前ではご用心。そう肝に銘じた瀬見はその一件以来、特に白布と付き合うようになってから、飲みの席にはよりいっそう慎重になっていた。


「待っててくれたの」
「う、ぬぼれないでください。単に、面倒な課題をさっさと終わらせたかっただけです」
 レポートの資料を片付ける白布にうしろからのしかかり、シャンプーのかおりの残る髪に鼻を押し付ける。まだ少ししめっていて、白布自身のにおいがした。
「しらぶう」
「うッとうしい、臭いし重いしヒゲが痛いですって」
「じゃー風呂はいってくっからまってて。たった、えっちしよ」
「さいてーですね、間接キスなんてご免ですってば」
「だあいじょぶだって、きょうはだれにもされてない」
「そんな甘ったるいにおいぷんぷんさせといてよく言──」
 白布の顎の下に差し込んだ手を引き、ぐ、とくちびるを押し付ける。冷えた缶につけてつめたくなった白布のくちびるが、火照る瀬見には心地よかった。
 白布は家に来てすぐよりもずいぶんと呂律のまわらなくなっている瀬見を押し返し、にらみつけた。まったく動じず、それどころかどこか嬉しそうににやける瀬見が、首筋に顔を埋めて息を吸う。くすぐったさに身じろぐも、腰と背中をしっかりと抱かれてはなかなか距離をつくれない。
「このへやぎ、ふわふわできもちーね」
「あんたが選んだんでしょ。夏には着れそうにないんで別のよろしくお願いします」
「ふ、図々しいの」
「可愛いでしょ」
「ちょーーかァいい、わざわざまっててくれたりさー」
「だって合コンのあと大抵うちくるし」
「しっとまるだしでさー」
「そりゃ、……そうでしょ。前科あるし、瀬見さん、腹立つくらいもてるし」
「おれのあげたへやぎきてさー」
「……関係なくないですか?」
「しらぶう」
「はい」
「おれ、もーーむり。おまえいがい、むり」
 瀬見の腕に力がはいり、目一杯抱きしめる。苦しい、この馬鹿力。と苦情を入れるが、瀬見の抱擁はゆるむ気配がまったくない。この酔っ払いめ。白布は露骨に舌を打ち、瀬見の背中をべしんと叩いた。まだ現役の瀬見の背中は、しなやかな筋肉に覆われている。


 ──赤らんだ頬や、恥じらうように口元に添えられた手、指先を彩る控えめなネイルに、ゆるやかにカーブした栗色の髪。それらに魅力を感じなくなったのは、いつからだったか。
 大学生活に限らず、瀬見は女子からしばしば好意を寄せられた。思春期真っ只中、いくら部活命のバレー馬鹿といえども、女子に好かれれば純粋によろこんだ。告白されればその相手の気持ちにしっかりと向き合ったし、恋人関係をむすんだことは一度や二度ではない。手をつなげば緊張で手汗が滲み、キスをすればそのやわらかくふっくらとしたくちびるに感動した。どこにでもいる、健全な男子中高生だった。ただそれでも、土日も連休も部活漬けとなれば、デートの約束を取り付けることさえ難しかった。瀬見はそのことを、特に申し訳ないと思ったことがない。一緒に出掛けられなくたって、空いた時間で会えばいい。あっけらかんとそう考え、休み時間やお昼時に会うことをデートのひとつとカウントした。ムード作りや女子の求めるお付き合いなど、瀬見はお構いなしだった。その結果、もって三ヶ月、最短三日が瀬見の交際歴である。「英太とは友達のがよかったね」「瀬見先輩、イメージとちがいました」「ごめんね英太くん、他に好きな人できちゃった」そう言ってあっさりフラれることが通例にあり、一人歩きする噂には「瀬見さんはカノジョ三ヶ月ローテだからフリーの時に告れば大抵オッケーもらえる」と変にポジティブで実に不名誉な尾ひれがついていた。
 白布との関係が変化してからは、女子から寄せられる好意に特に敏感になった。赤らんだ頬や、恥じらうように口元に添えられた手、指先を彩る控えめなネイルに、ゆるやかにカーブした栗色の髪。可愛くて、いいにおいがして、やわらかそうで、何より顔に「すき」と書いてある。おとこに好かれるための、細かなところまで手入れの行き届いたそれらの装飾をみつけるたびに、比べてしまうのは漸く恋人になれた白布の姿だった。とかしつけただけの短い髪に、決して媚びない力強い双眸、すこしかさついた薄いくちびるに、おうとつのないすらりとしなやかな肢体。歯に衣着せぬストレートな物言いや、まったく減らない憎まれ口。どこをとっても、女らしさなど欠片もない白布のことを、それでもだれよりいとおしかった。


「ちょーーーすき。まっててくれて、さんきゅーな」
「…………ドウイタシマシテ」
「ぶは、棒読みかよ」

 白布の額、目元から頬に、いつくしむようなキスが降ってくる。酒のにおいと、居酒屋独特の煙たいにおい、そしてどこかでなすりつけられてきた女ものの香水のにおい。それらの隙間から瀬見のにおいをみつけだし、ゆっくり目をつむる。

 ──ごめんね、どっかのだれかさん。この人は今、俺のものだ。










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 初出:2016.12.22
 めんどくさくて傲慢でかァいくない白布のことがかァいくて仕方ない瀬見さん