エンプティ
※進路が明かされる前に書いたものなので無い記憶のファンタジー世界線です
書き上げたばかりのレポートをメールに添付し、学籍番号と名前、一言をそえて送信する。マウスをクリックする音がやけに響いて聞こえ、張っていた気が徐々にほころんでいく。時計の秒針の音、窓を叩く風の音、空調の音。こんなにも色々な音がしていたことに気付かないほど、長い時間集中していた。
パソコン用の眼鏡を外し、眉間をかるく揉む。キン、と痺れる感覚をやり過ごし、首を回すと小気味よく鳴った。首、肩、背中の筋肉をほぐし、大きく伸びをする。すっかり冷めたカフェオレを飲み干しながらスマホを確認すると、すでに十七時を回っていた。国見は資料やメモ用紙を机のすみにおざなりに寄せ、はらへった、とひとりごちた。
春休み前に課されたレポートとテストの量は、夏休み前のそれと比べずいぶんと膨れ上がっていた。後期に履修した科目の数が増えたというのもあるが、慣れてきたからといってだれるなよ、という教授側の思惑も少なからずあるだろう。講義と講義の間に数式や理論を叩き込み、図書館でかき集めた資料を持ち帰り遅くまでレポートを書く日々が続いた。
ようやく一息ける。しかしそうすることで、忘れていた、というよりも、忙しさの中で紛らわせていた感覚がふっと浮上する。
パズルのピースが足りないまま額縁に入れられているような。本来十本あるはずの指が一本欠けているような。そんな、違和感やおさまりの悪さを孕む感覚である。すぐ慣れるだろうと軽くあしらっていたが、それどころかますます膨らむばかりだった。国見が履修する講義数とシフトを増やしてあえて忙しくしていたのは、それを紛らわすためでもあった。
空のマグカップをシンクにぞんざいに置く。今朝の皿もそのままになっている。きゅぅ、と鳴る腹を押さえるが、冷蔵庫は殆ど空。パンやお菓子のストックも切らしている。出掛けるには外は寒いし、出前をとるような余裕のある生活はしていない。
ああ、もう。めんどくさい。つかれた。ねむい。ねむいねむい。
空腹にかぶさるようにして、睡魔が思考を鈍らせる。昼も食べずに、朝食を食べてから日が暮れるまでずっと作業に没頭していた。
ねむいけど、何か食べないと。分かっている。
「ちゃんと飯食え! 寝ながら食うな!」
何度も何度も言われ続けた言葉だった。懐かしい声と共に、くっきりと思い出すことができる。
うっせぇらっきょ。
悪態をつこうにも、肝心の相手がいない。中学高校と六年間、甲斐甲斐しく国見のことを見張ってくれていた相手が。
小さく頭を振って、顔を洗う。鏡にうつる自分の顔はいやにぼやけていて覇気がない。元々無気力だの表情筋が死んでいるだの言われがちな国見であったが、近頃はそれにより拍車がかかっている。
「つまんなそーな顔」
ぽつりと呟く。
誰に宛てるでもない。
自身へ向けた嘲笑と嫌味であった。
国見は県内の国立大学へ進学した。私大への進学は経済的に厳しかったが、しかし幸いなことに理数系の成績が突出していた。元々バレーを優先して進路を考えるつもりはなかったため、射程圏内だと進路指導の際に背中を押されればもうあとは追い込むだけだった。
国見は昔から数字に強く、数式を組み替えたり図表を読み解く能力に長けていた。その延長で、物理や化学も基礎理論さえ押さえれば応用が効く。根っからの理系で、どれだけ小難しい問題も、ストンと落とし所を見つけられる。一方、文系科目はサッパリで、興味も無ければ根気強く暗記する粘り強さも欠けていた。
部活を引退してからの数ヶ月は、諦めてただひたすらに知識を詰め込んだ。朝部と午後練に割いていた時間は図書館にこもり、紙とシャープペンシルの音につつまれた空間で他の受験生と肩を並べた。割り切り、諦め、仕方のないことだとして勉強をして分かったことは、向いてなくはないな、ということだった。問題が解けなくて苛立つほど短気なわけでも、気を取られるほどの趣味があるわけでも、プレッシャーに負けるほど繊細なわけでもなかった。バレーに費やしていた気力と体力を、そのままそっくり勉強にうつすだけ。暑くも寒くもない空間で、好きなタイミングで休憩を挟むことも帰ることもできるのは、吐くほど厳しい練習に比べれば、むしろうんと気楽なものだった。
もうひとつ。朝に弱い国見がそんな生活を続けられたのは、金田一の存在がずいぶん大きい。
早々に推薦で私大への進学を決めていた金田一は、引退後もひんぱんに部活動に参加していた。そのため、朝練に向かう道すがら国見に「起きたか?」と連絡を入れ、返事がなければ電話をかけ、それでも応答がなければ国見の家まで迎えに行った。中学生時代から続くそのルーティンは当然のように継続され、国見の母は金田一の顔を見るたびに感謝の気持ちを込めて菓子パンやおにぎりを持たせてくれた。
午後練に参加した後も、最終下校の鐘に急かされる学生の最後尾でのんびり欠伸をしている国見のことを昇降口で待ち、現役時代と同様一緒に帰った。自販機で買ったココアやカフェオレをおつかれの言葉と共に国見に渡すことが時折あり、そのたびに国見は、落ちる気がしないな、と思っていた。
国見の合格発表日についてきた金田一は、国見以上に、下手したらその場にいた他の誰よりも喜んだ。そしてその足でファミレスへ向かうと、「誕生日祝いも兼ねて!」と国見にフルコースをご馳走したのであった。
金田一は、そういうやつだった。
ぶれることのない、真っ直ぐ一本の愚直さが彼の芯を通っていた。
聖人君子のように大それた信念あるわけではい。
ヒーローのように、正義を貫くわけでもない。
ただ単に、自分の仲間の味方でいるだけだった。
そうしたいからそうする。
見返りや報酬、結果のための行動ではない。
だからこそ国見にとってはこそばゆく、しかしたしかに心強かった。
食事が用意されるかわりにある程度の規則のある学生寮で生活する金田一に対し、国見は安い学生アパートを借りて下宿している。引越しや家具家電の調達に同行してくれた金田一とは、これからも腐れ縁が続くのだろうと漠然と思っていた。
予感は無かった。
金田一と会わない日が続く、というイメージは欠片も浮かばなかった。
おそらくそれは国見の中の奢りであり、甘すぎる見立てであった。
バレーはサークルで気まぐれに触れるだけ、主に講義とバイト中心の生活を送る国見。
部活動として合宿や遠征も積極的にスケジューリングされている中ではバイトをする暇もない金田一。
金田一の誕生日とお盆休みには顔を合わせたが、それ以降会っていない。これまでのように一緒に年越しをするものだと思っていたら、部活の忘年会初詣コースという恒例行事は抜け出せそうにないと連絡がきて、正直なところ驚いた。
大抵どんな時でも声をかければ応じてくれた金田一からの、はじめての断りの連絡だったのだ。
国見が声をかけずとも朝は起こしにきて、練習試合の日は待ち合わせの時間を指定し、どれだけ帰り支度が遅くとも小言を垂れつつ根気強く待ち、たまの休みにはスポーツ用品店を見に行かないかと誘いをかけ、テスト期間には勉強教えてくれと懇願の連絡を入れてきた金田一が、だ。
飯食ってるかー? 寝坊すんなよ。試合にちょっと出させてもらった!
そんな、金田一らしい連絡も、気付けば元旦以来きていない。
そうしようと取り決めていたわけではないのにぴたりと並んでいた肩は、いとも容易に離れてしまった。
欠けている、足りない、つまらない。そんなことを考えてしまっている自分に、国見自身正直なところ戸惑っていた。しかし戸惑いも違和感も、どうせ一過性のものだろうと高を括っていた。しかし、そうであって欲しいと思えば思うほど、拭えぬままに時間だけが過ぎていく。
居心地の悪いままに、淡々と。
「顔色わる」
国見の隣の席に鞄を置いた白布が挨拶よりも先につぶやいた。話し掛けた、というよりは、見たままを口にした、といった様子である。
「おなかがすいて力が出ないんです」
「それならぼくの顔をお食べよ」
「キャラメルハニートースト食べたい……」
「自分から振っといて自由か」
白布はそう言いつつもさっぱりとした表情で、鞄から小さな包みを取り出した。
「キャラメルですか」
「クッキー。チョコチップの」
「白布さんとクッキーって似合わないですね」
結局国見は仮眠のつもりがそのまま眠りこけてしまい、変な時間に空腹で目が覚めて、けれど近くにコンビニがあるわけでもなくしばらく無意味にネットの海をうろうろし、明け方にようやく眠れたと思ったら寝坊して朝食を調達できなかった。という具合に、自業自得コースを律儀に辿ったところだった。
寒さと空腹と寝起きで機嫌の悪い国見の隣に臆せず腰掛け、たまたま持っていたお菓子を与えたのは白布だった。
白布賢二郎。元白鳥沢の正セッターで、試合で何度か対戦したことがある。白布は手堅く一浪して進学し、国見とは新入生オリエンテーションの際に偶然にも再会した。一浪や二浪してから合格に漕ぎ着けたという新入生は決して少なくない。むしろ国見のように部活漬けの生活を送っていたのにストレートで進学をした新入生のほうが少数だろう。
国見も白布も、社交的とは言い難い。積極的に世界を広げることはない。浮かれた雰囲気に飲まれる青さも欠けている。だからこそ、どこか波長が合った。大きな声でかしましく騒ぐ新入生の輪にいるよりも、下手に一人でいて変に絡まれるよりも、適当な奴と一緒にいたほうが気楽であると(決して口にはしなかったものの)講義がかぶったときは肩を並べている。
色素の薄いミルクティー色の髪に、白い肌、すっきりとした目鼻立ち。すらりと細い手足や腰。白布の容姿から、県内屈指の強豪校で正セッターを二年間務めたとはなかなか想像つかないだろう。一年の浪人生活で一気に体力が落ちたという白布は、元々筋肉がつきにくく、現役時代の練習で何度吐いたか分からないといつかに話していた。
白布に対する国見の印象は、良くも悪くもなかった。青城時代の先輩のように鬱陶しいくらいかまってくるわけでも、金田一のように甘やかしてくれるわけでも、影山のように難しいわけでも、女子のように扱いにくいわけでもなかった。自分の世界以外には興味が無く、けれど世渡りの術を最低限身につけていて、賢く、余計なことは言ってこない。お互いのパーソナルスペースを保ちつつ、ペースを乱さない程度に、適当に過ごすことができる。
好感を持てる点ももちろんある。それは、目的のためなら手段を選ばない姿勢と、的確であるが故に厳しく鋭い言葉の選び方である。
「あの教授、メガネばっかり偉そうで講義の内容ほんとクソ。自分で作ったレジュメの内容くらい把握しとけよ」
眉間に皺を寄せ、盛大に舌打ちをしながら吐き捨てた白布の姿があまりに強烈で、思わず「白布さんて元ヤンですか」と言っていた。
「こんな品行方正なヤンキーいるわけないだろ」
ばかかお前。そう言わんばかりの呆れ顔で肩にグーパンが飛んできたときには、五色もたしかこんな扱いを受けていなかったか、と黒髪パッツンが浮かんでしまった。
白布はその見た目に反して、繊細や華奢という言葉からずいぶんとかけ離れていた。
「珍しいですね、白布さんがお菓子持ってるの」
口の中にほろほろと広がるクッキーを噛み締める。できればココアやカフェオレが欲しいところだが、自販に買いに行く時間はない。
「ああ、なんか朝起きたら置いてあった」
「実家通いでしたっけ」
「いや、近くのアパート」
「サンタさんにしては時期おかしくないですか」
「あーー、昨日、泊まってった人が」
ふうん。気のない返事だけをしたものの、白布が自分の家に他人を泊まらせたという事実には驚いた。
二、三枚クッキーをかじったところで講義がはじまり、メガネばかりが偉そうな教授のまとまりのない話をきっちり九十分聞いた。
購買でホットココアとメロンパンを買い、大講義室へ移動する。
「国見って、飯ちゃんと食べてんの」
机の上に並んだクッキーとメロンパン、ココアを白布が一瞥して言った。
「今まさにフルコースで食べてますが」
首を傾げる国見に、白布がげろ、と顔を顰める。
「現役の時はどうしてたんだよ。そんなんじゃ、青城の練習なんかついていけなかったろ」
「ああ、それなら、金田一が、」
「金田一って、あの長いやつだっけ」
「そうです、あの長いらっきょです」
「らっきょって」
白布が思わず破顔する。金田一のことを知っている人に、らっきょネタが外れたことがない。日向がはじめて口にしてからしばらくは、笑いをこらえるのに自分も必死だったのを思い出す。
「まあ、その金田一が、口うるさくて。母さんと結託して、弁当残さず食べるよう見張られてたり、おやつ取り上げられたりしてましたね」
「へぇ。金田一って、てっきり、ガサツで大雑把なタイプかと思ってた。プレーにもけっこうすぐ感情出てたし。てことは、最近会ってないんだ」
まったくその通りで、国見は思わず口を噤んだ。
「顔色わるいし、後期になってから遅刻増えたし。まあ、俺はお目付け役だった金田一と違って、とやかく言う趣味はないけど。もし倒れてもその場に放置するからな」
「鬼ですか。せめて医務室に運んで下さい」
「俺よりデカいやつがひとりでも減る絶好のチャンスを逃すわけないだろ」
「これから話す時目線合わせるんで」
「喧嘩売ってんのか」
軽口を叩きあっているうちに、講義がはじまった。お腹がふくれてあたたまると、今度は眠気に襲われる。
「ちゃんと飯食え! 寝ながら食うな!」
がみがみうるさい金田一を思い出す。
白布も、自己管理くらいしろ、と言いたかったのだろう。
たしかに近頃、うまく頭が働かない。身体はだるいし、寝ても寝てもまだ眠い。それでも講義やレポートやバイトはあるし、無理言って家を出たから常に金欠で簡単なものしか食べていない。
欠伸を咬み殺す。
何とも言えない気持ちになる。
金田一は今、どうしているのだろう。
あいつもすこしは、この妙な感覚に戸惑っていればいいのに。有りもしない期待を抱く。
かし。と、手持ち無沙汰な左手で椅子を引っ掻く。気付けば爪が伸びていたらしい。にぶくはしった痛みに、国見はただ顔を顰めることしかできなかった。
春休みに入り、シフトを増やした。
昼過ぎまで寝て、もたもたと支度をし、夕方から閉店まで働く。サークルに参加する日は、昼前には体育館へ行き、早めに切り上げてバイト先へと向かう。
自身が接客に不向きであることは分かっているため、ドラッグストアの品出しが主な業務で、レジには時々回る程度である。アパートから徒歩圏内にあるドラッグストアは、近くにスーパーが無いため食料品も充実しており、出勤してから二時間ほどは忙しい。二十時を過ぎてしまえばあとは学生と思しき客がちらほらと来店する程度で、早上がりすることもざらである。
先週、学生アルバイトが急にひとり辞めたことで、シフトに穴が空いた。その流れで生じた六日連勤目のことだった。
いつも通り担当する集荷の検品を終えた国見が品出しをするため立ち上がると、視界がぐにゃりと大きくゆがんだ。すっと血の気が引いて、膝の力がストンと抜けた。ただの立ち眩みだが、場所があまりに悪かった。尻もちをついた際に、ガシャン、としたたかに背をぶつけ、荷台を蹴飛ばしてしまった。
ふわふわと力の入り切らない思考に、痺れる手足。ああ、まずいな。サークルのあと、何か食べてこればよかった。遠くでそんなことを考えて、またべつの場所で金田一のことを考えた。店長の声がする気もするし、打ち付けた背中はじんじん痛んだ。
貧血と低血糖でひっくり返った国見は、鉄分サプリとおにぎりを何個かと豚しゃぶサラダとチョコレートと湿布を店長に持たされた。
裏で食べて行きなよ、と言われたが、さすがにばつが悪かったため、頭を下げて帰路についた。
三月も半ばに差し掛かろうとしているのに、コートを着ていてもまだ冷える。マフラーに顔を埋めると、二回、三回とクシャミが出た。
スマートフォンを取り出して、トークアプリをタップする。高校生の頃から変わらない金田一のアイコンは、国見が隠し撮りしたものである。自主練のときに、何気なく。思いのほか躍動感のある写メが撮れてしまい、振り向きざまに撮った間抜け面と一緒に送ってやったら、次の日にはアイコンになっていた。バレー馬鹿らしく、金田一らしい。
「国見、あけましておめでとう! 今年もよろしくな!」
そこでトークは止まっている。
「“今年もよろしく”、なんだろ。有言実行しろよばか」
下唇を突き出しながら、トークアプリに打ちこんだ。当然、送信なんてできるはずがない。夜道では液晶がいやに映えている。ちかちかとする目を伏せて、金田一のアイコンを何となしにタップした。ホーム画面は、おそらく大学のチームだろう。大勢の中で楽しそうに笑う相も変わらず細長いシルエット。その姿を見て、ぶわりとあの感覚が湧き上がる。
──あ、さみしいのか。この、違和感やおさまりの悪さを孕む感覚は。
そうしようと取り決めていたわけではないのに、長いことぴたりと並んでいた肩は、いとも容易に離れてしまった。
その事実が、たまらなく、さみしい。
欠けている、足りない、つまらない。
そんなことを考えてしまっている自分に、国見自身正直なところ戸惑っていた。
はじめてだった。
小学生時代の半ばで転校したとき、お別れ会で泣かれたときもこんな感覚を覚えなかった。
それどころか、小学校を卒業したときも、中学を卒業したときも。
誰かに会えなくなることでさみしさを覚えるほど、他人に執着できたことはない。
それもそのはずだ。
転校した先の小学校で金田一に出会い、バレーをはじめ、それからずっと一緒にいた。あいつがいたから、当たり前の顔して隣にいたから。
って、だからって、この感覚の正体が分かったからといって、いったいどうすればいいのだろう。
──おれはあいつがいないとこんなにもダメなのに、あいつはじぶんが居なくてもヘッチャラだ、なんて、思い知らされたりでもしたら?
そんなことになれば、もう、どうしようもなくなってしまう。情けなくて死にたくなる。虚しさに押し潰されそうになる。
あいつはおれに、「すげぇよなあ」と言う。
「ちゃんとしろ」と世話を焼きながらも、その一方で、何でもない問題の解き方を教えてやったり、試合中にちょっとした作戦を考えたり、三段重ねのパンケーキを食べてるだけで手放しに褒められる。
すごくなんかねぇよバカ。
お前が隣にいないだけで、真っ直ぐ立つこともままならない。
なんて、言えるわけがないだろう。
あいつがおれとはべつの世界でも、誰かのいちばんの味方になって、肩を並べて世話を焼き、バレーに熱中して普通に楽しく生きていられるなんてこと、欠片も知りたくないし見たくもない。
画面の向こうで、金田一はからりと笑っている。新しい環境、新しいチーム、新しい世界で、金田一はどこまでも金田一らしく全力でプレーしているのだろう。
妬み、嫉妬、負け惜しみ。
こんな感情、知りたくなかった。
こんなやるせない感情を知る日がくるなんて、考えたことは一度たりともこれっぽっちも予感さえも欠片も無かった。
澄んだ瞳を輝かせ、「すげぇよなあ」とお前が言ったおれの中身は、こんなにも情けなくてみっともない。
きんだいち
誰に宛てるでもなくぽつりと呟く。実際は声にはならず、あたりはシンと静まり返ったままである。
どれだけ忙しくしても、難しい問題が解けても、気持ちのいいプレーができたとしても、それだけでは満たされない。
これではまるで、金田一に────
ブブッ、と手元の端末が震え、我に返る。液晶の表示には、「金田一」の三文字が並んでいた。
しんぞうが、ド、っと跳ねる。
このタイミングで、あいつ、なんで。
混乱をきわめながらも、かじかんだ指先を、画面に滑らせる。
『もしもし、国見っ?』
金田一の声は、こんなに高かっただろうか。
へんに上ずった声が、国見の鼓膜を震わせる。喉の奥が詰まって、うまく声を出すことができない。
『俺、金田一だけど』
「っは、はは、そんなすぐ、忘れるかよ」
律儀に名乗る金田一に、笑ってしまう。
『なあ国見、腹減らね?』
手元のドラッグストアの袋を一瞥し、そういえば朝食べたきりだったとを思い出す。
「すいた。餓死寸前」
『ハァっ!? 何やってんだよ!』
「それはこっちの台詞。なんかお前の周り、うるさい。どっかの駅にでもいるわけ」
『ん、おう。お前んちの最寄り』
「……は……?」
『今日練習試合でさ、電車移動だったんだ。で、現地解散だったから、そのままそっちで自主練させてもらって、あ、そのチーム伊達工の二口さんとか作並とかがいてさ、やっぱブロックたっけーし、守りかてぇんだよなあ。自主練終わったのがさっきで、腹減って、マック誘われたけど断って、』
「落ち着けバカ、話飛びすぎ」
『え、あ、ははっ、わりぃわりぃ。で、どこにいんだよ今。なんか、外っぽい音すっけど』
「どこも何も、いまさっきバイト終わって、で、家に向かってるとこだから、」
『バイト先って、薬局だったか?』
「そう。で、駅は、バイト先と、俺んちの、ちょうど間なわけで、」
いくら住宅街とはいえ、ちょうど電車がきたからか、駅の周りは賑わっている。どれだけ人がいたって、そのひょろりと長いシルエットは、いつだって、すぐに見つけることができるのだ。
「『おわっ、国見! ひっさしぶりだなあ!』」
肉声と機械音声が重なって聞こえ、逆光でよく顔が見えない金田一は久しぶりに会ってもやっぱりぶれずに金田一のままで、けれどその声だけが浮かれたように上擦っていて、金田一を確認したそばから腹の底からえもいわれぬ感情がわきたって、泣きたいような笑いたいような叫びたいような走り出したいような逃げたいようななんだかもうよくわからないグチャグチャの衝動が背中を駆け、ああもうだめだ、だめだだめだだめだおれはこいつがいないとだめなんだと思い知らされいやになる。
「ッで!? ……く、くにみさん……?」
ごづん。
額を、思い切り金田一の胸へと押し付けた。
金田一のにおいがする。
ワックスと、シーブリーズと、汗と、金田一の部屋のにおいだ。
相変わらず金田一は体温が高く、押し付けている箇所が火傷してしまいそうだった。
「金田一」
「お、おう……」
「おなかすいた」
ず、と鼻をすすってから、空腹を訴える。
呆気にとられた表情をしてから、らーめん食い行くか、と言う金田一は、何も変わらないからりと晴れた笑顔だった。
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初出:2018.3.15
離別と再会からしか得られない栄養がある