ギフト
「なんか今日特別な日?」
雲ひとつない冬日和、学生服でゆうに過ごせてしまう陽気。沖縄の冬はあたたかい。最高気温は二十二度だと液晶のなかでアナウンサーが言っていた。
カナダの冬は、昼でもとても外出できるような気候ではない。氷点下を超えて凍てつく外気が雪となる様を眺めながら、暖炉の前でスノーボードを滑らせていた頃を思い返す日々だった。
「誕生日」
やや遅れて言葉を返したランガに、暦が苛立つ様子はない。ランガの反応に時間差があることも、決してわざとではないことも理解したうえで、そのゆとりある時間の流れが追い付くときを待つことに慣れたのだ。
「たんじょうび」
ランガの言葉をおうむ返しで口にする暦の表情は、ひどく間抜けなものだった。目と口をおおきく開き、手元のおにぎりを落としかけている。何をそんなにおどろく必要があるのだろうか。ただ、十七年前の今日に生まれたというだけだ。
「いや言えよ、事前に! ちゃんと!」
「何で?」
「祝うために決まってんだろ!」
「そうじゃなくて、何で、特別な日って思ったの」
そっちかよ、と頭を抱えた暦が、自身の髪をくしゃくしゃと乱す。表情が豊かで仕草のひとつひとつがやたらに大きい。感情、という内在的で形のないものを、ここまで臆面なく表に出すことに長けた存在をランガは知らない。暦という少年は、ランガにとってすべてが新しい。
「それ、手作りかなって」
暦が指差す先には、惣菜パンの詰まった袋からジンジャークッキーが覗いていた。ジップロックをぎっしりと膨らませるそれは、ランガの母親の手作りである。
片親でランガを育てる母の朝は早い。すこしでも負担が軽くなればと思い、弁当は作らなくていいと言ったのはランガである。けれど息子の誕生日くらい、と思ったのだろう。朝起きるとダイニングテーブルにジンジャークッキーが鎮座していた。日曜日、夜遅くまで帰宅しない息子のために、ていねいに焼かれたジンジャークッキー。ランガが帰宅する頃には母は眠っていて、母が出社する時間にはランガは夢のなかだった。リビングに香ばしいにおいが満ちていたのはそういうことかと気付くには遅すぎた。ジンジャークッキーはランガの父親の好物であり、ランガ自身にとってもいつしか特別な日の象徴となっていた。スパイシーで癖の強い独特な風味を幼い頃は倦厭していたが、特別な日に美味しそうに頬張る父の姿をいまでも鮮明に覚えている。父が生きていた頃に、いっしょに食べられなかったことがどうしても歯痒くて仕方ない。
「食べてみる?」
一枚つまみあげたジンジャークッキーを暦に差し出す。え、いいの? と目を丸くする暦の表情に遠慮はない。厚意や親切を無下にせず、相手ののぞむ形で受け取ることが無意識的にできてしまう。ランガには、純粋な厚意や親切と、不純な下心を見分けることがどうしてもできない。形あるものさえ捉えるのにひとより時間を要するのに、形のないものはそもそも見落とすことのほうがうんと多い。だからこそ暦の純真さと、真っ直ぐに他者と向き合う姿勢を好ましいと思う。
「ともだちと食べて、って。母さんが」
添えられていたメッセージカードにはそう記されていた。
反応がにぶく、感情を表に出すことが不得手なランガに、友人といえる存在がいたことはない。
なに考えてんのかわかんない。すかしてんのかよ。調子乗んな。
そう陰口を叩かれたことは一度や二度ではなかった。けれどそれを、悲しいとも寂しいとも愚かしいとも感じなかった。感情の在処はいつでも曖昧で、揺らぎを覚えるほどの経験は、数え切れるほどしかしてない。結果として、周囲はランガから遠のいた。理解のできないものに触れることを、往々にしてひとはおそれ、そして嫌う。
「じゃ、ありがたく!」
暦の口がおおきく開き、ジンジャークッキーをぱくりとくわえた。ランガの指から直接拐われたそれは、幸福そうに暦のなかへと溶けていく。軽やかな咀嚼音。みるみる輝く暦の瞳。てっきり、ぴりりとしびれるような辛みにおどろくかと思っていた。けれど嘘を吐くことを得意としない暦の反応は、味に対するありのままの評価だろう。
ためしにひとつ、とランガもジンジャークッキーを口にする。記憶しているよりもずっと甘く、しかしほのかにスパイシーな風味が香る。息子にできたはじめてのともだちを思い、ランガの母親が伝統的なレシピをアレンジしたことは明白だった。
「……おいしい」
「な! 暦の母ちゃん、料理上手なんだな」
暦が笑う。目を細め、感動を隠しもせず。自身の母親を褒められた場合、どういった反応を示すことが正しいのだろう。はじめての経験に戸惑うも、しかし暦を見ていればそれが答えのように思えた。
「ありがとう」
胸の奥がぬくまるような感覚はよろこびと形容される感情で、よろこびを示すことは悪いことではない。暦との時間のなかで得たもののひとつである。
「俺からは、とりあえずこれな」
そう言って差し出された唐揚げと、暦の顔とを見比べる。唐揚げが暦の好物のうちのひとつであることは、毎日のように昼食をいっしょにとるなかですっかり記憶に馴染み込んでいる。
「知ってたらもっとなんかちゃんと祝えたのによ。今あげられんのは、これしかねえから。あ、卵焼きのがよかったか? それともウインナー?」
「ああ、いや」
そうじゃなくて、とくちごもる。うまく言葉にならないものを探し出すには時間がかかりそうで、けれどうやむやにしてしまうのはもったいない。箸で器用につまみあげた唐揚げを、暦の真似をするようにそのままくわえる。おおきな唐揚げは、皮の部分がさくさくとしていて、下味がしっかり染みていて美味しかった。暦のさいごのひとくちを飾るはずだった唐揚げが、ランガの一部になっていく。そしてそれが糧になり、また今日も暦の作ったスケートボードを走らせるのだ。時間もからだも暦によって塗り替えられていく。雪のなかでしか生きられないと思っていたはずが、いつしかまぶしい太陽の下で息する術を身につけられた。
喜屋武 暦という、ランガにとってすべてが新しい存在に、みるみる世界を変えられていく。沖縄に来るまでは想像もしていなかったこの未来に、両足をついて生きることを許された。
「すごく、おいしい。それに、あたたかい」
「いや冷めてんだろ」
「唐揚げはそうかもしれないけど、このあたりが。暦といるとあたたかいよ」
しんぞうのある位置、おそらく心と呼ばれる部分を手で覆う。
「ありがとう、暦」
感情の在処はいつでも曖昧で、揺らぎを覚えるほどの経験は数え切れるほどしかない。だからこそ、周囲はランガから遠のいた。理解のできないものに触れることを、往々にしてひとはおそれ、そして嫌う。
しかし暦と出会ってから、幾度となく心は揺らぎ、新鮮な感動を覚えた。誰もいなくなってしまった雪景色に陽の光が差し込んだ。ともだちと呼んでいい存在が、まるでずっと昔からとなりにいたような心地のよさでそばにいる。
「あ、…………っそう」
そんなら、よかった。暦にしては歯切れの悪い言い方で、手で口元を覆いながら目を逸らされる。
「暦? 顔赤いけど」
「いやにしてもランガの母ちゃんの手作りクッキーまじで美味ぇなあ! なあもう一枚もらっていい!?」
「え、別にいいけど。どうしたの急に」
「甘くてサクサクしてちょっとぴりっとすんのがアメリカ流!?」
「だからカナダだし」
「大人の味って感じがすんなあ!」
「暦、赤くなってるけど、熱でもあるの?」
頬だけでなく耳まで赤くなっている暦に手を伸ばす。バンダナで半分隠れた耳は熱を持っていて、ランガが触れることで更にその温度を上げたように感じる。他者との距離感が良くも悪くも近いのはいつだって暦の方であるはずなのに、ふいにランガに触れられて、あきらかに動揺しているようだった。
「へんなやつ」
「お、っまえに、言われたか、ねえ!」
やり返すようにして、今度は暦の腕が伸びてくる。あたたかな手で髪をくしゃくしゃと乱されて、心に帯びた熱がゆるりと全身をかけめぐる。
「来年こそはばっちり祝ってやっから、覚悟しとけよ」
「らいねん」
「来年も再来年も、だ!」
おめでと、ランガ。
すっかりぐしゃぐしゃになってしまった父親ゆずりの色素のうすい髪。頭を抱えられるようにして、暦の瞳が真っ直ぐ視界に映り込む。まぶしい笑顔。心地いい声。
うれしい、という感情は、あふれることで幸福に形を変えることを知る。
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初出:2021年某日