てのひらの宇宙
前回どこまで読み進めたのか、思い出せないのは毎度のことだ。だからとりあえず、栞のはさまっている頁を開いたら、いちばん右上から目を通すことにしている。この、画期的で効率的で、革命的な技を檸檬が編み出したのは、つい三日前である。
くすんだ白色、ともすれば淡い黄色とも見て取れる長方形に、嘘みたいに整然と文字が並んでいる。統率の取れた文字の連なりは、しかし汽笛を鳴らすこともなく、ただそこに沈黙している。火をくべられた木炭のにおいも、力強いタイヤの音も、陽気で機知に富んだ会話も聴こえない。黙りこくった文字を拾い集めていくが、古臭い言い回しや、意味のわからない慣用句、そもそも読めない漢字などが混在し、一文を理解する作業さえ億劫だ。
なんとなくのニュアンスを、こんなもんだろうと解釈し、適当に読み進めていく感覚は、言語圏の異なる業者とボディランゲージだけでどうにかコミュニケーションを取ったときと、どこか似ている。眼前に並ぶ大量の言葉は、日頃用いている母国語なのにも関わらず、だ。
檸檬はぐるりと首を回し、二度三度とまばたきをした。むず痒い鼻の下を手の甲で擦り、再度手元に視線を落とす。
右側の頁を半分ほど読み進めたが、そんな話だったか? 以外の感想が出てこない。トーマスくんのアニメは、途中から再生しても、問題なくたのしめる。シンプルで、わかりやすくて、親切だ。それに対し、蜜柑がこの世で唯一愛している小説は、まわりくどくて、わかりにくくて、愛想がない。小説のちっぽけな親切心は、文庫カバーの裏表紙、十行程度のあらすじだけで完結している。はがしたままの文庫カバーと、本文とを見比べる。どうやら主人公の男が、なにやら悩んでいるシーンらしい。読んだ気もするし、読んでいない気もする。男は、悩み、愚かにも酒を飲み、現実から逃げるように女を抱き、さらに悩み、持論と屁理屈を並べ、煙草を喫む。冒頭から幾度となくこれを繰り返しているため、刺激が生じず、とりたてて印象に残らない。檸檬は同じ行を三回続けて読んでいる自分にふと気付き、耐えきれずにくしゃみをした。開いた頁を下に伏せ、ペットボトルにわずかに残るぬるい水をくちに含む。蜜柑はこの小説をまるで宝石を愛でるように薦めてきたが、価値のわからない人間にとって宝石が石ころであるのと同様に、檸檬にとってはいつになっても退屈で無味乾燥な紙の束だった。
それにしても、世の中の小説というものは、すべてがこんな調子なのだろうか。手元の文庫本に視線を落とす蜜柑の横顔を思い返し、空になったペットボトルを遊ばせる。
小説を読み耽る蜜柑は、間違いなく娯楽を感じている。伏せったかんばせには血が通い、黒い瞳は慈しむように言葉の連なりを撫でている。気に入った一節に触れる声はかすかなまるみを帯び、最後の一頁を読み終えたときなどは、人知れずうっとりと吐息をこぼす。知り合ってすぐは、仕事中と読書時の表情の差異に当然気付きもしなかったが、ここのところは機嫌の良し悪しと同程度には、違いがわかる。
蜜柑はこの世で唯一小説を愛している。
物語を紡いだ作者に敬意を表し、うつくしいと感じた言葉を記憶の抽斗にていねいに仕舞い、作中に出てくる景色をまぶたの裏に描き、時にその世界に魂を委ねる。
仕事において蜜柑は決して手を抜かず、そして、ほとんど依頼を選ばない。依頼内容と報酬とリスクとスケジュールを出来のいい頭で天秤にかけ、適正と判断すれば持ち帰ってくる。そこに既存の法律も倫理も道徳も感情も持ち込まない。檸檬は、蜜柑のそのわかりやすさを、ひそかに気に入っている。
しかしもしも、依頼の標的が蜜柑の愛する小説の作者だったら? 蜜柑が銃口を向けた先に、蜜柑の気に入っているミシマやウルフが両手を挙げていたら? その他の値が適正だとしても、依頼を途中で反故にするのではないかと思えるほどだ。このありもしない空想は、檸檬を愉快な気分にさせる。そして蜜柑の知らないところで小説に触れるこの時間は、檸檬の悪戯心と疾しさを絶妙にくすぐり、知られたらかなりなまずいと思わせる。
檸檬は伏せったままの小説に栞をはさむと、ごろりと寝そべった。畳に放り出された橙色の表紙には、題字と作者名しか書かれていない、殺風景ともいえる文庫本。さらりと乾いた紙の束。そっけなくて、まわりくどくて、わかりにくくて、愛想がない小説は、明日も顔を合わせる蜜柑にひどく似ている。
気まぐれに小説を手に取った理由を、説明できる言葉がない。読み終えたからといって、何かを得られるとも思えない。感動や教訓を得られる予感もない。しかしここで投げ出したら負けな気がして、どうにも癪だ。
そうこう考えながら素足で藺草の感触を嗜んでいると、檸檬の腹がくうと鳴った。
あっというまの休日だった。
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初出:2023年某日