きらり





※days65/6巻までの知識で書いたものなのでほとんどファンタジーです
※原作程度の流血・暴力表現があります








1. パッキン棒

 膿んだ患部が熱を持ちはじめていた。最低限の処置は施したが、完治するまでにはまだ時間がかかるだろう。手入れの行き届いていない公園のベンチに腰掛け、抗生剤と鎮痛剤とを流し込む。湿度と日光とをふんだんに吸い、青青と生い茂る雑草と、錆びついた遊具。腰掛けているベンチはところどころペンキが剥げ落ち、木目がささくれだっている。昼下がりのいちばん暑い時間帯。人通りのない寂れた公園。かしましく叫ぶ蝉。木陰で呼吸を整えながら、薬が効いてくるのを待つ。

 がさり。刺すような日差しを遮ってくれている大きな木が揺れた。猫か、烏か。それにしては音が大きいような。葉の隙間から差し込む日光を直接見てしまうことのないように、手で影をつくりながら音のしたほうを見上げる。
「ひとのこか」
 楠の枝を揺らしていたのは猫でも烏でもなく、にんげんのこどもだった。
 
 地面から3メートルほどの高さにある枝でくつろいだように座るこどもが、じっとこちらを見下ろしている。どうやって登ったのだろう。そして、どうやって降りるのだろう。気にはなったが、こちらから干渉する気にはならなかった。

 視線を足元へと落とす。蟻の大軍が列を成し、蝉の死骸を運んでいた。この光景を生命そのものと捉えるか、グロテスクだと顔を顰めるか。今の自分は何方にも感情の置き場が無いと感じた。

 がさり。ふたたび木が揺れ、とん、と軽やかな着地音と共に、こどもが降ってきた。こどもは足元でくしゃくしゃに潰れた蟻の行列と蝉の死骸に気付いていないのか、じっとこちらを見つめている。

 こどもは年代に相応しくない深海の泥のような色の瞳をしていた。
 ただ濁っているだけでなく、陽の光を反射させたことのない濡れた砂塵。
 痩せたからだは、サイズの合っていない汚れたTシャツで包まれている。不遇な環境下に置かれていることが一目で見て取れた。
 だからといって、同情を媚びる可愛げが無い。
 何も映し出さない双眸で、ひたすらに、じぃっと見てくる。それだけだ。

「食いもんない?」

 やっとくちを開いたと思えば、こどもは空腹を訴えた。空のポケットを裏返して見せると、興味が失せたように視線が逸らされた。

「わるいね」
「べつに」

 名前も知らないこどもは助走もなく地面を蹴り、ベンチでひときわやわらかく跳び、楠の枝を掴み、そのまま葉の中へと消えていった。
 夏の幻覚かもしれないと思えるほどの、一瞬の出来事だった。




 夏の幻覚かと思われたこどもは、昨日と同じ格好で、公園の楠に潜んでいた。青青と茂った葉に囲まれ、木の幹に凭れ、枝の上で胡座をかいている。居眠りをしているのか反応はない。
 落ちたらどうなるのか興味がわいたが、何となく、落ちたところでどうもならないだろうなと思った。猫が木から落ちてもしなやかに着地するように。おそらく。

 ベンチに腰掛け、駄菓子屋で買ったばかりの棒アイスを真ん中で折る。ここまで歩いてくる道程ですこし溶けてしまったそれは、ぱきゅんと間抜けた音が鳴った。
「食いもん?」
 頭上から眠そうな声が降ってきた。予想通りに進む物事に、まるで映画のシナリオを辿っているかのように感じる。

 折ったアイスの半分を差し出し、こどもの動きを観察する。こどもは木の枝をするりと両手で掴み、重力など知らないといった顔でまっすぐ落ちてきた。地面に着地するときのやわらかな膝の動き。立ち上がって一歩踏み出すまでの無駄のなさ。優れたバランス感覚と敏捷性。特別な訓練を受けていなくてこの動作ができるのであれば、それはもう天賦の才を持って生まれたことの証に思えた。
「食べる?」
「これ、何だぁ?」
「何だろう。棒アイス、かな」
「知らねえの?」
「正式名称を忘れちゃって。僕の地元ではカンカン棒って呼ばれていたけど、学校ではチューペットって言うひとが多かった」
「おとなでも知らねぇことがあんだなぁ」
「おとなに見えるの、僕が? まさか」
「おとなじゃねーの?」
「うーん。君から見ておとななら、それが事実か」

 水色に着色された甘い氷。
 改めてそれを差し出し、手元に残った片割れを齧って見せる。こどもはすかさず真似をして、同様に齧り付いた。ポリエチレンの容器ごと噛み切ってしまいそうな勢いだった。

「うめー」
「そう。ならよかった」
「もうねーの?」
「え、もう食べちゃったの? キーンってしてない?」
「キーン?」
「冷たいものを勢いよく食べると、こめかみがキーンってなるだろ」
「こめかみ?」
「ここ」

 こどもの耳と目のあいたを指でさし、「こめかみ」と繰り返す。首を傾げるだけのこどもは、もしかすると、学校に通っていないのかもしれなかった。

「僕のも食べる?」
「ウン」
「じゃあ、これあげる」
「やりぃ」

 知らないおとなからものをもらってはいけません。
 知らないおとなについていってはいけません。
 赤信号を渡ってはいけません。
 ひとを叩いたり蹴ったりしてはいけません。
 
 そういった諸々の、使い古された標語の数々を教えられずに、このこどもがこれまで生きてきたとして。むしろひどく納得してしまうような、そんなまっさらな無垢さとの邂逅に、ある種の感動を覚えた。

 それはきっと、とても不謹慎で、無責任なことなのだけれど。





 世の中には殺したいほどに誰かを憎む人間が星の数ほどいるらしく、名前も身分証明書も持たずとも、履いて捨てるほどに仕事があった。
 殺したい理由、その動機が理にかなっていれば仕事を請け負った。理、というのはあくまで個人的な正義と哲学に準じたものであり、法律や憲法や宗派や経済や政治といった既存の枠は度外視した。

「理にかなった依頼」を終え、コインロッカーから現金を回収して帰路につく。夜が明けようとしていたが、目が冴えていて、帰宅してもとても眠れそうになかった。間もなく蝉が鳴き始め、正しい生活を送る人間たちで世界が循環しはじめるだろう。それを眺めながら眠気を待つのも悪くないなと思い至り、コンビニエンスストアでホットコーヒーを買った。レジに置いてあった和菓子を手に取ってしまったのは、あのこどもの影が脳裏を過ったからに違いない。

 例の公園に立ち寄り、ベンチに座る。薄明かりに浮かぶ月から目を背け、息を吐く。傷の治りが遅いことが気になった。傷口からの細菌感染による発熱は落ち着いていたが、蒸し暑さと、立て続いた仕事の影響で痛みが消えない。
 とはいえ、からだを横たえ、目を瞑り、安静にしていたら途端に気が狂うだろう。腹の奥で増幅し続ける憎悪と破壊衝動から目を背けるためにも「理にかなった依頼」で時間を埋める作業は重要だった。
 自身の理にかなう依頼を持ち込む人間の存在は、社会への帰属意識と連帯感、それによる安堵感を生み出すからだ。

「あ、みつけた」

 背後から投げかけられた声が、いっしゅん、誰の声か分からなかった。頭上から降ってこれば即座に判別できただろうが、時間帯も相まって、痺れたかのように思考が鈍い。

 振り返ると、例のこどもが立っていた。
 棒アイスを食べさせた日から、ちょうど一週間が過ぎていた。

 このこどもの人生に不用意に深入りすることはひどく無責任に思えて、敢えて公園を避けていた。野良猫や野良犬に餌付けすることがタブー視される道理と程近い。ポケットに入れた和菓子は、謝罪の意を込め、こどもの定位置に置いておくつもりだった。
 どこまでも身勝手で、甘っちょろい自分に嫌気がさす。

「どこにいたんだよ」

 こどもの顔はひどく腫れ、おそらく、左肩の関節が外れていた。ぷらぷら揺れる左腕と、露出している肌に散見される打撲痕。鼻血は乾き、黒ずんでいる。着ているTシャツは、先週と同じものだった。腹部が黒く汚れていることに気付き、それに気付いたことを、こどももさとったらしかった。

「俺んじゃねーよ」
 おもむろにTシャツを捲し上げたこどもの腹部には、出血を伴う外傷はなかった。けれど、ひどい打撲痕と、切り付けられたかのような古傷が無数にある。

「……ワインでもかぶったの?」
「それ笑っていいやつ?」
「そう、笑うところ」
「笑うのってどーやんの」
「こうやって、くびるのはしっこを上げるの」
「フーン。できてる?」
 笑顔というにはあまりにぎこちない表情だった。
 労うように肩に触れ、外れていた関節を正しい位置に戻す。こどもは顔色ひとつ変えず、「すげー」とつぶやいた。

「練習すればできるようになるよ。君はまだ若いから、何だってね」

 自販機までのんびり歩き、小銭を入れる。すきなものをえらびなよ、と言うと、これ飲んでみたかったんだよなぁ、とコーラのボタンが押された。

 棒アイスの存在も、コーラの味も知らないこども。
 蝉の死骸を運ぶ蟻の行列を踏みつけていることにさえ気付かず、ある種の無垢さで、我が侭に生きる純真な若葉。

「あんたのことさがしてた」
「知ってる? 知らないおとなにものをもらってはいけないし、ついていくのはもっといけないことなんだよ」
「知らねー」
「うん。知らなくていいことかも」
「連れてってくんね」
「えー、どこに?」
「あんたの行くとこ」
「困ったなあ。僕、お金持ちでも、慈善事業主でもないんだ」
「うわ、なんだこれ、ショワショワする」
「炭酸飲料だからね」
「タンサンインリョー? あめーしうめー」
「ならよかった。ちなみにこの前食べたアイスは、正式には、ポリエチレン詰め清涼飲料って言うらしいよ」
「なげー」
「ね。何て呼びたい?」
「……パッキン棒?」
「いいね。君がそう呼びたいんなら、それでいいし、いずれそれが正しくなる」
「さいこう」

 しゃわしゃわと蝉が鳴き始め、夜が明けた。
 未練がましい月が薄青色の空に浮いている。

「何も持って行けないけど、それでいい?」
「ウン。そもそも何も持ってねーし、持ってたもんも捨ててきた」
「へぇ、例えば?」
「穴のあいたランドセルとスニーカー」
「なるほど、だから裸足なんだ」
「おん」
「じゃあ朝ごはんを食べたら、ひとまずサイズの合ったスニーカーを買いに行こうか」
「朝めし?」
「うん。あぁ、けどお菓子だけじゃ足りないだろうし、ハンバーガーでも食べに行く?」
「行く」
 
 深海の泥のような色をした瞳に、微かに光が反射する。注意深く観察しなければ見落としてしまうであろうほどの僅かな光だ。

 水中から見上げた海面に揺らぐ光がうつくしいことを、水面から顔を出すと空があることを、その空の上にはまた暗闇が広がっていることを、けれどその暗闇には星がまたたいていることを、いつかこのこどもが知る日がこればいいと思う。

「決まり。きょうは、忙しくなりそうだ」

 真っ直ぐな足取りで進むこどもの背中をさすり、まだ名前を聞いていないことを思い出す。自身も名前を捨てたばかりだが、ひとまずは以前の名でいいだろう。
 未練がましく明け方の空に残る月、それを意味する名前は好きではない。
 しかし、このこどもを見ていると、未練は時に未来への轍になるかもしれないなと希望が見える。

 捨てた筈の未来も自尊心も自分自身も、ともすれば諦めていた理想の世界も、若しかして。











2. すいか

「これなんだァ?」
「すいか」
「食いもん?」
「うん。みずみずしくて甘くて美味しいよ」

 仕事の報酬と共にコインロッカーに入っていた大きなすいか。それを持ち帰ると、丸々と肥えた黒と緑の縞模様をこどもは訝しげな表情で見た。

 住処にしているアパートは、家主をとうに失っている。世界は家主が死んでいることに気付いていない。賃料も光熱費も家主の口座から引き落とされ、口座の残額がなくなる頃に、ようやく家主の不在に気付くだろう。そういった物件はいくらでもある。そして、そういった物件のみを取り扱っている仲介業者の職員は、でっぷりと肥えただらしない身体を上質なスーツで隠している。例外なく、絶対に。隠しきれていない腐臭は悍ましさすら覚えるが、まあ、仕方のないことだ。保証人どころか身分証も持たないような人間は、相応の人間を利用せざるを得ないのだから。

 すいかをふたつに割ると、真っ赤な身が詰まっていた。明日にはぜていたかもしれない。それくらいよく熟れていた。
「すげー」
「これがすいか」
「いいにおい」
「もし次の家に庭があったら、すいかを育ててみるのもいいね。存外簡単に育つというし」
「さいこう」

 八つに切ったすいかを差し出し、尖っている部分を齧って見せる。中心に近い部分はひときわ甘く、みずみずしい。こどもも真似るようにかぶりつき、種ごと飲み込んだ。そして瞬く間に赤い可食部を食べ終えたかと思えば、あ、っという間に、皮までばりばりと食べてしまった。
「皮はあんまりうまくねェなぁ」
 のんびりとした口調で言うこどもは、しかし眉を顰めたり、ペッと舌を出すこともなかった。嫌いではないが好きでもない、そういうものを食べたような感覚なのだろうか。
「ねぇ、知ってる? すいかって、白い部分と、緑の部分は食べなくてもいいんだよ」
「でも食べられるだろ?」
「言い方を変えようかな。すいかで食べられるのは赤い部分だけで、ほかの部分は残すといい。種も、お腹で芽が出ちゃうといけないから、ぺってするひとが多い」
「あんたもぺってすんの?」
「うん、するよ。見ててね」
 壁際に置いてあるゴミ箱に向け、種を吐く。真っ直ぐとんでいった種は、壁に跳ね返ってゴールイン。
 成功するとは思わなかったけれど、失敗するとも思えなかった。
 こんな場面で全能感を覚えるなんて、人生は存外愉快なものなのかもしれない。

 こどもの瞳が僅かに見開き、楽しそー、と言った。軽やかな口調と、ゆるやかに動いたくちびる。動いただけで口角は少しも上がってないけれど、言葉通り、楽しんでいる。これがいまのこの子の笑顔なのだろう。
 こどもは、笑い方も怒り方も知らなければ、すいかの食べ方も知らないらしい。まだ、何を知っていて、何を知らないのかを把握しきれていない。わかっていることは、どこでも眠れるということと、なんでも食べられるということくらいだ。

 ふたつめのすいかに深く齧り付いたこどもが、種をぺっと吐き出した。迷いも躊躇いもない勢いでまっすぐ飛ばされた種は、わずかに飛距離が足りないように思えたが、ゴミ箱の手前に当たってゴールした。
 力技の追加点、見事なシュート。
「やりぃ」
 今度こそ、口角がにんまりと上がっていた。とはいっても、おそらく、誰にでも分かる類の笑顔ではない。ひとまずは、自分だけがこのこどもの表情や感情を読み取れれば差し支えないためよしとする。

「楽しい?」
「あ〜〜〜〜、ウン、楽しい」
「名前、楽にしようか」
「ガク?」
「うん。楽しい、っていう漢字を当てて、楽。名前、僕に決めてって言ってたでしょう。考えてたんだけど、なかなか思いつかなくて。遅くなってごめんね」
「別に。サンキュー、有月」
「どういたしまして、楽」

 残りのすいかをこども、ではなく、楽に食べさせ、紙とペンを用意する。
「楽」、と紙に大きく書き出し、すいかに齧り付く楽と見比べる。
 それに気付いた楽が首を傾げながら、種をぺっと飛ばした。

 楽は的を見なくとも、容易くゴールできるようになっていた。










 8月X日付発行○○新聞地方版の片隅より

 東京都▲▲区にあるアパートでX日未明に男性の遺体が発見された。アパートに住む無職■■■■さん(XX歳)の遺体であることが明らかになっており、腹部に刺し傷があることから警察は他殺とみて捜査を進めている。室内を荒らされた形跡はなく、怨恨による犯行の可能性が高いとされている。また、被害者は妻●●さん(XX歳)と長らく別居しており、アパートに一人で暮らしていたという。被害者に他に親族はなく、近隣との交流も途絶えていた。









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 初出:2022年某日
 いまとなっては幻覚すぎるけど思い入れの深いおはなし